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オペレーション・コード;エルフ  作者: 池田 和美
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極めて陽気な変奏曲



「か、かみしもぉーっ!」

 狭い資料室への扉を勢いよく開きながら、グラウンドの向こうにいる者へ呼びかけるような声量で、田久保光一は相棒に呼びかけた。

 すっかりこの部屋を、自分専用の捜査室として占領してしまった上下奈々芽は、面倒くさそうに顔をこちらに向けた。

 すでに両耳には人差し指が突っ込んであった。

「?」

 いかにも寝不足で気怠いといった調子の彼女を見て、毒気の抜かれた光一は、疲れたように両肩を落とした。

 いや、実際に疲れていた。今朝も早くから捜査会議があったのだが、奈々芽は顔を出しもしなかった。そのせいで再び捜査の指揮を執る審議官からは、たっぷりと嫌味を言われた。最近では、その度に流している脂汗でダイエットができそうな気もしてきたところだ。

 奈々芽は、もう光一が怒鳴らないなと判断したのか、指を耳から引っこ抜き、所轄の警官に煎れて貰った日本茶に口をつけた。本来ならば全員参加が基本の捜査会議を、この部屋に籠もってサボっていたのだ。

「その様子じゃ、そうとう髪の毛が抜けたんじゃない?」

「オレの生え際はいいから。親父を見て諦めてるから」

「あなたのじゃなくて審議官のよ」

「そう思うんだったら、少しは気をつけてくれよ」

 優雅に湯気を吹きちらしている奈々芽に、懇願するような声が出てしまった。

「まあ座ったら?」

 自分はキャスター付きの椅子に前後逆に腰かけ、背もたれに抱きつくようにしていた奈々芽は、種類だけは豊富な椅子のどれかを顎で示した。

「それで? なんかわかったか?」

「まあね」

 もったいぶるように湯飲みに口をつける。相棒の性癖を掴んでいる光一は、奈々芽の素っ気ない態度に隠された自信のような物を見抜いていた。

「今日の早朝。時間にして四時間ちょっと前よ。有名動画サイトと呼ばれるネット数社の無料画像掲示板に、匿名希望くんから貼り付けられた画像よ」

 いつの間に接続したのか、この前コンビニの防犯カメラの映像を見るのに使ったポンコツブラウン管と、官給品のノートパソコンとの間に色とりどりのケーブルが渡されていた。どうやらノートパソコンのモニターと同じ映像が映せるようにしてあるようだ。

 光一が来るまでその画像を見ていたのであろう、画像はそういった無料動画サイトのロゴの一つを映し出していた。

 画面真ん中に一時停止のマークが出ていた。

「? なんの映像だ?」

「ん。映倫真っ青なグロ映像」

 奈々芽の指が外付けしたマウスを操作し、画面の中の矢印が一時停止ボタンを押し込んだ。

 一言で言うと暗い夜道である。街路灯もろくに揃っていないせいか、真っ暗な中に薄らぼんやりとアスファルトが確認できる。

《ズル》

 ほとんど何も映っていない画面から、なにかを引き摺るような音がした。

《ズル。ズル》

 とても重々しいその音は、例えるなら濡れた土嚢を引き摺って運んでいるような感じがした。

「?」

 音だけで変化がないので光一が訝しんで奈々芽に振り返った。丁度その時湯飲みを傾けていたため、奈々芽は目だけでうなずいた。

 視聴者の忍耐を試すような数分間が過ぎた。相変わらず画面は夜道で、音がどこからか聞こえてくるだけだ。だが少しずつ確実に画面は明るい方向に動いていた。時々、画面の遠くに映っていた蛍光灯一本だけの街路灯に近づいているようだ。

 アスファルトが円く照らされている。道ばたには雑草が生えており、耕作地のあぜ道のような場所ではないかと思われた。

「!」

 突然、その円い光の中に、手が差し出された。

 紺色の上着に包まれた細い手首、太さからは成人男性ではなく女性か、子供と思われた。

 その手首から先は真っ赤に濡れていた。

 白い円に赤い手形のような映像は突然途切れた。

 次の場面では、先程の街路灯の柱に、一人の少女が寄りかかって座らされていた。

 元は学校の制服だったらしい物が上半身にまとわりついているが、無惨にも左右に引きちぎられていた。素肌を外気に晒して年頃の娘ならば羞恥に襲われるだろうが、彼女はそんな表情をしていない。

《ぴちゃ。ぴちゃ》

 放心したような顔で前方を向いている。その顔面の半分は流れる赤い液体で汚されていた。お下げにした髪の間は醜くも潰されており、そこからまだ出血が続いているようだった。

《…》

 その登場人物は、何事かつぶやいているようだった。

 画面が揺れた。

 右側から肉包丁が差し出される。何者が握っているかは判らないが、この撮影者本人か、その至近にいる者だということが察せられた。

 画面は、その肉包丁ごと少女に近づいた。

「むぅ」

 ギラリと蛍光灯の光を反射させて、その切っ先が少女の腹へ振り下ろされる直前に、光一はそっぽを向いた。

《ぐちゅ。ギョロ。ぶしゅ》

 そむけた画面からは好ましくない音が続いていた。

「新しい犠牲者が出たようね」

 そんな映像から顔をそむけずに奈々芽は冷静に言った。

「こ、こんな情報。会議には出なかったぞ」

 耳を塞ぎたくなる衝動に耐えながら光一は奈々芽を振り返った。

「だって、あたしが審議官にご注進しても、信じちゃくれないでしょ」

「そんなことはない」

 光一は真摯に首を横に振った。

「かみしもの能力は、あの人も認めているから」

「能力だけでしょ」

 奈々芽はマウスに指を伸ばして、まだ続いていた映像を止めた。

「うん。まだ未成年だから、きれいな肝臓をしているわね」

「かみしもぉーっ」

 さすがに攻める調子で光一が声を荒げた。つい画面を見てしまった。少女の腹腔から、奈々芽がきれいと評した臓器が取り出される瞬間であった。

「げ」

 嘔吐感を憶えたが、そこは歴戦の捜査官である。実際には言ってみただけだ。でもさすがに、もう一度目をそむけるぐらいのことはした。

 その首の角度がよかったのか、光一はあることに気がついた。

「これが本当なら、まだこの被害者は発見されていないってことか?」

 最初の犠牲者は中学生で、発見されたのはこの様な場所ではなかった。次の犠牲者はOLであった。場所は幼稚園だったはず。そしてまだ、新しい女学生の被害者が出たという報告は上がってきていない。

「うん、まあ。それで、この部屋を使わしてもらっているから、所轄の人には教えちゃった」

 奈々芽のセリフが終わるか終わらないかの内に、鋭いパトカーが出動していく音が何台も重なって響いてきた。

「そろそろ発見されたようね」

 気のせいか廊下を走り回る足音も増えたようだ。

「かみしもさん」

 バンと誰かがドアを開けて飛び込んできた。いつだったか光一にこの部屋のことを教えてくれた婦警であった。

「事件です」

「だろうね」

 彼女には振り返らずに、奈々芽はマウスを操作しながら画面を見ていた。

「川の方で女子高生らしき死体が発見されて」

「死体損壊の仕方から、連続している猟奇事件と関連があるらしい、と?」

 婦警のセリフに先回りをする。

「ええ、そうです。本店の人たちも現場に出るって、車の用意が始まりました」

「そっかー」

 それに全然やる気のない声で答える奈々芽。

「行かないのか? かみしも」

「車は用意して。でも行き先は違うかも」

「?」

 光一は一回だけ婦警と顔を見合わせてから、もう一度奈々芽を見た。彼女は残虐な画像を巻き戻しており、途中で画像が切り替わったあたりにしていた。

「これ、なんです?」

 話しが分からない婦警が、暴力が振るわれた少女を見て、嫌悪感を露わにする。

「うん、なんか新しい証拠ってやつかな」

 説明放棄している奈々芽の代わりに、光一が噛み砕いて説明した。

「しっ」

 画面の方に向きながら奈々芽が人差し指を立てた。

「?」

 後ろで首を捻る二人を無視して、奈々芽はリモコンを手に取り、ボリュームをどんどんと上げていった。

 少女が画面の中でなにかをつぶやいているようだ。

「どうやら本当に、あたしたちだけ行き先は違うようね」

 少女は同じ言葉をグルグルと口にしていた。その声が狭い室内に残響のように染み渡っていった。

《…ユウキ ナギサ ユウキ ナギサ ユウキ…》



「はい、みんな並んだ並んだ」

 清隆学園地学教師の小石健介は、右手を大きく振り回して合図した。その左手には、なぜか青い小さなペナントが握られていた。

「よーし、部活ごとに並べー」

 脇で混血ゆえに背が高いためイヤでも目につく上に、さらに白衣を着て「目立つ」という語句の前に「悪」という文字がつきそうな先輩までも、怪しげな発音の日本語で声を上げた。

「ほらー。小石ちゃんを困らせないで」

 反対側には小石のファンを公言しているクラスメイトまで、部活の道具を持ったまま来ていた。

「なんで、こうなった?」

 いつもの清隆学園高等部の制服と違って、春物らしい明るい色遣いをした私服姿の弓原舞朝は、茫然と立ちすくんで言った。

「まあ、わたくしたちの学校は、お祭り好きの方が大勢いらっしゃいますから」

 その右腕にいつものように抱きついている近藤愛姫が、いつもの微笑みを困ったように変化させてこたえた。

 こちらも春らしくとても薄いピンク色をしたワンピースに、白いカーディガンを羽織っていた。

 舞朝の右手に絡めた方と反対の手には、ブランド物のショルダーバッグを提げていた。ワンピースとあわせて、大人びた彼女によく似合ったお洒落であるといえた。腰には大きめのリングバックルのベルトを巻いて、自分の腰高をアピールするとともに、いつも制服の時に提げている薄い直方体のアイテムを後ろ腰に着けていた。

「にしても…」舞朝は市立公園のゲート周辺を見まわした。

「多くないか? これ」

 見わたす限り同じ年頃の男女が、レンガ調のタイルを敷き詰めたそこかしこでお喋りをしていた。

「いやあ」

 舞朝の前に並んだヤマト先輩が、後ろ頭を掻きながら申し訳なさそうに言った。

「一人でも多い方が楽しいだろうと思って、科学部のヤツに声をかけたら、いつの間にか増えちゃってさ」

「ちなみに、ヤマトは科学部総帥にしか声をかけていませんよ」

 隣のアイコ先輩がすかさずフォローを入れた。

 なんとなく目が小石の横に居る〈悪〉目立ちする先輩に行ってしまった。

 科学部総帥の肩書きを持つこの一年先輩の少年は、他のみんなが私服だというのに、一人だけ制服を着用していた。

 今はその上に羽織っている白衣が風ではためいていた。

 彼が『道産子とスロバキアの混血でチャキチャキの江戸っ子』を自称している御門(みかど)明実(あきざね)である。言っていることがおかしいような気もするが、あまり深く考えてはいけない。彼に関しては一事が万事この調子なのだ。

 高校二年生にして数々の工業的化学的パテントを発明し、大人たちからは明日のノーベル賞受賞者のそのまた候補と目されている天才である。つまり天才と変態は紙一重というやつだ。(わざと間違えるのが、お洒落である)

 彼は弱小部の烏合の衆であった文化会系部活を統合し『科学部』を創設。初代総帥の席に自ら着いたのは昨年のことだ。

 天文部も毎年予算削減に苦しめられてきたが、明実の科学部連合構想に乗り、今ではその配下となっている。

 統合されたことで予算獲得などの面で効率化され、以前よりも余裕のある運営が可能となっていた。

 もちろん、他の部活で人手が必要なときに、助っ人として集まる様に声をかけられたり、うまい話ばかりではない。が、活動自体はこれまでと同じように、いやそれ以上にスムーズに続けることができていた。

「とんでもないことです」

 襟や袖口に白いレース地の折り返しのついたワンピース姿の愛姫がプリプリと怒り出した。カーディガンがあるとはいえ胸元が開いているため、この季節では寒そうに見えてしまうのは舞朝だけだ。その証拠に周りの男先輩たちがチラチラとその肌色成分(と、ついでに脂肪分)が多い胸元へ目を奪われていた。

「わたくしたちの宝であるマーサさんに変な虫でもついたら、どうなさるんですか!」

「いいから、おまえは喋るな」

 こちらはアシンメトリーな巻きスカートに見える明るい青色をしたキュロットに、クリーム色のタートルネックセーター、その上に男物のジャケットを重ねているというファッションの舞朝。足元は黒いタイツにスニーカである。

「…」

 背後に立つ椎名叶が溜息をついた気がした。

 叶は学校にいるときと同じように全身を白いシーツで覆っていた。いちおうその下は私服を着てきたようで、風でシーツの裾がなびいたときに黒いプリーツスカートが見えたり見えなかったりした。

「ナナは呆れているんだぞ」

 そのシーツから顔を出しているカインは、まったくいつもと変わるところはなかった。

「まあ、賑やかなことはいいことじゃないかな」

 灰色をしたパーカーのフードを、寒い風対策なのか目深に被った渚優輝が、感想を述べた。

「それに三〇人以上だと団体料金で安くなるみたいだし」

 市立公園は有料なので、遠足などを対象に団体料金が設定されていた。

「で? なんでココなんだよ?」

 不思議そうに遊佐和紀が訊いた。

「そういえば君は引っ越してきたばかりだったな」

 臙脂色のトレーナーにジーンズといったこの季節には当たり前の格好をしている和紀に、こちらは学校にいるときとほぼ同じ格好をしている前田直巳が確認した。

「うん。三月に名古屋から越してきたばっかりだ」

 小学校の時には舞朝のご近所さんだった遊佐家であったが、父親の転勤で名古屋に移ったときに東京の家は引き払っていた。今では清隆学園から見て、弓原家と反対の方角に住んでいる。

「この市立公園にはプラネタリウムがあるんだ」

「ぷらねたりうむ?」

 不思議そうな顔になった和紀が聞き返した。

「その、ぷらねたりうむに何の用があるんだ?」

「和紀…」

 実際に頭痛を感じて舞朝は顔に手を当てた。

「あたしらは何部に所属してるんだ?」

「えと、天文部…。あ」

 天然に忘れていたようだ。

「ちなみに、ここにはフジサンがいるのよ」

 アイコ先輩の補足に一年生たちが目を点にする。

「富士山?」

「藤さんよ、花の藤。私たちのずっと先輩の方で、ここのプラネタリウムエンジニアをなさっているの」

「へ~」

 星空が好きな人間にも色々いた。実際に観測するのが好きで天文学者になる者がいれば、流星観測で名を上げてテレビの解説員になったりする者もいる。藤という先輩はプラネタリウム技師として生計を立てているようだ。

「星空はろまんちっくであるからのう」

 全然若者らしくなく、こんな所にまで紺色の道着姿で現れた久我五郎八が言った。

「でも、小石先生の引率はナシだろ」

「それは…」

 つっこむ舞朝に、どこかソッポを向いていた優輝が頭を下げた。

「ボクのせいなんだ」

「?」

「ほら、夜中に抜け出してコンビニに行っていたのがばれちゃって。それで本来なら外出禁止なんだ」

 先日、優輝は連続猟奇殺人事件の容疑者として警察署まで任意同行で引っ張られた。嫌疑自体はまったく消え去っていないが、その日は無事放免された。嫌疑がかかった理由は色々あるようだが、夜中にコンビニの防犯カメラに映っていた事も有力な証拠とされていた。その事実は、同行した担任の男鹿先生の知ることとなり、男鹿から寮の方へ話しが行き、優輝は寮監から二週間の外出禁止令が言い渡されていた。

 その外出禁止令は休日にも有効で、本来ならば寮の自室で謹慎していなければならない。が、今回は小石からの働きかけで、参加が認められた。

 もちろん責任者として小石自身も行事に参加することになった。貴重な休日を生徒のために消費するとは、それなりにイイ先生なのかもしれなかった。

「ボクも本当は外出禁止って言われてんだよね」

 部員でもないのに参加しているクラスメイトが、肩にかけたバットケースを揺らしながら言った。

「ボクのは謹慎とかじゃなくて。家族がここんとこイヤな事件が続いてるから、家から出るなって」

「それは心配しているからだろ」と舞朝のツッコミに笑顔を増して応えた。

「だから部活だって嘘言って来ちゃった」

「最終的な人数の確認をするぞ」

 小石が如何にも適当に見える数え方で私服姿の連中を数え、それを公園の事務所に伝えていた。

「あ、小石ちゃん。プラネタリウムも!」

 ゲートの所でプラネタリウムの料金も徴収されることになっていた。ここで申し込んでおかなければ、何のためにこの公園に来たのかが判らなくなりそうだ。

 小石は、事務のおばさんと話しながら、手を振ってヤマト先輩の声に答えた。

 ゲートをくぐって公園に入ると、広い芝生スペースがある。混雑した入口付近を抜けて、いったん天文部の部員はそこに集合した。

 さっそく持ち込んだ道具で、三角ベースをやり始めた生物部の隣で、ヤマト先輩は一同の顔を見まわした。

「さてと…」

 隣に立つアイコ先輩で目が止まった。

「いちおう新歓の行事ということだから、まずは自己紹介をするというのはどうだろう」

「いまさらですか?」

 中等部から顔を出していた舞朝が確認するように訊いた。

「まあ、儀式だと思ってさ」

 ヤマト先輩が宥めるように言った。

「それに今更だけど、知らなかった事とかあるかもよ」

「はあ」

 それでも納得いかない様子の舞朝。本音はいまさら自己紹介だなんて気恥ずかしいし、面倒くさいと思っていることがありありとわかった。

「まず、おれからだな」

 黄緑色のカラーワイシャツにダメージジーンズ、上着として黒に近い茶色いジャケットを着たヤマト先輩が、微笑みを広げながら自分を親指で差した。

「名前は橋本(はしもと)大和(やまと)。部長をやらしてもらってます」

「ええ!」

 舞朝が素っ頓狂な声を上げた。

「先輩の名前って、ヤマトが苗字じゃないんですか?」

 ヤマト先輩は「ほらね」と言いたげな顔になって、隣のアイコ先輩と顔を見合わせた。

「薄々感じていたけど、やっぱりハドソンさんは、おれの名前を知らなかったんだね」

「だ、だって…」

 耳まで赤くなった舞朝は、指同士をつつきあわせながら言い訳のような事を口の中でこねまわした。

「アオイ先輩もユカリ先輩も『ヤマト』って呼び捨てにしているから、てっきりそれが苗字かと」

 高等部に入ってから入部した和紀や優輝の知らない名前が出てきた。どうやら卒業したか、三年生になって部活に顔を出さなくなった先輩の名前らしい。

「ほらハドソンさんだって知らないこと、あったでしょ」

 嫌味にならないように声に明るい響きを入れながらヤマト先輩が確認した。

「う」と、なんとかうなずく舞朝。

「じゃあ私ね」

 ヤマト先輩の隣で控えていたアイコ先輩が一歩前に出た。ジーンズの上に革のライダージャケットという、普段の彼女から連想できないほど活動的な私服であった。

「副部長の愛子(あいこ)千波(ちなみ)です。二年生です」

「ええ!」

 舞朝が再び素っ頓狂な声を上げた。

「アイコ先輩の名前って! アイコが下の名前じゃないんですか!」

「やーね」

 両腰に拳を当ててから、ふくよかな胸を張ってアイコ先輩が言った。

「ヤマトがいつも私のこと『チナミ』って呼んでるでしょ。ちなみに漢字は千の波って書くのよ」

「このままマーサの知らない事だらけじゃないのか?」

 愛姫が抱きついている側とは逆から和紀が訊いた。

「なんか、自信が無くなってきた」

「よろしいじゃありませんかマーサさん」

 にこやかに微笑んだ愛姫が慰めた。

「ここで改めて部員たちの情報を再確認するというのも」

「まあな」

 愛姫の向こうから直巳が腕組みをして言った。

「もともと新入生歓迎という意味での集まりだしな」

「それに…」

 夢見る乙女の顔になって愛姫は告げた。

「マーサさんに、わたくしのことを改めて知ってもらえるなんて、光栄です。より詳しくお知りになりたければ、二人きりで邪魔の入らない…、そうですねマーサさんの寝室、しかもベッドの中でなんてどうでしょう」

「どこか行け」

 冷たく言い放つと舞朝は愛姫の腕を振り払った。

「次は、それがしかな?」

 再び抱きつこうとする愛姫と、そうはさせないとばかりに手で突っ張る舞朝の、いつも通りの小競り合いを見つつ、五郎八がヤマト先輩に訊いた。

「別に時計回りというルールがあるわけじゃないんだけど…」と前置きしたヤマト先輩はそれでも五郎八に向いて頼み込むような声を出した。

「それじゃあ次はイロハで」

「それがしは久我五郎八と申す。『もののふ』を目指している者である」

「その『もののふ』ってなによ?」

 当然の質問が和紀から出た。

「そうだな…」

 五郎八は言い淀んで視線を宙にさまよわせた。

「あえて申すなら、おのれを高みに昇華する者だな」

 その場に居る者は、説明されてもさっぱり判らなかった。

「それって、この前の念力とか?」

 手動式の歩行者信号の押しボタンを、離れた位置から押したアクションが忘れられないらしい和紀が、なおも訊いた。

「うむ。あれも修業の一環であるな」

「いっかん?」和紀は目をパチクリと大きく瞬かせた。「じゃあ他にもできることとかあるのかな?」

「うむ」

 自信ありげに五郎八はうなずいた。

「念力の他にも跳躍や予知、透視など一通りのことはできるつもりだ」

「やっぱり、それって超能力じゃないの?」

 小石の横で、五郎八のことを『超能力者』と呼んだ同級生が確認した。

「能力者であることには違いがないが、もののふは心構えが違うのだ」

「???」

「ま、まあいいじゃないか」

 五郎八と、彼女の説明にまだ首を捻っている連中との間を取り持つように舞朝が焦った声を出した。いまだ彼女の入部辞退の騒ぎが頭をよぎるのだろう。また変にヘソを曲げられて、やっぱり退部するなんて言われたくないようだ。

「ともかく自分を高めようと努力するなんて、偉いじゃないかイロハ」

 舞朝が薄っぺらい言葉で纏めようとした。いいかげん面倒くさくなったのかもしれなかった。

「じゃあ次は僕かな」

 時計回りという順番が守られるなら次の番になる直巳がみんなを見まわして訊いた。特に異論は無いようだ。

「僕は前田直巳。もうみんなも知っていると思うが、制服嫌いの幽霊高校生さ」

「幽霊でいるのは部活だけにしておけよ…」

 あまり授業に出ていないことを知っている舞朝が心配そうな声を漏らした。

「幽霊部員も問題だよなあ」

 それを聞きつけたヤマト先輩が、副部長のアイコ先輩に同意を求めた。

「無事に卒業できれば問題ないけど」

 これは微笑みの中に心配げな物を混ぜ込んだ小石である。やはり監督する部活に問題児が居ると、色々と周囲の先生たちに言われるのであろう。

「そうだぞ! 『先生』に迷惑をかけるな『異世界人』」

「僕は『異次元人』なんだが」

 何が何でも小石を擁護しようとする発言に、どこまでも冷静に返す直巳。

「ま、まあ。ほら、ナオミちゃんの学校嫌いは今に始まった事じゃないし」

 舞朝が冷や汗を掻いた声を出した。向こうでブツブツと「だったら高校に入らなきゃいいじゃん」とか呟いているような気がした。

「次は、わたくしでしょうか?」

 なにか言い返そうと息を吸った直巳を止めようと、舞朝が一歩出るかでないかのタイミングで、結局舞朝の右腕に抱きつくことに成功した愛姫が口を開いた。彼女とは、それこそ大人と子供ぐらい体格に差があるので、力勝負になったら舞朝には勝ち目は無いのだ。

「ああ、たのむよ」

 向こうで何か言いたそうに睨み合っているが、他人の自己紹介を妨害してまで言い争いを始めるほど常識知らずではなかったようだ。

 愛姫に、なんとか場を収めてくれてありがとうという意味で、視線を送ってやった。それを受けて愛姫の微笑みが明るい物に変化した。

「一年二組の近藤愛姫と申します。マーサさんのステディですわ」

「捨てるぞ、このやろう」

 迷惑そうに舞朝は右腕を愛姫から抜いた。

「あん。捨てるじゃなくて、ステディで」

 また抱きつこうとする愛姫の体に手を突っ張った。

「えと、なんだっけ。五万光年先からやってきた美少女戦士だったっけ?」

 和紀がいい機会とばかりに愛姫に確認した。

「『五分未来からやって来た時間旅行者』ですわ」

 ちょっと名残惜しいように舞朝に抱きつくことを諦めた愛姫は、短い間のプロレスで乱れたワンピースの裾を捌いて整えつつ、和紀の方に向いた。

「その…」

 和紀の目が泳いだ。

「意味がよく判らないんだけど」

「えーと遊佐さんは、『時間』って、どういう物だかご存じですか?」

「???」

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった和紀に、微笑みを作り直す愛姫。

「時間って、過去から未来に流れる川のような物だと思っていらっしゃいません?」

「そうじゃないのか?」

「昔はそう説明されてきました。でも今は違うんですよ。例えば川上からボールが二つ流れてきたとします。だからといって二番目のボールは、最初に流れてきたボールがあったから、流れてきたわけではないでしょう?」

「は???」

 和紀の首が右に一〇度は傾いた。

「でも、ボールを動画で撮ってたら、流れてくる様子は上から下へだろ?」

 和紀の切り返しにクスリと笑った愛姫は眼を細めた。

「では、その動画をコマ割りにしたらどうでしょう?」

「そりゃ、たくさんの写真みたくなるわな」

「そのたくさんの写真を…」

 今はあれほど舞い散った桜の花びらすら清掃されて見ることのない芝生へ、手を広げるように振った。

「この丘一杯に散らかしてしまった、としたら?」

「拾うのが大変そうだな」

 和紀のもっともな意見に愛姫はさらに微笑みを広げた。

「さらに、他の写真と混ぜてしまったとしたら?」

「そんな。全国高校生クイズのバラ巻きクイズじゃあるまいし。シーンごとに繋げるのが大変になるなあ。一枚ずつ見てどれが前だか後ろだか見ていかないと」

「それ」

 愛姫が和紀を指差した。

「それと同じように、わたくしたちの脳が、一秒の次の二秒目はこの空間、一分の次の二分目はこの空間、一時間の次の二時間目はこの空間、と錯覚している。それが時間という物にすぎないんです」

「量子学的観点からの時間認識だな」

 科学的な事には最も詳しいはずの小石がつぶやいた。

「わたくしは『五分未来』というコマから、こちらの『五分過去』というコマを観測している立場なのです。ですから時間旅行者と名乗らせていただいております」

「未来の世界から?」

 小石の横から声が上がった。

「それって、これから起きることは判るってこと?」

「いいえ」

 舞朝のクラスメイトにも丁寧な態度で、愛姫は首を横に振った。

「わたくしがやってきたのは五分未来なので、全てを知るなんて事は叶わないのです。せいぜい左右どちらの道を選べば近道ができるか程度のものです」

「未来は不確定だということだ」

 横の直巳が補足するように付け足した。有名な物理学上の言葉がある。『神はサイコロを振るか?』そして、その答えは『Yes』ということになっていた。

「じゃあさじゃあさ」

 まるで小学生のような口調で和紀が目を輝かせた。

「その五分を重ねていけば、結局全部判っちゃうんじゃないの?」

「それが面倒なことに」

 小学生のわがままに手を焼くお姉さんのように眉を顰めた愛姫は、それでも口元に微笑みを残していた。

「事象が観測された時点で選択がなされないと、結果を知ることはできないのです。なにせ未来は不確定ですから」

「じゃあ」

 腕を組んでうんうんと唸りながら和紀は考えつつ訊いた。

「天気もその時々の観測で変わるってこと?」

「大雑把に言えばそういうことになります」

「それで、よく未来から来たって言えるね。なんかあやふやすぎてキミが本当のことを言っているのか、方便を述べているのか判らなくなるよ」

 もう一人の質問者に至っては唇を尖らせてヒョットコみたいな顔になっていた。面白くない芸を見せられてクレームをつける客のようだ。

「左右どちらかの道があったとします」

 体の前で手を広げながら愛姫は微笑んだ。

「目的地へ着くためには、右の道が近いという事がわかる地図を持っているのがわたくし。これだと判りますか?」

 右手を握って微笑みを作り直した。

「だけど…」

 灰色のパーカーのフードを被ったまま優輝が口を挟んだ。

「左の道は最後まで安全だが、右の道には熊が出る、というアクシデントまではわからない?」

「そういうことです」

 優輝の方に振り返って愛姫。

「大筋の運命的な物は変えられないことが多いのです。ただ近道が判るだけ」

「それが『五分未来』か。キミから見てボクはどう見えるんだろう?」

「それなりに」

 微笑みを曖昧な物に変化させる愛姫。視線を合わせようとしない優輝の爬虫類的な眼光が芝生の方へ逃げた。

「うーん」

 口をへの字にした声が出ていた。

「やっぱり、良く分かんないから『未来人』ってことでいい?」

「ダメです」

 にこやかに否定。小石の横に立つ黒いスキニーパンツの彼女へ念を押すように言った。

「わたくしは『五分未来からやってきた時間旅行者』ですわ」

「まあ、なんだ」

 取りなすように小石が苦笑を噛み殺した声で言った。

「大学に行って屁理屈…、じゃなかった物理学を専攻しないと理解しきれないな」

 地学教師などしているから、小石も少しは物理学を受講していたはずだ。ただその態度から成績は推測できそうだ。

「じゃあ次」

 ヤマト先輩が愛姫の説明が一段落ついたところで促した。

「あたしは弓原舞朝。愛姫はあたしの嫁」

 ズッパーン。

「勝手に人の声色を真似するんじゃないっ!」

 光速で、舞朝の声真似をして自分の願望を垂れ流した愛姫へ、チョップがとんだ。

「あううう。愛が痛い~」

 身長差から、チョップが命中した鳩尾近くを押さえながら、愛姫が涙目になった。

「弓原舞朝。無気力無感動、そして無いバストの女だよ」

「おまえもスマキにして、多摩川に流してやろうか?」

 反対側の和紀までが勝手に舞朝の紹介をしていた。ちなみにこの市立公園は多摩川沿いに立地しているため、スマキにして流すには野川や玉川上水よりも運ぶ手間がかからない分、楽なはずだ。

「まあ、弓原のことはみんな知っているだろ」

 なぜか不機嫌そうな様子の直巳。

「ちょ…」一瞬唇を尖らせた舞朝だが、怒ることすら面倒くさくなったのか、諦めた顔になって和紀へ手で合図した。

「次どうぞ」

「名古屋から来た遊佐和紀。よろしく」

 ビッと親指を立てる和紀。

「しいちゃ…(ジロリと舞朝に睨まれる)ま、マーサとは幼なじみという奴さ」

「おや?」

 直巳の表情が変化した。

「弓原はずっと東京暮らしじゃないのか?」

「こいつんチが中学で引っ越すまで、お隣さん」

 迷惑そうに和紀を親指で差して説明した。

「あ、なるほど」

「次はナナなんだぞ!」

 ピョコンとシーツの下からカインが出てきた。やはりいつもの渋い声で話し始めた。

「彼女の名前は椎名叶なんだぞ。とっても可愛い女の子なんだぞ」

「いや、自己紹介だし」

 少し屈んでカインを見おろした和紀が注意した。

「オマイがナナの紹介しちゃダメだろ」

「そうだった」

 短い腕を組もうとして体全体を捩りながらカインが何度もうなずいた。

「僕は南の魚座のフォーマルハウトからこの地球にやってきた宇宙人、カインなんだぞ。本当はとってもエレガントな本名があるのだけど、人には発音しづらいから、この名前を使っているんだぞ」

「ええと?」

「ついでに言うと、僕は宇宙フォーマルハウト大学で主席なんだぞ!」

 エヘンとばかりに胸を張るカインに、彼の自己紹介をおそらく初めて耳にする先輩方が困惑した顔をした。

「じゃあナナ」

 黙って顔を見合わせている先輩方に代わって、舞朝が促した。シーツの下でうなずく気配がした。ゆっくりとシーツをおろし、まるでマントのように背中側に集める。必然的に今日の彼女のお洒落が目に入ってきた。黒いセーラーカラーのブラウスと同色のプリーツスカートだった。見ようによってはどこかの学校の制服にも見える組み合わせだが、切れ込みやフレアで水兵さんファッションと言っていい格好であった。

「…」

 叶は顔を真っ赤にして唇を動かした。おそらく名乗ったのだと思われるのだが、誰の耳にも声は届かなかった。

(これでいい?)とばかりに舞朝を見つめる。その緊張のあまりに赤面した顔が、舞朝から見て気の毒になるほどだ。

「ああ。ごくろうさま」

 そそくさとシーツを元に戻すと、大袈裟に胸に手を当てて溜息をついた。

「次はボクだね」

 パーカーのフードを下げながら優輝は微笑みのような表情を作った。

「ボクは渚優輝。お巡りさんによると、ここのところの連続猟奇殺人事件はボクの仕業らしいよ。本当は『被害者』のはずなんだけど」

「まあ。あれだ」

 小石が、笑っていいのか注意すればいいのか、どう反応すればいいのか判らない雰囲気をフォローするように口を挟んだ。

「深夜に男子寮からコンビニへ脱走するという、寮規違反の常習犯でいいんじゃないか?」

「…」

 なにか言いたそうに小石を振り返った優輝は、苦し紛れといった態で「そうとも言う」

「中学でも天文部だったんだよな」

 期待の新人に輝いた声で舞朝が訊いた。

「まあ、いちおうは」

 お茶を濁したような語尾に、その天文部での活動はそう大した物でなかったことが察せられた。

「つぎだ、つぎ」

 あまり深く突っ込んではいけない雰囲気だったので、なにかを扇ぐような動作で舞朝がその横に立つ人物に促した。

「ほら、ツムギ。お前も参加者なんだから、自己紹介」

「人の苗字を間違えるなよなあ。それって読み方間違えてるよ」

 細い体を強調するかのようなスキニーパンツの腰に両手を当てて、昨年も中等部で同じクラスだったはずの舞朝を軽く睨み付けてきた。

(やば。名前思い出せないから名簿で確認したのバレバレじゃん)

 舞朝の愛想笑いをしばらく見ていたが、ころっと表情を戻して、みんなの方に振り向いた。

「ボクはソフトボール部の、ラビット・セキネだピョン」

 二つのチョキを顔に当ててキメポーズを取った同級生に、場の空気が凍り付いた。とうとうバニーさんからそんなアダナにまで進化してしまったらしい。

「懐かしいなカックラキン…」

 横の、白いトレーナーに白いロングパンツという白ずくめのファッションをした、この集団で唯一違う世代の男が、感慨深そうに自分の顎を撫でていた。

「え? なんかコレって意味があるんですか? 『先生』?」

「いいや、まあ、その」

「カマキリ拳法とか」

 どう説明していいか言い淀んでいる小石に、助け船を出したつもりなのか、直巳が両手を変な形に曲げて見せた。

「その若さでなぜ知っている…」

 小石が別の意味で絶句した。

「最後は小石ちゃんだよ」

 舞朝に促されて気を取りなおしたのか、丸い剽軽な眼鏡の向こうで何回か目を瞬かした後に、小石は襟を正した。

「顧問の小石だ。まあ、みんな気楽にやろう」

「さてと、小石ちゃん」改まった声でヤマト先輩が訊いた。「プラネタリウムは何時の回なのかな?」

「午後すぐの回で、ウチのために予約席を確保してくれたんだ。藤さんには感謝しないとね」

「じゃあ、まだ時間があるな」

 舞朝が公園のあちこちに立てられている時計で現在時刻を確認した。

「まあ池の方じゃあボートに乗ることもできるし、釣り堀だってあるし。時間つぶしには困らないだろ」

 多摩川の堤防の方に下れば、ヤマト先輩が言った設備があって、健全な男女交際を目指しているカップルなんかが散策を楽しんでいたりした。

「マーサさん。二人でボートに乗りませんか」

 言葉の端々から下心が溢れてくる声で愛姫が提案した。

「あー、それもいいかもな」

 珍しく愛姫の意見を素直に取り入れる舞朝。その拍子抜けな様子に、かえって愛姫の頭上に?マークがたくさん生えた。

「ここのボートに乗ったカップルはすぐに別れるって言うもんな。おまえとならいいか」

「マーサさぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」

 舞朝の冷たさに愛姫が絶叫した。



「出かけている?」

 奈々芽の瞼が半分降りた顔が歪んだ。

「謹慎じゃないんですか?」

 そんな奈々芽の顔に不機嫌を読み取った光一は、彼女が相手に失礼な事を言い出す前に、横から口を出した。

「それが…」

 二つ並んだ木造三階建て。その北側に位置する庭で、花に水をやっていたらしい中年の女性は、困ったように頬へ手を当てた。

「小石先生が直に来られて、自分がちゃんと監督しますからって、生徒の前で頭を下げられちゃって」

 お肌への紫外線が気になるのか、半そでのワンピースなのに腕貫みたいな紫外線避けを身に着けた、清隆学園高等部男子寮の寮監であるオバサンは、眉をハの字にした。

「あれだけのことができる先生なんて、いま、そういませんよ」

「分かりました」

 居ないならここに用は無いと、奈々芽はクルリと踵をかえした。

「ええと。どちらへ出かけたか、聞いていませんか?」

 所轄から借りだした車へ歩き出した奈々芽と、オバサンを見比べながら、光一は早口で訊いた。

「なんでも部活のみんなで、市内のプラネタリウムに行くとか」

「ありがとうございます」

 砂利道に停めた車に奈々芽が乗り込んだことを確認した光一は、置いて行かれちゃ大変とばかりに、せかせかと頭を下げると、見事な庭園風になっている庭を後にした。

 車まで戻ると、助手席で奈々芽は腕組みをしていた。どうやら不貞腐れているらしい。

「どうするよ」

 光一は運転席に乗り込みながら、相方に訊ねた。

 話しを聞きに来るという理由でここまで来たが、本人がいないのでは意味がない。

「出して」

 そっぽを向いたまま指示された。光一は軽く肩をすくめると、どこへ行くにしろ学園からは出なければいけなくなるので、エンジンをかけた。

 車を停めておいたこの砂利道は、広い清隆学園内を走る通用路みたいなものだ。

 二棟並んでいる学生寮の横にある、雑木林との境目に広がった空き地で方向転換し、公道の方へ車を向けた。

「帰るのか?」

 砂利道なので、今まで通った車両に抉られて、大きな凹みができている。そのせいで車内は揺れに揺れた。

「帰ったりしないわ」

 奈々芽は懐から取り出したスマートフォンの画面を、光一に突きつけた。小さな画面では地図アプリが起動していた。

「はあ。行くのね」

 舗装された道へと出て、それから国道を横断するように車を進める。周辺は、東京とは思えないほどの、武蔵野の田畑が並んだのんびりした風景である。こんなところで猟奇殺人が連続して起きているとは考えられない。いや、通行人を滅多に見ることがないのは、それが原因か?

 しばらく道なりに進むと、大きな工場の脇に出る。それを左にハンドルを切った。

「止めて」

「は?」

 いきなり言われて、光一はブレーキをかけた。不幸中の幸いか、後続車がいなかったからよかったようなものの、少し混んでいる道ならば事故間違いなしの急ブレーキであった。

「なんだよ」

 自身の踏んだブレーキで、肩にシートベルトが食い込んだ光一は、突然声を上げた奈々芽に、文句を言ってやろうと振り返った。

 彼の視界から、彼女の上着の裾が消えるところだった。

「なんだよ」

 とっとと降りてしまった奈々芽を放っておけるわけもない。光一は車を端に寄せると、降りて背中を追った。

 彼女は工場と、数軒の住宅、それに田畑が並んだ場所に立ちすくむようにしていた。

 車で走って来た道に沿って工場。その道から丁字で分岐した道が田畑の間を通って、ちょっと離れた住宅地。

 風が農地の緑を揺らして、奈々芽の髪を撫でた。

「?」

 反応が無いので、恐る恐る声をかけてみた。

「かみしも?」

 彼女は、やはり瞼が下り気味な目で、住宅地にある公園を眺めていた。またいつものやつである。

「かみしもーっ!」

 そんな光一の怒鳴り声に「あそこ」と公園を指差す。

「最初の事件があった公園よね」

「え?」

 光一は首を伸ばしてそちらを確認した。公園には人影が全くなく、プレハブ造りらしい公衆便所には、黄色い立ち入り禁止のテープが何重にも巻き付けてあった。

「ちょ、ちょっとまてよ」

 光一は車へ放り込んである資料を取りに戻った。味もそっけもない大判の封筒に入れておいた書類を確認しつつ、奈々芽の横へと戻った。

「たしかに…」

 周辺の電柱にある番地表示やらと、書類にある住所と見比べながら光一は感心した声を漏らした。

「よく覚えていたなあ」

 話しかけても返事がないので紙面から顔を上げると、奈々芽は車が走って来た道を戻り始めていた。

 いつか見た様に、地面を水鳥の様に確認しながら、ヒョコヒョコと歩いている。

 資料を戻した封筒を脇に挟み、光一は彼女の背中を追った。

「どうした?」

「ここ」

 低い縁石でしか車道と区切られていない歩道を指差す。

「ここで最初に襲われた」

「え!」

 慌てて資料を再び取り出す光一。しかし、どの書類を見ても、公園内のトイレで行われた凶行しか書かれていない。資料の中では、被害者は塾の帰り道、何らかの理由で公園のトイレに寄ったところで襲われたことになっていた。

「血の跡がわずかにある」

 細い指が差した先に、前と同じような黒いシミがあった。

「見落としたんだ。大変だ」

 慌てて捜査本部へ電話をかける光一を置いて、背を伸ばした奈々芽は、現在位置と公園を見比べた。

「ここで、一撃。そして被害者はどうした?」

 いまは昼間なので当然周囲は明るい。なので、夜の様子を思い描いてみた。道の反対側には工場の高い壁があるので、暗かったはず。ふいの一撃をくらった被害者は、そんな方向へは逃げないだろう。だとしたら、どちらへ?

 目に入るのは、田畑と住宅街である。

 一般的に考えて、被害者はどこかの家に助けを求めに行こうとするだろう。それには、いま車を停めた場所を通り、用水路と並んで農地を横切っている道を渡るのが一番早い。しかし…。

「どうして犯人は、そこでも襲わなかった?」

 工場の壁際ほどではないが、そこも充分に暗かったはずである。いちおう、海原を渡る個人用帆船(ディンギー)の様に、一本だけ街灯が立っていたが、それだけである。夜に光が届かない場所の方が多いはずだ。

 住宅へ続く道は、見渡すだけで三本はあるようだった。被害者はもちろん最短距離を行ったはずだ。奈々芽は、それを確かめるために、また路面を観察しながら歩き出した。

 一番近い道へ曲がる交差点まで、彼女に目には痕跡が見つけられた。

 しかし、そこからパタリと無くなる。おそらくこの道を被害者は一人で渡ったはずだ。

 奈々芽は目を閉じて想像してみた。よろよろと助けを求めるために、この道を進む被害者。たしか中学生だったはず。しかし、どの家へ辿り着くよりも前に、犯人に先回りされてしまった。そして公園のトイレの個室へ逃げ込み、携帯電話か何かで助けを呼ぼうと…。

 被害者側からの想像を保留にし、今度は犯人の心理を想像してみる。

 もしかしたら、逃げている途中でスマートフォンを持ち出されてしまうかもしれない。殺すのが目的ならば、なるべく早く行動不能にするべきだ。それなのに、なぜ農地を渡りきるまで放置した?

 目を開いて、再び農地を走るそれぞれの道を視界へ入れた。左から回り込む道は、公園の裏へのびている。そこからは木立やフェンスなどが視界を遮るが、おそらくどこかの住宅の裏手に続いているだろう。

 対して右から回り込む道は、公園の門の辺りで、最短距離で繋いでいる中央の道と合流していた。

 つまり、この道に入れなかった犯人は、全力で右の道を回り込んで、被害者の行く手を塞いだ。被害者は、さらに逃れるために公園へと向きを変えた。

(だけど…)

 奈々芽には、犯人がなぜこの道に入れなかったが分からなかった。スマートフォンで捜査本部とまだやり取りしている光一の声が煩くて、思考の邪魔になる。奈々芽はコメカミに指を当てて、一層集中力を高めようとした。

「まさか…」

 奈々芽は、しまっていた自分のスマートフォンを取り出して、電源を入れた。道案内のために起動していた地図アプリが、現在位置を表示した。

 そして、目の前の農地にはキャプションがついていた。

『清隆学園農業試験用地』



「二人乗りだな」

 池に浮かぶボートを見て舞朝がつぶやくと、その右腕に抱きついていた愛姫が応えた。

「はい、二人乗りです」

「二人乗りだ、な」

 和紀まで確認すると、優輝と直巳が同時にうなずいた。

「…」

 シーツの向こうで同じように、叶がつぶやいた気がした。

「いかにも二人乗りだが、なにか問題でも?」

 五郎八が不思議そうに訊いた。

「というわけでマーサさんは、わたくしと二人で」

 一層きつく愛姫が抱きつくと、反対の左手を直巳が引っ張った。

「なぜそうと決まった?」

「男の方と二人きりなど、天が許してもわたくしが許しませんわ」

 ぐぐぐと二人で舞朝を巡って引っ張り合いになった。

 引っ張られる舞朝はいい迷惑だ。だが、それを気の毒と思わない人間もたまにはいるようだ。

「男に負けるわけにはいかんな」と五郎八が力勝負では不利な愛姫に加勢した。それを見て叶(というより右手のカイン)と優輝が顔を見合わせた。

「ここは、和を重んじる日本人としては加わる方が正解なんだぞ」と言いつつ五郎八の道着を摘むカインに、優輝が「あれ? 宇宙人なのでは?」とツッコミを返した。

「ちょ、ちょっと! やめ! いたい!」

 真ん中の舞朝が気の毒だ。そんな風にじゃれあう一年生たちを、先輩たちは微笑ましく思っているらしく、柔らかい表情で見ているだけだった。

「こら! しいちゃんが痛がってるだろ」

 和紀のチョップ二発が疾り、引っ張っていた愛姫と直巳の手がしたたかに叩かれ、その弾みで二人の手が剥がれた。

「しいちゃんだって女なんだから、大事にしろよ」

 自分の胸に抱き寄せて、一番の被害者を保護した。

「遊佐さん! どさくさに紛れてわたくしのマーサさんを抱きしめないで下さいます」

「あ! 遊佐! 君という奴は!」

 色めき立つ周囲と、和紀へ、舞朝のゲンコが炸裂した。

「あたしだって女ったあぁ、どんな意味だ! それに何時あたしがアキの物になった! 痛いっつったら離せ!」

「まあまあ」

 ヤマト先輩が笑いを堪えるのに苦労しながら首を突っ込んだ。

「人気があるって良い事じゃないか、ハドソンさん」

「人気とは違うような気もしますけど」

 プリプリ怒っている横で、ゲンコが降り注いだオデコを撫でていた和紀に、ラビット・セキネが話しかけた。

「『女神』を助けるなんて、キミは『勇者』か?」

「と、いうわけで」

 ヤマト先輩が手を叩いてみんなの注目を集めた。

「カップリングは公平を期してジャンケンで決めることにしよう」

「ふ」片頬だけでニヒルに嗤った直巳が、前髪に手を当てて斜に構えた。「決して負けられない勝負だ」

「ボクはどうでもいいんだけど」

 ひとり冷めた様子の優輝。

「ま、なるようになるんじゃないの?」

 こちらは物事を深く考えていない様子の和紀だ。

「で?」腕を組んだ舞朝が、勝手に盛り上がっている男子たちを、ジト目で睨み付けた。

「はやく勝負をつけろ」

「いま決めるから。せーの!」

 ジャンケンポン!

 最初の勝者は、提案した部長自身であった。

「というわけで、先行ってるからな」

 一瞬の躊躇もなくアイコ先輩に手を伸ばして、桟橋の方へ歩き出しながらヤマト先輩はそう言い残した。

「あれ?」

 和紀が心配そうに二人の背姿を指差した。

「カップルで乗ると別れちゃうんじゃないの?」

「あー、あれ。あたしの冗談だよ」

 信じていたのかとばかりに舞朝が種明かしをした。

「なんだ。じゃあ小石ちゃん。ボクたちも乗ろうよぅ」

 ラビット・セキネが小石の腕を引っ張った。

「いや、その。教え子とそんな…」

 しどろもどろしながらも、高身長の自分と比べて大分小さい、黒いパーカーを着た女子に引っ張られて行ってしまった。

「さあさあ。次の勝負とまいりましょう」

「それで、なんでオマイがジャンケンに加わってるの?」

「わたくしだってマーサさんと二人っきりでボートに乗りたいですわ」

「ジャンケンするのは男だけな」

 両腕を駄々っ児のように振り回す愛姫を、後ろから羽交い締めにして舞朝がその場から離れた。

「ナナさんもジャンケンに参加なさっているではありませんか」

「よく見ろアキ」諦めきった声で舞朝。「ジャンケンをしているのはカインだ」

「…」

 そうこうしているうちに組み合わせが決まっていった。ヌイグルミゆえグーしか出せないはずのカインが、一番に抜けて叶を選んだのは、男どもがマヌケだからだ。

 ボートの係員は、叶の異形にギョッとしてみせたが、そこは長年の客商売、無表情を取り繕ってボートに乗り移るために手を貸した。

 次のボートへ和紀は先に乗り込み、愛姫に向けて手を差し出した。

「あら?」

 目をパチクリとさせて愛姫はその手を眺めた。

「ちゃんとマナーは知ってらしたんですね」

「そりゃな」

「それでは、失礼して」

 指先だけを触れさせるような感じで手を借りて、愛姫は和紀の向かいに乗り込んだ。

「やはり亀の甲より年の功ですわね」

「はぁ? 同じ歳だろ?」

「いえ」

 微笑みを強くした愛姫は断言した。

「わたくしは五分未来からやってきている身ですので」

 これが百年先からやってきた時間旅行者ならば百歳年下ということになるが、五分未来ではどういうことになるのだろうか。ちょっと首を捻っていた和紀は納得のいかない声で訊ねた。

「五分ぐらいじゃ歳に影響はないんじゃないか?」

「あら」

 驚きの顔を作り直して愛姫。

「頑張って漕いで下さいね、おじいちゃん」

 続けて何か言おうとしたが、諦めた様子で口を空振りさせ、和紀はオールに力をこめた。

「久我が漕いだ方が早いんじゃないのか?」

 一応ボートの舳先側に座りながら直巳は同乗者に訊いた。

「うむ。速さを競うならばそうだが」

 半ば胡座をかいたように道着の裾をさばいた五郎八が腕を組みながらこたえた。

「しからば代わろうか?」

「いや、僕はフェミニストなんだ」

 制するように手を上げた直巳がオールに手をかけた。

「男女平等ということになっているらしいけど?」

 その会話を次のボートに乗り込む直前に聞いていた優輝が、パートナーの舞朝を振り返った。

「ん? 別に漕ぐの、あたしでもいいけど?」

「いや。やめておくよ」

 フルフルとドコを見ているか判らないままに首を振った。

「思ったよりも高価くつきそうだからね」

「?」

 先に出発したボートの上から直巳が殺気すら感じさせる目でこちらを睨んでいた。全身で「できるなら今からでも僕に代われ」と言っている気がした。

 最後に桟橋を離れた舞朝たちのボートだが、そう岸から離れないうちに停止した。

 右に見える陽の当たる方には先輩方が仲睦まじく遊弋しているし、反対側で公園の木陰が水面まで届いている方向には顧問と、彼へ一方的に言い寄っている女子のペアが、なにか楽しそうにお喋りをしていた。

 どちらも邪魔をするほど無粋でないつもりの一行は、ボート遊び用に作られたこの大きな池の真ん中あたりで、無邪気に寄ってくる水鳥を眺めることにした。ボート遊びをするために作られた人造池であるから、とくに流れなどないが、自然と一塊になっていく。外れているのは叶(とカイン)のボートぐらいだ。

「優雅だねえ」

 キラキラと弱い陽の光を反射させる水面に手を伸ばした愛姫を、細めた目で眺めた和紀がつぶやいた。

「あれでも」伸ばした指先を色鮮やかな渡り鳥に避けられてしまった愛姫が、惜しくも無さそうに言った。

「水面の下で足を一生懸命動かしているんですのよ」

「いいやオマイさんのこった」

「っ」

 愛姫は息を呑んで和紀を振り返った。気のせいか愛姫の声が緊張で固くなっているような気もした。

「だ、ダメですよ、遊佐さん。わたくしにはマーサさんという大事な人が」

「は?」

 それが口説き文句のつもりは微塵もなかった和紀が不思議そうに口を開いた。

「お、めずらしい」

 真横に並んだボートから舞朝が目を丸くした声を上げた。

「アキが男相手に赤くなってる」

「そんな、わたくしはマーサさんに一途なのにぃ」

「やっぱり」

 和紀はちょっと身を乗り出した。それに合わせて愛姫の体が仰け反った。

「五分未来にもボート遊びというのはあるものなのか?」

「は?」

 何を言われたのか理解できなかったのか、愛姫はさかんに瞼を動かした。大脳が、好奇心一杯の目で見つめてくるボートの反対側に座る、少年の言葉を理解してから、コロコロと笑い出した。

「なんだよ」

 笑われたことで、ぶうたれた和紀が不機嫌な声を出した。「おれは普通の三次元人だから、その五分未来ってやつに興味があるんだよ」

「大してこの時点と変わることは少ないですわ」

 笑いすぎたのか目の端に浮かんだ涙を指先で掬いながら愛姫はこたえた。

「ただ、こちらの五分過去の時点を観測できる力…」

 そこで言葉を探して口をつぐんで風景へ目をやった。

「そうですわね。観測できる技術と申せばよろしいのでしょうか。それが備わっているだけですわ」

「その五分未来から何のためにココに?」

「遊佐さん。いえ遊佐和紀」

 改まった声で愛姫は質問で返した。

「それを知ってどうなさるおつもり?」

「別に」

 あっけらかんと和紀は肩をすくめた。

「おれが手伝えることなら手伝うし。おれに不利益をもたらすなら妨害するし」

「わたくしが今まで遊佐さんに不利益を?」

「んー」

 顎に拳を当てて考え込む。

「取り立てて、されてないな」

「そうですか」

 満足行く答えだったのか、愛姫は自然な微笑みを取り戻した。

「それならば、わたくしも正直に答えましょう。未来を得るためですわ」

「未来を? 得る?」

「まあ詳しく説明しても理解できないと思いますわ。ただこれだけは忘れずに。わたくしはマーサさんのために、この時点にいるということを」

「しいちゃんのため?」

「その呼び方は止めろって言ってるだろ」

 横のボートから舞朝が声を荒げた。

「直巳はどうしてココに?」

 誤魔化すためか舞朝とは反対のボートに向いて和紀が訊いた。

「こことは違う次元世界で育ったんだが。ちょっとその世界で、人には言えないような事件を起こしてしまってね。こちらの次元に懲罰として送り込まれてしまったんだ」

 面白く無さそうに直巳がこたえた。

「時代劇で言うところの島流しか」

 和紀が自分で判りやすい語句に変換した。

「さすがの僕でも、単一でディメンションセーリングテクニックを再現するのに苦労していてね。同じ次元内での移動ならば、何とかできるようになってはきたが」

「それって」もっともな疑問を和紀は直巳にぶつけてみた。「直巳の生活ってどうなってるの? 何もなしに島流しにされたら、飯喰うのにも困りそうじゃん」

「あ~、カズキ」

 額を掻き掻き舞朝が口を挟んだ。

「あまり細かいトコにツッコムのは失礼だぞ」

 各自のプライベートを守るというより、それぞれが言っている『設定』の矛盾をつっこむのがただ面倒くさいといった風情であった。

「前田さんの家は、代々続く醤油の蔵元ですわ」

 愛姫の補足に、さらに目が点になった。

「それって辻褄があわなくね?」

「はぁ、これだから、この次元の者は」

 呆れたようなセリフを吐き、真っ直ぐ和紀の方を向いた。

「まず多元時空論から始めないといけないかい?」

「い、いや。物理も天文もあまり得意じゃないし」

 和紀が天文部部員にあるまじきセリフで逃げをうった。

「じゃあ、この宇宙には色々な次元が存在すると、なんとなく判っているという前提で説明しよう。同じようにビックバンから生まれた宇宙がたくさん存在する世界。こう仮定されている宇宙観だけど、この世界とまったく同じ世界が、その別に生まれた宇宙の中に、いったい幾ら存在すると思うかい? 答えは無限だよ。生まれてくる宇宙という分母がすでに無限大なんだからね。そのよく似た世界に、人一人を矛盾なく送り込めるのがディメンションセーリングテクニックさ。辻褄が合わないなら、合う世界からの情報もこの世界にダウンロードすればいいだけだからね」

「ナオミちゃん、ナオミちゃん」

 舞朝が慌てたように口を挟んだ。

「? どうした弓原?」

「カズキのやつ情報量にフリーズしてるよ。そこら辺にしておいてやれ」

「君がそう言うなら、そうするが」

 まだ話し足りなそうな直巳は、それでも口を閉ざした。

「でも、それだと」

 舞朝の向かいでオールを所在なさげに握っている優輝が発言すると、舞朝の顔が苦い物を飲んだように変化した。折角黙ったのに蒸し返すなよと言いたげである。

「キミが送り出された世界というのはどんな物だったか興味が出るよ」

「元いた世界か…」

 船乗りが異国の地で故郷を思い出すかのように空を仰いだ。

「こんな遅れた文明ではなかったよ。進んだ科学により人々は、病気も公害もなしで幸福に暮らしていた」

「それなのに、そこから放逐されたと? なにをやったんだい? キミは?」

 優輝の無感情ながら興味ありげな声に、直巳は自嘲的な笑みを浮かべた。

「まあイブに知恵の実を食べるように勧めた、というところかな」

 聖典に載っている故事では、明けの明星であったルシファーは、そうして天界から追われて地獄へ堕ちた。

「まあ、今ではそれでもよかったと思っているがね」

 そうニヒルっぽく片頬で笑うと、思いをこめた視線で舞朝を見つめた。

「なんだ、やっぱり醤油屋が性に合ってるのか?」

 その思いを微塵も理解していない声で舞朝が聞き返した。

「あ、前田さんの顔にヒビが」

「入るわけないだろ」

 プイッとそっぽを向いてしまった。

「おぬし」

 同じボートに乗る五郎八が、無表情が基本のはずなのに、めずらしく眉を顰めた顔になっていた。

「それがしとでは、楽しくはないか?」

「いやいやいや」

 慌てて頭を横に振る直巳。顔が赤いのは動かしすぎたせいだけではなかろう。

「久我だってレディじゃないか。そんな、レディに失礼なことを思ったりしないよ」

「ふむ」

 まるで微分積分の解法を説かれたのと同じ調子でうなずく五郎八。

「しかし遊覧ではあまり楽しく無かろう。釣り堀の方が面白いのではないか?」

「釣り?」

 チラリと舞朝の顔を盗み見る。そのきっかけに舞朝は小さく伸びをして発言した。

「そうかもね。あっちとこっちは楽しそうだけど、実際あたしは飽きちゃったよ」

 視線だけで、いい雰囲気の二艇を指し示した。

「じゃあ移動するか」

 和紀がオールを握り直した。無言で直巳も続いた。

 二艇を見送った優輝は、めずらしく舞朝と目を合わせた。

「もう、終わりなのかい?」

「終わりって…」

 彼に真っ直ぐ見られてドギマギした舞朝はフォローするように早口で言った。

「だから釣り堀に行くんだろ。まだ今日は始まったばかりだぜ」

 そうじゃないと言いたげに溜息をついた優輝が、桟橋に戻ろうとオールに力を込めたとき、そっぽを向いた舞朝が手を上げた。

「ちょい待ち」

「?」

「ナナだけ、はぐれちゃう」

 彼女が示す方向を振り返れば、シーツから顔を出した叶のボートだけが一艘だけ、漂うように岸から流れていくところだった。右手から外したらしいカインを向かいに座らせて、なにやら話しかけているようだ。そんな一人遊びをしている風の叶を、放っておくわけにもいかなかった。

「せめて声をかけて行きたいから、寄せてくんない?」

 オールを握っているはずの優輝に注文をつける。しばらく待っても動き出す気配がないので彼を振り返ると、優輝はどこからか出した輪っかのような物を覗き込んでいた。

 方向はまっすぐ叶に向いていた。つまり優輝はその輪っか越しに叶を見つめているらしい。

「それさ」

 興味が出て舞朝は訊いた。

「この前から覗いてるけど、何が見えるの?」

「これかい?」

 右手で摘むように持っていたソレを自分の左手の平に落とした優輝は、そのまま舞朝に差し出した。

「これはボクが、とある人から貰った『ジョセイニの指輪』っていう物なんだ」

「ふーん」

 変人とつき合い慣れている舞朝は、上から覗き込むようにしてそれを観察した。うかつに触ると、そのアイテムに固執している相手が怒り出すこともあることを、彼女は経験則として知っていた。

「ただの指貫に見えるけど」

 見たところ、学校で習う裁縫の時にしか使わないような、革製の指貫である。年季の入った物らしく傷なども入っているし、側面には何らかの植物を模したと思われる装飾すら入っていた。

「まあね」

 再び摘み上げると、その輪っか越しに池の方を見た。

「でもこうすると、妖精を見つけることができるんだ」

「妖精さん? お伽噺とかに出てくる小さいアレ?」

「うん」

「そうなんだ」

 感心したようにうなずく舞朝に、優輝が我慢しきれなかったという様子で噴き出した。

「な?」

 訳も分からず目を白黒させていると、優輝が安心させるような声を作って言った。

「いや、キミもだいぶ肝が据わっているというか、なんというか。普通、同じボートに乗っている男が、急に妖精が見えるとか言いだしたら、もっと驚いたり気味悪がったりするだろ?」

「そうかな」

 まわりに変人が多すぎるため、その対応に慣れてしまっているのだろうかと、少し思ってみる。実際のところはリアクションが面倒なだけだったのだが。

「いまも見えるのか?」

「不思議な物が」

 優輝の視線は先程から叶から動いていない。

「やっぱり彼女は、本当の宇宙人なのかもねえ」

「ま、ナナ本人がそう言っているしな」

「そして、キミは特別だな」

 右手に摘まれた『ジョセイニの指輪』ごと、優輝がこちらを向いた。

「普通は、自分にも貸してくれとか、見せて欲しいとか要求するものじゃないのかい?」

「そうされたいのか?」

「いいや。これはボクの宝物だから、貸すなんてとんでもない」

「だろ」

 無駄なことはしないのさ、という意思を示すために肩をすくめてみせた。

「そういった大らかさが、みんなに好かれる理由なのかもねえ」

「真っ向から褒めるな」

 どんな顔をしていいか判らずに、今度は舞朝がそっぽを向いた。しかし、そんな横顔を優輝は、彼にしては珍しくジロジロと『ジョセイニの指輪』越しに眺め続けた。

「な、なんだよ」

 頬に当たる彼の視線が気恥ずかしく、その理由を問うてみた。

「キミのことを『女神』と言ったのは誰だったか…。言い得て妙だな」

「ば、ば、ばか」

 今度は完全に顔を赤くした舞朝は、両手を振り回した。

 さすがに読者モデルのような愛姫ほどではないが、二目と見られないほどの醜女ではないぐらいの自負はある。面と向かって『女神』と呼ばれたら柄にもなく照れてしまった。いちおう彼女の名誉のために書き記すが、『学園のマドンナ』の候補者に上がる愛姫の方が凄すぎるだけだ。彼女だって、クラスに一人ぐらいはいるレベルではあるが、充分に美少女と呼んで差し支えない範囲に収まっていた。

 照れて何と言っていいか困っていると、横に叶が乗ったボートが寄ってきた。

 叶が特段漕いでいる様子が無いので、風に吹き寄せられたといった態である。

 彼女は一心不乱に左人差し指でまっすぐ天頂方向を指差していた。泳ぎの嫌いな子供が、これからプールに飛び込まなければならないといった真剣な顔をして、目を力一杯つむっていた。

「ナナ」

 手間が省けたとばかりに舞朝が声をかける。しかし彼女は無反応だった。

「大丈夫か? ナナ」

 もしかして気分でも悪くなったのではないかと心配して身を乗り出す。重心が移動したことにより、こちらのボートが揺れて縁を掴むことになった。

 対して、叶のボートはまるで鏡の上に置かれたように揺れなかった。舞朝の挙動で揺れたボートが水面を揺らし、その振動は向こうにも伝わっているはずである。

「ナナ?」

 勤めて優しい声でもう一度問いかける。すると叶の体から力が抜けて、無表情になった顔の中で瞼が開かれた。

「猜疑と真実。愛と憎しみ。ここの波紋はわたしを疲れさせる」

「そ、そうか。じゃあボートはやめて釣り堀に行かないか? もう、みんな行っちゃうぞ」

「つり?」

 キョトンとした叶は、瞼を機械的に何度も動かすと、いま目覚めたように舞朝の顔を見た。

「そう、釣り。興味ないか?」

 叶の額に脂汗が浮いていることに気がついた舞朝は、彼女の体が心配になって、極力優しい声を出した。

 つと乗り出すと、叶は対面に置いたカインを両手で持ち上げた。クルリと反転させて、彼の小汚い顔面をこちらに向けた。

「釣りとな」

 渋い声がカインから発せられた。

「魚は好物だ」

「お、おう」

 ライオンも大きい分類で言えば猫だろうから、魚好きでもおかしくはないだろう。

「じゃあ、行っているぞ」

 確認するように桟橋を指差してから、こちらのオールを握っている優輝に合図をする。待ってましたとばかりに優輝が漕ぎだした。ちゃんとついてくるかと振り返って見ると、叶はもそもそとシーツ被るところだった。



 釣り堀はボート池の近所に設けられていた。水源が同じで、短い水路で二つは繋がっているのだ。円形の池の中には魚影がけっこう見受けられたが、市営の釣り堀ではあまり楽しくないのか、他に釣り糸を垂らしているのは数人の暇を持てあましているような老人だけである。

 女性でも気軽に楽しめるように、餌は釣り堀側が用意した練り餌だけである。

 安そうな竹竿の貸し出しとセットで時間幾らという呑気なシステムである。もちろん釣り上げた獲物を持ち帰ることすらできない。計量し、釣り上げた重量を書き込んだ名刺サイズの証明書が発行されるだけだ。

「やはり、ここでも勝負だな」

 借りた竿を肩にかけた和紀が、同じようにして後を着いてくるみんなに振り返った。

「しょうぶ?」

 まったく子供じみた提案をする。とでも言いたげな口ぶりで直巳が確認した。

「それは、やっぱり釣り上げた数なのかな?」

 優輝の確認に、和紀が無駄に胸を張る。

「もちろん。大物でも一匹。小物でも一匹」

「それって、計算が面倒だからだろ?」

 考えがお見通しとばかりに舞朝が指摘した。普通、釣り勝負と言ったら釣り上げた魚の合計重量で競うのではないだろうか。

「その勝負。おもしろいではないか」

 意外にも五郎八は乗り気だ。

「して。勝利者に与えられる物は? 名誉だけか?」

「いや」

 思いついたことを得意そうに提案した。

「次のプラネタリウム。しいちゃんの隣の席をかけるってのはどうだ」

「その名前で呼ぶなっていってるだろ…。ええ?」

 和紀に訂正させようとしてから、舞朝はそのとんでもない景品の内容に気がついた。

「ボクはいいけど、反対意見もあるんじゃないかな?」

 優輝が一番騒ぎそうな人物へ首だけ向ける。

「わたくしですか?」

 一人だけ釣りに興味が無いのか、竿を借りなかった愛姫が自分のことを指差した。

「そうですねえ…」

 いつもなら始まる大騒ぎを舞朝が身構えていると、拍子抜けするような静かさで言った。

「わたくしは不戦敗でよろしくて」

「おや?」

 静かなまま、ついとみんなから離れて、釣り堀を囲むベンチの一つへ行ってしまった。

「どうしたんだろ?」

 ちょっと不安そうに見送った舞朝の袖を、シーツから伸びてきた手が摘んだ。

「アキにはアキの考えがあるから」

「ま、そうだろうな」

 両足を揃えて座って、スマートフォンを取りだした愛姫を見てそう思った。

「じゃあ、アキの代わりにナナが頑張るのか?」

 冗談めかして訊ねると、叶はシートの下で首を振った。

「そうだよな…」

 納得しかける舞朝に「頑張るのはカインのほう」と、竿と同時に貸し出されたバケツを握るカインを差しあげた。

「まかせてくれていいんだぞ」

 舞朝と目があった瞬間に、カインが渋い声で言った。これが声のイメージ通りの人物ならば、ドンと自分の胸板を叩いていただろう。

「お、おう」

 つい返事が裏返った物になってしまった。

「よーし、釣るぞ!」

 自分がやる間は入れ食いで、釣り堀の魚を根こそぎ釣り上げるぞ、といった気合いの入れ方で和紀が竿を入れた。彼の場合は舞朝の隣が目的ではなくて、ただ単に遊ぶのが好きなだけであろう。

「光線の入射角。予想される水温分布。透明度。うーむ」

 直巳は釣り竿を抱えたまま顎に手をやって考え込んでしまった。

「難しく考えることはない」

 その横で、縁に胡座をかいて座った五郎八が、適当に糸を垂れた。

「ご一緒していいかな?」

 直巳とは反対側に優輝が腰かけた。

「さてと、あたしもやーろおっと」

 以前他の場所で、隣の人と糸を絡ませた経験がある舞朝は、わざとみんなから離れた位置に陣取ろうとした。

 その視界に叶がやっていることが入ってきた。

 舞朝の前を行っていた叶は、竿を岸に立てていた。釣り堀を囲う植込みなどに転がっていた石を集めてきて器用に土台を作ったようだ。

 二、三回竿に触れて倒れないことを確認すると、その竿の背に、右手から外したカインを乗せた。

「おねがい」

「うん。まかしてくれて、いいんだぞ」

 とかいう会話まで届いてきた。

 叶の場所を行きすぎ、充分に距離を取れたと思われる場所は、愛姫の座るベンチの側だった。

 予想していたのか、はたまた『五分未来』で知っていたのかは不明だが、舞朝はここで糸を垂れることにした。愛姫の側でないとダメとかではなく、ただ単純に場所を探すことに飽きただけである。

「マーサさん」

 ベンチから遠慮気味に愛姫が声をかけてきた。

「ん?」

 面倒臭さから適当な返事を返した。

「なぜ、わたくしがこの勝負に参加しなかったのかを、おたずねにならないのですか?」

「ん? そうだなあ」

 竿先が揺れた気がして引き上げてみるが、糸の先には何も異常はなかった。少しだけ練り餌が水で溶けて小さくなっただけである。

「どうでもいいんじゃないか? あ!」

 気の抜けた返事の途中であることに気がついた舞朝は、素っ頓狂な声を上げた。

「あたしが勝ったら、この勝負どうなるんだろ? 聞いとけばよかった」

「その場合は、マーサさんが隣に座る相手を指名できる事になるだけです」

「そうなのか?」

 先程の会話には無かった条項に、糸を垂れているので首だけ愛姫に振り返って舞朝は訊ねた。

「どうした?」

 愛姫がいつもの彼女らしくなく、とても暗い表情をしている気がして、舞朝の声が変わった。その変調が耳に届くやいなや、愛姫の表情が明るく変わった。

「心配して下さるんですね。マーサさん」

「冗談はいいから」

 水面から糸を上げ、竿はそこら辺に立てかけて、舞朝は彼女の横に座った。

「この勝負に参加しないっていうことは、誰が勝っても同じ結末が待っているって事だな」

 愛姫の『五分未来』からくる『五分前行動』には慣れっこの舞朝が訊ねた。愛姫は何も言わずに舞朝の右腕に抱きつくようにして、寄りかかってきた。

「それは不吉なことなのか?」

 いつもの微笑みが愛姫の表情から消えていた。

「あまり、いい方向に転がっていない様に観測されます」

 声までもが沈みがちになっていた。

「それでも」ぎゅっと舞朝の腕を掴む指に力が込められ、服越しに彼女の爪が肌に食いこんだ。

「わたくしたちはマーサさんをお守りします。そのために、ここにいるのですから」

「守ってくれるのは嬉しいんだけどさ」

 それぞれに釣りを楽しんでいる仲間を眺めて、ちょっと不安を感じた。

「仲間内でケンカなんてことはやめてくれよ」

 いちおう自称ではあるが『五分未来からやって来た時間旅行者』に『ナイハーゴの葬送歌星人』、『異次元人』に『もののふ』と、お互い同じ立場に立っているとは思えない組み合わせなのだ。さらに今年からは『被害者』を自称する優輝と、まだ二つ名を持っていない幼なじみまで加わっていた。

 一つの事件に対して、全員が同じように舞朝を守ってくれるとは限らないのだ。単に意見が衝突するならまだしも、中等部からのつき合いがある仲間同士でケンカするなんて、悲しいことだ。

「それは難しいかと」

 ちょっとだけ微笑みを取り戻した愛姫が舞朝の瞳を覗き込んだ。

「なにせ男性の方々はマーサさんを独占しようとなさるでしょうから。マーサさんはわたくしの物だというのに」

「物扱いするな。それと重いっ!」

 平均的な舞朝に、大人の体格の愛姫が寄りかかれば、重いに決まっている。決して愛姫の体重が重すぎるということではない。よいしょとばかりに押し返し、舞朝は座ったまま自分の腰に手を当てた。

「その妄言さえなけりゃ、いい友だちなんだがなあ」

「別にマーサさんの友人になる気はありません」

 あっさりと冷たいことを言う愛姫に、まさかの絶縁宣言かと顔の筋肉が強ばる舞朝。

「なりたいのは恋人ですから」

「はぁ」

 舞朝は左手を顔に当てて俯いてしまった。

「マーサさん」

 そんないつものオチに溜息をついていると、これまたいつもの微笑みを取り戻した愛姫は、いつもの明るい声で言った。

「何度も申し上げます。わたくしたちはマーサさんをお守りします」

 いつのまにか彼女の手の中に、透明な笹の葉のような物が握られていた。

「たとえ自らを犠牲にしても、です」

「おいおい。穏やかじゃないな」

 クルクルと彼女の手の中で回転する透明なナイフを見て、舞朝は少し身を引いた。

「大丈夫です。みなさん、それぞれに身の守り方ぐらいは心得ている方ばかりですから」

「それはカズキとユウキもか?」

 今年加わった二人へ目を向ける。和紀は、こらえ性のない子供のように竿先で水面を叩きはじめていた。その様子から針に何もかからないことが察せられた。

 一方の優輝は、片手で竿を持ち、ボーッとしているように見えた。だが、よく目を凝らせば判るが、もう一方の手であの『ジョセイニの指輪』越しに、周囲を観察していた。

「遊佐さんはごく普通の高校生ですが、渚さんは大丈夫でしょう」

 同じように二人を眺めて愛姫が告げた。

「なんでそう言いきれる?」

「渚さんは、修羅場をくぐっておいでのようですから」

「しゅらば?」

 舞朝は再び愛姫に視線を戻した。

 その白い肌をした横顔はいつものとおりだった。

「わたくしからは話せません」

「それって、あいつが出くわした事件のことだろ」

 部室で聞いた優輝の過去は、あまり楽しい物ではなかった。舞朝が表情を曇らせていると、愛姫はそれ以上に顔を曇らせた。

「いつか…」あからさまに涙は流していなかったが、泣いているような声で愛姫は言った。

「いつか、わたくしたちもマーサさんの想い出になってしまうのですね」

「そんな事言うなよ。長く一緒に遊んでいようぜ」

「それは…」

 真剣な顔で愛姫が迫った。

「わたくしに対するプロポーズと取ってもよろしいんですね!」

「だあああ。殊勝な顔に騙されたっ!」

 今までの憂鬱な表情を一変させて、周囲にハートマークを散らしながら抱きついてきた愛姫に、舞朝は肘鉄を食らわせるのだった。



「おお、なかなか」

 開放されたプラネタリウムの扉を一番にくぐったのは、やはりというか和紀であった。何事も最初にならないと気が済まないなんて、小学校からまったく行動が変わっていなかった。

「ふむ」

 ボサボサの髪を巡らせて五郎八が半球状のドームを見上げた。反射効率が良いように白色に塗られた内面に、高さの把握が出来ない錯覚に襲われた。

「この列が一番見やすいよ」

 自分より先に入場した二人に微笑みかけながら、職員の制服を着こなしている女性スタッフが、真ん中一列を指し示してくれた。彼女が、入場した時から話題に上がっていた、清隆学園天文部OGの藤さんであった。

「この通路が、ちょうど真ん中になるから」

 と、歩を進めて投影機から真っ直ぐ北へ延びる通路まで行った。

「いちおう十人分、リザーブにしておいたけど」

 言われて見れば、藤さんが見やすいと教えてくれた列の十人分に、予約席と書かれた札がかけられていた。

「すまないねえ」

 彼女の後ろに着いてきた小石が、丸めがねごしに柔和な笑顔を浮かべた。

「あれ? でもぉ」

 小石にまとわりついていたラビット・セキネが振り返った。後ろには七人ついてきていた。前にいる二人で九人。そして自分たちをいれたら十一人になる計算だ。

「人数と席の数があいません。どなたか列から離れた席に座らなければなりません」

 栗色の髪を揺らしながら、愛姫が微笑んだ。

「これはあれです。神の意志ですわ」

 彼女も振り返って、自説を主張した。

「あんな勝負の結果の如何によらず、マーサさんはわたくしと二人っきりの席ということです!」

 愛姫は列の端っこにある二人掛けの席を指差した。

「却下」

 つまらない顔をした舞朝は、愛姫のセリフを一刀両断にした。相変わらず愛姫に掴まれている右手を振り切って、リザーブ席の一番右側を指差した。

「あたし、あそこがいいや」

「その隣は、僭越ながらわたくしが…」

「往生際が悪いぞ、近藤」

 眉を顰めた直巳が堅い声を出した。

「僕だって嫌だが、勝負は勝負」

「ええ~っ」

 非難めいた声も無視して、直巳は優輝を振り返った。

「勝者は君だ。権利を行使したまえ」

 大袈裟なことになっているようだが、釣り堀での対決は、優輝を除いた全員がボウズという結果だった。釣果があった優輝にしたって、手の平に収まりそうなフナが一匹だけであった。

 毎日、暇な老人と戦っているだけあって、魚のレベルの方が遥かに高かったようだ。これが普通の釣り堀ならば、釣られた内の何割かは売られてしまうのだろうが、市営の公園では全てがリリースされるので、魚たちの経験値は半端が無いほどに高い物となっているのだった。

「じゃあ端っこはマーサで、その隣はユウキだな」

 一番投影機に近い席に腰をおろしてリクライニングをギッコンバッタンやっていた和紀が飛んで帰ってきた。

「せめて一ミリでもマーサさんのおそばに」

 三番目には愛姫が着き、その隣に直巳が座った。

「星なら宇宙空間で見た方がきれいなんだぞ」

 とか言っているカインと一緒に叶が五番目に座った。これで右側の列が一杯になり、通路を挟んで和紀が座り、その横に五郎八が腕組みをしながら着いた。

「『先生』ボクたちはあっちに座ろうよ」

 と想い人の腕を、さきほど愛姫が指差した二人掛けの方へ引っ張るラビット・セキネ。

「じゃあ、どっちがいい?」

 残された三人分の席を見てヤマト先輩が訊いた。

「じゃあスミッコ」

 舞朝とは反対の左端の席にアイコ先輩が座った。もちろんすぐ隣、五郎八とは一つ間をおいた席にヤマト先輩が腰をおろした。

 予約者ということで先に通してもらった天文部の面々が落ち着いたようなので、スタッフが一般客の入場を開始した。といっても入りは八割程度で、そこかしこに空席があるような状態であった。これならば、わざわざ予約扱いにしなくてもよかったのかもしれなかった。

 客のほとんどが大人であるが、一組だけ小学生と思われる二人組がまじっており、緊張した様子で手をつないで最前列の並んだ席についた。

「なんか微笑ましいな」

 そのぎこちないデートの様子を見た舞朝が素直な感想を口にした。

「初デートなのかな?」

 どうやら横の優輝も同じ二人を見ていたらしい。

「かもな」

 背もたれの間から、まだ二人が手を繋いでいる様子が見ることができた。

「うらやましい」

「へえ」

 彼の感想に意外性を感じて舞朝は声を漏らしてしまった。

「その様子だと、今まで女の子とはつきあったことないんだな」

「まあね」諦めた声で優輝は言った。「小学校は最悪だったから。もし好きな子がボクと仲良くしようとしたら、いっそう距離を取らないといけなかったしね。そうでないと、その子までイジメを受けることになってた」

「ああ、その。すまん」

 舞朝はとりあえず頭を下げた。

「なんで謝るの?」

 まだプログラムも始まっていないのに、天球へ視線をやったままで優輝は訊ねた。

「いや。ちょっとデリカシーに欠けたかなって思って。今日は凹んだおまえを励ます日だっていうのに」

「充分励まされているよ」

 上を向いたまま優輝は言った。

「こんなに、みんなから優しくされるなんて、戸惑ってばかりだよ」

「お節介で、迷惑だったか?」

 舞朝が不安を感じていると、優輝が彼女を振り返った。

「とても安らかな気持ちになれる」

「?」

 意味がわからずキョトンとしていると、大海に一匙の砂糖を入れた程度に、はにかんで言った。

「好きってことさ」



「やっぱり…」

 腕組みしながら直巳が前を歩いていた。

「星空はいいなあ。ま、僕が馴染んでいた物と配置は違うんだが」

 プログラムが終了して、次の組のために場内から追い出されている最中のことである。半球状の場内から出口へ向かう廊下にも、星空を模したプリントがしてあった。

「それは、他の次元だから、星も違うっていうこと?」

 直巳の設定を忘れていなかったらしい和紀が、後ろから確認するように訊ねた。

「まあね」

「ただ地学の成績が悪い言い訳だったりして」

「そんなことありませんわ」

 人の流れるままに歩いているため、いまは舞朝とくっついていない愛姫が助け船を出した。

「前田さんは、ナナさんやわたくしと学年トップを争う仲ですから」

「どうしたのだ?」

 最後尾を放心した顔でついてくる舞朝を心配して五郎八が声をかけた。

「ん? なんでもない」

 なんでもなくなさそうに舞朝が答えた。頬はほんのり赤く上気し、チラチラと横を歩く優輝のことを見ていた。

「…」

 その様子を観察していた全員が、それぞれ別のリアクションを起こした。

「しいちゃん風邪か?」

「マーサさん。わたくしという者がありながら、男なんかに色目を使って!」

「タンポポの花の色。日向ぼっこの匂い。この電波は…」

「まあ、彼女も女の子なんだぞ」

「具合悪いのか? 何か飲み物でも探そうか?」

「ふむ。難しい問題だな」

「ちっがーう!」

 オデコに手を当てられたり、腕を掴まれたり、みんなから揉みくちゃにされながら、舞朝は我に返って怒鳴り声を張り上げた。

「さて、これからどうします?」

 一年生がみんなして舞朝をオモチャにしているところを見ながら、ヤマト先輩が長身の小石を振り仰いだ。

「ん?」

 とくに考えを持っていなかったらしい小石が、困ったように見おろした。

「中途半端な時間ですが、食事なんてどうです?」

 アイコ先輩が助け船を出した。

「ちなみに、この周辺で食事できるところは碌にありません。バスで最寄りの駅へ移動してからの方がお薦めです」

「あー」

 草食系らしく小石が決断しきれないでいると、横で彼を慕っているラビット・セキネがうれしそうに跳ね始めた。

「『先生』食事していきましょうよ!」

「んー、そうだなー」

 それでも踏ん切りがつかないかのように、小石は優輝へ目を移した。

「もしかしてボクに遠慮しているんですか?」

 そっぽを向いていた優輝が、彼からの視線を感じたのか振り返って訊ねた。

「んー。渚は終わり次第に、帰寮させる約束なんだよなあ」

「問題なかろう」

 五郎八が腕組みをしながら、年長組の会話に入ってきた。

「プラネタリウムは終わったが、新入生歓迎の遠足はまだ続いておるのだから」

「~」

 小石が何とも言えない顔になった横で、ヤマト先輩が指を鳴らした。

「イロハ、ナイスアイディア」

「ちなみに、アイディアというより屁理屈の内に入ると思うんですが」

「いいのかな? そんな贅沢」

 いつも無機質というより昆虫的な優輝の顔面に、ダイオードに含まれるホウ素程度に、嬉しげな表情が混じった。

「いいんじゃない?」

 アイコ先輩が優しく微笑みかけた。

「本当なら観測会を開きたいところだけど、時短だもの。ここでその分楽しみましょ」

「観測会したいなあ」

 その単語だけに反応して舞朝が追いついてきた。すでに右腕に愛姫が当たり前のような顔をしてぶら下がっていた。

「マーサさん」

 それを諫めるように愛姫が声を固くした。小石が困った顔をしてみせた。

「その観測会ってやつ、どんなんだ?」

 ただ楽しそうだからという理由で入部した和紀が、誰ともなしに訊いた。

「まあ望遠鏡出して実際の星を見たり、天体写真を撮ったり、流星観測したり」

 舞朝が指折り数えて見せた。

「りゅうせい?」

「流れ星のことだ」

 聞き慣れない単語を直巳が補足してやった。

「流れた数や方位、色などを記録するんだ」

「そんな、いつ流れるか判らないのに?」

「ああ。じっと流れるのを待つ忍耐のいる作業だ。君には無理そうだな」

 直巳に指摘されて、自分を指差していた和紀はムムムと唸ると苦しそうに口を開いた。

「ど、努力する」

「星空を見上げるなんて…」

 恋する乙女が手を握り合わせて、天井のオリオン座(のプリント)を見上げた。

「しかも『先生』と一緒なんて…。ああ、なんてロマンチック」

「ラビットはソフトボール部でしょ。関係ないじゃん」

 冷たく言った舞朝に電光石火で振り返った。

「それとこれとは話は別。『先生』ボクも星見たいなぁ」

「えーと」

 教え子に詰め寄られて小石が仰け反った。

「あたしも見たいなぁ」

 反対側から舞朝も迫った。

「マーサさん。あまり無理をおっしゃらずに」

「おれも観測会やってみたいぞ」

「ナナもやりたいと思っているんだぞ」

「まあ弓原がやりたいなら、僕が反対する理由もないしな」

「それがしも星を愛でる乙女であるからな」

 わいわいと廊下でみんなが顧問に詰め寄った。

「わかりました」

 ずり落ちた剽軽な丸めがねを戻しながら、小石は溜息混じりに言った。

「じゃあ校舎での観測会は難しいから、富士五湖にあるいつもの天文台はどうでしょう? 東京から離れれば、事件も関係ないでしょうし。大学の天文台は深宇宙探査プロジェクトに参加しているから無理だろうけど、あちらなら空いているかもしれません」

「お!」

 和紀の表情が一気に明るくなった。

「話せるジャン! 小石チャン!」

「その、いつもの天文台って?」

 当然の質問に、直巳が答えた。

「前は清隆学園の天文台だったんだが、いまは老朽化で使用していないんだ。で、取り壊そうって話しになったんだが、歴史的価値があるとかで、地元の保存会が引き受けることになったらしい。いちおう『旧天文台』と呼んではいるが、たしか四月に譲渡式か何かをやったはずだが?」

 確認するように愛姫へ視線をやると、曇りがちな笑顔が返って来た。

「へー」

「ちなみに天文台まではかなり遠いですから、泊まりがけが前提になりますが?」

 アイコ先輩の心配をよそに一年生たちが盛り上がった。

「じゃあゴールデンウィークが近いから、そこで」

 舞朝が思いつきを口にすると、盛り上がりが絶好調に達した。一人だけ暗い顔をしていた愛姫が、彼女の右腕で溜息をついた。

「マーサさん…。はあ、判りましたわ。それに合わせて体調を整えておきます」

「やっぱり観測会というのも体力勝負なのか?」

 不安げな和紀が訊ねた。

「遊佐さんに申し上げてもわからないことでしょうが、女には色々と準備があるものなのです」

「ふ~ん」

 判らない顔のまま納得するふりをする和紀。

「マーサさんとの一夜…。ああ、胸が高鳴りますわ」

「そっちかよ」

 ペッと舞朝が愛姫の腕を振り払った。

「ボクにそんな贅沢は許されないと思っているんだが」

 定番のやりとりを見ながら、不安げな成分を混ぜて優輝が言った。

「謹慎のことか?」

 再び抱きつこうとしてくる愛姫に、手を突っ張りながら舞朝が確認した。

「それなら小石ちゃんに期待しなよ。今回だって大丈夫だったから、部活でのお泊まりも平気さ。ね、小石ちゃん」

「ん~」

 丸めがねの下で微笑みを広げた小石は、困ったように腕組みをした。

「そうじゃなくてね」

 開け放たれている両開きの扉から外へ先に出た優輝は、そこで悲しさを肩にのせて振り返った。

「こんなボクに許されるのかと思って」

 体ごと振り返った彼の向こうに、スーツ姿の男女が見えた。舞朝も見たことのある刑事、上下奈々芽と田久保光一の二人だった。

「!?」

 こんなところまで尾行()けてきて、警察はお前を監視しているのだぞと言わんばかりだ。舞朝は優輝の横へ行くと二人を睨み付けた。他の一年生たちも慌てて彼女に並んだ。

 そんな挑む目つきの集団を前に、奈々芽は大きく肩を上下させた。溜息をついたようだ。それで決心がついたのか、光一を従えて近づいてきた。

「こんにちわ」

「コンニチワ」

 奈々芽の挨拶に堅い声を返す優輝。

「寮で謹慎しているって聞いて訪ねてみたら、今日は天文部でここにお出かけって言われたものだから」

 まずは言い訳のようなセリフで、自分がここにやって来られた種明かしをしてきた。

「随分と緩い謹慎もあったものねぇ」

「我が校は、生徒たちに全幅の信頼を持っていますから」

 捜すのに手間がかかったと批難がましい口調で小石に言うと、彼も彼で平然と微笑みで応えた。

「で? またボクが、なにかやらかしましたか?」

 まるで他人事のように、そして一人称を使って優輝が奈々芽に質問した。

「また事件があってね」

 捜査の内容を教えるわけにはいかず、奈々芽の口調は歯切れの悪いものだった。

「昨夜は…、昨日の夜はどこにいたのか聞きに来たのよ、渚優輝クン」

「そんなの、きまっているでしょ」

 爬虫類が微笑んだような顔になって優輝が言った。

「事件現場じゃないところですよ」

 挑発的な言葉に、しかし奈々芽は大きな溜息で応えた。

「渚の謹慎処分が緩いと言われましたが、さすがに夜間に外出させるほどじゃないですよ」

 助け船なのか小石が柔らかく奈々芽に言った。

「ボクが部屋にいたかどうかは、刑事さんが信じるかどうかで変わると思うんだけど」

「渚くんの世話になっている寮では、もともと夜間は外出禁止だと思うんですが?」

 禅問答のような優輝の言葉に、苦笑いのようなものを浮かべた奈々芽が言い返した。それを聞いて「ほらね」と言わんばかりに優輝は肩をすくめて小石を振り返った。

「まあいいでしょう」

 これ以上は水かけ論だと言わんばかりに、奈々芽は自分の前髪を整えながら目を閉じた。

「でも、これだけは言っておきます。昨夜新たな犠牲者が出ました。我々は全力で犯人を追っています。きっと近日中に犯人を捕らえることができると思います」

「それだけで、ボクのところに顔を出したんですか?」

 プレッシャーを与えるだけなら電話だけでも事足りたはずだ。

「これはまだ捜査中で、詳しくは言えないのだけど」

 挑戦する目にしてはヤル気が感じられない半眼で奈々芽は優輝を見た。

「犯人が犯行の最中を撮ったと思われる映像があってね。その映像の中で被害者が何かつぶやいていたのよ」

「なにをです?」

 対抗心より好奇心の方が優った声で優輝は訊いた。その手は喰わないとばかりに奈々芽が溜息を鼻から抜いた。

「ボリュームを上げて、雑音を機械で消したら、はっきりと聞こえたわ。『ナギサ ユウキ』と口にしているのが」

 国民的アニメでよく聞かれる「犯人はお前だ」のフレーズが今にも出そうな雰囲気に、優輝はそれでも余裕たっぷりに見えた。

「それはどこのナギサちゃんとユウキちゃんなんでしょうねえ」

「さあ? きっと清隆学園という学校法人にある高等部あたりじゃないかしら」

 奈々芽は両手を上に向けて肩をすくめてみせた。さすが外国での研修経験があるだけあって、だいぶ板についたジェスチャーだった。

「まあ、犯人に繋がる証拠が見つかったら教えてください」

「そうするわ」

 嫌味なほどにこやかに奈々芽が言った。

「きっと、その時は逮捕状も持ってくることになると思うけど」



「すっかり遅くなってしまった」

 小石が後悔するような声を漏らした。周囲は暗く、すでに陽は暮れていた。それだけではない、頭上には今にも雨が降りそうな雲まで広がっていた。

「まあ、小石ちゃんのせいじゃないし」

 舞朝がはげますように言った。

「みんなで、ファミレスで駄弁りすぎたな」

 店内でも一番楽しんでいた様子だった和紀が、他人事のように言った。

「弓原とか近藤とかは、先に帰ったらどうだ?」

 直巳が腕を組んで歩いている二人に訊いた。

「わたくしはマーサさんの行かれるところでしたら、どこでもお供いたしますわ」

 愛姫が微笑んで舞朝を見おろした。

「もう『銅志寮』まで、すぐそこじゃないか」

 舞朝は細い道の先を指差した。本当なら日没まであと一時間は余裕があるのに、天候のせいで早くも街灯が点き始めていた。

 両側には、道を見おろすほど敷地一杯に建てられた一般住宅が並んでいた。武蔵野の静かな住宅地と言えば聞こえがいいが、この周辺にあるのは清隆学園の他は田んぼだらけという立地である。買い物一つするにも自家用車が必要になるような場所だった。

 市の中心部にある私鉄の特急停車駅。そこにあるファミレスで顧問を交えたまま談笑していた一同であるが、男子寮の門限が迫っていた。

 大人の監視付きだとはいえ謹慎中の身分である優輝に、これ以上寮規違反をさせるわけもいかず、舞朝たち一年生は、バスと徒歩で学園裏にある男子寮へと向かっている最中だった。

 最近物騒な事件が起きているので、アイコ先輩はファミレスから直接帰宅することにし、ヤマト先輩がその護衛をおおせつかった。もちろん二人きりになった先輩たちには、先輩たちなりのプライベートがあると配慮の上だ。アイコ先輩なんかは何度も「何か」を否定していたが、まあしつこく質問するのも無粋という物であろう。

 そういうわけで、優輝の身柄を寮監へ引き渡すまで責任がある小石の他に、天文部一年生の全員が優輝につきあうように歩いていた。

「じゃあ来週の週末に決定だからな」

 まるで遠足前の小学生のような、はしゃぎっぷりは和紀である。

「本当に行くのか」

 右腕を愛姫に取られたままの舞朝が、溜息の出そうな声で確認した。観測会をやるのはいいが、もう色々なことが面倒になっているようだ。

「あれ? オマイが言いだしたことだろ。観測会やりたいって」

「そうだけどさあ」

 ウキウキしている和紀をジト目で睨みながら舞朝がつぶやくように言った。

「騒ぐおまえの面倒を見るのは誰だよ」

「自分のことは自分でできるさ。もう高校生だぜ」

 胸を張る和紀に、本当の溜息が出た。

「まあまあ。ボクだって少し浮かれているから」

 慰めるつもりなのか、またパーカーのフードを被って表情を隠した優輝が、声だけで舞朝を振り返った。

 道は多摩川の河岸段丘による下り坂に差し掛かった。両側に迫っていた住宅により感じていた圧迫感が、眺望が少しだけ開けたことにより軽減された。

 暗い道の向こうに清隆学園に属する建物たちの灯りが見通せた。

「そういえばユウキは何号室なんだっけ?」

 ふと思いついた疑問を舞朝は口にした。

「二階の十三号室って教えたと思ったけど」

「お? しいちゃんったら、夜這いの下調べか?」

「ば、ばか」舞朝が夜目にも判るほど赤くなった。

「それに、その呼び方やめろって言っているだろ」

「前から不思議に思っていたのだが、その『しいちゃん』の由来は何なのかな?」

 直巳がつまらなそうに訊いた。

「あ~、それは…」「小学校の時のものだ!」

 和紀の声に、もっと大きな舞朝の声が重ねられた。

「ほら。昔のアダナなんか良い想い出が無かったりするだろ。そんなもんだ」

 早口で話を切り上げようとする舞朝を、身長差から見おろしていた直巳だったが、好奇心は抑えられなかったようだ。

「で? 遊佐。由来はなんだ?」

 しかし口を開いた和紀は、舞朝の表情を見て一言も発することができなかった。

「誰にだって触れられたくない、過去という物があるもんなんだぞ」

 年長者の意見といった態でカインが言った。声だけならば納得できそうだが、振り返って見てみれば、しきりと丸くて柔らかそうな前足を動かして、頬の辺りを掻いているライオンのぬいぐるみであることには変わりはなかった。

「カインよ」

 重大なことを打ち明けるような口調で五郎八が口を開いた。

「あまり顔を掻くな」

 全員が「やはりぬいぐるみだから、毛並みが剥げると修復が難しいからか?」と思ったが、そうではないようだ。自信たっぷりな声で彼女は告げた。

「猫が顔を洗ったら雨が降るではないか」

 五郎八の指が上空へ向けられた。

「だああ」

 脱力する舞朝を愛姫が支えた。

「失礼な! 僕は猫でなくてライオンの!」

「あれ? 南の魚座はフォーマルハウトから来た宇宙人じゃないのか?」

「そもそも宇宙人の移動速度というのは光速を超えるのか? たしか二五光年先の天体だぞ」

「移動には、いつも中央光速を利用しているんだぞ」

「なんじゃそりゃ? 宇宙船の道か?」

「帰省に鉄道を使うと、向こうでの移動が大変なんだぞ」

「宇宙に鉄道って…。銀河鉄道かよ…」

 楽しそうにカインの『設定』にツッコミを入れる一年生たち。それを見おろす顧問の小石。

 暗い道で街灯の下で楽しげに交わされる若者たちの会話を、離れた位置から見ている目があった。

「まったく呑気な物ね」

 いつもの半眼をさらに細めて呟いたのは、上下奈々芽であった。

「殺人犯がそこにいるっていうのに」

「まあ、そう決めつけるなよ」

 彼女の背後を守るような位置から田久保光一が宥めるように言った。

「まだ彼と決まったわけではないだろ」

 ガッチリとした証拠があれば、奈々芽たちはこんな所で安物の刑事ドラマごっこなどしなくても済んでいるはずだ。裁判所に逮捕状を発行して貰い、彼の手首に鉄製の輪っかをかけてしまえばいい。だが犯人(とおぼしき人物)が撮影した被害者(とおぼしき人物)が(加工されたかもしれない)映像の中で彼の名前(のようなもの)を呟いていただけでは、いくら日本の司法が有能でも(いや有能だからこそか?)彼への逮捕権執行を認めるはずがなかった。

 奈々芽にできることと言えば、こうして一日中尾行することにより、彼へのプレッシャーを高め、それにより彼がヘマをしてくれることを期待するぐらいだ。もちろん上司の未公認である。

 ちなみに、この道は一方通行なので、所轄から借りだした車は、国道沿いのコンビニへ駐車してきている。あとで苦情が警察署に寄せられたら、頭を下げるのは、もちろん光一である。

「移動するわよ」

 優輝たち天文部の一団が歩き出したのを見て、奈々芽も移動を開始した。

「こんなことしてて、いいのかなあ」

 光一の嘆くような呟きが、背中から離れた位置から聞こえた。

「いいのよ。とくに審議官だって妨害しないって事は、期待しているってことじゃない」

 奈々芽は振り返らずに答え、優輝を見失わないように足を速めた。

「?」

 坂を下りきったところで気がついた。いつもならもう一言二言嘆き節を漏らす光一の気配が感じられなかった。

「ちょっとぉ」

 少し屈むような姿勢で追跡していた奈々芽は、背を伸ばすと背後を振り返った。

 猫の子一匹いなかった。

 見えるのは今下ってきた暗い坂道だけである。坂道の途中にあるポツンと点っている街灯で、河岸段丘の崖が雑木林の名残で、木立が密集していることが見て取れるだけだ。残った方位は田んぼと住宅が半々といった風景だった。

 前方の一団以外には人気が全く感じられなかった。閑静な住宅街と言ったら聞こえがいいが、ここが本当に東京かよといった田舎の風景だった。

「おどかしっこなしよ」

 暗い中でも、坂道を降りきったすぐに、右へ入る街路を見て取った奈々芽は、子供のイタズラに飽きたような、主婦の溜息と同じ成分の物を吐き出した。

「いくらなんでも、子供じみたイタズラじゃない?」

 そう話しかけても一向に姿を現さない光一に焦れて、奈々芽は来た道を戻り始めた。

 交差点まで戻って覗き込んでみた。脇道にも常夜灯がポツポツと点いていた。崖と住民が不在な様子の暗い住宅の挟まれた路地。

 暗闇を見透かすために一層目を細めた。

(隠れるとしたら、あそこか)

 光一ですら楽々と隠れられそうなブロック塀が続いており、玄関があると思われる正面で切れていて門となっていた。

 向こうの子供じみた態度に感化されて、こちらも脅かしてやろうと壁沿いを慎重に進み、そして暗闇に飛び出した。

 その途端に足を掬われて転倒。

「あいつつ」

 何か柔らかいのに芯がある物に躓いたようだ。暗くてよく見えない中を手で探ってみた。

「え?」

 手に生暖かくぬるっと粘つく物が付着し、その気持ち悪い温度で飛び退ってしまった。

「はぁはぁ」

(犬? それにしては吼えないな?)

 何者かの息遣いだけが、暗闇の中から聞こえてくる。首を傾げたついでに、自分の右手が遠くの街灯の光を受けた。

 奈々芽の右手は真っ赤に濡れていた。

「え? え?」

 その街灯の明かりで暗闇を透かしてみた。暗い地面にぼうっと黒い塊が浮かび上がって見えてきた。それが自分の相棒だと気がつくのに時間はかからなかった。

「光一!」

 つい名前で呼んでしまいながら、奈々芽は光一の体にとりついた。

 だがあまりの暗闇にどこから出血しているかも判らなかった。仕方なく奈々芽は光一の肩の下へ腕をまわすと、苦労しながら道へと引っ張り出した。

 光一は(うつぶ)せの状態で倒れていた。その後頭部は、何か硬い物で何度も殴られて潰れていた。

 こんな暗い場所でも、致命的な怪我であることは一目瞭然だった。

(そんな…)

 それは今回の事件で被害者が受けた傷と、同じような傷だった。奈々芽はスマートフォンを取り出すことも忘れ、光一の傷口をただ見おろしていた。

(光一は犯人に襲われたって言うの? たしかに渚優輝は私たちの前を歩いているっていうのに…)

 追っていた優輝が犯人でなかった可能性に、奈々芽は棒立ちとなってしまった。

(そうよ。凶器の問題があった…)

 光一の傷口を見て茫然自失となりながらも、奈々芽の明晰な頭脳が回転し始めていた。

(彼はいつも手ぶらで凶器を持ち歩いている様子は無かった。犯人だったら棍棒状の何かを持ち歩いているはず)

 被害者のいずれもが、棍棒状の何かで痛撃をくらって昏倒し、その後鋭利な刃物で解体されていた。

(そんな物を持ち歩いていたのは…)

 どこからかカラカラと乾いた音が聞こえてきた。アスファルトで舗装された道を、なにか金属製の物で擦っているような音だった。

(まさか…。私の推理が間違っていた? でもプロファイリングの結果は、近傍に居住の高校生と…)

 その時、天啓のように昼間の会話が、彼女の脳裏で再生された。

「それはどこのナギサちゃんとユウキちゃんなんでしょうねえ」

 と、彼が言った。

「さあ? きっと清隆学園という学校法人にある高等部あたりじゃないかしら」

 と、彼女が答えた。

 そして彼女は気がついた。

(たしか関係者にもう一人、ナギサちゃんでユウキちゃんがいたわ)


 She come to kill Me

 She come to kill Me

 She come to kill Me

 It’s true that

 I said three time


 聞こえてきた声に夜道を振り返ると、そこに黒い服装をした小柄な影が立っていた。


 相手は楽しそうに嗤っていた。




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