悔しさと憤り
大量の出血をしながらも、由は全身から冷気を噴き上げ、襲って来る黒狼に対峙する。
「貫け!! 氷槍陣!!」
『ギャオオッ!!!』
地面から発生した氷の刃が、黒狼の巨体を串刺しにし倒す。
「馬場ぁっ!!」
黒狼を倒し馬場の方を見るが、既にそこに彼の姿はなかった。
「ちっ!」
悔しげに舌打ちした由が、苛立つ奥歯を噛み締める。
一方、逢莉も黒狼の群れとの闘いに幕を下ろした。紅蓮乱舞で黒狼たちを捕縛した次の瞬間、彼女は指を鳴らす。
「燃え尽きろ!!」
『ギャオオ――――――ン!!!」
黒狼の体が一瞬にして紅蓮の炎に飲み込まれ、断末魔と共に炎の中に消えていく。多少、荒い息をしながらも、逢莉は由の元へ駆け寄る。
「由さん! 怪我は大丈夫!? 早く止血しないと……」
「こんなのかすり傷よ……。それより、してやられたわ」
Gジャンの袖で乱暴に拭った由が、馬場親子が逃げていった方向を苛立ち気味に睨み付けた。
その時、パトカーや救急車のサイレンの音が近づいて来たのに気づいた由が、表情を険しくする。
「……今頃になってのお出まし?」
皮肉気に笑った由に複雑な笑みを返しながら、逢莉はハンカチで彼の傷口を止血してやる。
そうこうしてるうちに現場に10数台のパトカーや救急車が到着した。
そして、1台の覆面パトカーから降りてきた二人の私服刑事が、逢莉と由の姿を見つけ、会釈をしながら駆け寄ってくる。
「河内さん、櫻護さん」
「来るのが遅いわよ、いつもっ」
「由さん」
会うなり毒づいたか彼を逢莉が宥めるが、20代後半のスーツ姿の青年刑事は申し訳なさそうに口開く。
「すみません……。警察の方に手動許可が下りたのは、ついさっきでして……」
「今回も生存者はなしか……」
不意に、もう一人の50代くらいの刑事が、現場の惨状を見て深いため息を漏らす。
しかし、そんな彼に逢莉が答えた。
「生存者はいますよ。無事、逃げてると思いますけど。でも、3人は犠牲になってしまいましたけど……」
バスの運転手と二人の乗客、それでもこれまでの事件に比べたら天地の差だった。もっとも、犠牲になった命を比べる事を出来ないがと、逢莉は重く呟く。
そして逢莉は、気持ちを切り替えると言葉を続けた。
「ただ、馬場 圭子は取り逃がしてしまったので、警察の方でも追跡お願いしますね、新居さん」
そう新居と呼ばれた年配刑事に頼み、隣に立つ腰の低そうな青年刑事が、ふと戸惑い顔で言った。
「それにしても、河内さんや櫻護さんほどの手練れが苦戦するなんて……。馬場 圭子の力は、そんなに強いんですか?」
「馬場 圭子の戦闘力はたいしてないわよ。ただ、今回は本部の調査ミスが痛手だっただけ」
青年刑事の疑問に、由は苛立ち気味に髪をかき上げながら答えた。彼の言葉に、新居たちは不思議に思い訝しがるが、それには逢莉が説明を加える。
「糸使いと聞いていた彼女の能力ですが、実際はワイヤー使いでした」
「ワイヤー使い?!」
新居たちも初耳だったのだろう、逢莉の説明に見張り驚きを隠せない。由の能力はともかく、逢莉の能力では圭子のワイヤーは対処が難しい。
それでも戦闘力の差で、一時は圧倒したが、馬場の思わぬ援護により、立場は逆転してしまった。
「彼女の能力に物理的攻撃は効きません。新居さん達の方で足取りを掴みましたら、すぐ『朔夜』へ連絡をお願いします」
頭を下げた逢莉に、新居は頷き応えた。
「……とにかく。あたし達は一旦、支部に戻るわ。後の始末は任せたわよ」
そう冷たく言い捨てた由が、冷たい声色と表情で続けた。
「あんたたちの親玉に伝えときな。『朔夜』はあんたらの都合のいい飼い犬じゃない、毎回、何もかも終わってから来るなってね!!」
言い捨てると同時に、由は逢莉を促し立ち去っていく。逢莉も心配げに新居たちを見遣った後、一礼すると、彼の後を追っていった。
そんな二人を見送りながら、青年刑事の方が深いため息を漏らす。
「今のは……、少し傷つきましたね」
「そう言うな、樫元」
新居が落ち込む青年刑事・樫元に告げた。
「本当の事なんだ、弁解のしようがない。以前の我々警察は事件が起きれば、いの一番に駆け付けた」
新居の表情が苦渋に歪み、無意識に拳を握る。
そして新井は怒りと悔しさを滲ませた声で言い募る。
「だが今はどうだ!? ……紅月が現れ、能力者による事件が起きてからは、我々は上の許可が出るまで主導は許されん!!」
なぜなら警察期間内に、能力者は一人もいないから。
いや、正確には多数の者が紅月の能力に覚醒した。だが、全員が能力に溺れ自我を失い、人々を傷つける側へと変貌していったのだ。そして彼らは何処かへと行方をくらまし、残ったのは能力の持たない人間だけになり、警察は力を失ったのだ。
「……おかしな話ですね」
樫元が悲しげに呟いた。
かつて人々を護り、平和と秩序ある世界のために戦った警察など、今はただ、紅月に怯え『朔夜』の背中に隠れるだけの存在でしかないのだ。
一方、圭子は荒い息をしながら廃ビルの屋上に逃げ込んだ。
「ちくしょうっ……!! あいつらっ」
舌打ちし、倒れ込んだ彼女の脳裏に逢莉の姿が浮かぶ。
「あの女……よくも!!」
逢莉の炎熱鞭で傷ついた足首が痛む。自分の方が有利だと思っていたのに、まさかあんな圧倒的な差を見せつけられると思わなかった。
「……殺すっ!! 今度は殺してやるっ!!」
逢莉への憎悪を膨らませながら、ふと圭子は父の姿を思い出す。
――『だが、お前の父親だ』――
仲間を裏切り自分を助けてくれた父の行動が、圭子の心に棘のように刺さる。
「なんで……今さら……」
奥歯を噛み締めた圭子が、身を縮めて体を強張らせた。
「……今さらになって、父親だなんて……いわせるものか……っ!!」
吐き捨てた声は言葉とは裏腹に、か細く消え入りそうだった。
紅月が消え、まぶしいばかりの太陽が圭子を照らしていたが、今の彼女には、そのまぶしさが目障りでしかない。