2-30.エピローグ『<瞼の向こうに広がる世界>』
※フェルア視点
「私、シオンと一緒に旅をしたいと思います」
昼下がり、ハーブティーの爽やかな香りが漂うセトリル教会の食堂で、私はナターシャさんに切り出した。
◇
魔法使いのイザベルに誘拐された私とメアリちゃんがシオンに助けてもらい、セトリル教会に着いた時には東の空が白み始めていた。
メアリちゃんは船から出る頃には眠ってしまったけど、誘拐されたことを証言するためにも私は眠るわけにはいかず、形式的な質問を騎士の方からいくつか受けた。
それでも、イザベルと戦った際には怪我をしたり、マナが切れかけるまで魔法を使ったりとかなり疲れていたみたいで、教会に着いてからは気を失う様に眠ってしまった。
目が覚めたのは太陽はすっかり高い位置まで昇った頃。
窓の外からは、照りつける日差しに負けないくらい元気な子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。
どうやら昼過ぎまで寝ていたようだ。隣で寝ていたはずのメアリちゃんは姿は見えないから、私より早く起きて遊んでいるのだろう。
服を脱いで濡らしたタオルで身体を拭く。
ふと、怪我をした腕と脇腹を見るれば、そこにあるはずの『影荊』で貫かれた傷はきれいに消えていた。
シオンが自作したって言っていた魔法薬だから若干の心配はあったのだけど、効果は確かだったようね。
クローゼットから取り出した替えの服を着て部屋を出る。
すると、廊下の向こうからハーブティーの香りが漂ってきた。
その爽やかな香りに導かれるようにして食堂のドアを開けると、ナターシャさんが窓の外を見ながらアフタヌーンティーを楽しんでいる所だった。
私がテーブルに近づくと、それに気付いた彼女が話し掛けてきた。
「おはよう、フェルア。気分はどうかしら?」
「おはようございます。お陰様で普段と変わりません」
「それは良かったわ。でも、気分が悪くなったりしたら遠慮なく言ってね」
ナターシャさんが私を座るように促し、新しいティーカップにハーブティーを注ぐ。
それを受け取り彼女の向かいの席に腰掛けると、ハーブティーを一口飲んだ。
――温かい
この温かさが非日常から日常へと戻ってきたことを実感させてくれる。
船の牢獄で目を覚ましたとき、何とかして逃げようと思った。
私が負けそうになったとき、イザベルと刺し違えても退路を開こうと思った。
だけど、私一人だったらメアリちゃんを逃がすことすら叶わなかったかもしれない。
そんな絶望の中から救いだしてくれたのはシオンだった。
シオンが私たちを日常へと引き戻してくれた。
穏やかな午後のひととき。
遠くから聞こえる子どもたちの声も相まって、時間がゆったりと流れているような錯覚を受ける。
いつもと変わらない、何気ない日常の一コマ。
「私、シオンと一緒に旅をしたいと思います」
私は自分の胸の内を一言に込め、ナターシャさんに打ち明けた。
シオンは私よりも遙かに強い。
私以上に魔法を扱う才能に長けていて、それでいて剣を扱う腕も申し分ない。言い方は悪いけど、魔族である私以上に化け物だ。
そして彼女は、きっと私が普通じゃないことに気付いている。
教会の裏の森で恐嚇狼に魔法を使ったときも、イザベルに向けて『聖浄天嵐』の魔法を使ったときも……。
どちらのときも私が自身にかけている幻術の魔法は完全には解けなかったけど、彼女なら何かがおかしいと疑問くらいは持つはずだ。
それでも彼女は、私に対して普通に接してくれた。
町案内のついでにした買い物では見る物全てが新鮮で、歩き慣れた町並みもいつもと違った風景のように感じた。
魔法の実験や研究は暴発したり失敗したりと危なかったけど、なにより見ていて面白かったし、一緒になって試行錯誤をするのは楽しかった。
彼女が笑顔になると私も笑顔になれた。
彼女の隣を歩いていると、同年代の友達ができたように思えた。
そうだ、私はシオンと友達になりたいんだ。
私のことを一人の人間として見てくれる彼女と。
人と関わるということの意味を、友人と他愛もない話ができる尊さを、長らく忘れていた人としての感情を――私がとうの昔に切り捨たものをシオンは与えてくれた。
シオンは私の希望だ。
彼女と旅をする中で、私が生きている理由を――生きていてもいい理由をきっと見つけられるはずだ。
「そう……。フェルア、あなたに渡す物があるわ。少し待っててくれる?」
ナターシャさんは私の言葉を聞くと穏やかに微笑み、席を立つと食堂を出て行った。
しばらくすると、ナターシャさんはハンカチに包まれた何かを大切そうに持って戻ってきた。
テーブルに広げられたそれは小さな三つの魔石だった。確か、私がここに来たときにナターシャさんに渡した魔石。まだ持っていたんだ。
「あなたがここに来てから随分と立つけど、本当に大きくなったわね」
「そうですね……。ナターシャさんは少し小さくなったように感じます」
「うふふっ、そうね」
「……」
……ナターシャさんには言わなければならないことがある。
私が魔族だということだ。
今まで拒絶されることが怖くて言えなかった。だけど、ここまで育ててくれナターシャさんには義理を立てなければならない。
「――私、ナターシャさんに黙っていたことがあるんです」
「それはあなたの種族の事かしら?」
「っ!!」
驚く私をナターシャさんは両腕で抱きしめる。
「でもね、そんなことはどうだっていいわ」
「どうだっていい?」
「そう、どうだっていいの。だって私たちは家族でしょう?」
「家族?」
「ええ、家族。少なくとも、私はそう思っているわ。あなたは違うのかしら?」
「いいえ……いいえ、私も、そう思ってます。でも、嫌われるのが……拒絶されるのが怖くて……」
ナターシャさんが嗚咽を漏らす私の背中をそっとさする。
それは私がセトリル教会を訪れたときと全く同じで、彼女の優しさの中に包まれているようだった。
「どれだけ大きくなっても、例え種族が違っていても、あなたは私にとって、かけがえのない我が子の一人なのよ。それはどんなに遠くにいても変わらないわ」
「ナターシャさん……」
「あなたは全部、自分1人で何とかしなくちゃいけないと思っているようだけれど、辛かったら泣いていいし、周りにいる人に頼ってもいいのよ」
「……はい」
「だから今日は私が胸を貸してあげるわ」
それからは外で遊んでいる子供たちが帰ってくるまで私は泣いた。
親のこと、親友のこと、種族のこと……。
今までに流した涙は数え切れないけれど、この日流した涙は冷たくなかった。
◇
そして、二日が経った。
今日、私は長い間お世話になったセトリル教会を旅立つ。
見送りには教会のみんなに加えて、商店街にお店を構えている人たちも少なからず訪れた。
子どもたちは「元気でね」とか「手紙書いてね」と言ってくれ、大人たちは「大きくなったなぁ……」と感慨深そうに呟いたり、「身体に気をつけてね」と道中の心配をしてくれたりした。
最後に、ここに集まっているみんなを代表して、メアリちゃんが私とシオンに親指ほどの大きさの魔石を手渡してくれる。これは私たちが攫われたときに森で探していたものだ。
魔石はマナが籠もった丸い石のようなもので、全ての魔物が体内に有していて魔物が力を高めるために好んで摂取しようとするのだが、小さすぎるものは見逃される場合がある。
そのほとんどが寿命を迎えたネズミや虫系など小型の魔物のものであり、見つけることは稀なのだが、他の生物に襲われずに長生きができる幸運の象徴として、この辺りでは旅の安全を祈るために送る習慣がある。
それでも、いざ出発しようとすると、小さい子どもたちの中には「やっぱり行かないで」と言って泣き出す子が多くいて、その子たちを慰めるのに時間が掛かってしまった。
「ホントに旅に付いてきてよかったの?」
「クゥン?」
王都に向かう街道を少し進んだ頃、今日から旅を共にする相方――シオンとその従魔のシリウスが心配そうに問いかけてくる。
それに対し、私は笑顔で「大丈夫」と答えた。
「フェルアは何でも自分で抱え込みそうだから、キツかったらわたしに言ってね?」
「グァン!」
「ほら、シリウスも『頼っていいよ』だってさ」
「ふふっ。ええ、そうさせてもらうわ」
ナターシャさんと同じ事を言うシオンに思わず笑みがこぼれた。
私は首から下げたペンダントをそっと握る。
私はいつも逃げていた――
耳を塞いでいた――
口を噤んでいた――
弱い自分を否定して、強い自分であろうとした。強い自分を必死に演じていた。
多分、それは間違っていない。
だけど、正しいことでもなかったんだ。
ナターシャさんに向き合うことは、同時に、私自身に向き合うことでもあった。
きっとこの先、たくさんの辛いことや悲しいことに直面し、厳しい現実となって突きつけられるだろう。
それに比べれば、幸せや喜びなんてたった一握りだ。
それでも私は歩を止めない。
この世界は見たくないもので溢れていた――
――だけど、それと同じくらい美しいもので溢れていた
瞼を開いたその向こうには素晴らしい世界が広がっていた
「フェルアー、置いてくよー!」
「今行くわ!」
いつの間にかシオンは先に歩いて行ってしまった。
私は握っていた手を離し、彼女に向かって駆け出す。
ペンダントトップに揺れる三つの魔石が陽光を受けて優しく輝いた――
二章終了 この後、二、三話幕間挟んで三章ですが、ちょっと休みます。最初の方と比べてモチベが上がらんのですよ。
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