1-21.『災厄を統べる者』
豚頭大王鬼の頭部が宙を舞う。
首元の断面からは止め処無い血飛沫が間歇泉のように噴き出る。
降りしきる赤い雨。
鼻につく鉄の臭い。
全身を弛緩させた豚頭大王鬼は身体をぐらつかせ、地響きを立てて倒れた。
災害級、その中でも上位の強さを誇る魔物が一撃で倒された。そんな有り得ない光景じゃが、この場にそれを気にする者はいない。魔物達ですらその動きを止めておる。
最早倒れた豚頭大王鬼などどうでもいい。今、誰もが気に掛けているのは攻撃を放ったのは何者かということという一点のみ。
戦場にいた誰もが森の方を向いた。
木立の間からゆっくりと現れる影。
平均的な人族の男と変わらない、魔物としては小柄ともいえる身長。しかし、その身体には無駄な脂肪は一切無く、はち切れんばかりの筋肉が覆っていた。
返り血を浴びたような紅い肌にはいくつもの古傷が刻まれ、歴戦の戦士の風格を醸す。
黒い長髪の間からは額に生えた、一本の白く鋭い角が覗く。その事から鬼系の魔物である事が分かる。
武装は腰蓑に刃渡りが70センチほどの、やや小さめな両刃の長剣が一振り。
漆黒に染まるシンプルな形状で、ほんの僅か湾曲したそれは、かつてワシの仲間の1人が使っていた刀のように見える。
豚頭大王鬼の持っていた柳葉刀と比較すれば玩具の様なものじゃが、アレはヤバい。
例えるなら、どこまでも続く終わりの見えない闇と、そこから湧き出る得体の知れない何か。
いや、あれが何なのかは分かっておる。あれは命じゃ。斬られ、貫かれ、殺され……あの刀の前に屈してきた者たちの魂そのものじゃ。
一体、どれだけの数の魔物を屠ってきた? どれほど強い魔物の血を啜ったらあの様な物ができる?
先程までの戦いで掻いた汗とは別の汗が背中を流れ、思わず生唾を飲み込む。
ワシの愛用しておるアダマンタイトとミスリルの合金でできた戦鎚を打ち合わせたら何合持つのか? そんなものを想像する段階にすらない。
きっとあの鬼とは武器を合わせる間もなく、気付いたときにはワシが真っ二つにされておる。そんな未来しか想像できん。
鬼は静かに、それでいて確実に町の方へと近づいてきた。
その時、3体の大地の騎士が動き出す。
ワシらと豚頭大王鬼の戦闘に乱入する者がいないように、その周りをぐるっと囲んでいたヤツらの内の数体じゃ。恐らく、一定以上近づく魔物を排除するよう自らの制作者――シオンから命令を受けていたんじゃろう。
そして、大地の騎士は攻撃範囲に入った鬼を倒すための行動に出た。
両手持ちの大剣を手にした大地の騎士がまず斬り込み、その後を戦斧と斧槍を持った2体が追従する。
豚頭大王鬼と戦っていたときのワシと高ランクの冒険者たちほどではないが、定石を踏んだ惚れ惚れするような連携じゃ。並の魔物であれば数秒も持たないうちに討伐されたじゃろう。
大抵の魔物は最初の攻撃で沈み、たとえそれを耐えるか躱したとしても後ろの2体によってとどめを刺される。
現に町の防衛に当たっていた多くの者はこの鬼が倒されると思うたじゃろう。ワシとてそう思う……此奴が相手でなければ。
流れるような動作から放たれた大剣の一撃。
それに対して鬼は無造作に長剣を振り上げた。
羽虫でも払うように。
ただ、自然に。
皆が数瞬の後に切り裂かれるであろう鬼の姿を幻視した。
だが、その予想は裏切られることとなる。
鬼の脇を通り過ぎていった大地の騎士は一拍を空けて大剣ごと真っ二つになった。
倒されたことにより大地の騎士は元の土塊に戻る。
時間差で攻撃を加えたアース・ゴーレムも、一体は何もできぬまま頭部を鬼の拳によって砕かれ、もう一体は斧槍の攻撃をあっさりと躱された上で胴体を蹴り砕かれた。
こうして白金級冒険者相当の強さを誇る大地の騎士は瞬く間に三つの土砂へと還っていった。
「おいギルマス、あいつが何か知ってるか?」
つい最近までギルドの魔物の解体部屋で働いていた、狼の獣人のガルが問い掛けてきた。
ワシは鬼から視線を逸らさずに答える。
「あれは恐らく天帝夜叉じゃ」
「天帝夜叉? 聞いたことねぇな。豚頭大王鬼とどっちが強い?」
「禍災級と言えば分かるじゃろう?」
「ッ!?」
――禍災級
災害級ランクの一つ上のランクに位置する魔物の総称じゃ。
その強さはオリハルコン級冒険者と同等かそれ以上で、一体で国を滅ぼすことのできるレベルじゃ。
このクラスの魔物が確認されれば、たとえ戦争中であろうと国家が手を取り合ってその討伐に当たらなければならない。然もなくば国が滅びる。
過去に禍災級と認定された魔物の中には三つの国で立ち向かい、10万単位の犠牲者が出たと記録にある。
そんな魔物が目の前にいる。
ガルは悠々とこちらへ歩いてくる天帝夜叉へ思わず視線を向けた。
「どうするよ、ギルマス」
「撤退するしかなかろう。ワシと豚頭大王鬼と戦っていた高ランク冒険者が全力で抑えて1分持つかどうかじゃ。幸いにも奴はこちらのことを気にも留めておらん、今の内に逃げる」
ワシは撤退の号令をしようと大きく息を吸い込む。
その時、天帝夜叉が腰だめに長剣を構えた。
「伏せろ!!!」
身体を屈めた直後、何かが頭上を通過したような気がした。
嫌な予感がしたから咄嗟に叫んだんじゃが……。
ワシは周囲を見渡し、言葉を失った。
地獄絵図とは正にこの事じゃった。
その目に留まったのは崩れ落ちる町の門。
立っていた者は人であろうと魔物であろうと攻撃の餌食となった。
首が弾け飛んだ者、下半身と上半身を泣き別れさせる者など、少しでも動作が遅れた者は皆死んだ。
鬼が放った攻撃は、戦場に新たな血溜まりをいくつも作り出した。
運良く攻撃を逃れた者はその光景に顔を青ざめさせ、魔物たちでさえ森へと逃げ帰っていく。
「なんだ……今のは」
隣で同じように伏せていたガルが立ち上がりながら呟いた。
その声は酷く掠れており、恐怖の感情が窺える。
「――戦技、『薙雲』。武器にマナを込めて遠方にいる敵に打ち出す技じゃ。」
「そんなモン知ってる! 俺だって使える基本の戦技だ! それでも飛距離は5メートルが精々じゃねぇか! どんなに訓練したって10メートルが限界で、威力も木の幹が傷付く程度の筈だ!!」
「それを奴はあの威力で1キロ近く飛ばしたのじゃろう」
「……あんなモン避けられねぇだろ」
「それでも逃げるしかあるまい。総員退却、作戦は中止じゃ! これより町に戻り住民の避難活動に専念せよ!!」
今度こそ部隊に撤退命令を出した。
呆然としておった者たちはワシの声で町へと走り始めた。
勝てる道理が無い。ワシと豚頭大王鬼と戦っていた高ランク冒険者が抑えて1分が精々? そんな訳あるか!
次元が違う。そうとしか言いようがない実力差がある。
ワシとガルも町へ戻るために走り出す。
その時、背筋に冷たいものを感じた。
後方を見ると、今度は長剣を大上段に構え直した天帝夜叉の姿が見える。直感で、また『薙雲』を撃つつもりだと分かった。じゃが、躱そうにも今からではもう遅い。
振り下ろされる長剣。
恐ろしいほどの速さ迫る斬撃が酷く遅く思える。
それは天帝夜叉と同じ、鮮血のように紅い斬撃じゃった。
ゆっくりと近づく死を目の前に顔を逸らすことができず、両断される未来を覚悟した。
その時、またしても予期せぬ事態が訪れた。
目の前に天色の透明な障壁が現われる。
薄氷のように頼りなく、少し触れただけで壊れてしまいそうなほど脆く見えるそれが天帝夜叉の『薙雲』と激突した。
固い金属同士を思い切り打ち合わせたようなひどく耳障りな音とともに、激しい衝撃波が辺りに巻き起こる。それでも、障壁を挟んでこちら側にいるワシらにはそよ風の一つすら起こらない。
しばらくの間、斬撃と障壁は拮抗していたが不意に斬撃は霧散した。
あれだけの攻撃を受け止めたにもかかわらず障壁には傷一つ無く、もう役目は終えたといわんばかりに澄んだ音を響かせて煌めく無数の粒に姿を変えた。
事の流れについて行けず思わず足を止める。
ガルも今起こった有り得ない光景に呆然とするばかりじゃ。
「――危なかったね。ギルマス、ガルさん」
町へと人々が駆けている中、こちらへと歩いてくる者がいた。
不意に呼ばれたワシとガルの名に、二人して振り向く。
その声は雑踏の中でもハッキリと聞こえる、透き通った少女の声じゃった。
ワシよりもほんの少し身長の高い人影。
その背後には紫がかった黒い体毛の冷酷餓狼を従えておる。
年季の入った黒っぽいローブを深く被り、手には小型のウエストポーチ。
そこから銀緑に輝くミスリルの長剣を取り出すと、その人物はもう片方の手でフードを取った。
流れる銀髪とハリのある白い肌。
まるで人形のように整った少女の顔が白日の下に晒される。
「お主……一体何者じゃ?」
予想だにしないその光景とそれを引き起こしたと思われる少女の登場にワシは思わず問いかけた。
見送った彼女の背中はとても小さく、魔物を倒すには頼りない手足じゃった。
それでも、すれ違う一瞬に覗かせた彼女の顔と堂々とした立ち姿は、幼い頃に憧れた物語の英雄――
そう、数多の怪物に立ち向かい、暗然たる絶望を退け、人々に希望を与える――
――正しく、勇者の姿そのものであった。
少女は天帝夜叉と向かい合い、高らかに宣言する。
「さあ! ここからはわたしが相手になるよ!!」
◇
門が壊された攻撃の後、すぐに防御系の魔法をイメージをしていてよかった~。
作った障壁は維持するのにも集中する必要があるから破棄してっと。
「危なかったね。ギルマス、ガルさん」
二人に声を掛けたけど、ぼーっとしたままで返事がない。やっぱり助けに入るのが遅かったかな?
それは置いといて、この鬼との戦いはかなりヤバい。
いつもなら「ピンチに颯爽と登場するわたしって超カッコいい!」とか思うんだけど、そんな余裕は全くないってのが正直な感想だ。
だって、見るからに強そうじゃん? あんなカッコいい刀持ってるし、ゲームだと普通にボス級の魔物だよ。それに、基本は近接戦闘タイプで防御力も高そうなのに、あれだけ威力が高い遠距離攻撃使えるとか反則でしょ。こういうのは大体、紙装甲だったり体力ものすごく低かったりするのが当たり前じゃん?
今いる冒険者たちじゃ太刀打ちできそうにないし、ここでわたしが戦わないとリヴァレンの町は確実に滅びる。ハッキリ言って戦いたくない。今すぐ逃げたい。
でも、あれだけ一生懸命に戦う姿を見たらねぇ?
命をなげうってでも住民のために戦う冒険者たち。
たとえ勝ち目が薄くても、町を守るために彼らは剣を取った。
はぁ、なんでこの場所に立っているんだろう? 前世のわたしがこの状況に遭遇したら躊躇いなく逃げているはずだ。「そんな面倒なことを」と切り捨てていたはずだ。
案外、現実主義で利己主義なわたしもこの町に染まってきたのだろう。もしかしたら、あの時――親友を助けた時に、前世のわたしは文字通り死んだのかもしれないね。
でも、悪くない。
顔も声も性別も、経歴だって偽っていたわたしに対して、あの町の人たちは優しくしてくれた。
依頼で庭の草を刈り取った時、依頼主のお婆さんは手間賃だと言ってお菓子をくれた。
町を歩いていた時、青果店の店主は新人の冒険者だからと言って商品であるはずのリンゴを一つサービスしてくれた。
ギルドの裏の練習場で魔法の使い方についてアドバイスをしてあげた時、魔術師の女の子は飛び上がって喜んでくれた。
明るくて、笑いが絶えず、当たり前のように見ず知らずの誰かに優しできる人たち。
あの人たちのためになら戦いたいと、自然に思えてくる。
腰のマジックバックになっているポーチを外し、その中から剣をとりだす。
戦闘に邪魔なポーチは地面に置き、視界を確保するためにもフードも取る。今は変装のための魔法を維持するマナすらも惜しい。
この戦い、きっと全力を出さないと生き残れないだろう。
「お主……一体何者じゃ?」
ギルマス、面白い顔をしているね。
口の端に笑みがこぼれる。
それは果たしてギルマスを見たからなのだろうか。ひょっとしたら、死線に赴くことへの精一杯のやせ我慢だったかもしれない。
確かに怖い。
だけど、何かのため、誰かのために戦えることが、こんなにも嬉しいことだとは考えもしなかった。
今のわたしには、それだけの力がある。
シリウスには付き合わせちゃって申し訳ないけど、今度しっかりブラッシングでもするので許してもらおう。
身体強化の魔法を自分に掛けて大きく息を吸い込み、鬼に向けて言葉を紡いだ。
「さあ! ここからはわたしが相手になるよ!!」
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