表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/61

志乃からの手紙



 翌日の早朝、岡部は惣一朗の負傷を、

十八隊団の田原に報告に行った。


 今、惣一朗を動かすのは困難な為、

合流をしばらく待って欲しいと嘆願しに。


田原は神経質と言うより、実は小心者だったのだろう、

勘が働いたのか、自分の身代わりに

惣一朗が襲われたと気が付いたのか即、快諾した。


 岡部は内心、強引に合流を迫られると思っていただけに

拍子抜けした。


***************************


 夕刻、二十二隊団に戻った岡部は、急いで惣一朗の元へ向かった。


 祈る思いで天幕の中へ入った岡部は、息をしている惣一朗を見て、

一気に全身の力が抜けるような安ど感と共に、自然に涙が込み上げてきた。


「ああ、少尉…、よかった・・・・・」

 岡部は心の底から思った。


 兵士達の献身的な看護のお陰でどうにか血は止まったが、

あまりにも大量の血を失ってしまった為、惣一朗の顔は蒼白し、

また傷口には鎌のサビや泥が入り込み、炎症を起こして高熱を出していた。


 このままでは破傷風を起こしてしまう。

野草の知識のあった兵士が、なんとか解毒剤を作り

惣一朗に飲ませたが、気休めでも今はわらをもすがる思いで皆、

代わる代わる惣一朗の容体を看に来ていた。


 岡部は兵士に、村へ行って医師を探すように命令した。

・・・・・だが、自分たちを糾弾する兵士の治療を引き受ける医師がいるとは

到底思えないが、それでも岡部は祈った。


 自分をかばい、負傷した惣一朗を

何としても彼を待つ妻の元へ帰してあげたい!その一心で。 

 岡部はずっと惣一朗の傍に付き添い、献身的に看護をした。

 そして熱と傷みでうなされる惣一朗のうわ言を聞いた。


「しの・・・・・し、の・・・・・」


『しの』


 惣一朗の妻の名だろうか。

 そう言えばまだ妻の名を聞いていなかった。



 惣一朗は三日三晩、生死の境をさまよい続け、その間、何度も

『しの』とうわ言を発し、予断を許さない状態が続いた。


そして三日目の夕刻、惣一朗はうっすらと目を開けた。


****************************


「少尉!高倉少尉!分かりますか?」

「あ・・・・・、岡部軍曹・・・・・」

「はい、岡部です!」

「ああ・・・なんだ・・・・・、どう、なっている・・・・・?」


 朦朧とした意識の中で、惣一朗はゆっくり辺りを見ようとしたが、

全身を激痛が駆け巡り、思わずうめいた。

 首も思う様に動かなかった。


 顔を近づけて話しかけて来た岡部の眼には、

涙が浮かんでいた。


「まだあまり話さないで下さい。少尉は大怪我をされて、

三日間もずっと眠っていらしたのですよ」

「そうか・・・・・、ツっ!水を・・・、水をくれないか・・・・・」


 岡部は一さじずつ、ゆっくり惣一朗に水を飲ませてあげた。

むせながら惣一朗は水を飲み、自分に何が起こったのか、

この激痛の原因が何だったのか、

まだはっきりとしない頭で考えていた。


 だが、それよりも先に、岡部に水を飲まされている光景を見つめ、

以前にもこんな事があったのを思い出していた。


 そう、ここに出兵する前夜、納戸に閉じ籠った志乃に

一さじずつ同じ様に水を含ませてやった事だ。


 ああ・・・・・、志乃もこんなに苦しかったのか、可哀想に・・・・・。



 惣一朗は自分の痛みよりも、志乃が味わった苦痛を嘆き悲しんだ。

やはり早く帰ってやらないと、ずっと今も泣いているんだろう・・・・。


「・・・・・今日は、何日・・・だ?」

「十月二十九日です」

「・・・・・もうすぐ十一月か・・・・・、寒いな・・・・・」


 山はもうすぐ冬を迎える。まだ雪は降らないが、

惣一朗は大量の血を失っていたので、ひどく寒く感じられた。


 岡部も承知していたので、惣一朗が狩った沢山の獣たちの毛皮に

惣一朗を寝かせ、巻きもたくさん燃やして天幕を暖かくしていた。

 皮肉にも田原がくれたマントが、惣一朗を保温するのに役に立っていた。


 惣一朗は疲れたのか、うとうとし始めたので、

岡部は慌てて朗報を伝えた。


「少尉!少尉が眠っている間に、

盗まれた補給物資の中から手紙が出てきました。

少尉の奥様からのです!」


 惣一朗の意識はまだ朦朧としていたが、

『手紙』の二文字で目が覚めた。


「何?志乃から?手紙が?」


「はい!初めは我らが移動したせいで本部預かりに。

その後は、農民に奪われた物資の中に入っていたようです!」


「読んで・・・・・、読んでくれ!」

「よろしいのですか?」

「構わない、早く!」


 惣一朗はまるで子供の様に、岡部をせかせた。

岡部は本部に届いた一通目から封を切った。



『 惣一朗さん。お元気ですか?

  怪我はしていませんか?

  危ない目には合っていませんか?

  あなたの事を考えると心配で夜も眠れず、

  毎日泣いてばかりいます。  』


 その一文を岡部が読み終えた途端、

惣一朗は今まで岡部が見たことがない、優しい笑みを浮かべ、

ひとこと言った。


「やっぱり泣いていたのか・・・、続きを」


『 惣一朗さんにとても大切なお知らせがあります。

  私のお腹に赤ちゃんが授かりました   』


 今度は岡部が読み上げた途端、驚いて惣一朗の顔を見た。

 惣一朗もまた同様に驚いた顔で、手紙を見つめていた。

 岡部は慌てて続きを読み上げた。


『  惣一朗さんが行ってしまい、悲しくて

   ずっと泣いて吐き続けていました。

   菅原先生が診て下さり、驚いたことに

   もう五ヶ月目に入っているとおっしゃっていました。

   私も気が付かなくてごめんなさい。

   惣一朗さん、お願い早く帰って来て。

   あなたと一緒に喜びたいの

                   志乃  拝  』 



「・・・それはいつの物だ?」

「七月二十日の日付です」

「俺が行ってすぐじゃないか・・・。じゃあもう志乃のお腹に子供が・・・、

俺の子供がいたのか?」


「おめでとうございます!少尉!」


 驚いたまま、まだ信じられないといった顔をしている惣一朗に、

岡部は心からの祝福の言葉は述べた。


「ああ・・・、ふしぎな気分だ・・・・・今日は何日だった?」

「十月二十九日です」


「そうか・・・、もう三か月も前か・・・・・。

志乃のお腹も、だいぶ目立っているだろうな・・・」


 横たわっていた惣一朗は天井を見上げ、志乃の妊婦姿を想像してみたが

まったく思いつかず、ククっと笑いが込み上げたと同時に

全身に激痛が走り、思わずうめき声をあげてしまった。


「大丈夫ですか少尉?」

「・・・ああ・・・・・大丈夫だ。それより、他はあるか?」

「はい」

 岡部は次の手紙を読み上げた。



『  惣一朗さん、赤ちゃんができた知らせは届いていますか?

   何度も手紙を出していますが、

   赤ちゃんの事が何も書かれていないので心配です。

   私の手紙は届いていますか?

   惣一朗さん、私もあなたに会いたい。

   会いたくて、会いたくて、会いたくて、

   もうどうしていいか分かりません。

   どうか無事で早く帰って来て下さい。 

                      志乃 拝   』



・・・・・しばらくの沈黙の後、

「可哀想に、志乃・・・。次はあるか」

と惣一朗は言った。


 相当の激痛であろうに、体全体で息をしながら、

読み上げる手紙にじっと静かに耳を傾けている姿に、

岡部は胸を打たれて、必死でこみ上げてくる涙を押さえながら読んでいた。


 そして三通目を開いた。


『  惣一朗さん、出産日が判りました。

   菅原先生が十二月に入ってからとおっしゃいました。

   でもお腹はまだとても小さくて、本当に産まれてくるのか心配です。

   惣一朗さんが居ないと、一人で産むのは不安で怖いです。

   でも惣一朗さんも、一人で命がけのお勤めをしているんですもの、

   私も頑張って立派に産んでみせます。

   でもやっぱり、産まれるまでには帰って来てください。

                          志乃  拝  』



  薪の燃える暖炉の中から「パチパチッ」という木の弾く音が

やたらと耳についた。

 惣一朗は何気ないつもりで、ぽつりとつぶやいた。


「十二月か・・・・・、あと二ヶ月、早く除隊しないと・・・・・」

「え?除隊ですか?」


 岡部はまた驚いた。

 事情を知らないとは言え、岡部の眼にはこの高倉惣一朗という青年は

とても優秀に見え、この青年であればこのままいけば大尉、

いや少佐まで昇格できる器だと確信していただけに、

妻の『帰って来てほしい』の一言で、

軍歴をあっさり捨てて帰ろうとするなんて・・・・・!


 惣一朗にせかされて、ハッと我に返った岡部は

次の手紙を手に取った。

 それは高倉勝からのものだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ