志乃からの手紙
翌日の早朝、岡部は惣一朗の負傷を、
十八隊団の田原に報告に行った。
今、惣一朗を動かすのは困難な為、
合流をしばらく待って欲しいと嘆願しに。
田原は神経質と言うより、実は小心者だったのだろう、
勘が働いたのか、自分の身代わりに
惣一朗が襲われたと気が付いたのか即、快諾した。
岡部は内心、強引に合流を迫られると思っていただけに
拍子抜けした。
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夕刻、二十二隊団に戻った岡部は、急いで惣一朗の元へ向かった。
祈る思いで天幕の中へ入った岡部は、息をしている惣一朗を見て、
一気に全身の力が抜けるような安ど感と共に、自然に涙が込み上げてきた。
「ああ、少尉…、よかった・・・・・」
岡部は心の底から思った。
兵士達の献身的な看護のお陰でどうにか血は止まったが、
あまりにも大量の血を失ってしまった為、惣一朗の顔は蒼白し、
また傷口には鎌のサビや泥が入り込み、炎症を起こして高熱を出していた。
このままでは破傷風を起こしてしまう。
野草の知識のあった兵士が、なんとか解毒剤を作り
惣一朗に飲ませたが、気休めでも今はわらをもすがる思いで皆、
代わる代わる惣一朗の容体を看に来ていた。
岡部は兵士に、村へ行って医師を探すように命令した。
・・・・・だが、自分たちを糾弾する兵士の治療を引き受ける医師がいるとは
到底思えないが、それでも岡部は祈った。
自分をかばい、負傷した惣一朗を
何としても彼を待つ妻の元へ帰してあげたい!その一心で。
岡部はずっと惣一朗の傍に付き添い、献身的に看護をした。
そして熱と傷みでうなされる惣一朗のうわ言を聞いた。
「しの・・・・・し、の・・・・・」
『しの』
惣一朗の妻の名だろうか。
そう言えばまだ妻の名を聞いていなかった。
惣一朗は三日三晩、生死の境をさまよい続け、その間、何度も
『しの』とうわ言を発し、予断を許さない状態が続いた。
そして三日目の夕刻、惣一朗はうっすらと目を開けた。
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「少尉!高倉少尉!分かりますか?」
「あ・・・・・、岡部軍曹・・・・・」
「はい、岡部です!」
「ああ・・・なんだ・・・・・、どう、なっている・・・・・?」
朦朧とした意識の中で、惣一朗はゆっくり辺りを見ようとしたが、
全身を激痛が駆け巡り、思わずうめいた。
首も思う様に動かなかった。
顔を近づけて話しかけて来た岡部の眼には、
涙が浮かんでいた。
「まだあまり話さないで下さい。少尉は大怪我をされて、
三日間もずっと眠っていらしたのですよ」
「そうか・・・・・、ツっ!水を・・・、水をくれないか・・・・・」
岡部は一さじずつ、ゆっくり惣一朗に水を飲ませてあげた。
むせながら惣一朗は水を飲み、自分に何が起こったのか、
この激痛の原因が何だったのか、
まだはっきりとしない頭で考えていた。
だが、それよりも先に、岡部に水を飲まされている光景を見つめ、
以前にもこんな事があったのを思い出していた。
そう、ここに出兵する前夜、納戸に閉じ籠った志乃に
一さじずつ同じ様に水を含ませてやった事だ。
ああ・・・・・、志乃もこんなに苦しかったのか、可哀想に・・・・・。
惣一朗は自分の痛みよりも、志乃が味わった苦痛を嘆き悲しんだ。
やはり早く帰ってやらないと、ずっと今も泣いているんだろう・・・・。
「・・・・・今日は、何日・・・だ?」
「十月二十九日です」
「・・・・・もうすぐ十一月か・・・・・、寒いな・・・・・」
山はもうすぐ冬を迎える。まだ雪は降らないが、
惣一朗は大量の血を失っていたので、ひどく寒く感じられた。
岡部も承知していたので、惣一朗が狩った沢山の獣たちの毛皮に
惣一朗を寝かせ、巻きもたくさん燃やして天幕を暖かくしていた。
皮肉にも田原がくれたマントが、惣一朗を保温するのに役に立っていた。
惣一朗は疲れたのか、うとうとし始めたので、
岡部は慌てて朗報を伝えた。
「少尉!少尉が眠っている間に、
盗まれた補給物資の中から手紙が出てきました。
少尉の奥様からのです!」
惣一朗の意識はまだ朦朧としていたが、
『手紙』の二文字で目が覚めた。
「何?志乃から?手紙が?」
「はい!初めは我らが移動したせいで本部預かりに。
その後は、農民に奪われた物資の中に入っていたようです!」
「読んで・・・・・、読んでくれ!」
「よろしいのですか?」
「構わない、早く!」
惣一朗はまるで子供の様に、岡部をせかせた。
岡部は本部に届いた一通目から封を切った。
『 惣一朗さん。お元気ですか?
怪我はしていませんか?
危ない目には合っていませんか?
あなたの事を考えると心配で夜も眠れず、
毎日泣いてばかりいます。 』
その一文を岡部が読み終えた途端、
惣一朗は今まで岡部が見たことがない、優しい笑みを浮かべ、
ひとこと言った。
「やっぱり泣いていたのか・・・、続きを」
『 惣一朗さんにとても大切なお知らせがあります。
私のお腹に赤ちゃんが授かりました 』
今度は岡部が読み上げた途端、驚いて惣一朗の顔を見た。
惣一朗もまた同様に驚いた顔で、手紙を見つめていた。
岡部は慌てて続きを読み上げた。
『 惣一朗さんが行ってしまい、悲しくて
ずっと泣いて吐き続けていました。
菅原先生が診て下さり、驚いたことに
もう五ヶ月目に入っているとおっしゃっていました。
私も気が付かなくてごめんなさい。
惣一朗さん、お願い早く帰って来て。
あなたと一緒に喜びたいの
志乃 拝 』
「・・・それはいつの物だ?」
「七月二十日の日付です」
「俺が行ってすぐじゃないか・・・。じゃあもう志乃のお腹に子供が・・・、
俺の子供がいたのか?」
「おめでとうございます!少尉!」
驚いたまま、まだ信じられないといった顔をしている惣一朗に、
岡部は心からの祝福の言葉は述べた。
「ああ・・・、ふしぎな気分だ・・・・・今日は何日だった?」
「十月二十九日です」
「そうか・・・、もう三か月も前か・・・・・。
志乃のお腹も、だいぶ目立っているだろうな・・・」
横たわっていた惣一朗は天井を見上げ、志乃の妊婦姿を想像してみたが
まったく思いつかず、ククっと笑いが込み上げたと同時に
全身に激痛が走り、思わずうめき声をあげてしまった。
「大丈夫ですか少尉?」
「・・・ああ・・・・・大丈夫だ。それより、他はあるか?」
「はい」
岡部は次の手紙を読み上げた。
『 惣一朗さん、赤ちゃんができた知らせは届いていますか?
何度も手紙を出していますが、
赤ちゃんの事が何も書かれていないので心配です。
私の手紙は届いていますか?
惣一朗さん、私もあなたに会いたい。
会いたくて、会いたくて、会いたくて、
もうどうしていいか分かりません。
どうか無事で早く帰って来て下さい。
志乃 拝 』
・・・・・しばらくの沈黙の後、
「可哀想に、志乃・・・。次はあるか」
と惣一朗は言った。
相当の激痛であろうに、体全体で息をしながら、
読み上げる手紙にじっと静かに耳を傾けている姿に、
岡部は胸を打たれて、必死でこみ上げてくる涙を押さえながら読んでいた。
そして三通目を開いた。
『 惣一朗さん、出産日が判りました。
菅原先生が十二月に入ってからとおっしゃいました。
でもお腹はまだとても小さくて、本当に産まれてくるのか心配です。
惣一朗さんが居ないと、一人で産むのは不安で怖いです。
でも惣一朗さんも、一人で命がけのお勤めをしているんですもの、
私も頑張って立派に産んでみせます。
でもやっぱり、産まれるまでには帰って来てください。
志乃 拝 』
薪の燃える暖炉の中から「パチパチッ」という木の弾く音が
やたらと耳についた。
惣一朗は何気ないつもりで、ぽつりとつぶやいた。
「十二月か・・・・・、あと二ヶ月、早く除隊しないと・・・・・」
「え?除隊ですか?」
岡部はまた驚いた。
事情を知らないとは言え、岡部の眼にはこの高倉惣一朗という青年は
とても優秀に見え、この青年であればこのままいけば大尉、
いや少佐まで昇格できる器だと確信していただけに、
妻の『帰って来てほしい』の一言で、
軍歴をあっさり捨てて帰ろうとするなんて・・・・・!
惣一朗にせかされて、ハッと我に返った岡部は
次の手紙を手に取った。
それは高倉勝からのものだった。




