1-22.『夜叉と羅刹』
あの鬼は明らかに近接戦闘タイプだ。
わたしが呑気に魔法のイメージをしていたら、確実にあの豚さんの二の舞になる。
修学旅行で食べたチラガーみたいな結末は御免被りたい。意外とおいしかったんだよね~。
……話が逸れた。
ともかく、そんな敵を相手に今のわたしでは魔法戦闘なんて挑めない。
そのためにポーチから取り出したのは、冒険者ギルドの横にある武器屋に売っていたミスリルの長剣だ。
高レベルの魔物の素材を売却したり希少な草木の採集依頼をこなしていたら、どんどんお金が増えてきたから、せっかくだからと買ったのだ。
断じて必殺技を使ってみたかったからという理由ではない。
経済を回すためにお金を消費するのは大切なことなのだ(二回目)。
でも、さっき見た冒険者の剣に炎を纏う『爆炎剣』とか、あの鬼の使った斬撃を飛ばす『薙雲』って技はかっこよ…げふんげふん、有用そうな技だったので真似してみよう。
あの完成度になるまでにはかなり練習が必要そうだね。
最も生きていたらの話だけど。
それにしても、この鬼カッコいいな。
見た感じオーガ系の最上位クラスにいる魔物だと思うんだけど、妖怪の絵巻とかに描かれている鬼というよりは鬼の仮面を被っている武士見たい。
わたしは筋肉フェチじゃないんだけど、綺麗に割れたシックスパッドとか、隆起した上腕二頭筋とかにすごい惹かれる。その分、物理攻撃とか物理防御力とか高いんだろうな~。
さて。わたしとシリウス、二人でどこまでできるか――
「――ほう? 中々の業物ではないか」
……?
………。
……………。
しゃべったーーーッ!?
あの鬼、しゃべりましたよ!!
「どうした? 我のような魔物は初めて見るか?」
「マジでビビった! 話せるんならあらかじめ言ってよ! 心臓に悪いじゃん!!」
何言ってんだろわたし。言ってる事が滅茶苦茶だ。
これもすべてあの鬼が悪い(暴論)!
「シオン! そいつは天帝夜叉っつう禍災級の魔物らしい! 油断するな!!」
後ろでガルさんがアドバイスをしてくれた。
それにしても、わたしがシオンだってよく気付いたな。
あっ、ギルマスは隣でびっくりしてる。ひょっとして今気付いたっぽい?
さっきの「何者?」って質問だって姿を変えてたことを聞いてたんだと思ったよ。
いかんいかん、戦闘に集中せねば。
「ふむ。我は人間たちにそう呼ばれているのか」
「みたいだね。ところでなんでしゃべれるの?」
「それは妙なことを聞く。言葉とは意思の疎通であり、マナを介してしゃべることなど鍛えれば魔物にだって出来る。無論、それだけの知性があればだが、な」
知らなかった。
よく見たら天帝夜叉も言葉をしゃべっていない。
具体的には他の魔物とかと同じように吼えていたり唸っている感じに近い。
さっきは取り乱してしまったが、意思の疎通が出来るなら森に帰ってもらうように説得出来ないかな?
穏便に事を片付けられるのならその方がいい。
「それだけの知能があってなんで人間を襲うの?」
「人間たちを殺すことによって我の目的が果たされるからだ」
説得失敗。本題を言う前のジャブをいきなり両断された。
早いよ!
せめてもうちょっと穏やかな感じの返答が欲しかった。
人間殺すのが前提なら翻意のさせよう無くない?
て言うか目的って何!?
そうやって気を引くために言葉を濁されるのは一番きらいなんですけど!
……一応聞いてみるかな。
「その目的って?」
「それは我を倒すことができれば教えてやろうッ!!」
そう言うや否やこちらに突っ込んできた。
わたしの目の前へ一瞬で現れた天帝夜叉。
振るわれた黒い剣を右手に持ったミスリルの長剣で咄嗟に弾いた。
交渉決裂(泣)。
何でこんなハードモードのギャルゲーで選択肢間違えたみたいに突然の戦闘になるんだろう。
いや、そもそも目が合った時点でバトルは始まるものだっけ?
こうなってしまったからには天帝夜叉を倒す以外に道はない。
◇
高速で打ち合わされる刀と剣。
剣戟の数はあっという間に三桁を超えた。
にも関わらず、わたしと天帝夜叉には攻撃による傷は一つも無い。
唐竹、袈裟斬り、逆袈裟、右薙ぎ、左薙ぎ、刺突に逆風。
天帝夜叉の自由自在な剣術に対応することでわたしは手一杯だ。
全神経を右手に集中させ、剣のコントロールに専念する。
そのため、断続的に鳴り響く金属音は耳に入ってこない。
幾度も斬撃を交わした後、鍔迫り合いとなった。
「その力、その早さ……天帝夜叉である我が言うのも滑稽だが、貴様の強さは正しく鬼のようであるな!」
ギャリギャリと耳障りな音が、お互いの得物から発せられる。
一歩違えれば死に繋がる状況にもかかわらず、天帝夜叉はニヒルな笑みを浮かべている。
「血に飢え、戦いを欲するあなたが夜叉なら、差し詰めわたしは力任せの羅刹ってところかな」
「そこに気付いたか。ならばどうする? 力だけでは我を倒せまい」
憎ったらしい笑みを湛えるその顔面を思いっきり殴ってやりたいが、こいつの言っていることは正しい。
傍から見れば互角のようなこの戦いも、実はわたしの方が圧倒的に不利だ。
パワー、スピード、反射神経……、肉体的能力はこちらの方が一回りか二回りほど上だ。
わたしの攻撃が一撃でも綺麗に決まれば、それだけで勝負は付くだろう。
でも、こいつには技術がある。
さっきの剣戟の応酬だって、一合目で力では勝てないと分かったのか、二合目からは全部威力を殺しやがった。
刃と刃が触れ合う瞬間、わたしの剣の勢いを絶妙な力加減で散らしている。
今までの戦闘で培ってきた神業とも呼べる技量。
僅かなミスが命取りとなる刹那の駆け引きにも全く動じない胆力。
それを可能にしているものこそが、わたしとこいつとの決定的な差。
実戦経験の差だ。
こいつの体中にある古傷が物語っているように、長年の間多くの相手と様々な場面で戦ってきたのだろう。
まるで、息をするように振るわれる刀。
格下だろうと同格だろうと、或いは圧倒的な差がある格上だろうと……。
一体どれだけの修羅場をくぐり抜けてきたのだろうか。
血を浴び、弱者を喰らい、勝者へと上り詰めるまでの経験の数が、わたしの一撃を軽くさせ、逆に、あいつの一撃を重いものとする。
数多の屍の上に立ち積み重ねてきたものは、一ヶ月に満たないわたしの実戦経験などと比べれば天と地の差だ。
力だけのわたしには、勝機など万に一つも無いだろう。
――それでも
「どうした? 今更怖じ気づいたか?」
天帝夜叉が俯くわたしに嘲りを込めたニュアンスで訪ねた。
「肉体の強さだけじゃ埋められない技量、比べるのも烏滸がましいくらいの戦闘経験」
現に今だって、こいつの経験による技術なのか、わたしの方が有利なはずの鍔迫り合いでの力比べは拮抗している。
「確かにわたしはあなたよりは弱いだろう――」
まるで路傍の石でも見るような、表情の抜けた顔を向ける天帝夜叉。
「――それでも!」
わたしは不敵な笑みを返してやる。
「わたしたちは負けないね!!」
負けるわけにはいかない。
戦いに勝利することでしか、自分にとっての大切なものは守れないのだから。
その言葉を聞いた天帝夜叉の口元には、新たに愉悦の笑みが刻まれた。
「面白い! ならば、それが戯れ言でないと証明してみせるがいい!!」
両手で持った剣に思いっきり力を込めて振り抜き、天帝夜叉を吹き飛ばす。
直後、詰めかけてくる影の槍。
シリウスの魔法によるそれらは、天帝夜叉を目掛けて一直線に伸びていく。
大地の騎士は物理的な干渉が可能な魔法だけど、シリウスのつかっている魔法には物理攻撃で干渉できないため、天帝夜叉は紙一重で攻撃を避けていく。
すかさずわたしも攻撃を再開する。
目まぐるしく立ち位置の変わる高速戦闘でも、シリウスの魔法はわたしに当たることなく天帝夜叉だけを狙う。
わたしとの接近戦に加え、前後左右、足元からも襲いかかるシリウスの遠距離からの猛攻に、さしもの天帝夜叉も被弾していく。それでも掠り傷程度のダメージしか与えられないのは、高い防御力のせいだろう。ミスリルの長剣は切れ味がいいはずなのに、さっきから手に加わるのはゴムみたいな感触だ。アイツの強靱な筋肉が刃を通すことを阻んでいる。
「素晴らしい連携だ! だが、まだ足りない!!」
徐々に血だらけになりながらも笑みを絶やさぬ天帝夜叉。
両手に持った黒い刀からわざと収束を甘くした紅の斬撃波、『薙雲』を放ち、辺りの影の槍を吹き飛ばす。
それをわたしはバックステップで躱し、戦いは一旦仕切り直しとなった。
天帝夜叉の身体の傷はいつの間にか治っていた。
魔物の自然回復力は凄まじいが、ここまで来ると異常と言ってもいい。流石、禍災級と呼ばれる魔物といったとかろかな。
「そのような攻撃ができるのならば、我も少し本気を出そう」
天帝夜叉の持つ刀に、紅の光が纏わり付く。
しかし、その光は『薙雲』を撃つ時のように斬撃となって飛ぶことはなく、輝きは刀身に留まっている。
――『神威』
わたしが惨殺大熊を解体する時にも使った技だ。
ギルマスに聞いてみたことがある。マナを武器に纏わせて切れ味と攻撃力を上げるための技。本来は神降ろしの神事のために行ったのが始まりとされている技らしい。
剣とは即ち人の身体であり心。
そこに自らの生命の源であるマナを注ぎ込むことで神が宿ると信じられてきた。
技の発動には大量のマナが必要で、これを使える冒険者はほとんどいないと言われている。
ギルマスですら数十秒持たせるのがやっとだそうだ。
わたしも『神威』を発動させる。
ミスリルの剣身から銀色の光が迸った。
「ほう? 貴様もその技が使えるか」
「よく言うよ。わたしのは技と呼ぶには烏滸がましいくらいの代物だってのに」
そう、例えるなら天帝夜叉の『神威』は澄んだ水面のような静けさと、泉の底から水が湧き上がるような力強さを感じる。
対して、わたしの『神威』は豪雨の後の川に流れる濁流のように荒々しい。膨大な量のマナに託けて、無理矢理技を発動させたに過ぎない。
その証拠に、本来白金色のわたしのマナは少しくすんだ銀色の光を放っている。
どちらの『神威』が優れているのかは一目瞭然だ。
「謙遜するな。我もそれが使えるようになったのはここ三十年の間だ。物にしたのはつい四、五年と言ったところか?」
「嬉しいね。褒めてくれるの?」
「無論だ! これ程までに心沸き立つ死闘などそうそうあるものではない。さあ、第二ラウンドと行こうか!」
そこに放たれるシリウスの魔法。
今度は槍状の物だけではなく、不規則に動く球体状の物も混ぜることによって攻撃性を高めている。
一閃。
たったそれだけ。
無造作に振るわれた剣閃。
しかし、その洗練された一太刀は空気を切り裂く音すら響かせない。
次の瞬間、天帝夜叉へと殺到するすべての魔法は悉く消え去った。
全身から沸き立つ歓喜に身を任せ、天帝夜叉は駆け出す。
押し寄せる魔法はあいつの持つ刀に触れた瞬間、まるで最初からそこには何も存在しなかったかったかのように霧散してしまう。
わたしも走り出し、天帝夜叉との距離を詰める。
交差する紅と銀。
先程までとは比べ物にならない衝撃が右手に伝わる。
取り落としそうになった剣を慌てて両手持ちに切り替えた。
だけど、それでも足りない。
剣身に込めるマナの量と身体強化に使うマナを増やすことによって、何とか力を拮抗させる。
ぶつかり合う度に巻き上がる光の粒。
シリウスも自分の魔法は天帝夜叉の足止めにすらならず、反対に、わたしの集中力を削いでしまうと気付いたのか途中から使うのを止めてくれた。
天帝夜叉の振るう刀を必死になって受け流そうとする構図は、戦いの始めに繰り広げたの攻防を配役を逆にしただけだ。
完全に逆転されてしまった。
ギアが上がってきたからか攻撃は激しさを増し、一刀一刀の斬撃の切れも鋭くなってきている。
最早反射だけでは天帝夜叉の攻撃は捌ききれなくなり、何度か頬や前腕に斬り傷を負う。
それでも身体を捻ったり、反らしたりすることで、なんとか浅い傷には留めてはいる。
一秒の間に何度も刃が交じえ合い、僅かな時間が引き延ばされたように感じる。
戦闘が始まってから10分もたってないはずなのに、体感では一日以上が経過したように思える。時間の感覚すら曖昧になった戦いの中、わたしはひたすらに剣を振り続けた。
切り結んだ回数は万を超えただろう。
不意にわたしは足を滑らせてしまった。
魔物の大群が押し寄せた地面は足場が悪くなっていたようだ。
柔らかくなった土壌に足を取られ、体制が崩れる。
その隙を突いて天帝夜叉の攻撃が迫る。
袈裟斬りに放たれた斬撃は首元を通過して、胴体を抜ける軌道だ。
鮮血のように紅く輝く刃がやけに遅く感じた。
ゆっくり、ゆっくりと、寸分の違い無く、致命的な一撃が迫ってくる。
スローモーションで流れる光景に視線を奪われていると、急に脇腹へと激しい痛みが襲った。
予想外の衝撃に吹き飛ばされ、無様に地面の上を転がる。
泥だらけになって起き上がるわたしの目に飛び込んできたのは――
――血を流して倒れるシリウスの姿だった。
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