2-11.フェルアの過去
◇
シオンがアンガルの教会を訪れる十年前。
その日は朝から雨が降っていた。
建物に激しく打ち付けられる雨と風。
アンガルの町周辺の地域は比較的穏やかな気候であり、自然災害に見舞われることは滅多になく、この日のような嵐は、実に、何十年に一度起きるか起きないかといったレベルであった。
しっかりと閉められているはずの雨戸はガタガタと音を鳴らし、今にも壊れて吹き飛ばされそうだった。
「今日は本当によく降るわね」
ナターシャは思わずそう呟いた。
ベッドの近くに置かれた椅子に座った彼女は、すやすやと寝息を立てている子供の頭を撫でている。
雨風の音とともに、時折、思い出したかのように落雷の音が鳴り響く。
小さい子供たちにはそれが恐ろしく、中には泣き出す子供もいたが、ナターシャが童話を話してやることで落ち着きを取り戻した。
そして今、ようやく最後の1人が眠りについたところだ。
ナターシャはその子の目元に光る涙の跡を、修道服のポケットから取りだしたハンカチで拭いてやる。
――コンコンコンコン
自分もそろそろ就寝着に着替えて眠ろうとした時、暴風雨の音に紛れてドアをノックする音が微かに聞こえた。
「一体どなたかしら? こんな時間に、しかも嵐の中に」
ナターシャは近くのテーブルに置いてあったランプを手に取り玄関へと向かった。
――コンコンコンコン
再びドアをノックする音が響く。
「はい、どちら様ですか?」
ナターシャが玄関の扉を開けると、そこには雨でずぶ濡れになった女の子の姿があった。
少女は、地面に着きそうなほど大きい外套を羽織り、フードを目深に被ることで合羽の代わりにしていた。
「泊めて下さい」
少女はナターシャへと簡潔に主張を伝えた。
彼女の外套端はボロボロになっており、所々に汚れやほつれがある。恐らく、かなりの距離を歩いてきたのだろう。
「いいわよ、入ってちょうだい」
ナターシャは少女を教会へと招き入れた。
「はい、タオルと着替えよ。そのままだと風邪を引いてしまうからしっかり拭いてね」
「ありがとうございます」
少女を食堂に通し、濡れた身体を拭くためのタオルと着替えを渡す。
夕飯の残りのスープを温め直しながら、ナターシャは髪の毛を拭いている少女を見る。
身長は低く顔立ちもまだあどけない、少女と言うには少しばかり早い年齢だ。
ショートツインテールにした翡翠色の髪の間からは彼女がエルフであることを示す、少しとがった耳が覗いている。
「残り物で悪いんだけど温めたスープよ」
少女が身体を拭き、着替え終えたところで、木製の深皿とスプーンをテーブルに置く。湯気を上げているのは熱々のポトフのようなものだ。
スプーンを手に取った少女はスープを一口、口に運んだ。
「おいしい……」
その時、テーブルの上に雫が落ちる。
「あれ?」
いつの間にか少女の頬には涙が伝っていた。止め処無く流れ出るそれを少女は必死になって拭う。
そんな彼女を隣に座ったナターシャが優しく抱擁した。
こんな時間に年端もいかない女の子が訪ねてくるなんてただごとではない。何かのっぴきならない理由があるのだろう。
ナターシャは何も言わずに嗚咽を漏らす少女の背中を摩ってやった。
◇
「落ち着いた?」
「はい。もう大丈夫です」
「生きていれば楽しいことだけじゃなくて辛いことも沢山あるでしょうけど、そんな時は泣いたっていいのよ?」
しばらくして泣き止んだ少女は頬を赤らめ、恥ずかしそうに謝罪をした。それをナターシャは笑って許す。
「そうだ。これ、代金です」
そう言うと彼女は着ていた外套のポケットから何かを取り出し、ナターシャへと差し出す。そこには小指の先程の大きさをした小型の魔石が乗っていた。
五つあるそれらは売却額にすると銅貨一枚ほどで、町の宿に泊まることの出来る最低金額に等しい。
少女の小さく柔らかそうな両手にはいくつもの擦り傷がある。それらは魔石を得るために魔物たちと戦った時に負ったのだろうか。未だに薄く血が滲んでいる。
これをナターシャに差し出したのは、教会に泊まるに当たっての彼女なりの義理みたいなものだろう。
「いいえ、要らないわ」
しかし、ナターシャは首を横に振り、少女の手のひらをそっと押し返す。
「ここに泊まるのにお金なんて取らないわ」
「なら、しばらくここにいさせてください! 料理とか洗濯とか何でもやります! だから、これを……」
「そう。だったら、これは預かっておくことにするわ。いつか貴女がここから旅立って行く時まで」
ナターシャは少女から魔石を受け取るとハンカチに大切に包み、修道服のポケットに仕舞った。
「わたしはナターシャ。貴女の名前は?」
「フェルアです」
「フェルア、貴女に何があったかは聞かないわ。だからまずはスープが冷めないうちに飲んでしまいなさい」
「はい!」
◇
「それから十年間、フェルアはここで家事だったり子供の世話だったりを手伝ってもらってるわ」
「そうだったんですか」
「だから、あの子のことはあまり知らないのよ」
わたしは窓の外で子供たちと追いかけっこをするフェルアを見る。
初めの頃はおっとりした性格の女の子だと思っていたんだけど、たまに見る彼女の横顔には、どこか憂いのようなものが見て取れる。
「あの子はね、この養護施設の手伝いをしっかりと熟してくれるんだけど、時々寂しそうな顔をするの。それでも、貴方と話をしているあの子は、本当に、心から楽しそうに見えるわ。シオンさん、この教会にいる間だけでも彼女の話し相手になってあげて?」
「はい、勿論です」
その返答に聞くと、ナターシャさんは嬉しそうに微笑んだ。
わたしはティーカップを手に取ると、すっかり冷めてしまっているハーブティーを飲み干した。




