届かない手
突如として聞こえてきた謎の声。声が聞こえた者は、声の聞こえた上空を見上げる。
そこには、一人の少女が浮いていたのだ。少女は、黒のローブを身に纏い、手には身の丈程の黒い竜を模した杖を持ち、腰までかかる緑色の長髪の可愛らしい容姿の子だったが、表情は無表情で目は虚ろと、どこか人形のようにも見えた。
それを見たモーゼとアロンは、その者の名を口にしていた。
「・・・暗黒竜・・・ヤミー・・・!」
「・・・ヤミー様・・・!」
一方、風太は二人とは別の名前を口にしていた。
「・・・風・・・子・・・?」
そう、そこにいたのは紛れもない、行方不明になった自身の妹、緑川風子であった。
『・・・引け、アロン。お前への処罰は追って下す。』
「・・・御意・・・。」
アロンの足元に、魔法陣が出現する。
「!転移魔法!逃がさぬぞ!」
モーゼは、アロンが転移する前に攻撃して中断しようとするも、闇の波動を周囲に打ち込まれ、魔法の発動を止められてしまう。そして、その間にアロンは姿を消していた。
「くっ!アロン・・・!」
モーゼは悔しそうに、手に持つ杖を強く握り締める。
『・・・この大陸に住む全ての者共。我が名はヤミー。暗黒竜ヤミー。このアナザーワールドの神である。この度の戦いは反逆者共、お前達の勝利だ。だが、次はない。次なる戦いでお前達は、我が僕に勝利したことを後悔するだろう。』
ヤミーは、この大陸にいるであろう全ての生き物に聞こえるほどの声を上げる。いや、声ではなく、頭に入ってくるテレパシーのようなものなのかもしれない。ヤミーの言葉は、確かにこの大陸にいる全ての生き物に届いていた。
『さらばだ。今度は僕ではなく、この我自身が反逆者に裁きを下そう。』
「風子~!」
そんなヤミーに向かって、一人の人間が大声を上げて近付いていく。それは、風太であった。
「!緑川風太!」
「風子!俺だ!風太だ!お前のお兄ちゃんだ!」
「いかん!行くな、緑川風太!」
「風子~!」
モーゼの制する声を無視し、風太は風子に必死に自分の存在を訴える。そんな風太の声が聞こえたのか、ヤミーは風太を見下ろす。
「風子!風子!」
『・・・風子?この器の名か?』
「器だと!俺の妹を、勝手に入れ物呼ばわりするな!」
『・・・そうか、お前は器の兄・・・。まさか、この世界まで器を追いかけてきたというのか・・・。凄まじい執念だな・・・。』
「風子を返せ!」
『それはできんな。この身体は、ようやく見つけ出した我が器。返すわけにはいかん。』
「ふざけるな!だったら力尽くで・・・!」
『・・・愚か者め!』
ヤミーの身体から、黒いオーラが噴き出す。すると、風太は地面に這いつくばるような形になり、動けなくなってしまった。
「がは!?」
『お前の力など、我に遠く及ばん。此度の戦い、お前は勝てたのではない。勝たされたのだ。』
「ぐっ・・・!」
ヤミーの言葉に、風太は何の反論もできなかった。今回自分が勝てたのは、ヤミーに比べて敵が弱く、ソウから魔剣をもらったからだった。だが、そんな弱い相手でも、魔剣が必要だったのだ。ヤミーが言った勝たされたという言葉は、間違っていなかった。
『ここでお前を殺すなど、虫を捻り殺すように容易い。だが、こんな虫、殺すに値せんな。いや、虫と呼ぶ価値すらない。』
「うぐ!・・・風・・・子・・・!」
あまりに圧倒的なヤミーと自身との力の差、そして、妹を目の前にして、助けることもできない自身の無力感に、風太は完全に押しつぶされ、意識を失った。
『ふふふ、案ずるな。殺しはせん。己がいかに脆弱な存在であったかを呪いながら、裁きの日を迎えるがいい。』
ヤミーはそう吐き捨てると、一瞬にして姿を消していた。まるで、最初からそこに何もいなかったかのように。
「緑川風太!しっかりするのだ!」
モーゼは風太に呼びかける。だが、風太は目を覚まさなかった。
「・・・死んではおらぬが・・・目を覚まさぬか・・・。・・・無理もない。ようやく妹と再会したというのに、あれでは悲惨すぎる・・・。」
「・・・何とかなったみたいだけど、やっぱりこうなったか。」
「!」
突然、聞いたことのない声が聞こえ、モーゼは身構えると同時に、声のした方を向く。そこにいたのは、なんと、ソウだった。
「・・・そなたは何者だ・・・?」
「僕は、ソウだよ。彼の知り合いさ。君が、現代の賢者モーゼだね。」
「ソウ?・・・その名前・・・どこかで・・・。」
モーゼは、ソウの名前に聞き覚えがあった。だが、どこで聞いたかまでは、思い出せなかった。
「まあ、僕のことはいいよ。今は、風太だ。きっと、妹を助けられなかったことが、相当ショックのはずだよ。」
「・・・そうだな。この者がひた向きに修行に明け暮れていたのは、妹を救わんとする一念だった。それが、手が届かぬどころか、なす術もなかったのだ。その想いは、粉々に粉砕されてしまっただろう。」
モーゼは、とても悲しそうに風太を見ていた。風太の上達は、モーゼが今まで見てきた人間の中でも一、二を争うほど早かった。だがそれは、妹を助けるための力を得たいがためだった。そして、最大のチャンスが訪れたというのに、果たすことができなかったのだ。風太の心中は、想像難くなかった。
「・・・彼のことは、僕に預けてくれないかな。」
「そなたにか?」
「いきなり出てきた僕を信じられないと思うけど、今は、僕に預けてほしい。」
「・・・そなたなら、緑川風太を救えるのか?」
「僕が救うというよりは、僕が連れて行く場所にいる人物だね。彼に会わせれば、風太を救えると思うよ。」
「・・・。」
モーゼは、奇妙な感覚を感じていた。この少年は、今初めて会った人間なのに、不思議と信用できる空気を醸し出していたのだ。こう見えてモーゼは、人を見る目はある程度自信があるのだが、不思議と彼に対して悪い印象は感じなかったのだ。まるで、相手がいい意味で自然と信じるようになる。そんな雰囲気の人物だった。
「実はね、今回彼があそこまで戦えたのは、僕が力を貸したからなんだ。」
「!そなたが力を!?」
「僕の剣をあげたんだ。ここまで強くなるとは思わなかったけどね。」
「・・・あの異様な強さは、そなたが・・・。」
「それと、君がアロンに圧勝したあれも、僕が渚にいい方法を教えたからできたことだよ。」
「・・・なるほど。おかしいと思ってはいた。私の力では、アロンには遠く及ばん。それが、あそこまで圧倒するなど、何者かの協力がなければ不可能だ。」
「どうかな?少しは信じてくれたかな?」
「・・・手放しには信用できん。だが、そなたが少なくとも敵ではないことは間違いなさそうだ。いいだろう。緑川風太をそなたに託そう。」
「ありがとう。」
「その代わり、私も同行させてもらおう。それが条件だ。」
「まあ、それくらいならいいか。でも、ちゃんと城の人達に断っておかないと。」
「案ずるな。通話の腕輪がある。」
モーゼは通話の腕輪を使い、ミリィに連絡を取る。
「ミリィよ、私だ。」
『賢者様!先ほど、ヤミーの気配と声が聞こえました!大丈夫なんですか!?』
通話の腕輪から、ミリィの心配した声が聞こえてくる。
「私は大丈夫だ。・・・だが、アロンには逃げられてしまった・・・。」
『そう・・・ですか・・・。』
「・・・ミリィ。アロンとの戦いで私の魔力が戻った・・・いや、増加したあれは、そなたと渚が何かしたのだな?」
『・・・申し訳ありません。余計なことをしたと思っています。・・・でも、渚は責めないでください。私が勝手にしたことです。』
「責めたりなどはせん。寧ろ、礼を言おう。ありがとう、ミリィ。」
『・・・賢者様・・・。』
「・・・ところでミリィ。私はしばらく、緑川風太と共に、城を開けねばならない。」
『?どういうことです?』
「・・・ヤミーが現れたということは、緑川風太は、ヤミーに身体を奪われた妹と会ったということだ。」
『!』
「無謀にも助けようとして、一蹴されてしまったのだ。・・・幸い、怪我はないが、精神的なダメージが大きい。」
『・・・そんな・・・。』
通話越しながらも、ミリィのショックを受けた様子がうかがえた。ミリィも風太がどれだけ妹を救おうと頑張っていたかを知っているからこそ、それができなかったことに心を痛めていたのだ。たとえ、ヤミーが強大で、万に一つも勝てる可能性がなかったとしてもである。
「そこで、しばらく緑川風太を休ませたい。とある人物と共に、彼を連れて行く。」
『とある人物?』
「ソウと名乗る者だ。・・・そなたは会っておらんだろうが、渚から聞いて知ってはおろう?」
『!ソウ!賢者様!ソウがそこにいるんですか!?』
ソウの名を出した途端、ミリィは興奮した様子に変わった。あまりの変貌ぶりに、モーゼは面食らう。
「?ああ。どうしたのだ、ミリィ?」
『賢者様!そのソウという人物は、すごい人間です!今まで役に立たないと言われていた魔力譲渡の効率を劇的に上げる術式を考えたんです!』
「!それは真か!?」
『はい!渚の話越しにしか聞きませんでしたが、この紙の術式を見れば、彼が凄いということが分かります!そのおかげで、賢者様に渚の魔力を大量に譲渡できたんです。』
(・・・魔力譲渡をそこまで効率化させた・・・。私がどんなに術式を考えても、微々たる量しかできなかった術を・・・。・・・やはり、ただ者ではない。)
「・・・そうか。では、戻ってきたら彼と会えるよう話を付けるとしよう。」
『お願いします!』
その言葉を最後に、通話は終了した。
「ソウよ。緑川風太の一件が一段落ついたら、そなたを弟子に紹介したい。構わないかな?」
「・・・まあ、それくらいならいいか。でも、僕はあまり教えられないよ。僕の知識は、少々特殊だからね。」
「それで構わない。あとは、彼女の問題だ。・・・では、行くとしよう。どうやって行く?転移か?」
「転移もいいけど・・・今の僕じゃ、ちょっとキツいんだ。だから、彼に協力してもらうことにしたんだ。」
「彼?」
「出番だよー。」
ソウが空に向かって叫ぶ。すると、凄まじい風が周囲に吹き荒れる。
「!?これは・・・!?」
『・・・彼らを連れて行けばいいんだね?』
「うん、頼むよ。今の僕じゃ、次元の壁を越えるのキツいんだ。」
「・・・まさか・・・そんな・・・!」
上空から現れた存在に、モーゼは驚愕する。
「・・・風竜・・・フィード・・・!」
第1章終了です。次章は一旦、元の世界に帰還します。