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オペレーション・コード;エルフ  作者: 池田 和美
15/16

幕間⑬

 副題:二人の出来事



「はあ、すっかりおそくなっちゃったわね」

 閉じられた校門の前で、勝ち気そうな少女が一同を振り返った。髪は長めでルックスもそこそこ、身長だって高からず低からず、なので普通の女子と思いきや、意思の強そうな目元だけは大きく違うところだった。それが彼女の魅力であり、また欠点でもあった。

 他の誰でもない、清隆学園高等部図書室の主にして今期も図書委員長に満場一致で選出された『拳の魔王』…、じゃなかった藤原由美子だ。

「藤原さんが余計なことするから」

 舌打ち混じりに眠そうな雰囲気の少年が言った。

「あ? あンだって?」

 この学校、清隆学園高等部の制服である紺色ブレザーの裾を翻しながら由美子は訊いた。聞き取れなかったのではない、確認したかったのだ。

「かっ…、はっ…」

 しかし眠そうだった少年は、何も言うことができずにアスファルト舗装の地面へと崩れ落ちていった。ゆっくりと食い込んでいた由美子の拳が、鳩尾から外れていくところを見ると、眠気に勝てなくなったわけでは無さそうだ。ちなみに彼の体つきはけっしてモヤシ体型というわけではない。むしろここに居る男子の中で一番ガッシリとしていて、青年期に入り始めの筋肉を感じさせるものであった。

「ただの戸締まりだろうが。それを邪魔しようとしたのはオマエらだろうが」

 夕陽が大分傾いて昏くなり始めた校門前で、地面に這い蹲った相手を見おろした。新学期一発目の図書委員会の会合において委員長続投が決まった彼女は、図書室の戸締まりを最終チェックするのが、今期も日課になっていた。

「まあまあ、おねえさん」

 見かねて横から由美子と同じ制服に身を包んだ少女が口を挟んだ。暗くなった風景から浮き上がって見えるほどの白い肌をしていて、まるで日本人形のような印象を持つ娘である。肌と対照的に黒い髪か頬の高さで切りそろえられているので、余計に強く見る者にそう感じさせるのだ。

「どっちが悪いか、ハナちゃんだって判るでしょ」

 いまと同じように彼女が「剛腕」を振るっている図書委員会において、昨年度と同じように右腕として活躍してくれている岡花子を、由美子は振り返った。

 花子はちょっとだけ膨れた。

「なあに? まるで私がいつも考え無しな言い方」

「あ、そういうつもりじゃなくて…」

 いつも男子相手に苦労の多い委員長職を執っている由美子であるから、こうした女の子な反応にはちょっと慣れていなかった。

「こいつらが閉館を邪魔しようとしたのは事実だろ」

 と八つ当たり気味に。この場にいた男子どもを指差した。

「邪魔?」

 花子の横に立つ長身の女子が、不思議そうに首を傾げた。並みの男子よりも高くスラリとしていて、厚ぼったい生地の制服に包まれていても、その肢体が女性らしい曲線で形成されているのが、容易に想像がついた。

 そうした肉体に負けないほど、面差しも普通の女子とは段違いのレベルをした美少女だった。

 かの芸術家であり博学者でもあったレオナルド・ダ・ヴィンチが美の中に発見したと言われている黄金律を、世界最強のスーパーコンピュータにぶち込み、複雑な計算を乗り越えた末に何もない空間に映像を投影しているかのような、現実味が無くなるほどの美しさであった。

 花子が和風美人と言うなら、彼女は究極美人とでも形容しようが無いような少女だった。

「なんか話しかけたり、わざと散らかしたりしてたのは見てたけど…」

 形の良い唇をすぼめると、腱など通っていないと思えるほど細い指を当てた。

「全部、王子の『必殺アームストロングパンチ』に飛ばされていたような…」

「ブッとばすんだって手間がかかるのよ、コジロー」

 由美子を王子と呼び、そしてコジローと呼ばれた彼女の名は佐々木恵美子といった。その呼び名の由来は剣道部のエースとして活躍しているところと、その苗字から連想する有名な剣士からである。一方、由美子の王子という呼び名は、その由来がはっきりと伝えられていなかった。

「夏の夜に耳元で飛んでる『蚊』を払っているようでしたねぇ」

 昨年度までは由美子、花子、恵美子の三人娘で、図書室の綺麗どころは打ち止めであった。が、今日はもう一人、恵美子と同じぐらい背の高い女子が加わっていた。

「鞍馬さんだっけ? あんな先輩を見習っちゃダメよ」

 この場に残った唯一の一年女子の、鞍馬さくらである。赤いトンボ眼鏡をかけて、どことなくキョトンとした表情がよく似合う少女であった。

「何を言う」

 殴られて地面と仲良しになっていた男子が復活して胸を張った。

「是非とも反面教師として見習って欲しいものだな」

「空楽…。反面教師の意味判っていってるよね?」

 銀縁眼鏡をかけた真面目そうな少年が横から訊いた。もちろんわざと誤用しているのは想像できたが、いちおう確認のためだ。なにしろ発言したのが読書と居眠り、そしてアルコールを何よりも愛する不破空楽のことであるから、日本語において間違いは無かろう。

「あれ? 反面教師って、どんな意味だっけ?」

 空楽に訊かれて眼鏡の少年、権藤正美は凍り付いた。

「なあに空楽? 毛語録をしらないの?」

 正美の横から、集団の中で一人だけ清隆学園の制服ではない物を着た人物が口を挟んだ。肩にかけたディパックから、掌に収まるような小さな赤い表紙をした冊子を取りだして続ける。

「反面教師って、悪い見本っていう意味よ」

「それで、なんで毛語録が出てくるんだ?」

「最初に言ったのが毛沢東だからかな?」

「さすが正美。よく知ってるわ」

 パチパチと毛語録ごと拍手していると、その鳩尾に拳が叩き込まれた。

「いいかげんにしろ、オマエら」

 ギロリと睨む由美子。

「例の事件で時短になってンだから、とっとと解散しろ」

 どうやら時間稼ぎがばれたようである。ここ最近、清隆学園の周囲では猟奇的な殺人事件が連続して起きていた。そのため学園側は、生徒がそうした事件に巻き込まれないように、部活などの課外活動を速めに切り上げるように指導していた。もちろんそれに図書委員会の業務も含まれる。

「ンなだったら、新歓コンパなんて中止にすりゃあよかった」

 由美子がぼやく。今日みんなが遅くなったのは、時短にも負けずに強行されたその新歓コンパのせいだ。図書室を臨時休業し、さくらのような新一年生と、二年生以上の先輩方が親しめるようにと行われた。昨年度の図書室の運営は、委員会に所属する生徒たちにやる気が見られず、人手不足になりがちであった。今年度はそんなことが無いように、学年同士で親しめるようにと取りはからって行われたのだ。

「でも、王子のサックス聞けたし」

 恵美子が微笑みかけた。参加者はなにか一つ隠し芸をすることというルールが、決めるまでなく浸透しており、由美子は小さい頃から練習しているサックスの腕前を披露することとなった。

「ンまあね」

 指使いをとちることなく往年の名曲を吹けた由美子は、その点に関しては満更でもないようだ。

「凄かったですよぅ」

 さくらが恵美子に同調した。

「それに、コジロー先輩たちのダンスもぉ」

 ベタ褒めの言葉に、恵美子と花子は顔を見合わせて苦笑のような物を交わした。

 彼女たち二人と、空楽、正美を加えた四人は、先程から腹を撫でている人物を中心にして、五人一組のダンスを披露したのだ。

「でもぉ」

 さくらは不服そうに唇をすぼめた。

「向かって左側が不破先輩で、右が権藤先輩だった理由がわからないですぅ。身長だったら逆じゃないんですかぁ」

「あ、それはね」

 答えは簡単とばかりに恵美子が言った。

「仏頂面なのは不破くんで、なんとか表情が作れるのが権藤くんだったから」

「おぉ~」

 間延びした調子で、さくらはポンと手を打った。

「その点、コジローが右でハナちゃんが左というのはジャストだったな」

 空楽が花子を見た。彼女はいまさら恥ずかしくなったのか、白い頬を赤く染めた。

「完全再現でしたねぇ」

 さくらは、カウンター前に特設されたステージの一番近くで、一番拍手してくれた。彼女は五人が見せたダンスを思い出して最高の笑みをこぼした。

「惜しむらくは、コスまで揃えられなかったことか…」

 清隆学園男子は紺色のブレザーなので手間が少ないが、さすがに女子のセーラー服までは一揃えしか用意できなかった。一着だけとなると真ん中で踊る人が着ることになるわけで…。

「やっぱり…」

 水色をした大きめの襟をしたセーラー服に同色のスカートという姿で真ん中(センター)を勤め上げた人物が、頭に着けたカチューシャを揺らして言った。このセーラー服は、かつて年二回海辺で行われるイベントでの目撃率が高かったものだ。

「ENOZの再現の方がよかったかしら?」

「ちょっとまて」

 ジト目になった由美子が迫った。

「とするとオマエがバニーガールになるのか?」

 由美子から視線を逸らすと、一回だけ自分のセーラー服を見おろして言った。

「似合わないかしら?」

 問答無用に叩きのめした。

「バカ言ってンじゃないわよ」

「サトミはバニー、着たかったの?」

 この中でスタイル的に、バニーガールのコスプレが一番似合いそうな恵美子が訊いた。

「うん。ああいうのも一回は着てみたいじゃない? 女の子として」

 サトミと呼ばれた相手が笑顔を見せる。その途端に、由美子は顔に手を当てて深い溜息をついた。

 自分だけかと思ったら、その場にいた大半の人間が、同じような溜息をついていた。つかなかったのは、当人と恵美子、それと事情を知らない一年生のさくらぐらいなものだ。

「オマエなあ…」

「センパイならにあいますよぅ、バニーガール」

 さくらが純真に瞳を輝かせながら、指を組んで祈るようなポーズをした。

「あ、ありがと」

 気を呑まれたのかサトミが少しどもる。

 サトミが身に着けているのは、六甲トンネルが下に通っている山に建つという設定で有名な、某高校の女子用制服であった。

 そのセーラー服を着た人物が、何を隠そう郷見弘志といって、まぎれもなく「♂」であるところから話がややこしい。身長はこの中で一番高いが体つきが華奢で、こうして女物の服を普通に着こなしてしまうという変態である。しかも女物の服を着ているときは、サトミと呼んで女扱いしないと返事もしないという徹底ぶりである。今日のコスプレにあわせて、頭にショートのウィグまで被っていた。

 由美子は、さくらにサトミの正体を教えようと口を開きかけた。が、目があった恵美子が、人差し指を唇に当ててナイショのポーズをしたので思い直した。

(せっかく馴染んでくれそうな鞍馬さんが、このバカにおびえて明日から図書委員会に来てくれなくなっても困るし。ここは黙っておいて、慣れた頃に教えるか)

 そう考えた由美子は種明かしの代わりに別のことを口にした。

「じゃあ今日は解散な」

 そして空楽と正美を代わり番こに指差した。

「遅くなったんだし、嫌な事件も起きているし、オマエらはちゃんとコジローとハナちゃん守って帰るンだよ」

「言われなくともそうする」

 鼻を一回鳴らした空楽が、音もなく花子の横に移動した。

「ごめんなさい」

 花子が空楽に頭を下げた。

「今日は、これからお母さんの用事につきあわなきゃいけないから、JRの方まで歩かなきゃいけないの」

「お安いご用だ」

 自らは自転車通学の空楽は、花子にあわせて学園の北側にある河岸段丘を登ったところの駅まで歩くつもりのようだ。自転車があるのなら二人乗りという手もあるが、道路交通法でも校則でも禁止されているし、あまり男子が得意でない彼女は、空楽の腰に掴まることはできなそうだ。

「そっちは?」

 由美子は、これまた駅まで歩くつもりらしい、もう片方のペアを見た。

「わたしも、いつもと違って、あっちの駅まで歩く予定なの」

「バスじゃないの?」

 面白くなさそうに由美子の眉が片方だけ上がった。恵美子が指差したのは、花子とはまるっきり反対方向である。そちらには私鉄の駅が存在した。しかしその駅は、いつも利用しているバスが着く駅と、同じ路線の駅である。

「乗り換えが手間だし、駅からまたバスだし」

 確かにバスから電車で又バスでは、私鉄がそのあたりで高架線になっているので、上がったり下がったり大変である。

「で? なンでンなトコ行くの?」

「多摩川にある道場に、お客さんが来てるの。その方をウチまで案内しなきゃいけなくて」

 と、容疑者は意味不明なことを供述しており、引き続き捜査を重ねていく方針で…

「って、ひっどーい。容疑者ってなによ」

 つい思っていたことが口に出てしまったようだ。でも誰かのお迎えだったら、ココから全行程タクシーで済む話だ。それをわざわざ歩いて行くなんて、上げられる理由は少ないだろう。

「で? 鞍馬さんは?」

「これです」

 自分のバッグを前カゴに入れた標準的な自転車を目で差す、さくら。

「一人で帰すわけには行かないわよね」

 ハアと溜息をついて問題児に視線を移した。サトミも自転車通学なのは知っていたが、ドロップハンドルのロードレーサーという奴である。

「ンの格好でソレ乗るのかよ」

 なにしろ下は黒いハイソックスが丸見えの短いスカートだ。

「…」

 自分の格好を見おろしたサトミは、お構いなしにガバッと跨ってからスカートを尻とサドルの間に押し込んだ。

「なにか問題でも?」

「い、いや、なんでもない」

 いまスカートの中身が見えたような気がしたが、きっと気のせいであろう。もし見えていたとしても海馬が記憶を拒絶したに違いない。

「ま、気をつけて帰るんだよ」

 それぞれのペアに混じるように、校門の前から歩き出した。

「おねえさんも気をつけて」

 降りしきる雪のようだった花弁が、もうどこにも見つけられない桜並木で、花子が半分だけ振り返った。

「そうだぞ藤原さん。藤原さんも女なんだから…」

 空楽もキリリと顔を引き締めて言った。

「男ほしさに犯人を襲っちゃダメだぞ」

 由美子は問答無用で、その広い背中へ、ピンク色をした愛用のスニーカの靴底と同じ模様を、見事なまでくっきりとスタンプした。

「誰がじゃ」

「がっ。背骨がっ」

「でも、本当に大丈夫?」

 今度は恵美子が心配げな顔で振り返った。言外に(なんなら一緒に帰ろうか)と言っている気がする。

「あたしゃ、ソコからバスだし」

 桜並木からポプラ並木に折れると、すぐに国道に出る。信号で向こう側に渡ったところに、いつもの特急停車駅まで行くバス停がある。

 学園全体が盛り土の上に建っているので、緩やかな下り坂からバス停はもう見えた。

「バスが来るまで待っててあげる」

 七人で信号を渡ろうとすると、タイミングがいいのか悪いのか、丁度バスがその信号で引っかかった。

「あやや」

 七人で早足になって信号を渡って、由美子が定期を取り出す頃には、車道の信号が変わって、バスが到着した。

 さすがに乗るのが判るのか、乗車扉を開いて待っていてくれる。

「じゃあ、また明日な」

 ステップに駆け込んで振り返る。暗いバス停から六人が見上げているのが判った。

 一方は頼りになりそうな空楽に日本人形のような花子であるから、間違いなく姫を守る騎士といった風情。

 反対側は剣道部のエースと比較的ひょろい正美の組み合わせであるから、守る者と守られる者の立場が逆のような気もした。

 微妙な距離を保ちつつ並んでいるサトミと、さくらの自転車に不安を覚えた由美子は何か言おうとしたが、ブザーが鳴って扉が閉まってしまった。



「さて、鞍馬さんはドッチ?」

 北に向かう空楽たちと、南に向かう正美たちを見送ったサトミが訊いた。

「あっちです」

 さくらが指差したのは西であった。

「了解」

 暗くなってきたのでライトを点けて、ゆっくりと走り出す。

 二台の自転車は、彼女の案内で学園の周囲を巡る砂利道にハンドルを切った。学園の周囲には閑静な住宅地が広がっており、また住所は大都会東京のクセに田畑が広がっているところもある。

 そこから去年の秋祭りに、みんなで行った神社の裏へ抜けることができるのだ。

 あぜ道を舗装したような道が続くが、まだ農閑期であるから見通しだけはいい。これならば不審者がいても遙か遠くから発見できるので、全速力で戻れば逃げることも可能であろう。

「きょおは、楽しかったですねぇ」

 暗い中で会話が無いのは耐えられなかったとみえて、さくらがサトミに話しかけた。

「図書室に来れば毎日楽しいよぉ」

 サトミは彼女の口真似をしながらこたえた。

「そうみたいですねぇ。明日から休み時間にも行ってもいいですかぁ?」

「それは、わたしじゃなくて、姐さんに訊いて」

 流石に自分が責任者とは言い出さなかった。しかし、さくらはちょっと不満げに唇をすぼめた。

「?」

 そのまま、また黙ってしまったのでサトミは首を捻るばかりである。

 二台の自転車は神社の裏を通る細い坂道を登り、自然豊かな武蔵野の風景と別れた。河岸段丘の上は東京らしい開発された市街地である。建て売り住宅や団地、コンビニやら駐車場まで雑多な町並みとなる。

 花子が利用すると言っていた駅の、隣駅まで来たところで、さくらは自転車を止めた。

「?」

 止まり方が唐突だったのでサトミは彼女に振り返った。

「ウチ、ここなんですよぉ」

 さくらが指差したのは、黒い外壁のタワーマンションであった。

「ほへー」

 口を開けて見上げてしまう。駅前の一等地に建つだけあって「超高級」とか「三つ星」とか定冠詞がつきそうな立派な建物であった。

「もしかして鞍馬さん」

 屋上がヘリポートになっていそうな高層建築を見上げたままサトミが訊いた。

「はいぃ?」

「鞍馬さんチって、お金持ち?」

「そんなことはないですよぅ」

 否定はするが、たとえ低層階でも庶民には手に届きそうも無い佇まいであった。

「本当にココ?」

 念を押すサトミに、さくらは笑顔を作り直した。

「はい、そうですよぉ」

「じゃあ、もう大丈夫だね?」

 すると彼女の手が伸びてきて、セーラー服の袖を摘んだ。

「?」

 掴まれてしまったのでサトミは動けなかった。それは手を伸ばした彼女も同じらしく、赤いフレームの向こうで目をパチクリさせていた。

「どうしたの?」

 その問いかけに、自分がやっていることに初めて気がついたようだ。

「あ、えっとぉ」

 驚きの顔を隠せずに、さかんに瞬きばかりする。ようやく口を開くとこんなことを言った。

「今日、わたしの誕生日なんですよぉ」

「あら、あらあら」

 キャッチボールのごとく又サトミが驚く番だった。

「じゃあプレゼント用意しなきゃ。なにがいいかな?」

「じかん」

「え?」

「時間が欲しいです」

 先程までののんびりした声とは大分違った堅い声だった。

 その意味することが判らずに、サトミは首を傾けた。

「時間ねぇ。じゃあお茶でもする?」

「お茶じゃなくてご飯にしませんかぁ?」

 瞬き一つで元の口調が戻ってきた。

「きっと今日も一人で食べることになりますからぁ」

「じゃあファミレス?」

 この近くの店舗を頭の中で検索しながら確認する。それに対して彼女は不服そうな微笑みを返した。

「誕生日のケーキがファミレスのケーキですかぁ」

「えっと、いいのかな?」

 と一瞬困った顔になり、そして自分がサトミである事を思い出した。お年頃の女子の家に男子が押しかけるのは問題があるだろうが、女子が食事にお邪魔するのは、別段普通のことだろう。

「よし、じゃあホールで買っちゃおうか」

 頭の中の検索を、駅前の店揃えに切り替えて、サトミは自転車を降りた。

 幸い冬休み中のバイトが成功したおかげで懐の方は充分温かい。小さな誕生日パーティぐらいは開けるだろう。

「自転車置いて、歩いて買い物にしましょ」

「じゃあ、こっちに」

 さくらも自転車を降りて、入り口にテンキーロックがかかっているマンションの自転車置き場に案内した。置き場には自転車をガッチリとホールドする器具が並んでおり、部屋ごとに駐輪スペースが決められているようだ。さくらはサトミに来客用のスペースを教えて、自分は定位置へ自転車を引いていった。

 サトミは柱の影に入ると、背負ってきたディパックをゴソゴソとやり始めた。

「センパイ?」

 寂しい消え入りそうな声が自転車置き場に響いた。さくらは、自転車のカゴから自分の肩にバッグをかけて、探すような素振りをしていた。目を離した隙にサトミの姿が消えたので、不安になったようだ。

「じゃーん」

 下のスカートはそのままに、上をセーラー服からタートルネックのセーターに替えて、柱の影から現れた。

「あ、早変わりですねぇ」

「うん。さすがにコスプレで買い物は目立ちすぎるから」

「まさかーっ」

 コロコロ笑いながら、さくらがポンとサトミの肩を叩いた。

「町中のコスプレが恥ずかしいなんていう歳じゃあるまいしぃ」

「日本語の使い方、間違ってると思うぞ」

 ディパックを肩にかけてサトミが指摘した。

「さてと」

 仕切り直しで彼女の顔を見つめる。

「ケーキ?」

「ケーキ!」

「ケーキですか」

 たしかパティシエがやっているちゃんとしたケーキ屋が、駅のロータリーにあったはずである。他の食材も、ロータリー正面から北にのびる広い道沿いにスーパーがあったはずだ。

「それじゃあ、行こうか」

「行きましょおぉ」

 二人は連れだって駅前商店街へ繰り出した。

 ケーキ屋は駅にメンチ切ってるような立地場所にあった。ガラス張りの店構えで、歩道からも店内の様子が丸わかりな程である。

 カウベルじゃないかと思うぐらいの大きなドアベルを鳴らして入店すると、高いコック帽を被った女性が「いらっさいませ」を言った。

 縦に大人が三人は寝そべることができそうな長いショ-ケースの中には、ショートケーキからホールケーキまで見事に飾り付けられていた。

 サトミは迷わずホ-ルケーキが飾られている前に立った。だが飾られているのはどれも大きな三号とかのサイズである。二人で食べるにはちょっと大きすぎのようだ。

「どうする?」

 サトミは後ろを振り返った。さくらは手の甲で眼鏡を押し上げると、笑顔を作り直してガッツポーズを見せた。

「いけますぅ」

「こら。ダイエット気にならないの?」

 サトミの指摘にキョトンとした彼女は、そうっと自分の脇腹を制服の上から摘んでみせた。

「…」

 店内に緊張感のある沈黙がやってきた。

「いけますうぅ」

「ホントに?」

 サトミのツッコミに、また脇腹をつまみ、それから何を思ったのかサトミの脇腹へ手をのばした。

 視線が二人の脇腹を何回も往復した。

「いけますってばぁ」

 今度は泣き顔を作って、さくら。

「虫歯になるでしょ」

 まるで、お母さんのような事を言いながら、サトミは店員さんに振り返った。

「小さいサイズのホールはあります?」

「お作りすればございますが、少々お時間をいただきます」

「それはOKです。その間に他の買い物にいっちゃっても大丈夫ですか?」

「はい。他のお客様もよくご利用されますよ」

「それじゃおねがいします」

「プレートの方に字をお入れすることもできますが」

 サトミはまだ泣いた振りをしている彼女を、半分だけ振り返った。

「ほら、サクラちゃん。字は入れてもらうの?」

「はいぃ、おねがいしますぅ」

 ケロリと笑顔に戻った彼女が、子鹿のように跳ねてきた。

「それでは、こちらに」と店員が差し出したメモに自分の名前と歳を記入した。

「それじゃ、夕飯の買い物に行こうか。なに食べる?」

 ケーキ屋のドアベルを再び鳴らしながらサトミは訊いた。後に続いた彼女が、無邪気な様子で聞き返した。

「センパイは、お料理できるんですかぁ?」

「えっと…」

 サトミにできるのはレンジでチンするだけのレトルトだけだ。あとは飯盒炊飯の時に知っていると便利なカレー。

「鞍馬さんは?」

 昭和時代の大きなタイル貼りの歩道がまだ残っている道を歩き出しながら訊くと、さくらは口を尖らせた。

「サクラちゃん」

「は?」

「さっきぃ、サクラちゃんって呼んでくれたじゃないですかぁ」

「…」

 不満そうな彼女と見つめ合った。

「…さ、サクラちゃん」

「はいぃ」

 笑顔を爆発させてこたえが返ってきた。

「サクラちゃんは、お料理できるのかな?」

「ヤだなぁセンパイ、できるわけないでしょぉ。たった四年前には小学生だったんだからぁ」

「じゃあ出来合いの物でいいかな?」

 また口を尖らせるかと恐る恐る訊いてみると、その点は最初から気にしていなかったようで「はい」とうなずいてくれた。

「じゃあ、そこのスーパーで…」

 とサトミの言葉がふいに途切れた。

「どうしたんですかぁ? センパイ?」

 突然足を止めたサトミに、さくらが不思議そうな顔を見せた。

「ちょっと待って」

 真剣な顔で一軒のウインドーを見つめている。さくらは何をそんなに睨んでいるのかと、横から覗き込んでみた。

 そこは骨董品店であった。ウインドーの中には時代物の旅行鞄や、日焼けしたピエロの人形などが飾ってあった。

「これは…、まさか…」

 スカートの裾を気にしながらサトミがかがんだ。顔を近づけた先には赤と黒に塗り分けられた機関車が飾ってあった。

「機関車のオモチャですかぁ?」

「ただの機関車じゃないわ。BR一八じゃないの」

「???」

 首を傾げる彼女を半ば置き去りにして、サトミは開けっ放しの扉から店内へと入っていった。どこに仕掛けられていたのかセンサーが反応して電子チャイムがポロンポロンと鳴った。

「オジサン、表のメルクリンだけど」

 チャイムを聞いて出てきた初老の男に、前置きもなくサトミは切り出した。

「お? 嬢ちゃん目が高いね」

 ツッカケに足を入れて店主はシューウインドーに店内側から近づいた。

「古い物だから値が張るよ」

「どのくらい?」

 店主はニンマリ笑って両手の指を広げた。払えない金額ではないが、確認することがある。

「動くの?」

「そらあウチは骨董屋だ、模型屋じゃねえ。動くかどうかなんて試してみないことにはわからん」

「そっかー」

 サトミは唸り声を上げて腕を組んだ。壊れているなら高価な値段と言える。

「センパイセンパイ」

 後ろから、さくらがセーターを引っ張った。

「?」

「ほら、惜しい」

 見ると古い指輪を左手に填めようとしていた。残念ながら指輪の大きさが小さく、第二関節を通ることはできそうもなかった。

「お、そっちの嬢ちゃんも目利きだねえ」

 商売熱心なのか、それとも制服姿の女子高生と話せるだけで気分が高揚するのか、今度はさくらに歩み寄った。

 さくらが試していた指輪は、一見飾りのないシンプルな銀製の指輪に見えたが、一箇所だけ裂け目のような装飾がしてあり、そこにとても小さく赤色に光る石が隠れるように埋め込んであった。

「それは『ジョセイニの指輪』って言って、填めていると妖精が見えるっていう伝説の指輪だ」

 まるでスリのような手つきで店主は、彼女から指輪を回収した。

「じょせいにのゆびわですかぁ」

 さくらの目が丸くなった。それに対して額に手を当てていたサトミは、伏し目がちに言った。

「まさか、この店って『牛若丸が三歳の時の頭蓋骨』とか、『クレオパトラの愛用した扇子』とか置いてないよね?」

「牛若丸の物はないが『太閤秀吉が温めた信長の草履』ぐらいならあるぞい」

 はあ、と深い溜息をつくサトミの前でカンラカンラと笑い出す店主、二人の間で、さくらだけが話しが判らない様子でキョトンとしていた。

「お邪魔したわね」

 パッときびすを返すサトミ。

「お嬢ちゃんは骨董という物を判っておらんようだな」

 残念そうな声が背中を追いかけてきた。

「それが判ったら、またおいで」

 とっとと行ってしまったサトミのセーターを、さくらは摘んで止めた。

「先に行かないで下さいよぉ」

「ああ、ごめんなさい」

 瞬き一つでいつもの笑顔を取り戻し、彼女に合わせて足運びを緩くする。それでもどことなく不満そうなサトミの顔を覗き込むと、さくらは笑顔を作り直して言った。

「センパイも修業が足りないようですねぇ」

「そお?」

 ペチっと自分の頬に手を当てたサトミは、その半分だけ顔を隠したままの状態で後輩の女子を見おろした。

「?」

 凍り付いたかのように見つめられて、さくらは首を傾げた。

「もしかして、本気でアノ指輪欲しかった?」

「女の子ですからぁ。指輪とかぁ、ネックレスとかぁ、大好物ですよぉ」

「そうだよねー」

 そこでサトミは自分がサトミなのを思い出して、軽い口調に戻した。



 終始楽しそうな様子ではしゃぐ彼女と、スーパーの惣菜コーナーでカラアゲやらサラダなどを買い込んで、ついでにレンジでチンするだけのパックされたご飯も仕入れた。飲み物はなぜかコーラに拘りがあるようで、二人じゃ飲みきれないような、ドでかいペットボトルを買い込んだ。

 もちろん帰り道にケーキ屋に寄ることも忘れなかった。

 荷物は夕食の分がサトミ担当で、ケーキがさくら担当だ。ペットボトルの分でサトミの方が圧倒的に重いが、ディパックで両手が使えるので、まあ納得の配分であろう。

 タワーマンションには駅に向かって入り口が二つあった。広い間口の自動ドアが、マンション上階に入っている高級レストランやトレーニングジムなどを利用する一般利用者のためのもの。こちらからは住居スペースには行けないようになっている。もう片方の間口が狭い自動ドアが住民用である。

 さくらは迷わず狭い入り口の方へ行き、玄関口のコンソレットの前で立ち止まった。

 片手だけで肩にかけたバッグから鍵束を取りだし、その内の一つを鍵穴に差し込んだ。確認する涼やかな電子音と共に自動ドアがスライドした。

 真っ直ぐ行けば小さなエレベーターホールだが、脇道にそれてたくさんの数字と鍵穴が並んだ部屋を通過する。

 どうやら、その一つ一つが郵便ポストの受け取り口らしく、それぞれに緑や赤のLEDが点っていた。明かりの色で投函の有無が判るようだ。

 さくらはその部屋を通過して、もとの廊下に出た。その様子から今日の郵便物は無いようだ。後に続くサトミは、迷子になりたくないので、彼女の背中について行くばかりだ。

 エレベーターホールに備えられたカウンターには厳つい顔をした警備員が座ってなにやら書類を確認していた。

 さくらは、その警備員とは顔見知りらしく軽く会釈を交わして、カウンターの前を通った。サトミもつき合いのように頭を下げて彼女の背中に続いた。

 エレベータは呼び出しボタンを押した直後に扉が開いた。まるで彼女の帰宅を待っていたようだ。

 ケーキを片手で提げているさくらが、ケージのボタンを押し込む。その階数を見てサトミは目を丸くした。

 ズウーンとモーターの駆動音が遠くから聞こえてきて、階数表示がどんどんと加算されていく。

 エレベータはほとんど最上階と思われる階で止まった。

 当たり前のようにおりる彼女に続いて、おっかなびっくりといった態でサトミが続く。そこは変形した五角形といったホールだった。エレベータを待つためのベンチと、目を休ませるための観葉植物が飾られた坪庭風のスペースがあるだけだ。

 ホールからはごく短い廊下が四方に飛び出しており、その一つに彼女は向かった。サトミがどんな時も失わないように心がけている方向感覚からして南向きにあたる部屋の玄関扉に鍵を差し込んだ。

「どうぞぉ」

 鍵ごと握ったドアノブで玄関扉を支えて、さくらが招き入れた。

「ええと、お邪魔します」

 サトミがお辞儀をしながら扉をくぐった。

 扉が閉められると真っ暗になった。正確に言うと廊下と思われる空間の先にある照明が点っているのだが、遠くてここまで明るくしてくれないのだ。

「いまスイッチ入れますねぇ」

 さくらの声と同時に明るくなった。昼光色の中でサトミを振り返って微笑んでいた。

 二人が立っていても狭さを感じさせない程の広い玄関は大理石張りである。そこで彼女は靴を、足だけ使って脱ぎ捨てた。サトミの履いているのは、いつものハイカットスニーカなので、荷物を廊下におろして、靴紐を解きにかかった。

「ん?」

 サトミが鼻をひくつかせた。普通の家ではあまり嗅がないような匂いが籠もっていた。ホコリ臭に、あとはごく軽い腐敗臭のようなものである。強いて言えば廃墟に入った時に嗅ぐような匂いであった。

 匂いの正体は何であろうかと考えている間に、先に上がった彼女が、向こうに点いている照明のすぐ手前の部屋にケーキを置いて戻ってきた。

「すぐにご飯にしますぅ?」

 廊下に置いたスーパーのビニール袋に手を伸ばしながら訊ねてきた。

「えっと…」

 サトミは匂いの原因を尋ねようとして彼女の顔を見た。彼女もまたサトミの顔を見つめ、そしてコロコロと笑い出した。

「?」

 訝しむ間もなく

「アナタぁ。食事が先ですかぁ? それともお風呂ぉ? そ・れ・と・もぉ」

「あのね…」

 サトミは自分の顔に手を当てて表情を隠した。

 自分のいつものペースがドンドン崩されている自覚が出てきた。

 さくらは玄関の明かりを消すと、代わりに廊下の明かりを点けた。左右に木調の扉が複数存在している。

「ん~」

「どうしましたぁ?」

 先に立つ彼女が、不思議そうに振り返った。サトミの視線が白くなった廊下の隅で止まっていた。暗くなった玄関には彼女の小さな靴と、いま脱いだサトミのスニーカだけである。

 廊下を通り、さくらがケーキを置いた部屋まで来る。そこは対面式のキッチンスペースで、明かりが点けっぱなしだった居間とはカウンター形式のシステムキッチンを捲いた腰壁でだけ区切られていた。

 キッチンの作業台には調味料のボトルが並んでいた。それもただの塩や醤油が並んでいるのではなく、料理酒だけでも「みりん風」「調理用」「日本酒」と三種類はラベルが読み取れた。醤油に至っては五種類も並んでいるような勢いである。

「ふむ」

 ただ、そのどれもがホコリを被り、流しには食器が積み重ねられているのだった。もっと凄いのは床で、大小様々なゴミ袋に生活ゴミが包まれて放置されていた。

 匂いの半分はここが原因のようだ。

「とりあえずぅ、テレビでも見てて下さいよぉ」

 四人分のダイニングテーブルが置かれた洋風の居間に、段差もなく繋がった六畳ほどの和室には、コタツが組んであった。

 さくらは、その天板に置いてあったリモコンを手に取ると、同じ和室の窓際に置かれた大画面テレビの電源を入れた。

「着替えてきますねぇ」

 リモコンを放り出して廊下を戻っていく。その背中を見送ったサトミは、和室の入り口にディパックを下ろすと、テレビの見える角に座った。

 夕方のニュースを流しっぱなしにして、室内の様子を観察する。

 コタツの上には何も置いていないが、畳には毛布が山になって置いてあった。天板は食事の痕跡が汚れとして残っており、ここが生活スペースであることは間違いないようだ。

 そのまま居間に視線を移すと、いちおうは片付けられたスペースになっているようだ。

 だがダイニングテーブルの上には、開けられていない広告やら通知などの封書がだいぶ積み上がっており、一見ワックスが塗り立ての床には、廊下と同じような薄くて白い埃の層が、表皮のように一面覆っていた。

 寒々としている壁にかけられたエアコンも、新品同様のままで使われた形跡すらなかった。

「ふむ」

 唯一、ペット用の水飲み器が和室の隅に置いてあった。他に生物の気配は無かった。

「おまたせしましたぁ」

 サトミに合わせたのか、上はタートルネックのセーターに、ジーンズという姿で、さくらが顔を見せた。

「さてと、準備しますか」

 サトミはスカートを裁きながら立ち上がり、キッチンスペースに行った。

「とりあえずコーラ冷やす?」

 見上げるような両開きの冷蔵庫に手をかけて、さくらに訊ねる。

「そうですねぇ。氷を入れれば冷たくなるんじゃないですかぁ?」

「それもそっか」

 さくらが、作業台下に備え付けられた食洗機からお皿を取り出して、買ってきた物を適当に並べはじめた。

「お茶碗ある?」

「えっと、そこらへんにぃ」

 細い指先が向いたのは流しに積まれた食器の山だ。

「じゃあ直接食べちゃおうか」

 幸いこのレトルト米は、容器がそのまま器として利用できるタイプの物だった。その提案に、さくらは人差し指を頬に当ててしばし考え込んだ。

「お誕生日にパックの容器ですかぁ」

「じゃあ洗う?」

「ん~、めんどくさいですなぁ」

「そうゆうこと」

「そうゆうことですかぁ」

 背後のガラガラな食器棚に填め込むようにして電子レンジが設置されていた。容器の表に書いてある温め方を確認してセットする。

 お総菜の方はスーパーで売られている段階で、温ケース内にて販売されていたため、まだ冷め切っていなかった。

「こっちも温めますぅ?」

「わたし、猫舌だから」

「あぁ~。じつはわたしもなんですぅ。じゃあこのままでいいですねぇ」

 電子レンジがプログラムされた音楽を奏で始めた。温めが終了かと思いきや、三十秒前から温め終了の予告で流れるものらしい。右上にある液晶画面がそのあたりから秒数をカウントダウンしていた。

「ならべちゃいますよぉ」

 皿に揚げ物、ボールにサラダを移した彼女が、TVが流れっぱなしの和室へその二つを運んでいった。

 サトミも直にパック容器を掴むことをしないで済むように、食洗機の中から適当な皿を二枚取りだして、作業台に並べた。

 ふと思い付いて冷蔵庫を開いて中を確認した。見事なまでにカラッポだ。チューブの練りわさびが一つだけ転がっているだけである。

 次に冷凍庫を開く。そこもほとんどカラッポで、病気で熱を出したときにお世話になる保冷枕が入っている程度だった。組み込まれている自動製氷器から備え付けの十能で、食洗機から出したコップに氷を一杯移した。

「もてますかぁ?」

 さくらがコーラのペットボトルを抱えて、サトミの手元を覗き込んだ。

「熱いのに、冷たいの。熱膨張で大変なの」

 丁度終了の合図に変わった電子レンジから、パックのご飯を取り出しながら、戯けてみせた。

「どちらか持ちますよぉ。あれ?」

 ペットボトルと一緒に、二つのコップに手を伸ばした彼女が首を傾げた。

「センパイは氷、いらないんですかぁ?」

「うん。わたし、炭酸には氷入れるの嫌いなの」

「変な習性ですなぁ」

 その一言で納得した彼女は、二つのコップを長い指で絡めるように持つと、コタツに置きに行った。

 サトミがご飯を持っていけば、ささやかな食事の準備が終わった。

「さきにロウソクに火を点ける?」

「お楽しみはとっておきましょう」

 さくらは、ペコちゃんのように舌を出して、二つのコップになみなみとコーラを注いだ。

 そこが定位置なのかコタツと壁の間が彼女の席、そことは九〇度横のテレビに正対する位置がサトミの席として準備されていた。

 電源の入っていないコタツに足を突っ込んで、コップを持ち上げた。

「それじゃあ誕生日に乾杯」

「かんぱーい」

 とびっきりの笑顔であった。



 いくら女子と、女子のような者とはいえ、食べ盛りの高校生が二人である。皿は瞬く間に空となった。二人きりで誕生日の歌を唄って切り分けたホールケーキも無くなるのが早かった。

 腹が満たされれば新歓コンパで大騒ぎした疲れもあり、ゆったりと時間が過ぎるままとなった。二人は無言のまま、とくに見る番組があるわけもないテレビを流しっぱなしにしていた。

 先程まで無邪気な様子を見せていた彼女は、背後の壁に寄りかかり、泣きそうな顔で画面を向いていた。

 さくらのそんな様子に、サトミも口をつぐんでしまった。ただコタツに座っているのがつらくなったので、さくらの真似をして、ちょっと外れた場所で壁に寄りかかった。

 テレビ台の横に置かれた小さな目覚まし時計だけが時間の経過を告げていた。

「さてと…」

 そろそろいいかと切り出す。

「ご家族が帰ってくる前にお暇しないとね」

「帰ってきませんよぉ」

 久しぶりの会話に驚いたような顔を見せる彼女。

「あ、やっぱり?」

 薄々感づいていたことを告げる。

「残業かなにか?」

「いないんです」

「は?」

 目をパチクリ。

「わたし、家族がいないんですよぉ」

 学校で見せる軽い調子のままで言い切られて、サトミが短く絶句した。

「一人暮らしってこと?」

「まあ、そうですねぇ」

「ご両親は?」

「死にました」

 自分の中で予想していた答えよりもヘビーな内容を、これまたあっけらかん言われて、サトミがまた二の句が継げなくなる。

「死んだって?」

「去年一緒にアメリカで飛行機事故に遭って、わたしだけ生き残っちゃいましたぁ。バカですよねぇ、子供を庇って死んじゃうなんて」

「そら親心って奴じゃないの?」

 自分もそんな物を見たことが無いが、サトミはいちおう彼女のご両親の心情を想像してみた。

「一人だけ残された子供が、寂しい生活を送るなんて考えなかったんですかねぇ」

「ええと、親戚とかは?」

「おばあちゃんがいますよぉ」

 保護者らしい存在があって、他人のはずのサトミはホッとした。

「たまに様子を見に来てくれますけどぉ。ちょっと複雑なんですよねぇ」

 さくらが身振り手振りを加えて説明してくれたところによると、彼女の唯一残された親戚であるところの祖母は、母方であるらしい。

「でもぉ、お姑さんと折角うまく行っているのに、関係性を壊されたくないんだとかぁ」

「おばあちゃんのおしゅうとめさん?!」

 高齢化ここに極まりという語句を聞いてサトミは目を白黒させた。

「おばあちゃん、まだ五十代ですよぉ」

「え?」

 素早く計算してみると、まあ不自然な数字ではないが、晩婚化が社会問題となっている昨今では珍しいケースではある。

「わたしのおかあさんを、母子家庭で苦労して育て上げて、やっと、おとうさんと婚約して片付いたって事で、おばあちゃんもずっと交際していた人と再婚したらしいんですぅ。新しい旦那さんには、お姑さんもお子さんも、お孫さんもいて、いまさらわたしを引き取ることができないとかぁ。まぁ、誰にも幸せになる権利ってありますもんねぇ」

 他人事のように、さくらは言った。

「でも、それじゃあサクラちゃんの幸せは?」

 サトミの指摘に、赤いトンボ眼鏡の向こうで大きく瞬きをしてみせた。

「わたし幸せですよぉ」

 何か不思議なことがあろうかという口調であった。

「おばあちゃんの連れ子ならぬ連れ孫とかで、向こうの家に入ったら、煩わしい人間関係に悩まされると思うんですよねぇ」

「そのくせ…」今日、オレを誘ったじゃないかと続く言葉を飲み込んだ。

 だが口に出さなくてもサトミが言いたいことが判ったようで、さくらはまた不思議そうな顔をしてみせた。

「寂しかったんでしょぉ? センパイがぁ」

「オレが?」

 つい一人称に地が出た。

「だから、あんなバカ騒ぎやらかしたりしたんじゃないんですかぁ?」

「まいったな…」

 スカートごと膝を立てて抱え込んだ。それで自分がいまサトミであることを思い出した。

「わたし、そんなに痛かった?」

「見ていて痛々しかったっていう意味ですかぁ?」うーんと首を傾げて目線を戻す「痛い程のことは無かったと思いますけどぉ」

 さくらは、畳の上をお尻で歩いて、サトミへにじり寄った。

「まぁ今日はわたしの誕生日で、センパイの時間を貰ったんですから、一緒に居てくださいねぇ」

 さくらの右手がのびてきて、幼子がやるようにギュッとサトミのセーターを握りしめた。その様子に(なんだ、お互いさまなのか)とサトミは安心した溜息をついた。

 さくらは、オデコをサトミの肩口にあずけると、体を弛緩させた。溜息のような欠伸をしてみせる。

「こらこら、寝るな」

「わたしが貰った時間ですものぉ。どうやって使ってもいいでしょ?」

「サクラちゃんが寝ちゃったら、わたし帰れなくなっちゃうでしょ」

「じゃあ朝までぇ」

「こらこら」

 いちおう本当の性別は「♂」なので、お年頃の女の子に寄りかかられて欲望が刺激されないこともない。

「さすがに明日もあるから、帰らないと」

 顔を上げると、さくらはじっとサトミの顔を覗き見た。

「じゃあぁ。わたしが寝ちゃったら、勝手に帰っていいですぅ」

「そういうわけには行かないでしょ」

 女の子の一人暮らしだから、普通の家庭よりも戸締まりには気をつけなければなるまい。ここで彼女が寝入ってしまったら、誰が玄関の鍵をかけるのだろうか。

 咄嗟に外からカギをかける方法を、三通りは思い付き、そのどれを採用するかで悩む。

「じゃあぁ、わかりましたぁ」

 ついと彼女が離れると、四つんばいで這って、テレビ台の下にある引き出しから何やら取りだした。

「はい、これでいいですよねぇ」

 とコタツの天板に置いたのは、先程まで彼女が使用していたのと同じ、この部屋の鍵であった。かつて家族の誰かが使っていた物らしく新品ではなかった。

「これで鍵をかけられますよねぇ」

「ま、まあそうだけど」

 畳の上に山にしてあった毛布を回収しながら戻ってきた彼女は、足をコタツに戻すと、その毛布に頭までくるまった。

 そっと右手だけが毛布の下から差し出されて、再びサトミのセーターの裾を握りしめた。

 抱きしめあうとか、寄り添って腕枕とか、男と女の関係よりも遥かに間を取ったまま、さくらが静かになった。本当に寝てしまったのか、それとも狸寝入りなのかも、顔まで毛布に隠されてしまったので判断がつかなかった。

 静かな寝息のような呼吸音と、その柔らかい音に合わせて上下する毛布。それ以外の出力が無くなった。

「やれやれ」

 サトミはそこだけが意思を示している右手を見おろした。寝入ったにしては握力が全然抜けていなかった。また溜息をついたサトミは、天板のリモコンを取り上げると、TVのボリュームを半分にして、チャンネルをニュースに切り替えた。



 窓越しに見える東京は、すっかり暗くなっていた。満天の星空の代わりに、足元に同じ物を敷き詰めたような光景を見おろすことができた。

 時たま横切っていく光の帯は電車であろう。

 左袖を掴まれたまま、そういった物を眺めていた耳に、トトトという軽い足音が聞こえた気がして首を巡らせた。

 今までどこに隠れていたのか、一匹の三毛猫が居間を横断して、和室の隅にある水飲み器までやってくると、喉を潤した。

 やることもないので観察していると、こちらを振り返り「おまえは誰だ?」と言わんばかりに睨んでくる。

 相手は猫なんだから、そんなことは必要ないかと思えるが、とりあえず愛想笑いを返しておいた。

 三毛猫はそれで納得したのか、もう人間には興味なさそうに、ヒゲについた水滴をプルプルと体を振って飛ばすと、また居間を横断して姿を消した。



「はあ、すっかりおそくなっちゃったわね」

 閉じられた校門の前で藤原由美子が振り返った。

「藤原さんが余計なことするから」

 舌打ち混じりに不破空楽が言った。

「あ? あンだって?」

「かっ…、はっ…」

 空楽は、何も言うことができずにアスファルト舗装の地面へと崩れ落ちていった。沈むにつれてゆっくりと食い込んでいた由美子の拳が、鳩尾から外れていく。

「ただの戸締まりだろうが。それを邪魔しようとしたのはオマエらだろうが」

 夕陽が大分傾いて昏くなり始めた校門前で、地面に這い蹲った空楽を見おろす由美子。今日も日課の最終チェックを邪魔されたのだ。

「まあまあ、おねえさん」

 見かねて横から岡花子が口を挟んだ。

「だって、こいつらが閉館を邪魔しようとしたのは事実でしょ」

 と、この場にいる男子たちを指差した。

「邪魔?」

 花子の横に立った佐々木恵美子が、不思議そうに首を傾げた。

「なんか話しかけたり、わざと散らかしたりしてたのは見てたけど…」

 形の良い唇をすぼめると、腱など通っていないと思えるほど細い指を当てた。

「全部、王子の必殺アームストロングパンチに飛ばされていたような…」

「ブッとばすんだって手間がかかるのよ、コジロー」

「あれえぇ?」

 ルーチンワークのような会話に、ここで素っ頓狂でいて、なおかつノンビリとした声が入った。

「既視感ってやつですかねぇ? なんか最近、こんな会話をしたばかりのような気がぁ」

 今日も三人娘にプラスして、鞍馬さくらの姿が加わっていた。彼女は赤いフレームのトンボ眼鏡の向こうで目を丸くしていた。

「まさか、これで一万五千四百九十八回目なんて言わないですよねぇ? ハナちゃん先輩ぃ」

「大丈夫よ」

 しっとりとした見る人に安心感を与える微笑みで花子は答えた。

「同じようなことを繰り返しているけど、ちょっとずつ違っているから」

「それってぇ」パチクリと瞬き「盆踊りに行かなかったのが二回とか、アルバイトの内容が六種類とかですかぁ?」

「だって今日は郷見くん、いないでしょ」

 さくらは、そう指摘されて振り返った。昨日は七人いたはずなのに、今日は六人しかいない。

「おやぁ?」

 首を捻る彼女は、腕組みをした空楽に訊いた。

「昼には、いましたよねぇ」

「あいつならば、今日は放課後早くに抜けたぞ」

「そういえば、いつもより静かだったな」

 こちらは図書室の平穏を保つのに毎日苦労している由美子。なにせ郷見弘志が居るのと居ないのとでは、騒ぎの大きさが変わるのだ。彼にかかったら小石に蹴躓いた程度の事が、いつの間にか国家転覆のきっかけにされかねない。そんな根っからの騒動屋なのだ。

「って、鞍馬さんは郷見のこと…」

「ええ、はい」

 さくらは笑顔を作り直して言った。

「昨日は男らしくエスコートしてもらいましたぁ」

「ほら王子」鬼の首を取ったように恵美子が言った。「郷見くんだって男の子なんだから、女の子をちゃんとエスコートできるのよ」

「そらあ、そうだろうけど…」

 いまいち信用しきれていないような由美子。「本当に大丈夫だった?」とばかりに彼女の顔を見た。

「はいぃ」

 さくらは、とびっきりの笑顔で言った。

「昨日は(お誕生日で)一つ大人になれましたぁ。センパイは寝るまで一緒にいてくれてぇ」

 稲妻のような衝撃が走った。

 女子はおもに顔を赤くし、男子は顎を地面まで落としかねない勢いだ。そんな中で、左手だけで描いたデッサンのような顔になった由美子が、わなわなと震えていた。

「不破! ふわぁ!!」

「はっ。お庭番はいつも殿(との)のお側に」

「誰が“殿”だ」

 アスファルトに膝と拳をつき一礼する空楽にパンチ一閃。

「あのバカはドコにいるっ!」

「いま現在、あ奴はF中警察署にいることが確認されておりまする」

 鼻を押さえて答える空楽。いつもと違って手加減を間違えて鼻血でも吹いてしまったのかもしれなかったが、構った事じゃなかった。

「F中警察署?」

 富士の樹海にある研究所やら、猿島にある秘密基地といったいかにも怪しげな答えでなく、意外な場所に目を点にする由美子。

「アに? あのバカとうとう捕まったの?」

「いえ、まだのようでございます」

「まだって…」

 突然始まった姫とお付きの忍者というコントを、横から唖然と見ていた正美が茶々を入れた。

「いずれ逮捕されるのは既定路線?」

 その問いかけに、恵美子が彼の肩口を摘んでツンツンと引っ張った。振り返るとフルフルと首を横に振っていた。

「情報に寄りますと…」

 空楽は上着の内ポケットからスマートフォンを取り出すと、どこかに接続させた。

「警察により参考人聴取だとか」

「さんこうにん?」

 由美子が目を瞬かせた。

「あのバカに訊く事なんて…」

「いちおう、ああ見えても科学のエキスパートでございますゆえ」

 スマートフォンを仕舞いながら空楽が補足した。いつもバカ騒ぎをしている弘志であるが、科学の(偏った)知識は相当の物があり、ある分野において書いた論文が科学誌に掲載されたこともある。だがその知識も、騒動屋としての血が騒ぐのか、清隆学園においては怪しげな発明や人体実験へ向けられているという、はた迷惑な方向にしか浪費されていなかった。

「それか…」

 由美子はじっと跪く空楽を見おろした。空楽は主の意を得たりと一つ頭を下げた。

「おそらく」

 清隆学園高等部が時短になっている原因は、周辺で起きている連続猟奇殺人事件のせいである。三月には市内の中学生が、その次に会社帰りのOLが、そしてつい先日、学区が隣接する別の高校の女子生徒が犠牲になった。

 その事件現場は、すべてここから歩いていける距離であり、先走ったマスコミなどによる、さも清隆学園に関わる誰かの犯行ではないかという報道すらあった。

 過去の事例において、自己が悲惨な事件に巻き込まれた事のある人間は猟奇殺人を起こす傾向があった。また精神科に通院歴のある人間が容疑者リストに入れられるのも不思議なことではない。さらに科学の知識が豊富で、事件現場に近い学校に通っているために土地勘もある。

 彼女は彼がそういった項目に当てはまることを知っていた。以上のことから由美子の偏見を差し引いたとしても、心証だけで真っ黒であった。

「馬をもてい!」

「御意」

 由美子の一言で、空楽が通学に愛用している自転車を差し出した。とたんに彼女の拳が彼の脳天に落ちて、小気味のいい音があたりに響いた。

「ンなヤツに乗れないでしょ!」

 空楽の愛車は、弘志と同じようなドロップハンドルのロードレーサータイプなのだ。昨日は器用にサトミとして、弘志がスカート姿で跨るのを見ていたが、同じ事が自分にできるとは思えない。

「しからば現地調達を…」

 どこからか先を曲げた細い金属棒を取りだした空楽に、再びゲンコツが落ちた。

「も、いいわ。バスで行くから。最寄りの駅はドコ?」

「…」

 しかし、その問いに対する返事はなかった。不思議に思い空楽を見おろすと、アスファルトへ大の字にのびた彼の脳天から、真新しいタンコブがムクムクと成長している最中であった。



 都市間の流通を担っている大型トラックが、自家用車に割り込まれたのか、けたたましいクラクションを鳴らしながら国道を走っていった。

 反対車線を都心へ向かう車の列は、まるで赤色に染まった戦場の河のようだ。すべてがブレーキランプで埋まっている。

(事故渋滞でもしているのかな?)

 歩いてF中警察署から出てきた郷見弘志は、警察署前を横切っている国道を見て、漠然とそう考えていた。

 その無表情に近かった顔が、キョトンと驚いた顔になった。

 ちょうど駅の方から、同じ清隆学園の制服を着た者たちが歩いてくるのが目に入ったからだ。

 先頭を歩くのは自転車を引いた空楽。案内されている女子二人は、由美子と、昨日一緒だったさくらだった。

 さくらも自分の自転車を引いており、国道の狭い歩道では由美子と並んで歩くのに苦労しているようだった。

 いつもの何を考えているか判らない微笑みを取り戻した弘志は、三人と警察署を見比べた。

「よ」

 車寄せになっていて歩道に余裕が出来るところで待っていると、まず空楽が手をあげた。

「ほい」

 空楽に答えて右手を軽く上げる弘志。そして身長差から由美子を見おろしてニヤニヤ笑いのまま言った。

「姐さん、自首?」

「誰が、なんの罪でだっ」

「藤原さんが傷害罪でだろ」

 通行量の多い国道だというのに、腹を押さえて地面に倒れ込んだ弘志の代わりに、空楽が指摘した。

「ちがいますよぉ、フワ先輩ぃ」

 にこやかに赤いトンボ眼鏡を手の甲で鼻の上に押し上げながら、さくらが言った。

「そこは傷害じゃなくて、殺人もしくは殺人未遂で」

「クラマ~っ」

 視線だけでそれを為しそうな目つきで由美子は、さくらを振り返った。

「いてて、で? なんでここに?」

 一番殴られ慣れているのか、他の人よりはやく復活した弘志が訊ねた。

「そらあ、そのお…」

 改めて訊かれると照れがでるのか、由美子が言葉を濁した。さくらは、それを横目で見て口を開いた。

「委員長はバスと電車を乗り継いでぇ。私とフワ先輩は自転車で先回りしてぇ、駅で待っていたんですぅ」

「ふ~ん」行程を聞いていた弘志は、空楽に目を移した。

「空楽がハナちゃんと一緒に帰らないなんて。よっぽど、よっっっっっぽど、姐さんに脅迫されたんだねぇ」

「わかってくれるか」

 自転車を自立させて空楽が腕組みをすると、うんうんとうなずいた。ちょっとビクビクしているのは、横の由美子が指を鳴らしているからだ。

「まあ正美とハナちゃんはコジローに任せてあるから」

「そこは、ゴンドウ先輩にぃ、二人を任せたのでわ?」

 さくらは、この中で唯一恵美子の実力を知らなかったので、なんの冗談ですかとツッコミを入れた。

 一旦彼女の顔へ視線を移した二人は、顔を見合わせると「ふう」と溜息をついた。

「で?」

 これまた腕組みをした由美子が下から睨み付けた。

「『で?』って?」

 弘志がいつもの笑顔で聞き返した。

 そのまま、何も訊かずに由美子は弘志の顔を見つめ続けた。弘志は相変わらずニコニコした笑顔のままだ。

「はぁっっっっくしゃん!!」

 溜息かクシャミか判らない物を由美子がした。とたんに四月も後半だというのに、冷え込んだ大気を感じたのか、腕組みから自分の肩を抱く仕草に変えて、体を震わせた。

「あらいけない」

 弘志は自分の上着を脱ぐと、由美子にそっとかけた。

「センパイ?」

「弘志、貴様…」

 上着の下から現れた物を見て、まずさくらが、次に空楽が絶句した。

「ん? なんじゃそら」

 ズビズバーと乙女に似合わない様子で洟を啜った由美子も、それに気がついた。

 弘志の薄い胸にはショルダーホルスターが捲かれており、そこに銀色に光る銃が入れてあったのだ。

「おぬし、それでよく無事に警察署から出てこられたな」という空楽の指摘に「なんで?」と当たり前のように聞き返す弘志。

「そんなオモチャを持ち歩いていたら、速攻で捕まると思うが?」

「これ?」

 弘志はホルスターから金属の塊のような物体を抜いた。正確にワルサーP三八である。世界をまたにかけた世紀の大泥棒が愛用している銃と同じであった。

 銃を手にとって弘志の目つきが変わった。まるで武器の魔力に魅入られた凶人のような嗤いが顔に浮かんでくる。そのまま何気ない様子で、銃口が空楽に向けられた。さすがに引き金には指がかかっていなかったが、あまり気分の良い物ではない。

「これは、そんじょそこらの安いオモチャとは違うんだぜ」

「やめんか。貴様がやると本気に見える」

「オレが本気じゃない?」

 薄気味悪い嗤いが一層深まると、ゆっくりと引き金に指がかけられた。

 空楽は腰を落としつつ目を細めた。音速以上で襲来する銃弾を交わすことが出来ると日頃豪語している空楽であるが、いまは銃口からの距離が近すぎた。

 そして弘志の指が引き金を絞った。


 カコカカコ、カコカカコ。


 変な安っぽいSEが流れて、弘志の手の中でワルサーP三八は自動変形し、銀色に輝く機械生命体へと姿を変えた。

「だあああああ」

 緊張が切れた一同が、国道だというのにコケてしまった。

「なんじゃそりゃあ」

 息を潜めて二人の対決を見ていた由美子が声を上げる。

「なにって、見て判らない? メガトロンさま」

 手の上に乗せた破壊大帝を自慢げに見せる弘志。

「これは最近出たプレミアムコレクションで、この状態でトリガーを引くと、ほら」

 実際に弘志が引いてみた。

【デストロンども! トランスフォーム!!】

「おお」

 さくらが感心したように手を打った。

「ちゃんと加藤精三さんの声なんですねぇ」

「お! 判ってくれたかサクラちゃん。まだこの他にも」

 とトリガーを次々に引くと、その度に【ワシを嘗めるなコンボイ!】だの【わはははははっ。見たかコンボイ!】など劇中定番のセリフが流れた。

 由美子は弘志の手の中からロボットを取り上げると、無造作に車道の方へ投げ捨てようとした。

「待って姐さん! それだけは勘弁!」

 慌てて彼女にすがりつく弘志。その形相をヤブ睨みに睨み返した由美子は、それで許してやることにした。

 ずずずっと再び鼻を鳴らしてから、弘志に上着を返却した。

「あれ? いらないの?」

「もう帰るからいいわ」

 右手に破壊大帝、左手に自分の上着をかけた弘志は、駅の方に向かい始めた彼女の背中を見送った。

 空楽とアイコンタクト。まず空楽が弘志の顔と由美子の背中を目で差した。弘志は、去っていく由美子と、キョトンとして立ちすくんでいるさくらとを見比べた。心外な顔をする空楽。うなずく弘志。そして空楽は仕方なさそうに肩をすくめると、由美子の後を追った。

 右手のオモチャを変形させて仕舞うと、上着に袖を通した。

「いいんですかぁ?」

 後を見ずに駅に向かう由美子を見送って、さくらが訊いた。

「いいって、なにが?」

「センパイと委員長って、つきあっているって聞きましたよぉ」

 それを聞いて弘志が酸っぱい顔になった。

「それ誤解だから。誰に聞いたの?」

「コジロー先輩ですけどぉ?」

「やっぱり?」

 昨年度色々と降りかかった事件のせいで、恵美子は、すっかり二人が恋人同士と誤解している節があった。

「何度も誤解だって言ってるんだけどなあ」

 弘志の足が駅とは反対方向に進み始めた。

「センパイ? どこにいくんですかぁ?」

「ん? あ、こっちの自転車置き場に駐めてあるんだ」

 国道ではなくて、つい最近おこなわれた市の桜祭りで、人手が繰り出した桜並木の方へ歩き出した。

 あまりの花びらの量に、残雪のごとく植え込みは淡い色で染まったままだった。

「そういえば、今日は男の子なんですねぇ」

「ん? あ、そうだね」

 弘志は自分の姿を見おろした。清隆学園高等部男子用制服が目に入った。

「あ、そうだ」

 弘志はズボンのポッケから鍵束を取り出すと、昨日帰るときに借りた彼女のマンションの鍵を摘み上げた。

「鍵、返さないとね」

 鍵束から外そうとする弘志に、さくらは微笑みかけた。

「そのまま持っていて貰って結構ですよぉ」

「そういうわけには行かないんじゃない?」

 外した鍵を手にのせた弘志は言った。

「普通、女性が自分の部屋の鍵を男性に渡すって、ほら」

 そのままゴニョゴニョと言葉を濁す弘志。それを余裕のある目で見ていた彼女は、事も無げに言った。

「センパイの事、他にも聞きましたよぉ」

「どんな?」

 愛車はダイヤルロックなので、鍵束だけをポッケに戻しながら弘志は聞き返した。頭に中に昨年起きた色々な事件が去来する。どれ一つ取ってもろくな噂が立てられそうもない。

「センパイ『人喰い』なんですってね」

 弘志の足が止まった。氷色をした目で彼女を振り返った。

「誰に聞いた? って、一人しかいないか。新井さんね」

 同級生の新井(あらい)尚美(なおみ)は弘志と同じ中学出身であった。それで過去に何があったかを知っていた。

「今日も、ソレで呼び出されたんですねぇ」

 桜の梢から警察署の建物を見上げる。

「まあね」

「いいですねえぇ、センパイは」

「え?」

 同情してくれる輩はいたが、羨ましがられるのは初めてだった。

「仲が悪いって言っても、家族がいるんですよ。わたしからしたら羨ましいじゃないですかぁ」

「それが虐待スレスレでも?」

 探るように顔を見ると、さくらは真面目な顔で弘志を見つめ直した。

「もしかしたら、仲直りできるかもしれないじゃないですかぁ。わたしにはもう無理ですもの」

「まいったな」

 笑顔でのほほんとした表情のまま、何気ないように彼女は言っていた。弘志は顔に手を当てると、彼女を見ることが出来なくてそっぽを向いた。

「センパイ?」

「サクラちゃんだって、これから新しい家族が出来るかもしれないだろ」

「う~ん」

 難しい方程式を課題に出されたような顔になる。

「無理じゃないですか? こんなに家族運が悪いと、きっと新しい家族もすぐ死んじゃうと思いますよ」

「じゃあサクラは一人で生きていくつもりなのか?」

「それが一番、社会に迷惑がかからないんじゃないですかねぇ」

「それ、オレもよく言われる」

 さくらを指差して弘志は言った。

「『お前は何もしないのが社会のためだ』って」

 それを聞いて彼女がクツクツと笑い出した。

「意外に、似た者同士だったんですねぇ」

「そうかもねえ」

 弘志は彼女の口調を真似たように、のんびりと言った。

「じゃあ、それを踏まえてコレ」

 弘志は小さな箱を上着のポケットから取り出した。

「なんですかぁ? これぇ?」

「時間だけがプレゼントじゃなんだから、記念品」

 両手で受け取った彼女は、ゆっくりと箱を開いた。

「あらあら」

「でも、どっちが死んでも恨みっこ無しだよ」

「そうきますか」

 箱の中から贈り物を摘み上げて、さくらはとびっきりの笑顔を見せた。



「毎日毎日、飽きもせずに集まりやがって」

 昼休みの司書室で、花子が煎れてくれたお茶を傾けながら由美子が睥睨するように首を巡らせた。

 三人娘がお弁当を広げたのは、入り口から入って部屋の真ん中に置いてある応接セットである。

「まあまあ」

 花子が、見る物総てを落ち着かせるような柔らかな微笑みで由美子を宥めた。

「色々と仕事も詰まってきているし、みんなが手に届くところにいると便利でしょ」

 花子は副委員長の職務からそう言った。そういえばそろそろ図書委員会で月一に刊行している会報の編集作業に入らなければならない。また予定された誌面割りが一筋縄でいかないだろうと予想できるので、編集長も兼ねる由美子は溜息が出た。

 開いた穴をそのままにするわけにはいかない。そういう非常事態に、常連組が活躍してくれるのだ。イラストや小記事など、小器用な者が揃っているので重宝した。

 ゆえに決定的に彼女は常連組を司書室から追い出すことは出来ないのであった。

「表紙なら、もう受け取ったでしょ?」

 これは美術部に所属する正美である。彼は抽象画から精緻な機械図面まで、大判の挿し絵を描かせると、いかんなく実力を発揮してくれた。

「書評が足りぬなら、早めに言え」

 その二つ横で、腕を組んで、瞼を閉じて舟を漕ぎそうな姿勢の空楽が、口だけで注文をつけてきた。読書が居眠りとアルコールに次いで趣味だけあって、最新の話題作から古典まで、他の記事とバランスをとった記事をさっと書いてくれるという、彼は編集者にとってドラえもんのような存在なのだ。

「まあ、カウンター当番に穴が開いたらピンチヒッターぐらいはやってあげる」

 と言った弘志に至っては、小さな記事からイラストまで、何でもござれの万能選手だった。企画の段階でも、彼が出してくれるアイディアに助けられることが多い。この才能が悪い方向に向かうと、騒動屋として騒ぎの爆心地にいる形になると言えた。

「おじゃましまーすぅ」

「おやクラマじゃん」

 由美子は、廊下の扉が開いたので振り返った。入って来たのが図書委員会に加わった一年生だったので、少し考えを巡らせた。

(一年生にも腕試しに、原稿を発注しようかねえ)

 さくらは、どこか別の場所でお昼を食べてきたらしい。つつつと応接セットを行き過ぎようとした。

 窓際の席を問題児三人組が占領しているのを見ると、事務机エリアに置いてある背もたれの壊れた丸椅子を手に取り、清水の舞台から飛びおりるような表情で、常連組の中へ分け入っていった。そこが定番の、正面よりちょっと右の席に座る弘志と、空楽の間に持ち込んだ椅子を置き、腰をおろした。

「ん?」

 目を閉じていた空楽が、芳しい香りで瞼を開いた。弘志との間に座る後輩女子を確認すると、気怠く由美子に話しかけた。

「藤原さん。さっそく新歓コンパの成果が出たようだぞ」

「う…、ん。まあ、そうね」

 ちょっと複雑な顔で由美子。

 一度尻を落ち着かせてしまえば度胸が付くようで、さくらはニコニコとしたいつもの表情を取り戻し、背もたれが無い分、弘志が座る椅子の背もたれに、反対側から寄りかかった。

「あら」

 恵美子が不満げな、ちょっと驚いたような声を上げた。

「鞍馬さん」

 正美がわざとらしい笑顔を作って、彼女へ忠告するような声で言った。

「弘志に自分から近づくなんて、人生捨てたのと同じ意味だよ」

「む」

 その言い草に弘志がギョロリと正美を睨みづけた。だが言われた当人は、一度背中を浮かせて弘志を振り返ったあと、また何でもないように寄りかかった。

「ゴンドウ先輩ぃ」

 ニコリとして言った。

「人生捨てちゃいましたぁ」


「「「…」」」


 司書室に沈黙が訪れた。

「えーと、それって…」

 正美が恐る恐る訊ねると、してやったりといった表情で彼は言った。

「あオレ、サクラとつきあい始めたから」


「「「ええ~っっ」」」


 司書室どころかC棟、いや高等部のすべての校舎に響くような驚愕の声が上がった。

 硬直する花子を置いて、由美子と恵美子が彼女に駆け寄り、両脇を掴むと、閉架図書の並ぶ本棚の間へ連行した。

「どおゆうことよ!」

 殺気だって詰め寄ってくる先輩二人に、困ったような照れ笑いを見せながら、さくらは弘志を振り返った。

 顎を床まで落としたような勢いで口の閉まらない友人二人を両脇に座らせたまま、弘志は軽いウィンクで答えた。

「えっと、そういうことらしいですぅ」

 幸せそうに微笑んだ彼女の左薬指には、銀色に輝く指輪が填められていた。その指輪につけられた裂け目のような装飾から、埋め込まれた宝石が青緑色の輝きを反射していた。



二人の出来事・おしまい




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