吾妻村 二十二隊団
惣一朗が吾妻村の二十二隊団に着任してから、すでに半月が過ぎ、
高倉家を後にしてから一か月半が経っていた。
着任後、幸いにも惣一朗はまだ暴動や一揆には、
一度も遭遇していなかった。
ただ、腹を空かせた農民が、たびたび陸軍の陣営から
食料を盗んでいくことはあったが、見つけた農民に惣一朗はにぎり飯を与え、
処罰することなく村へ返してやっていた。
他の部隊では、それらを厳しく処罰していたというのに、だ。
当時、兵士達は惣一朗の意図が解らず困惑していたが、
今は誰一人として逆らう者はいなくなっていた。
それは惣一朗が着任して早々、初日の出来事だった。
その前に居た責任者は例外なく、他の隊同様、理由の如何に関わりなく、
盗みを働いた農民にはひどい処罰を与えていた。
当時、それに疑問を持つ兵士は一人もいなかった。
惣一朗が二十二隊団に到着した時、
ちょうど食料を盗んだ農民が、処罰を受けている最中だった。
惣一朗は急いで馬から降りると、そこへ近づいて尋ねた。
「何をしているのですか?」
「あなたは?」
体格のいいその男は、惣一朗に向かって
『上から物を言う』そんな風に返事をしてきた。
「今日からここに配属された、高倉少尉です」
「これは失礼を。私は細田軍曹、こちらは岡部軍曹です」
「その者たちは?」
「ああ、こいつらですか?」
細田と名乗った軍曹は、膝をついて震えている数名の農民を一瞥して、
持っていたこん棒を自分の手で何度も受け止めながら、
吐き捨てる様に言った。
「我々の食料を盗んだので、処罰をしているところです」
「離してあげなさい」
「は?」
細田はたぶんキツネにでも摘ままれた顔をして、惣一朗を見たのだろう。
言われた意味が解らず、惣一朗の方をただじっと見つめて立っていた。
惣一朗はもう一度言った。
「縄をほどいて、彼らを村へ返してあげなさい」
やっと我に帰った細田は、小馬鹿にした顔で若い惣一朗を見ると、
わざとらしく驚いた風に答えた。
「少尉は着任したばかりで、まだここの現状をご存じないと見えますな。
こ奴らは盗人、泥棒ですぞ!罰して当然です」
「見ればわかります。同じ事を何度も言わせないで下さい。
岡部軍曹、農民たちを今すぐ離してあげて下さい」
「はい、承知いたしました」
細田から少し離れて、成り行きを心配そうに見守っていた岡部軍曹は、
すぐに縄をほどく様に他の兵士に指示を出した。
それを見た細田は吠えた。
「なっ!そんな事をしたら、また次から次へとやって来る。
痛い目を見なければこいつらは分からんのだ!」
「同じ人間だ!」
細田の大声と同じくらい、いや、それ以上に凄みのある一喝が
惣一朗から発せられ、その場に居た
ほとんどの兵士と農民が惣一朗の方を向き、
辺りは一気に静まり返った。
「細田軍曹、あなたも飯を食うでしょう」
惣一朗は先程とは対照的に今度は静かに、
だが堂々と細田に向かって言い放った。
「その飯は、農民が作った米や作物から出来ているんですよ」
「そんな事、子供でも分かっている」
細田はだからどうしたと言う様に、惣一朗を睨みつけた。
「あなたは農民の肉を食い、血を飲んでいるんですか!」
「なっ・・・・・!」
細田の年齢は四十歳半ば。
軍人になってこれ程まで侮辱されたことは、今まで一度も無かった。
それも着任したばかりの、こんな青二才の若造に、
これほどの暴言を吐かれるとは思ってもみなかった!!




