1-23.『泡沫の一刀』
「『行け』!」
待機させていた大地の騎士たちに天帝夜叉への攻撃を命じた。
武器を手に、一斉に動き出した大地の騎士たち。
わたしも地面に置いておいたポーチを手に取り走り出す。
シリウスの元に駆け寄り、その傷口を確認する。
刀傷は胸部の肉を大きく裂き、肋骨まで届いているようで、真っ白な骨が真っ二つになっている様子が見て取れる。
幸いなことに内臓には届いていないようだ。
自作の特製魔法薬をマジック・バックに改良したポーチから取り出す。
魔法薬のガラス瓶を持つ手が赤い。
剣を握りしめたことによって肉刺ができ、それが潰れたのだろう。治したところでどうせまた怪我をするので、自分の方の治療は後だ。
瓶の中身をシリウスの傷口に半分ほど振り掛け、残りを口に含ませる。
すると、みるみるうちに裂傷は塞がっていき、呼吸と心拍もも安定した。
しかし、『神威』の効果かあの刀の効果なのか、完全には傷口は塞がらなかった。それに、流れ出た血は戻らないし斬られた痛みもしばらくの間残るから、どのみちこの戦闘の最中は動けないだろう。
回復魔法が使えたのならば、もっとしっかりした治療ができたのかもしれないが、わたしは回復魔法が使えない。
正確には、他人に回復魔法を掛けることができないのだ。
自分自身には使えるのだが、他人に使おうとした場合魔法が発動しない。
スタンピード防衛戦で魔物の第一陣を相手にした時、最初に出た負傷者に魔法を使ってみると、魔方陣は出すことができるけれど魔法自体は発動しなかった。
だから、戦闘での仲間の回復手段は魔法薬しかない。
「――治療は終わったのか」
天帝夜叉は手に持っている大地の騎士の最後の一体の首を無造作に投げ捨てる。
それは空中で砂へと還り、風に飛ばされ消えていった。
これで百体いた大地の騎士たちは、天帝夜叉一体によってすべて倒されてしまった事になる。
こいつの強さなら、たとえ大地の騎士が1000体いようが一瞬で始末できただろうに、口ぶりから察するに待っていてくれたのだろう。
シリウスの怪我はわたしの不甲斐なさが招いた結果だ。
スペックの高い新たな身体に胡座を掻くことなく、剣術なり魔法なりをもっと練習していればこんなことにはならなかったはずだ。
だから、天帝夜叉を恨むのは筋違いだ。
そんなことを思う暇があったら、この戦いに勝つことだけを考えろ。
勝利を信じ、自らを犠牲にしてわたしを庇ったシリウスのためにも。
わたしは真っ直ぐ天帝夜叉の方に歩いて行く。
「待たせたね。それじゃあ、最終ラウンドといこうか」
「ならば我も全力で相手をしよう。 己の持てるすべテノ力ヲ以テ掛カッテクルガイイ! 然モナクバ一瞬デ死ヌゾ」
空気が変わった。
天帝夜叉から迸る殺気は、まるで周囲の気温が氷点下にまで下がったかのように錯覚させる。言葉通り、ここからは本気で戦うのだろう。
あいつの持つ刀の輝きが一層強くなる。
言葉も聞き取りにくくなっていることから、会話に回していたマナも刀へと込めているのだろう。
今までとは比べ物にならないスピードで突進してくる天帝夜叉。
踏みしめた足は地面を抉り、その移動速度は音すらも置き去りにした。
わたしは限界まで――いや、限界以上に身体強化の魔法を自分に掛け、両手に持ったミスリルの長剣にもマナを込めた。
◇
土埃と剣戟の音だけが、わたしたちのいる場所を示す。
武器を打ち合わせれば、その衝撃波は大気に悲鳴を上げさせ、大地には幾つもの亀裂を作り出す。
斬撃を躱せば、地面には深く、太い傷跡が、何メートルにもわたって刻まれる。
地形すらも変える戦い。
激しい戦闘によって森と町の間に広がっていた草原は、一瞬のうちに荒れ地へと変貌した。
手の感覚が無い。
それなのにピリピリとした痛みとヌルリとした生温かい感触があるから、手のひらのにできた肉刺は更に潰れ、親指の付け根も裂けているのだろう。
ミスリルの長剣も、絶えず送られてくるマナに耐えきれずカタカタと震えだし、今にも砕けそうな予感がするがそんなことは関係ない!
お構いなしとばかりに剣を強く握り直し、振り続ける。
「『火炎』!」
「クッ!」
魔法によって火弾を生成し、天帝夜叉に撃ち込む。
碌にイメージを固めずに放ったそれらは呆気なく斬られてしまったが、魔法の構成が崩れたことで炎が飛び散り、天帝夜叉の肌を焼く。
とは言っても、実際のダメージは微々たる物で、皮膚が赤くなる程度だ。
でも、狙いはそこじゃない!
高レベルの魔物には威力の低い魔法は効果が薄い。
重要になってくるのは、どうやって威力の低い魔法を効果的に扱うかだ!
『火炎』での攻撃はあくまでも次の一撃の補助。ブラインドとなった炎の影から、天帝夜叉の頸部目掛けて斬撃を放つ。
「はあッ!」
大木ですら切り倒しそうな剛剣を右から左へと水平に、勢いよく振り切る。
力任せに振るわれたミスリルの長剣は空気を切り裂く轟音を響かせる。
その剣は、天帝夜叉の首を切り飛ばし――
完全に捉えたと思ったその攻撃も、すんでの所を上体を反らすことによって躱されてしまった。
戦技、『神纏』によって延長された約1センチ分しか斬れておらず、致命傷にはほど遠い。
「フン!」
「かはッ――」
それどころか後ろへ倒れ込んだ勢いのまま、回し蹴りを放ってきた。
衝撃によって肺の中の空気が押し出され、息ができない。ひょっとすると肋骨も折れたのかもしれない。確実に罅は入っただろう。
すごい勢いで真横に蹴り飛ばされる。
それでも、呑気に着地を待っていられない。
飛びそうな意識を必死に繋ぎ止め、防御に備える。
目の前には両手で刀を振りかぶる天帝夜叉の姿。
この攻撃を受け止めるのは不可能だ。
ならば、逸らすしかない!
振り下ろされた刀の腹に自らの剣をぶつけ、無理矢理にその軌道を歪めた。
顔の真横を刀が通過し、乱れた髪が数本巻き込まれる。
地面に衝突した唐竹の一撃は大きなクレーターを生み出した。
それによって生じた衝撃波と舞い上がった土煙を、上空へと跳躍することで逃れる。
直後、煌めく紅い光。
わたしの気配を感じ取ったのか天帝夜叉がこちらに向けて、戦技『薙雲』を放つ。
研ぎ澄まされたその一撃は、破壊力も速度も町の門を破壊したのとは段違いだ。
わたしの方もミスリルの長剣へマナを送り込み、大上段から振り下ろすことで見よう見まねの『薙雲』を放った。
収束が甘い。
わたしの『薙雲』は斬撃ではなく放射状に広がったため、天帝夜叉の『薙雲』に簡単に切断されてしまった。
迫り来る紅い斬撃波。
だからと言って諦める訳にはいかない!
質でダメなら量で勝負だ!
「はあああぁぁぁっっっ!!」
一度目よりも多くのマナを込め、返す剣で二度目の『薙雲』を放つ。
白銀の奔流が視界を埋めつくし、紅い輝きを塗り潰した。
これによって悪かった視界は完全に晴れた。
地面に着地すれば、わたしたちは互いの距離を詰め直し、刀と剣を重ね合わせる。
◇
以降の戦いは、純粋な剣技の競い合いとなった。
わたしが魔法を使う素振りを見せると、天帝夜叉は斬撃を飛ばしてくる。
逆に、向こうが掌底や蹴りを放とうとする素振りを見せたならば、その四肢をを容赦なく斬り飛ばすべく、その軌道上に剣戟を放った。
魔法による目眩ましも、体術による当て身も、二度と同じ手には引っ掛からない。
唯々、時間は過ぎて行き、それに比例して戦いのボルテージは上がっていき、戦場は荒れ、両者の傷も増えていった。
いつしかわたしの口元にも笑みが浮かんでいた。
自分の技を高められる。
その事が無性に嬉しい!
──ああ、そうか……
この愉しい時が永遠に続けばと想ってしまう。
だが、決着が着かぬまま時間だけが流れ続ける事はない。
どんなことにも終わりは来る。現に、さっきから片頭痛が止まない。
無限にあるかのように思われたわたしのマナも底を尽きかけているのだろう。
手に持ったミスリルの長剣は買ったばかりの物で、かなりの硬度と耐久率を誇る。にも関わらず、もはや長年使い古されたようにその剣身はボロボロになっていた。
もちろん、天帝夜叉の方にも疲れの色が見てとれる。
わたし以上に多くの傷を作り、その肩を激しく上下させている。
それでも、このまま戦いが続けば、確実にわたしの方が負けるだろう。
全力を出した天帝夜叉と互角の戦いができるのは、マナを湯水のように使うことによって身体強化と『神威』を行い、その圧倒的なまでの差を縮めているのだから。
わたしの戦闘はマナに依存しすぎている。
マナとは生命エネルギーであり、それが切れれば眩暈や気絶、酷いときには死に至る。
つまり、マナが尽きることはこの戦いに負けると言うことだ。
それまでになんとしてでも決着を着ける!
戦闘の激しさは更に増す。
荒れ狂う暴風。
割れる大地。
その光景はさながら天変地異のようだ。
禍災の原因はわたしとあいつのたった二人。
打ち合う剣が穏やかだった草原の面影すらも残らないほどに破壊し尽くす。
幾度も、幾度も……
一体どれだけ剣を交えたのだろうか?
それでも戦いは平行線を辿る。
いや、逼迫しいているといった表現の方が正しいのかもしれない。
総合的な実力が拮抗しているため、わたしも天帝夜叉も決め手に欠ける。
逆に言えば、何か小さなことが一つでもあれば、その均衡は崩れ、すぐにでも決着が着くだろう。
極限状態で研ぎ澄まされた精神は五感の情報を限りなくシャットアウトし、戦闘だけに集中させる。
音の無い、灰色の世界。
鮮血が舞い散り、筋繊維が千切れ、骨は軋み、肉体は泣き叫ぶ。
途方もない数の剣戟を斬り結びながらも、わたしたちはきっと、獰猛な笑みを浮かべているのだろう。
勝敗を決するべく、死力を尽くす。
しかし、戦いは唐突に終わりを迎えた。
小さな、それでいてハッキリとした鈴の音のような音。
わたしの持つミスリルの長剣が半ばから折れてしまったのだ。
マナが枯渇寸前だから、『神威』が弱まってきたのだろうか? それとも酷使し続けたのが原因だろうか?
折れた破片は弧を描き、虚空へと飛んでいく。
それがトリガーとなったのか、手元の剣には剣身をびっしりと埋め尽くす程の亀裂が走る。多分、まともに振れるのはあと一回だろう。
天帝夜叉も同じように考えたのか、渾身の力を両手に込めた。
――この一撃で決める!
「はあぁぁぁぁ!!!」
「オオォォォォ!!!」
裂帛の気合いを以て振りかぶられた、赤い輝きを纏う天帝夜叉の黒い刀。
わたしは銀色の輝きを迸らせるミスリルの長剣を向かい撃つようにして振るうが、打ち合った途端にその剣身は粉々に砕け散ってしまった。
勝利を確信する天帝夜叉。
その時、黒い影が通り過ぎる。
黒い槍――シリウスの魔法だ。
それが天帝夜叉の左目を貫通していた。
刹那の間、天帝夜叉の力が緩む。
ほとんど誤差みたいなものだけど、それだけの時間があれば十分だ。
『神威』を維持するためのマナの供給を止め、剣の柄から手を離し、空いた手に再びマナを注ぎ込む。
そこに現れたのは白銀に光り輝く長剣。
重なり、過ぎ去る2つの影。
しばらくの間、わたしたちは周囲の時間が停滞ているかのように、お互い武器を振り抜いた姿勢で佇んでいた。
流れる静寂。
風の音、空の色、土の匂い。
引き延ばされた時間が徐々に戻ってくる。
「見事ダ……」
それだけ言うと天帝夜叉は倒れた。
わたしの手の中には、マナだけで発動させた『神威』の光が弱々しく揺らめいている。
こうして、白熱した戦いは終幕を迎えた。
長時間の激戦を戦い抜いたというのに、地面に突き刺さった天帝夜叉の刀には歪みどころか傷一つすらない。
それはまるで、戦いにすべてを賭けた彼の生き様そのものだった。
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