カネこそすべて 11
抱擁を終えた、レーンがカタリナと呼んだ女は、レーンの手を握ったまま話を続けた。背丈はカタリナの方が低く、レーンを見上げるようになっている。
「生きていたのなら、なぜ戻って来てくれなかった?傭兵ながら、貴公のアルバ王国との戦での活躍は素晴らしかった。先の戦いで示した貴公の能力、勲功なら百人隊長の席だってすぐに用意できよう」
熱っぽく語るカタリナの後ろには、下馬した騎馬隊が控えていた。無言で直立し、主の動きを見守っている。
「さあ、今から政庁へ参ろう。父上に報告して、すぐにでも正規軍に取り立ててもらおう」
私の後ろに乗れと、促すカタリナに、レーンが口を開いた。
「待ってください。少し、考える時間をいただけませんか?」
手を取ったままカタリナがレーンを見つめる。少し首をかしげ、何を言っているのか分からない、といった怪訝な表情である。
「百人隊長では不満か?では、私が父上にかけあって、将校の位を用意してもらおう」
「そういうことではありません」
きっぱりとレーンが言う。拒絶の意思を込めているのが明白な口ぶりだった。
「アタシに考える時間を下さい。先の戦で少し思うところがありまして……」
それでもカタリナは手を離さない。笑みを浮かべながら話を続ける。
「レーン、貴公は非常に優秀な指揮官だ。だからこそ父上は撤退戦で貴公を起用した」
「アタシは……」
「しかし、戦の最中に姿を消すのは軍令違反である。逃亡兵の罪を帳消しにすることができるのは、改めて仕官することだけだ」
説得はもはや脅迫に変わっている。カタリナの表情は先ほど何一つ変わらず微笑んだままだったが、もう笑っていなかった。
レーンは気圧されている。二人の話から察するに地位や力関係はレーンの方が下だ。
カタリナに押し切られるのは時間の問題だろう。
「レーン、この女は誰だ?」
二歩、三歩、踏み出してレーンの横に並び、カタリナを見下ろす。緑色の瞳がこちらに向けられる。笑みが消えていた。
「レーン、この男は誰か?」
まるでこちらの質問の方が優先である、と言わんばかりに言葉を被せる。なるほど地位はあるのだろうが、どこまでも尊大で居丈高な女である。顔は良いのは分かったが、態度は気に食わない。
「レーン、この小さいくせに偉そうな女は何者なんだ?さっきから聞いていれば、コイツ人の話を全く聞いていないぞ」
絶句するレーンに面と向かって問うのは気が引けた。代わりにカタリナの目を見て言う。
「おいお前、しっかり話を聞け。レーンは時間をくれ、と言っているんだ。無理やり承諾させようとするんじゃない」
「貴様、名前は?」
徹底的に人の話を聞かない人間である。会話が成り立っていない。
「俺はロス。商人のロスだ。名乗らせるなら自分から先に名乗るものだろうよ、お嬢ちゃん」
「貴様は私のことを何も知らないようだ。実に愚かであるが、まあよかろう。よく覚えておくことだ。私の名は、カタリナ・シュベラウス・ローゼル、である」
「知らないな。可愛らしいお顔のお嬢ちゃんだが、有名人なのかな?」
「無知もここまでくると面白いものだ。どれ、もう少し顔をよく見せよ。その面にどれほどの愚かさがにじみ出ているか、よく見てやろう」
「それはどうもありがとう。よく見えやすいように少しかがんでやるよ。どうだ?よく見えるか?」
腰を屈めてカタリナに目線を合わせると、珍妙な生き物を見るかのようにじっとこちらを見つめてきた。
「……もっと屈め」
常に上に立とうとしてくるなこの女。
「ダメだ」
そう返すと、カタリナが目を見開いた。少し驚いた様子である。
「…………ふむ、貴様……………」
そうつぶやくと、伸びてきた手が両頬を包んだ。手を出すのは反則だろうが。と、言いかけて止めた。どうも攻撃するような手つきではない。
「フフフ、これは中々……」
犬や猫でも扱うように、髪をくしゃくしゃと撫でまわす。カタリナの意味不明な行動に動くことができず、されるがままになる。
「ふむ。ほう。なるほど」
胸甲に顔を押し付けられる。と言うより、抱きしめられているのか。甲冑の上からも甘い、花のような匂いがする。
「離せ」
中腰のまま顔を両腕でロックして抱き寄せられた。どんな技なのかは分からないが、戸惑う。
「ダメだ。もう少しこのまま」
「すぐに放さなければ、尻でも揉むぞ」
「それも一興。だが私の部下が貴様を殺す」
「…………」
「その体勢が辛いのなら、腰になら手を回してもよいぞ」
「お前の部下に殺されないだろうな」
「お前なんて言わずともよい。カタリナで構わん」
不意にカタリナの腕から解放された。見上げると、満足げな表情である。少し上気して頬を赤らめているところが何とも言えない。意味不明な行動をする女だが、見た目だけはやはり、凄まじく美しい。
「ロス、その顔に免じて無礼を許そう」
言うなり、背後の部下に手で軽く合図をした。兵士たちが一斉に騎乗する。
最後に白馬に跨ったカタリナがレーンに声をかける。
「脅して悪かった、レーン。明日の正午まで時間をあげよう。どうするのが最もよいのか、よく考えてみるのだ」
言うなり、手綱を引いて馬を駆けさせる。最後までこちらの話を聞こうとしない女だった。
部下が続く。無数の馬蹄の音を響かせて駆けていった。
「俺の顔って良いのか?」
「……いや、至って普通の、むしろ貧相な顔立ちだ」
「しかし、俺の顔に免じると言っていたが」
「カタリナ様の趣味がどうかしているんでしょ。あの人は普通じゃない」
「…………納得した」
「アンタも普通じゃないけどね」




