愚かなり、わが心 my foolish heart 何を嘆いているのか? 愚かな私の心よ。あるいは死神との対話 わが人生瞑想録より その3
ある、、霧の深い夕方
あたりは一面に深い霧に閉ざされて
まるで霧の中に浮かぶような私の家がぽつんと
浮かんでいる。
「ああこんな日には誰か不吉な輩がやってきそうだな?」
そう思っていたその時
彼がやっぱりやってきた
そう
私のところに死神が訪ねてきた。
以下は彼との一問一答の記録である
私→ w
死神→ d
w、私は夢を見てるのだろうか?
d、そうだともいえる、だれの人生もいずれは消え去るのだからな。
w、私の人生は間違っていたんだろうか?
d、そんなことはない、だれの人生もそれ自体で、正しい答えなのさ。
誰の人生も失敗だったとか大成功だったとかそういうものじゃないからさ。
つまりわかりやすく言うと、人生はただ名誉と金のためだけではない。
w、では?人生とは何のためなんですか?
d、そうさな、人生とはただ、錬成のためだけにあるのだ。
w、錬成ですか?それはつまり、、魂の修行ということでしょうか?
d、さよう、、。
我らの魂というのはじゃなあ、
過去何百那由他というとてつもないよう阿字観を旅しては
何千回も何万回も
リーインカネーション(転生)を繰り返してきたんじゃよ。
w、そんなにも膨大な時間をですか?
d、そうじゃよ、その間、われらの魂はどれほど、その肉体舟を乗り換えてきたことか。
ある時は粗末なちっぽけな葦船であり
ある時は豪華な王様の100メートルもの大船であり
そうして様々な肉体舟を乗り継いできたのよ。
しこうしてそれはいったい何のためか?
すべては魂の錬成のためだったのだよ、
かくして死神と私との対話はこの後もさらにさらにと、続くのだが、、
これ以上彼らの対話を追い続けるのはここらで止めておこう。
ところで、、、
私たちは、自分の人生でなんだってできる。
なんでもできるのです。
それってどういうこと?と、お尋ねのあなた、
そうです。
文字通りあなたはなんでもできるのです。
例えばですね、極言するならば、
こういうと批判を受けるだろうが
あなたは100人殺すこともできるだろうし
その反対に100人の命を救うことだってできるだろう。
こういう風にあなたはなんでもできるのです。
ただおそらく、、あなたはどっちも、そうはしないでしょうがね?
人生が全くの自由な白紙であり
あなたはその白紙に
汚らしい悪魔と魔女の絵を描くこともできるし
聖なる天使と聖女の絵を描くこともできるのです。
それはあなた次第です
あなたの自由です。
それが人生というものの不条理性というのか
あるいは人生の「罪つくりな」点なのでしょうね。
そうなのです、
つまりは、、こういうことですよ。
「何でも、おやりなさい、でも、その代わり、、そのツケは払ってもらいますよ、」
それが人生の本性 (深淵)なのです。
これが世界の
人生の
まあ、真理なのでしょうね。
だからあなたは早急にこう言い切ってしまうことだってできるんですよ。
「人生の謎は解けたよ?悪魔さん?」
ってね。
でも怖いことですよね?
こういう真理って。
そうでしょ
だって、
あなたは
あなたはなんだってできるんですよ。
100人殺すことも
100人救命することも、
そんな本当は怖い、怖い正体というものが、人生というものなのです。
まあですけど、、
一般的にはそこらの一般人というか
そこらの庶民が、、そこまで思いつめる人は少ないでしょうがね。
庶民はそのどっちもしないで無名に貧しく終わるだけなのでしょう。
でも世の中には往々にして
考えすぎる人?
思いつめる人?
が、、
少数ですがいるもんなんですよね。
そういう人がひょんなことから
変な思い込みに「覚醒」?した時が怖いのですね。
願わくば
思いつめやすい人が
とんがりやすい人が
慈悲と
寛容と
許しと
他者救済の
「菩薩行思想」に行き着きますように。
そう願わずにはいられません。
ただ、、、
こういうことも言っておかなければ片手落ちだろう。
人間の使命とは
愚かな肉の子よ、
ただ名誉と金のためだけではないのだから。
弱さはそこでは決して罪ではない。
弱さを言い訳にするから罪になるのだ。
もう一度
そうだ、
その人が本気で慈悲を信じ
正しい心をもって
祈り
切に願うならば
必ずやあなたを救われるでしょう。
疑ってはなりません。
信じるのです。
正しい道は正しい願いで
必ず実現されるのです。
ぐだぐだと考えるのはやめなさい。
観じるのです。
体全体で
魂全体で観じるのです。
そうでしょ?
その時には自信を持ってこう言ってやりましょうか。
「人生の謎は解けたよ?悪魔さん?」
ってね。
誰かから
「与えられる人生」、、
というものもある、
と、私は考える。
或いは、、誰かから
【呼ばれる人生」というものも、ある、
そうなるしかなかった人生
そうであるべきだった人生。
或いは
遠い過去から
呼び寄せられてしまった
人生というものもある。
と、
私は深く信じる。
傷つけられ
痛められ
地に落ち
まるで贖罪のために生かされてきたような人生もあるだろう。
ただ?
そういう人生がなぜ?
あなただったのか?という
根本疑問には、、残念ながらどこからも答えはない。
それが人生、
それも人生。
あるいは、、また
生まれながらに「銀の匙」を咥えてくるような、、
そんな人生を送る人も現実にはいる。
名誉と富が生まれたときからもうすでに
その赤子には約束されている、
そういう人生もある。
それが人生。
それも人生。
そういう初めから、もうすでに、結論ありき?のような
我らの人生。
俗な表現でいえば
ブスはブスだし
美人はうまれたときから美人だ。
変えようもない。
(まあ、、現代では整形美人というのもいるけどね)
生まれ持った人生の種は
それがどんな花を咲かすのか?
あるいは
汚い臭い花しか咲かないのか?
分からないけど、、
生まれたときに持たされたその種を
育てるしかない、、という
宿命感?
それとも、、絶望的な負い目感?ですよね?
咲かないに決まってるような種を持たしてこの世に私を送ってきた神?って
一体、なんだったというのでしょうか?
どう生きろと?
私はどうすればいいのですか?
神様。
こんな種しか、、与えられなかったこの私は?
ひどい家庭に生まれて、幼児虐待死、、なんてニュースが新聞にしばしば載りますよね?
この幼児に、いったい神よ、どんな罪があったというのですか?
鬼親に虐待されて殺されなければならなかったこの幼子にいったい、どんな罪が?
いくら問いかけ
何度尋ねても
答えは返ってきません。
それが人生。
それも人生。
人生に神からの答えは無いという事実を
私は身を持ってなんども思い知りました。
でも?
それで神の不在を断定はできない。
それが私の今に至る結論です。
神はいる。
でもその神は「人格神」ではないだろう。
つまり、、白いひげを生やした温厚そうな老人ではないだろう。
それが私の神というものにたいする認識だ。
世界が存在し
そこに私が人間としてこの世に生まれてきたという
今生きてるという
生かされているという
その不思議
その必然
その妙智
それこそが神だ。
人生にはまさにどうしようもないこともある。
というか
人生って「どうしようもない」ことだらけだ。
でも?
それでも私は
こうして生かされた僥倖のことを想うしかない。
それがじんせい。
それもじんせい。
それは
ただ
名声と
銭金のためでなく
生かされ感に満たされた
人生の至福だろうか?
愚かな私の心よ。
愚かなり、わが心
my foolish heart
何を嘆いているのか? 愚かな私の心よ。
お前は
それを疑うのか?
いいや
そうじゃない。
愚かなわたしの心よ。
人生は
ただ
名誉と
金儲けのため
だけではない。
w、じゃあ?人生はいったいなんのために?
d、それはすでにお前の心が知ってるはずだ。どうだね?図星じゃろう?
今、、お前が心の中に思ったそれが人生の本当の意味なんだよ。
あなたが
もしも
最初から
人生になんにも
期待しないで全くの白紙で対座することができるならば、、
人生って
こんな楽しいものはないだろう。
それがじんせい。
それも人生。
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