3-1.エピローグ『例え、この身が滅びようとも――』
3章開始です
その屋敷は人里離れた山の奥にぽつねんと佇んでいた。
数十年間手入れをされなかった外壁は蔦に覆われており、割れた窓ガラスや風化し始めたレンガなど、全体的に何処か不気味で暗い雰囲気を纏ったその姿は、さながら外界から忘れ去られた幽霊屋敷といった所か。
埃まみれの廊下、裂けた肖像画、粉々になったシャンデリア――
廃墟同然のこの屋敷に人が住んでいたのは半世紀以上前のことで、そこには過去の美しくも立派な姿は見る影もなく、今となってはネズミやコウモリの住み家として活用されてしまっていた。
だが、最近になって此処に入り浸る者が現われる。
無精髭を伸びるがままに放置し、真っ白に染まった髪を粗い紐で乱雑に束ね、シワの多い薄汚れたローブを羽織った男。
町中ですれ違えば浮浪者とも見紛う風体をしていたが、煌々と輝く瞳には狂気とも呼べる意思が籠もっており、その身から発せられる気迫からもただの老人でないことは明白だった。
その日も彼はやって来た。
朽ちた玄関の扉を跨ぎ、所々に茶色い染みのある絨毯を踏み締める。
そして、迷いない足取りで屋敷一階奥の書斎へと向かい、本棚の1つにある仕掛けを外すと、地下へと続く階段が姿を現した。
「『――灯せ』」
男が呟くと、その声に呼応するように、等間隔で壁に備え付けられた蝋燭に次々と炎が灯り、辺りに漂う暗闇を遠ざけた。
閉鎖空間に男の足音だけが響く。
何処かから吹き込んきた風が影を揺らす。
この先にあるのは屋敷に襲撃があったとき、そこに住む者たちが身を隠すための地下空間であり、数日間寝食をすることを想定して、備蓄のための食料を保管するスペースなどを含めかなり広く設計されている。
その為、屋敷が使われなくなった今では味気ない空白が広がっているだけとなっていたのだが、ここ数日でその様相は男の手によってがらりと変えられていた。
一言で言い表すならば祭壇。
中央に設えられたテーブルの上には、大きな皿と鈍い銀色に輝くナイフ、空のワイングラス――そして、拳大の魔石が四つ、姿見サイズの鏡の前に捧げられるように置かれている。
一見シンプルなナイフは純製のアダマンタイトで、瀟洒な紋様の描かれたワイングラスは純製のミスリルでできており、拳大も魔石も高位の魔物から採れたもの。
男は祭壇に近づくと、肩に掛けていた鞄から油紙を取り出し、包まれていた肉塊を皿の上へと置いた。
勿論、この肉もただの家畜のものではなく、真竜の身体の一部である。
血の一滴で数千人規模の犠牲を出すほどの大魔法を繰り出すことのできる、魔法触媒としては破格の真竜の素材に何処かの国の宝物庫に安置されていてもおかしくないほどの宝物と魔石。
祭壇自体は簡易的なものであるが、男が用意した供物から推察するに、これから執り行おうとしているのは並大抵の儀式でないことは一目瞭然であった。
「『――導け』」
男が儀式を開始する詞を零した。
男の声に応えるように蝋燭の炎は不気味な青紫色へと変化し、勢いも先程とは段違いに強くなる。
「『――描け』」
続く詞を男が発すると、部屋の四隅に置かれていた壺からは蓄えられていた魔物の血が独りでに動き出し、まるで意思を持つかのように魔方陣を描き出す。
床に、壁に、天井に――
どす黒い血液は部屋を埋め尽くす勢いで奔りだし、魔方陣に必要な文字や図形を刻み込んていく。
壺の中が空になる頃には空白を探すのが困難なほどとなり、周囲に鉄臭さが蔓延するだけとなる。
これで準備は完了した。
男は祭壇に近づくと、置かれているナイフを手にし、自らの手首を斬り付ける。
飛び散る鮮血――
その飛沫が魔方陣に触れた途端、魔方陣からは黒い炎が迸り、一瞬にして空間を地獄へと染め上げる。
グラスの上へと移動させられた腕からは絶えず血が流れ出しており、器から溢れ出んばかりに湛えられていた。
次第に炎は男の身体を焼き始め、皮膚を溶かし、髪を朽ちさせる。
それでも、彼のローブには焦げ跡一つ付いていないのは、素材の耐火性が高いためだろうか。
はたまた、炎は男の命そのものを燃やしているのだろうか。
「私には、叶えなければならない願いがある。例え、この身が滅びようとも――」
男の口から零れた言葉は、彼の堅い決意を表すように、激しく燃え盛る炎の中でもハッキリと響いた。
鏡が割れる――
ヒビからは黒い霧のような靄が溢れだし、辺りに満ちた高濃度のマナが空間すら歪める。
「『――我は今、此処へ悪を求める』!!!」
炎の勢いが一層強まったと思えば、竜の肉は見えないナニカに喰い散らかされ、グラスの血液は蒸発し、魔石は塵となり、その内に秘められていたマナが鏡の向こう側へと吸い込まれてゆく。
その力の奔流に耐えきれなかったのか、燭台や壁に備えられていた蝋燭の炎は次々と消え、グラスは幾つもの破片となり、周囲に拡散した。
破片の内の一つが男の右目を穿つ。
しかし、彼は眼球の潰れる痛みなど気にも留めずに鏡を凝視し続けた。
そして、ソイツは現れた。
ボロボロになった鏡面から滲み出るようにして、黒く、邪悪な存在が這いずり出てくる。
それは次第に大きなヒトガタを取り始め、地の底から響くような声で男に問い掛けた。
「愚かなヒトよ、貴様の願いを聞こうではないか――」
◇
――朝だ
テントの隙間から差し込む光が夜明けを告げ、若干の水分を含んだ清々しい空気が土や草などの自然の香りを運んでくる。
意識が朦朧としていて、頭は半分くらい覚醒した状態。
このふわふわとした微睡みを抱いたまま、心地よい温もりの残る毛布の中にリターンしたい……したいんだけど、そうもいかないのが現実だ。
元の世界ならまだしも、何事も身体が資本の異世界で生きているんだから、生活習慣はきちんとしなければならない。特に、冒険者家業にとって体調管理は大切なのだ。
二度寝という、あまい、あま~い誘惑を、大して働いてもいない脳みそをフル稼働させて、必死になって……頑張って起きなきゃ……zzz。
「こら! シオン!」
「痛っ! 敵襲!?」
「まだ寝ぼけてるのかしら? 早く顔を洗って、朝ごはん食べるわよ」
わたしの頭をゲームの魔法使いが使うような杖で叩いたのは、きれいな翡翠色の髪を少し長めのショートにし、その間からエルフ特有の尖った耳を覗かせた少女――フェルアだ。
彼女が身につけているのは、白いブラウスと濃紺のロングスカートを合わせた典型的な町娘風の服だけど、モデルの素材が良すぎるからか、すっごいお洒落をしているように見える。
ちなみに、杖はわたしが遊びで作ったもので、素の効果はそこら辺に落ちている木の枝と変わらないけど、魔法付与を使った魔改造を施していて、戦災級の魔物くらいは余裕で相手にできる性能を秘めた自信作だったりする。
彼女は1つ前に寄った町の教会でシスターみたいなことをしていたんだけど、ゴロツキをお縄に掛けたり豪華客船を爆破させたりと紆余曲折の末、一緒に旅をしたいと言ってきた。
わたしも道中でシリウスに一方的に話しかけるだけじゃなく、しっかりとした会話をしたかったから、フェルアの申し出は一も二もなく受け入れた。
ほら、人と話さないと表情筋が固まっちゃうし、そもそも旅をしているときって日がな一日中歩きっぱなしで、その間に一言も喋らないってのは辛いんだよ。
「グァン」
「おはよう、シリウス」
だいぶ頭が回ってきたところでシリウスからの「おはよう」のあいさつがあった。
このあいさつ、フェルアとちょっとズラしてるのは、わたしの起き抜けの頭に響かないように気を使ってくれてるからなんだよ? ホント、よくできた相棒だね。
朝の肌寒さを堪えながら毛布から出て、寝間着に着ていた大きめのシャツを脱ぐ。
……やっぱりフェルアの胸は大きい。
エルフと言えば一部例外を除いて貧乳がデフォみたいな小説が多いし、しかも、長年の教会生活でおなかいっぱい食べれる環境じゃなかったはず。
町でたまにすれ違うエルフは小さい人もいれば大きい人もいて、フェルアだけが特別なのか、地域毎に差異があるのか判別できない。彼女がどこ出身か分からないし。
そう、わたしはフェルアのことをほとんど知らない。
アンガルの町にあるセトリル教会に来る前はどこにいたのか、なんで教会なんて所に身を寄せるようになったのか。
それに、一般人では有り得ないくらい強力な魔法を使うことができることから、多分だけど、なにか能力を隠している。
だけど、そんなことはどうだっていい。
フェルアは教会にいた子どもたちから慕われていて、何もわたしを騙そうとしているのではないことは分かってるから、気が向いたときに話してくれれば良いと思っている。
「まだなの?」
「はーい、今行く」
ダラダラとしていたらお叱りの言葉が飛んできてしまった。
急いでチノパンっぽい茶色のズボンと白シャツに着替え、ビニールシート代わりに敷いた布の上に座る。この食事スタイルはピクニックみたいで気に入っている。
シリウスには朝ごはんとして魔物の肉や果物、飲み水を出してあげた。
「お祈りは……教会じゃないし、しなくても良いか」
「ダメよ。食べられることには感謝しないと」
「美味しく食べることこそが最大の感謝なのだよ!」
「あら? シオンにしては良いこと言うじゃない」
「にしては、が余計だよ」
今日のメニューは軽く炙った厚切りベーコンと野菜、それにチーズををパンで挟んだバケットサンドだ。栄養価も高いし、赤、黄、緑の三色揃った見た目オシャレな朝食はテンション上がるね!
かぶりつくと、ベーコンの旨みとか野菜のシャキシャキ感とかが口いっぱいに広がって楽しい。
やっぱ友達と青空の下で食べる朝ごはんは格別だね!
シオン「Zzz……」
フェルア「起きない」




