高倉少尉
陸軍に赴いた惣一朗は、一ヶ月の間に駐屯地を転々とし、
最終的に栃木県足利郡吾妻村にある、二十二隊団の指揮官に任命された。
よくよくこの地に縁があるなと、惣一朗は苦笑した。
惣一朗の配属先が決まるまでの三週間の間に、いくつかの事件があった。
始めは春日部の駐屯地に配属された。
そこでは小規模な一揆が頻繁に起こっており、捕まった農民の中に、
以前生井村で見かけた男がいた。
男も惣一朗を覚えていたようで、名指しで呼ばれ、
尋問の指名に立ち合わされた。
聞けば、ここ二、三年の凶作で食食用の米もままならず、
かと言って県令に嘆願しても、一向に徴収の量を減らしてもらえなかったと言う。
やむを得ず東京に近い春日部に移住したが、
逆にこちらの方が困窮しており、政府への不満から
一緒に一揆に加勢したと言う。
確かに栃木、福島一帯の米所も不作と聞いていたので、
重蔵もここ二年は酒の取引を中止していた。
それから、間もなくの事だった。
商家に農民が押し寄せて、蔵を破壊して食料などを根こそぎ奪って、
逃げたと警察隊から知らせが届いた。
派遣されたばかりの惣一朗は、訳が分らないまま同行し、
その惨状を目の当たりにした。
死傷者こそいなかったが、その惨状・・・・・。あまりにもひどすぎた。
商家は焼き討ちされ、飛び火した隣の家々も家財を焼かれ、
軒並み数件はがれきの山になっていた。
不満は財力のある者にも、向けられていたのだ。
惣一朗は、東京の高倉家を案じていた。
東京はある程度、警察官が治安を維持してくれているが、
惣一朗の心は志乃の元に残されたまま、心配は尽きなかった。
次に送られたのは日光街道に沿った古河だった。
ちょうど県令が視察に訪れていた時に、たまたま惣一朗が居合わせた時だった。
県令を狙ったとみられる、農民の武力集団に襲われ囲まれてしまった。
武力と言っても廃刀令のお陰で、ほとんどが農具や棒を持った集団だったが、
権力者を憎むその目に、元々農民出身者が多い兵士達の士気は下がり、
追い払う事が出来ずに、近くの民家に籠城する羽目になった。
惣一朗は震える県令を前にして、今まで散々虐げてきた相手から
襲われる恐怖を味わっているのを見て、
助ける気などみじんも持っていなかった。
だが、このままでは自分も軍服を着ている以上、
危険だと感じた惣一朗は、強行突破に踏み切った。
所詮、農民の寄せ集めに過ぎぬ集団。
持っいる武器をことごとく薙ぎ払っていくと、農民たちは驚き慌てふためいて、
あっと言う間に散り散りに逃げて行ってしまった。
それを見た県令が惣一朗の手を握り、命の恩人だと感謝してきた。
一緒に居た士官たちはみな一様に驚き、やってきたばかりの新人に、
手柄を横取りされたと恨みを買い、
またしても惣一朗は数日後には、別の配属先に飛ばされる事となった。
ただ、東京から出来るだけ離れたくない惣一朗は、
春日部の時に出会った男の話を持ち出し、
佐野方面の事情に精通していると思い込ませて、
なんとか空いている部隊への配属が決まった。
ちょうどそこには、個々に分散している小さな隊がいくつかあり、
惣一朗の階級を考慮してか、小隊を一つ任された。
これには惣一朗も少し面を食らったが、
どうやら惣一朗の素性は内部には伝えられておらず、
ただ階級のみでの判断のようだった。
内部の事情を知らない惣一朗は、下された通達には逆らえず、
惣一朗は半ば不安を抱きながら、配属先の二十二団に向かった。




