宵闇に消ゆ
『ガルダの塒』の1階は酒場みたいな感じになっていて、仕事終わりに飲んでる人が多くて若干騒がしい。
でも、この空気は嫌いじゃない。
テーブルのあちこちで乾杯の音頭を取っていたり、酒やつまみの注文を取る声が飛び交う様子は活気に満ちていて、いい意味で賑いを見せている。
昼は熊肉を何枚か食べただけだから、わたしも早く夕ご飯を食べたいんだけど、その前にまずは宿のチェックインを済ませよう。
受付は……あの人かな?
カウンターに立っている女の人に話しかける。
「宿は空いています……か?」
「ええ、空いていますよ。相部屋でよろしければ一泊銅貨5枚、個室は一泊大銅貨1枚になります」
わたしは今、この世界に来て一番と言っていいほど興奮している。
実はこの女性、エルフなのだ。
エルフですよ! エルフ!!
先が尖った長い耳!
淡い金髪ロングにエメラルドのような緑色の碧眼!
清楚という言葉がよく似合う美人顔!
この姿はまさしくファンタジーものの定番、代名詞と言っても過言ではない!
「取り敢えず二泊で」
わたしは大銅貨2枚をエルフの女性に渡した。
「お預かりします。では、こちらの鍵で2階の203号室をお使い下さい。そちらの従魔でしたら部屋にご一緒できますが、厩舎をお使いになられますか?」
渡された鍵を受け取り……指長っ!
爪も整ってるし、化粧品のCMに出演したら商品がバカ売れしそう。
まさに白魚のような手って表現が似合う白くてきめ細かい肌をしている。
しかも声が透き通っていて凄い綺麗!
エンジェルボイスってこんな声のことを言うんだろうな。
おっと、返事返事。
「部屋に連れていきます」
「かしこまりました。夕食はお済みですか?」
「オススメはありますか?」
「本日のオススメはオーク肉のステーキになります。パン2つとサラダが付きまして、大鉄貨6枚になります。部屋の方にお持ち致しましょうか?」
「お願いします」
「従魔のお食事はどうなさいますか?」
「こちらで用意しているので大丈夫です」
「では、暫くしてからお持ちします」
夕食の代金を払い、わたしたちは2階に上がって203号室とドアに書かれている部屋へと入った。
部屋はダブルベッド1つとテーブル1つ、椅子が2つにコート掛け1つが置いてあるだけのシンプルな部屋だった。
わたしのように従魔を連れてくる客のために、家具は極力少なくしているのだろう。
ちなみにガラス窓は無く、木の板をスライドさせるだけのものだ。
もちろんLEDや蛍光灯なんて現代兵器はなく、ランプが置いてあるだけだった。
よく見たら魔石を燃料にして照らしているようで、一つしかないにも関わらず部屋全体を明るく照らしている。
料理が運ばれてくる前に着替えておこう。
部屋の中でローブは不自然だし、わたしが魔法で作った時代にそぐわない服は論外。
そのために服屋で女の子でも着れそうな男ものの服を買ったのだ。
常時魔法で姿を別人に見せるのも疲れるので、顔はフードとかで隠すとしても、風でローブが翻った時とかにスカートや女物の上着が見えたら正体を隠してる意味がない。
お陰で下はズボン一択だった。
ん? 胸は大丈夫かって?
大丈夫だよ!
どうせ万歳したら無くなるCだよ!!
それでも、これからまだまだ成長する予定だし?
それにCは男受けは一番って言われてるし?
下着は魔法で作ったのスポブラとショーツを着けて、さっき買ったジーパンみたいなのとシャツっぽいのを着て、っと。
……買ったやつ、あんまり材質よくないね。
それとも男ものだから?
肌触りがちょっとゴワゴワする。
だけど、これも冒険者ランクが上がるまでの我慢だ。
冒険者ランクは下から鋼鉄級、銅級、銀級、金級、白金級、魔銀級、真鋼鉄級、神金石級に分かれている。
その中でもミスリル級以上になれば貴族と同じくらいの権力が持てるらしいし、面倒な揉め事も回避できる。
まあ、もしここの生活水準に我慢できなくなったら、どこか人里離れたところにでも土地買って現代式の拠点でも作ろう。
そこなら人に見られる心配は無いし、何着ててもわたしの勝手だ。
雑貨屋で買った皿を出して、シリウスの夕ご飯としてテーブルに置いてあった水差しの水とオーク肉を出してやる。
「夕食をお持ちしました」
軽いノック音がしたので扉を開けて料理を受けとる。
食器は食べ終わった後で一階に返しにいくようだ。
わたしが食べ始めるのをシリウスは待っていてくれた。
うちの娘はなんて気遣いのできるいい子なんだろう!
おっと、あんまり撫でててもシリウスはご飯が食べれないし、わたしの料理も冷めてしまう。
「食べようか、シリウス」
メニューはバターロール二個とボウル皿のサラダ、メインのオーク肉のステーキは目測で300グラム弱。
ちょっと重い気がする。
そういえば、出店でバーガーみたいなのを売ってたし、このバターロールも白くてふわふわだし、意外とこの世界の食文化は進んでいるのかな?
わたし的には歯が欠けそうになるくらい固い黒パンを食べてみたかったけど、美味しい物が食べられることに文句はない。
では、まずはパンから一口……おいしい!
バターの風味がしっかり効いていて、ジャムを付けなくても全然いける。
お次はステーキ。
オーク肉だから見た目も普通のトンテキだけど、思っていたよりも脂身は少なくてさっぱりした感じの肉だ。
使い慣れていないナイフには悪戦苦闘したけれど、何とか一口サイズに切って食べる。
普通においしい。
むしろ、今までで食べた肉の中で一番おいしいと言っても過言じゃない。
やっぱり魔物肉は美味しいんだね。
脂身の甘味と赤身の旨味が混ざって舌が幸せだ。
サラダも食べてみよう。
ヤバい、料理の中でこのサラダが群を抜いておいしい。
エルフだからか? エルフが作ったからなのか!?
シャキッシャキの葉もの野菜の上にスライスしたトマトとラスクが乗っけてあって、シーザーサラダドレッシングみたいなのがかかっている。
何の変哲もないなシーザーサラダだと思ってたけど、それぞれの味がしっかり引き立てられていて、野菜特有の苦味は全くなく、それどころか仄かな甘みさえ感じられる!
この宿にしたのはアタリだったね。
◇
食べ始める前は多いと思っていた夕ご飯だったけど、いざ食べ終わると物足りなく感じるくらい素晴らしいラインナップだった。
満足満足。
さて、食器も返してきたし、後は寝るだけだ。
おっと、その前にマジックバックの実験をしなきゃ!
忘れるところだった。
皮を剥いて六等分した内の1切れをマジックバックの中へと放り込んで、ギルマスの言っていた魔力――マナを込める。
このリンゴを朝に取り出してみて、色が変わっていないかったら成功だ。
マナが多くて困ることはないだろうから、バックから溢れるくらい込めておいた。
明日の朝が楽しみだ。
それにしても、今日一日で色々あったな。
目が覚めたら死んでいて、異世界に転生(?)したと思ったら熊に追い掛けられるし……なんか思い出したらイライラしてきた。
よし、今度森で惨殺大熊を見かけたら、最優先で討伐しよう。
その後は、血の臭いにつられてやって来た冷酷餓狼の群れを撃退してシリウスを仲間して、この町に来たら冒険者ギルドに登録して……。
本当に濃い一日だった。
毎日決まった時間に起きて、決められた制服を着て、決められたカリキュラムの授業を受ける。
安定はしているけれども退屈な日々。
対してこちらの世界は、自由はあれど、全てが自己責任で、一つでも選択を間違えれば簡単に死ぬ。
つまらない世界からの脱却は、楽しくも厳しい世界の始まりでもあった。
でも、心残りが無い訳じゃない。
お母さんは泣いているだろうか?
お父さんは悲しんでいないだろうか?
たった1人の娘の死を、乗り越えられているのだろうか?
そして優奈は、自分を責めていないだろうか?
……。
「クゥン?」
「ありがとう、シリウス」
今さらそんなことを考えても仕方がないか。
あの世界に私はいない。
だけど今度はこの世界で生きていかなくちゃいけないんだ。
換金してもらうために預けた素材は幾らになるかな?
それにギルマスがランクを白金級に上げてくれるんだっけ?
受けられる依頼はどんなのがあるのかな?
とっても楽しみだ!
「お休み、シリウス」
「クゥン」
採光用の小さな窓から月明かりが零れる。
その輝きは、わたしの頬を流れる一粒の雫の中へと消えていった――
◇
シオンの泊まる『ガルダの塒』
その夜、二階の廊下を歩く二人組の男がいた。
彼らはギルドに登録している冒険者だ。
今日もいつものように依頼を熟し、夕方、手に入れた魔物の素材を換金するためにギルドへと寄った。
そこで一つの噂話を聞いたのだった。
曰く、一人の冒険者がとても高価なアイテムを持ち帰ったらしい。
男達は考えた。
それを奪えば金持ちになれる、と。
噂では戦災級の魔物を討伐したようだが、いくら強く腕の立つ冒険者であろうと、眠っている間に盗めば問題ない。
その話の中で、件の冒険者はウルフ系の魔物を従魔にしていると聞いていたので、この町で唯一、従魔と宿泊できるこの宿に行くだろうと踏んで張っていたのだ
そして、その狙いは見事に的中した。
『ガルダの塒』の一階にある酒場で客を装っていたところ、日が暮れる直前に1人の冒険者が現われた。
低い身長、裾は擦り切れ草臥れたローブを羽織り、顔はフードで隠し、ウルフ系の従魔を連れた人物。
噂話で聞いた特徴とも合致する。
その人物は203号室の部屋を取って2階へと上がっていった。
男たちは一旦切り上げ、再度、真夜中に宿へと忍び込むことにした。
そして現在、男達はシオンの泊まる部屋のドアをピッキングをしていた。
「おい、まだか?」
「もう少しだ、静かにしてろ」
この二人は銅級冒険者であまり素行が良くなく、近々鋼級に落とされる予定だった。
その原因は酒。
稼ぎが多くないにも関わらずいつも酒を飲んでおり、その度に決まって問題を起こしていた。
そこで今回、アイテムを奪って王都で売却し、その金を使ってやり直そうと考えたのだった。
しかし、その願いが叶うことはない。
「グルルルルッ……」
いつの間にか二人の背後に一頭の黒い狼――シリウスがいた。
シリウスは警告でもするかのように低いうなり声を発している。
「なんだ? 犬っころが一丁前に威嚇して」
この時、男たちは選択を間違えた。
シリウスの毛が黒いことから、冷酷餓狼の下位種であるウルフだと勘違いした。
それでも、ただの冷酷餓狼ならばよかったのかもしれない。
通常20~50頭ほどの群れを作り、連携して獲物を狩ることから人災級に位置付けられ、稀に100頭を超える群れの場合は戦災級に位置付けられることもある冷酷餓狼だが、一頭一頭の強さは精々人災級の下位。
銅級冒険者でも、大怪我を覚悟して逃げに転じれば、万が一はあったかもしれない。
しかし、冒険者の世界にもしもは通用しない。
二人がシリウスの前に立った瞬間、その先にある運命は、決して逃れられないものとなった。
シリウスの種族は冷酷餓狼。
その中でも異常種に分類される個体だった。
異常種の特徴は単純で、元となる種族よりも圧倒的に強いこと。
それはシリウス一頭で、シオンが苦戦した惨殺大熊を相手取れるほどだ。
男たちがシリウスに攻撃を加えようと一歩踏み出した次の瞬間、二人の首が音もなく落ちる。
戦災級以上の魔物の中には魔法を使うものが多い。
そして、戦災級と同等の強さを持つシリウスも、その例に漏れなかった。
彼女の場合、いくつか使える魔法の中でも、とりわけ闇魔法を得意としていた。
絶命した男たちがシリウスの影へゆっくりと沈んで行く。
まるで、奈落の底にでも落ちてゆくかのように……。
静まりかえった廊下には血の一滴すら残っていない
夜はただ、徒に更けていくのみ




