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(最悪だ…………)
白い寝間着にガウンをはおっただけの格好で、膝下まで伸びた銀の髪をメイド二人がかりでブラッシングしてもらいながら。アウラ女王陛下こと雨井桜子は、心の中で(まさしく『どうしてこうなった?』だ)と絶望に沈む。
化粧台の鏡に映るのは、あの闇の中で出会った美姫。
(これ…………本当に私? 本当にアウラになったの? もう桜子に戻れないの?)
頭をかきむしって叫びだしたい衝動をこらえて、(いったん状況を整理しよう)と己に言いきかせる。
(戻れるか否かは、いったんおいて。仮に私が、本当にアウラになったとして。まずは転生物の定番の展開…………この漫画の設定と展開の確認でしょ。ええと…………)
『聖なる乙女の祈りの伝説』。
たしかこれは高校時代に漫画好きの友達に勧められて読んだ、全五巻か六巻の少女漫画だ。絵がきれいで驚いた記憶がある。が。
(よりによって、花宮愛歌漫画…………)
桜子はごっそり気力を削られる。
なぜなら花宮愛歌は桜子の苦手な漫画家だった。
花宮愛歌は『ティアラ』という少女漫画誌の看板作家で、少女漫画界でも屈指の画力の持ち主(この点は桜子も異論ない)だが、ストーリー作りに大きな欠点を抱えている。
設定に矛盾があるとか、展開が不自然だとか、伏線が放置されているとか、そういう欠点は少ない。が、とにかくヒロインが創造神(作者)に愛されすぎている。
徹底的なまでのヒロイン至上主義で有名な作者で、それは桜子が転生したらしいこの作品でも貫かれている。
そもそもこの漫画は、
『ブリガンテ王国の平凡な田舎娘だったヒロイン、フェリシアはある時、『聖なる祈りの力』に目覚めて、聖女として認定される。
さらに彼女は反乱によって国を追われたロヴィーサ王国の前々国王、イルシオンとその王妃の遺児、つまりロヴィーサの正統な王女であることも判明する。
ロヴィーサの現在の王は「我が儘で贅沢好き」と評判の十九歳の女王、アウラ・ローザ・トゥ・オルディネ。
反乱を起こしてイルシオン王夫妻を追放し、その座を奪った前ロヴィーサ王、レベリオの一人娘である。
高潔で心優しいフェリシアは、アウラ女王の圧政に苦しむロヴィーサの民のため、聖女として、正統な王女として「簒奪者の娘にして偽りの女王、アウラを倒して、ロヴィーサに真の平和と幸福をもたらす」と、彼女を守る仲間達と共に蜂起、聖戦へと身を投じる――――』
というものだ。
『聖戦』とはいうが、実際は戦争シーンはほとんど描かれていなかったと思う。『ティアラ』は低年齢層向けで、メインは圧倒的にヒロインとヒーロー達のからみだった。戦いは「戦闘に巻き込まれて危険な目に遭うヒロインをヒーローが格好よく助ける」ための前座だったと思う。
(だから花宮漫画って白けるのよね。ヒロインがどんな危険な目に遭っても苦労しても「はいはい、どうせ男が来てくれるんでしょ」としか思えないというか。しかも男は一人じゃないし)
それも花宮作品の大きな特徴だ。
花宮作品のヒロインは常に複数のイケメンに愛される。妹や仲間として慕われる、というレベルではない。明らかに恋愛感情を向けられ、溺愛され、特別扱いされるのである。
(ブリガンテの第二王子なんて、たしかアウラの婚約者だったのに、ヒロインと出会った途端、「フェリシアの神秘的で清らかな魅力に惹かれてアウラとの婚約を破棄、フェリシアの絶対的な味方となって、国をとり戻そうとする彼女に力を貸す」んじゃなかったっけ?)
そして、それだけヒロインを愛している第二王子は実は恋人ではない。
ヒロインの恋人役は別にいて、第二王子は物語終盤まで彼とはりあう『恋敵』役なのだ。
(たしかヒロインは恋人と第二王子、二人の間にずーっとはさまれてて、どちらもヒロインのために命がけで戦って溺愛して、ヒロインが恋人と喧嘩したら第二王子が優しく慰めて、それを知った恋人が慌ててヒロインの所に行って、ヒロインも第二王子にゆれつつ恋人と仲直りして…………の、くりかえしじゃなかった? で、合間に『幼い頃の初恋の少年』だの、別のイケメン達との出会いがあって、全員「聖女にふさわしい心清らかな少女」だの「誰にも汚されない神秘的で高潔な乙女」だの「ロヴィーサ王族の血を証明する薄紅の髪と高貴な笑顔」だの褒めちぎって、味方になってくれるのよね? アウラはたしか婚約者の第二王子だけでなく、唯一信じた恋人も実はヒロインの兄で、妹のため父の敵討ちのため、アウラに近づいただけだった~みたいな展開じゃなかった? そりゃ、ここまで「すべてを他の女に奪われて死ぬ未来」しか待っていないなら、異世界にも逃げたくなるけど…………二年後に死ぬと判明しているキャラと入れ替わった、こっちの身にもなってよ!!)
「女王陛下? なにかご不満な点でも?」
アウラの隣でブラッシングを見守っていた、白髪交じりの貴婦人が重々しく訊ねてくる。アウラの身の回りをとり仕切る女官長だ。髪を梳かしていた二人のメイドも、息を詰めて女王陛下の返事を待っている。
桜子は気づいた。鏡の中の美しい顔がいつの間にか眉間にしわを寄せている。
いそいでごまかした。
「いえ、問題ないわ。今日の議題について考えていただけ」
メイド二人がほっとしたように表情をゆるめ、とめていた手を動かしはじめる。
ブラッシングがようやく終わり、アウラは立ちあがった。
「それでは着替えの間へ。みなさまおそろいです」
女官長の言葉に、桜子はアウラの肉体から読みとった記憶をもとに(どうせ無理だろうな)と思いつつ、駄目もとで訊いてみる。
「もう、ここで着替えたほうが早くない? わたし――――妾も風邪をひかずにすむわ」
「毎日の務め。これも女王陛下としての大切なお役目でございます。我が儘はおやめくださいませ。どうぞ、着替えの間へ」
桜子はため息をつき、うながされるまま隣の部屋に足を踏み入れた。
家具をほとんど置いていない広々とした空間。そこに三十人ちかい貴婦人が整列している。彼女らはみな、手にドレスだの靴だのアクセサリーだのを持っている。すべて女王陛下の着替えだ。
アウラは彼女らの前に立ち、貴婦人達に見守られながら、彼女達一人一人から差し出される衣装を受けとってメイドに着せてもらうのである。
(時間の無駄!)
現代日本から来た庶民の桜子はそうとしか思えないが、これがロヴィーサ王宮の『代々受け継がれてきた伝統ある王族の着替えの作法』なのだ。
そしてアウラはこの作法で先日とうとう風邪をひき、意識がもうろうとする中、予見の力を発現させて己の未来とこの世界の真実を見抜き、別の世界に移ることを決意したのである。
(伝統だかなんだか知らないけど、作法のおかげで女王陛下を逃がしていたら、本末転倒じゃないの?)
桜子は呆れつつ、着替えのための台の上に乗る。
真冬である。
暖炉には火が焚かれていたものの、広い部屋全体をあたためるには至らず、ガウンを脱いだ桜子は盛大にくしゃみの音を響かせた。




