最も長い一日
・・・・・その日の朝、志乃はひどい悪夢で目を覚ました。
とても息苦しい熱い部屋に閉じ込められた夢。
あの日の納戸を思い出す、そんな嫌な夢だった。
・・・・・全身が汗でびっしょりだった。
この倦怠感はなんだろう・・・・・。
ちょうどその時、安静にしている志乃の元へ、
お勝が朝食を運んで来た。
「お早う志乃、今日も良く眠れたかい?」
みそ汁の良い香りと共に離れの扉を開けると、
上半身を起こして、布団の上で丸くなっている志乃を見て青ざめた。
額は汗でびっしり濡れており、志乃は布団を固く握りしめて身悶えしていた。
「どうしたの?志乃!お腹が痛いの?」
「分からない、でも、苦しい・・・・・。だるくて、痛い・・・」
お勝はすぐに布団をめくった。
『出血している!』
何てこと!一番恐れていたことが起こってしまった!
「誰か!お市!藤吉郎!誰でもいいから、
すぐに菅原先生を呼んで来て!早く!」
お勝は廊下に向かってありったけの大声で叫んだ。
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・・・・・その後の事を、のちに思い出せる者は少ないだろう。
それ程に高倉家は騒然となり、こんな時に限って重蔵は、
仕事で留守にしていた。
しばらくして、菅原医師が駆けつけたが、やれる事はまだ何もなく、
刻々と時間だけが過ぎて行くだけだった。
臨月にはまだ早く、産まれれば未熟児だ。
志乃の隣の部屋を、汗が噴き出すほどに暑くし、沢山のさらしと、
大量のお湯を沸かして準備をした。
ただ時間だけが過ぎる部屋の中、志乃のもだえ苦しむ声と、
それを励ます声だけが辺りに響き、高倉家は緊張と恐怖に包まれていた。
一向に産まれてくる気配のない志乃の体は、
まだ産道はまったく開いておらず、出血だけが、ただおびただしい。
まだ陣痛自体が起こっていないのだ。
次第に志乃は痙攣を起こし始めた。
このままでは母子ともに危険な状態だ。
菅原は焦った。ここで胎児を引き出すか、もうしばらく待つか・・・!
すでに半日が経過し、夕刻が迫って来ていた。
「・・・惣一朗さん!」
志乃は痙攣を繰り返し起こしながら、
何度もその名を呼んで、叫んでいた。
「大丈夫よ、志乃!もうすぐ帰って来る!
帰って来るから、頑張って志乃!」
「もうダメ・・・、私、怖い・・・!私、惣一朗さん!」
うっすらと開いた志乃の目から涙がこぼれ、
何もない空をつかむように手を伸ばした。
「志乃!しっかり!気を失っちゃ駄目!」
お勝はその手をつかんで必死に叫んだ。
「志乃ちゃん!眠っちゃいかん!いきめるか!
腹に力を入れられるか!」
「出来ない・・・、出来ない・・・私、苦しい・・・惣一朗さん・・・・・・・・・」
志乃は首を横に振り、涙を流しながらもがき苦しむばかりだ。
(もう駄目だ!)
菅原は決断した。
奉公人の女達に指示し、志乃の足を大きく広がせて押さえさせた。
「志乃!志乃! しっかりしてっ!先生!志乃がぁっ!」
お勝の悲鳴に菅原はハッとし、股から顔をあげて志乃の顔を見た。
その顔は青ざめて血の気が失せており、
呼吸が止まっているように見えた。
子供を引き出すより、先に志乃の処置をしなければ、
このままでは心臓が止ってしまう!
その時だった。
意識の無い志乃の体から、何かに導き出されたかのように、
スルリと子供が流れるように出てきたのだ。
皆がそれを茫然と見つめて動けずにいた中、
先に我に返ったのはお市だった。
「赤ちゃんがっ!」
お市は素早く赤ん坊を取り上げ、生死を確認した。
「・・・生きています・・・」
その言葉に、そこに居たすべての者が、安堵のため息を漏らした。
そして菅原はすぐに志乃を見た。
意識は失っているが、なんとかか細く息をしていた。
菅原は先に赤ん坊の処置をした。
未熟児だというのに、赤ん坊は予想外によく育って産れてきた。
これなら心配はないだろう・・・・・。
そして志乃は・・・・・。
脈も弱くいつ止まってもおかしくない状態であった。
いくら呼んでもまったく応じず、あらゆる方法を試してみたが、
志乃はまったくなんの反応も示さなかった。
「先生!志乃は目を覚まさないんですか!どうなっているんですか?」
お勝は半狂乱になって、菅原につかみかからん勢いで
問い詰めてきたが、菅原は険しい表情をしたまま無言のままだった。
彼は名医とうたわれ、自身もそれを自負していた。
だが今までこんな状態は見たことが無い、経験したことがなかった。
子供が一人で産まれてくるなど、あり得ないからだ。
菅原はこの状況を整理出来ずに、
自分でも訳が解らない言い方をお勝にしてしまった。
「解らん!解らんのじゃ!医者のわしが言うのも馬鹿げておるが、
これは奇跡としか言い様がない!だから、解らんのじゃ!」
・・・・・その後、いくら手を尽くしても志乃が覚めることは無く、
そのまま昏睡状態が続いた。
・・・・・そして、志乃が目覚めないまま、丸二日が経ってしまった。




