小田原旅行
結婚してもうすぐ五年目を迎えようとしていた、桜の開花を待つ三月の朝、
高倉家では志乃と惣一朗とお勝の三人で朝食をとっていた。
「あなた達も今年で結婚して五年になるのに、まだ子供の知らせはないの?」
朝からとんでもない質問をお勝が二人に投げかけて来た。
「やだ!お母さん朝から何を言い出すの?やめてよ!」
「芳乃のところも二人目が産まれたのよ。
あなたももう二十一歳になったんだし、そろそろうちにも孫が居てもいい頃でしょう?」
「何それ、急におばぁちゃん気分になったの?お姉さんとは関係ないでしょう」
志乃は頬を染めながらも呆れた顔で母を見たが、惣一朗は真顔で返事をした。
「そうですね、ではそろそろ・・・」
「あら!惣さんはやっぱり話の分かる人だわ!
だいたいいつまでも志乃にべったりされていたら疲れるでしょう?」
「いえ、それはありません」
と惣一朗は、そこはすかさず答えた。
志乃は嬉しさと可笑しさで、隣でクスクスと笑っている。
お勝はその受け答えに慣れているのか、構わず話し続けた。
「いい事を思いついたのよ。惣さん、指南役延期になってから
ずいぶん休暇も取れていないみたいだけど、本当なの?」
「はい、かれこれ二ヶ月ほど・・・・・」
「だったらなおの事!もうすぐ二人の結婚記念日・・・と言ってもまだ先ね、
少し早いけど私から二人に旅行を贈るわ。子作りしていらっしゃいな!」
母の突然の恥ずかしい申し出に、絶句しながら次第に真っ赤になっていく志乃を
隣で見ていた惣一朗は
「ありがとうございます」
と至って冷静にその申し出を受けた。
「そうと決まればやっぱり場所は箱根がいいかしら、
それとも小田原辺りかしらね!早速お宿の手配をしておくわ!」
「ちょっと勝手に・・・!」
志乃の言葉を遮った惣一朗は、食事の膳の下で志乃の手を握り
「お任せしよう」と笑って承諾した。
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そしてなんとか陸軍に休暇の都合をつけ、四月に入り
すぐに二泊三日の小田原旅行へ行くことになった。
志乃達にとってはこれが正真正銘、初めての二人だけの旅行だった。
それ程、惣一朗は多忙な毎日を送り、余裕のない日常を過ごしていた。
だが志乃にとって惣一朗が自分の全てとなった今は、
旅行に行かずとも一緒に居られれば、それだけで十分幸せな日々であった。
列車に揺られ、流れる景色と遠くの潮風を感じながら、
久しぶりの二人だけのゆったりとした時間を過ごしていた中、
列車のカタンコトンと揺れる心地よさに、惣一朗は疲れが溜まっていたのだろう、
出発してからすぐに眠りに落ちてしまった。
志乃はこんな風に椅子にもたれて眠る、惣一朗の寝顔を見るのは
初めてかもしれない事に気が付いた。
いつも惣一朗は自分より先に起き、夜は起きて帰りを待っているつもりが、
気が付けば布団に寝かされて眠っている事もしばしばあった。
思えば惣一朗は、いつ眠っていたのだろう?
毎日忙しいであろうに、愚痴を言う事もなく陸軍から戻ると家業に励み、
早く帰れた日は嫌な顔もせずに、志乃の些細な話に耳を傾けてくれる・・・。
こんな非の打ちどころの無い優しい人が自分の夫で、
今、自分の前で無防備に眠っている・・・。
そう考えただけで志乃はたまらなく幸せな気持ちになった。
惣一朗の傍にいられる幸せ。
それだけでこんなにも満たされる自分にテレながら、
その寝顔を見つめていた。
その頃の列車はまだ特急も急行もない各駅列車だったため、
小田原とはいえ十分旅行を満喫できる距離と時間であった。
数時間が経ち、まもなく小田原に到着する大磯駅近くで、
惣一朗はやっと目を覚ました。
何時間眠っていたのか、自分でも思いがけない昼寝に
横に居る志乃の顔と流れる景色とを見比べて、
しばらく状況がつかめない様子でぼんやりしていたか、十秒かそこら経って、
ようやく自分が小田原に向かっていたことを思い出した惣一朗は、
志乃を一人で退屈させてしまったことに後悔して詫びてきた。
志乃はそんな優しい惣一朗に、自分も寝ていたと嘘をつき、
青く輝く海に惣一朗の視線を促した。
二人は窓から顔を出して子供みたいに吹き付ける風に向かって声をあげ、
何やら叫んでは笑い合っていた。
志乃の長い髪が風を受け、飛んでいきそうなくらい
二人は何度も窓から顔を出し、大はしゃぎした。
それもそのはず、海は太陽の光が宝石をちりばめた様にキラキラと輝き、
恋人同士でなくとも心がときめく程の美しさなのだ。
そんなことをしている間に、列車はすぐに到着駅に着いてしまった。
駅の前ではお勝が手配した宿の案内係りが二人を待って立っていた。
「高倉様でしょうか?」
「はい、お世話になります」
「お待ちしておりました、芙蓉亭でございます。
人力車をご用意しております。こちらへどうぞ」
そう言うと、案内人は惣一朗から荷物を受け取り、
駅の隣に待たせてある人力車に二人を案内した。
「人力車まで手配してくれているなんて・・・・・」惣一朗がためらっていると、
「お母さんすごい!惣一朗と乗るのは初めてだわ、嬉しい!」
「有難いね、そうだね、この際、存分に満喫させてもらおうか」
二人は仲良く人力車に乗り込み、坂道をゆっくりと上って行った。
芙蓉亭は山の近くにあり、奥行きのある造りのようだ。
大きな門をくぐると、出迎えの女中達がずらりと並んで二人を待っていた。
「なんだか道場みたいだわ」志乃が思わず笑い出した。
壮観な眺めに惣一朗は、これをいつも志乃が弟子達から
受けていたのかと思うと、ある意味志乃は大物だなと感心しつつ、
女将と女中達とへ何度も挨拶を交わし、やっと旅館の玄関に辿り着いた。
その見事な造りに二人はまだ草履を脱ぐ前から圧倒され、
天井や周囲を見渡して仲良く口をポカンを開けていた。
玄関の壁には寄木細工が施された幾何学模様が美しく、
また何本もの漆が塗られた艶やかな仕切りの棒には、
一本一本に見事な木彫りの模様が施され、高い天井の太い梁の間からは、
当時まだ珍しかった豪華なシャンデリアがその存在感を堂々と照らすように
ぶら下がっていた。
自分たちの間抜けぶりに先に気が付いた惣一朗は、
気を取り直して隣の志乃を促し、やっと草履を脱ぐと広い大広間を通り、
そこかしこに、これでもかと置いてある高価な調度品を見て、
志乃が何度も驚嘆の声を上げるのを、惣一朗が制止しつつ、
二階へと続く自分たちが泊まる部屋へと案内してもらった。
用意された部屋は十畳の部屋が二つ続いて縁側があり、
そこから見える庭園は、どの部屋からも見えない様に上手に木々が植えられ、
完全に独立的な個室の雰囲気を作り出していた。
きっと身分の高い役人達が人目を忍んで通っている所なのだろうと
惣一朗は思った。
部屋に荷物を置いた案内係りが、夕食の時間を尋ねてきた。
家ではいつも遅い時間だっただけに、早めの時間を頼んでおいた。
案内係りが下がると惣一朗はすぐに窓の方へ近寄り、
その景色を見て口笛を吹いた。
惣一朗は縁側の椅子に座り、そこから見える景色に見惚れたのか
しばし眺めていた。その間、志乃は旅行カバンから荷物を出して
畳の上にせっせと並べ始めていた。
「んー!こんなにのんびりしたのは久しぶりだなぁ」
「まだ着いたばかりで、何もしていないじゃない」
志乃は大きく伸びをしてくつろいでいる惣一朗の姿を、
微笑ましく見つめて言った。
「それがいいんじゃないか、それにしてもまるで誰も居ないような静かな庭だ。
なんか君と見合いをした、あの庭を思い出したよ・・・・・」
志乃を見て、頬杖をつきながら意地悪そうな顔をした惣一朗が、
からかうように言ってきた。
「え?あの料亭の?・・・・・私が逃げ出そうとした?」
「そうそう、ははははっ!」
「もうっ!あれは一生の不覚だわ、どうぞお好きに笑ってください」
志乃はすっかり笑われ慣れをしているのか、知らん顔で荷ほどきの続きをしていた。
「ごめん、ごめん。あれは、あれで、俺にはいい思い出だよ」
「そうかしら」
志乃は少しふてくされた顔でそっけない返事をして、惣一朗を恨めしく見た。
「そうだよ、志乃もこっちへおいで」
惣一朗は両手を広げ、今度は優しい笑顔で志乃を呼んだ。
その姿に以前にも、そうして呼ばれたのを思い出した志乃は、
急に胸の高鳴りを覚えて頬が赤くなった。
「・・・惣一朗さんが来て」
「甘えん坊さんだなぁ」
惣一朗は、よいしょと立ち上がり、志乃の前に来てしゃがんだ。
「手伝おうか?」
「大丈夫よ、後はこれだけだから」
「じゃあこっちを手伝おうか?」
惣一朗は志乃の背中に手をまわし、
帯をシュルシュルと慣れた手つきでほどき始めた。
驚いた志乃が惣一朗に向かって
「えっ?まっ待って!まだ着いたばかりよ?」
「だから?」
「おっお風呂にもまだ入ってないわ」
「後ではいればいいよ」
なおも戸惑う志乃には構わず、惣一朗は手慣れた具合に脱がせてしまい、
志乃はもう長襦袢一枚になっていた。
「でも・・・まだ、荷物も、かっ片づけて・・・」
「何しにここに来たんだっけ?」
志乃は久しぶりの惣一朗の行為に、高鳴る鼓動が抑えきれず、
瞳が少し潤んでしまった。
そんな志乃を見て、惣一朗は目を細めてニヤリと笑った。
「・・・どうして意地悪なこと、言うの?」
「君が可愛いいから」
そう言うと惣一朗は、志乃の背中を支えながら、
その愛おしい体を畳の上にゆっくりと横たえた。
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数刻して、部屋に夕食が運ばれてきた。
それは『贅』が付く程の豪華さで、沢山の海の幸が大きな船盛りに乗って現れた。
二人は思わず歓声を上げて喜び、その新鮮な刺身を頂いた。
綺麗に並べられた刺身や色鮮やかなお料理を見て、
志乃は母の心遣いを感じ、帰ったら精一杯親孝行をしようと思った。
惣一朗と刺身を交互に食べながら、何の魚か当てっこし、
楽しい夕食のひと時を過ごした。
こんなにゆっくりと二人きりで夕食を頂いたのはいつ以来だったか、
もう何年も無かったかもしれない。
惣一朗の満足げな様子を見るにつけ、今回の旅行の提案をしてくれた母に
志乃は感謝せずにはいられなかった。
食事を済ませ、一息ついたころで二人はそれぞれ男湯と女湯へと向かった。
当時大浴場と呼べる大きさの風呂は風呂屋くらいにしかなく、
旅館の風呂はせいぜい四、五人が入れば満員になる大きさの檜木や石風呂が
一つ、二つあるところが普通だった。
志乃が浴衣を脱いで洗い場に入った途端、女達の視線が
自分に注がれているのに気が付き、何か付いているのかと見まわしたが分らず、
そそくさと洗ってすぐに湯船の中に浸かった。
すると若い女が志乃に近づいて来た。
「こんばんは。あの、失礼ですが、少し伺っても?」
ためらいながら、その女が志乃に尋ねて来た。
「どうしたら、そんな陶器のような白い肌になれるのですか?
生まれつきですか?それとも何かお手入れでも?」
「肌・・・ですか・・・?」
女の目は真剣そのもの。その真相を探ろうと、
他の女も志乃達に近づいて話に加わってきた。
「その艶のある髪の毛、綺麗だわ・・・・・。
大島椿の油でも使っていらっしゃるの?」
いつの間にか志乃の周りには他の女も集まり、
一様にそうだと頷いて志乃の返事を待っていた。
「あの・・・私の家は造り酒屋なので、幼い頃から米麹で体を洗って、
お酒を少し入れたお水で髪をとかしているんです。
そうするとツヤが出るんです。蔵でお酒を仕込んでいる社氏さんたちも
毎日酒粕や麹に触れているので、手が白いんですよ」
「まぁ、酒粕?麹にお酒?酔ってしまうでしょう?」
女の一人がさも驚いた顔をして志乃を見た。
「お酒と言っても本来大吟醸は、花のような甘い薫りがするんですよ。
ほんの数滴水にいれて、そこに髪の毛を浸すくらいなら酔ったりしません」
それにと、志乃はつけ加えて惣一朗が試作中の化粧水や石鹸の話しをすると、
女達からはぜひ商品を紹介して欲しいと嬉しい話をもらえた。
その後も志乃の美しさの秘密を聞きに女達が、代わる代わる湯船にやって来た。
皆自分の恋人の為に少しでも美しくあろうと願う気持ちは十分に分かるのだが、
すでに湯あたり一歩手前の志乃はなんとか女達から抜け出し、
ふらふらしながら部屋に戻ると、縁側のランプの灯りに照らされた惣一朗が、
椅子に座って水を飲んでいた。
見ると窓からは外の灯篭の灯りが、庭の池に映り美しい。
今夜も気が付けば満月である。
真夜中にはこの池の中に月が映り、
水の中に手を入れたら、捕まえた気持ちになるのだろうか・・・・・。
「ずいぶんとゆっくりだったね。いいお湯だったの?」
志乃は惣一朗の近くの座布団に座り、今しがたの女達の事を語って聞かせた。
惣一朗は腹に力を入れて、思いっきり笑い飛ばした。
「どうして笑うの?みんな好きな人の為に必死なのよ!」
志乃は乙女心の解らない惣一朗に、少しムッとして反論した。
「分かっているよ、でも今更焦ったところでどうなるものでもないだろう。
男はそんな事気にしないよ。第一、他の女性が志乃の様になれるわけがないだろう」
「どうして?」
「君が特別だからさ」
志乃はのぼせたせいで、白い肌が火照っていたが、
惣一朗の一言で今更ながら赤面し、肌もさらに紅色に染まってしまった。
頬杖をつきながら、惣一朗はそんな志乃を見つめて
「なんだか酔っているみたいで色っぽいね。
そんな君を見るのは初めてかもしれないな」
「そんなことないわ、この前お姉さんの出産祝いの時に飲んだわよ」
「あの時は俺も酔っていたから覚えてないなぁ」
「お水・・・飲んでくる・・・・・」
志乃の鼓動が早くなる。
今さら何を恥じているのか、じっと見つめる惣一朗から逃れるように、
座布団から立ち上がると、惣一朗が両手を広げて志乃を呼んだ。
「ここにあるよ、おいで」
・・・・・志乃は、その言葉には逆らえなかった。
今度は素直に惣一朗の元へ行き、その膝の上に座って
今しがた飲んでいた惣一朗の水をもらって飲んだ。
「冷たくて美味しい・・・。まだ春なのに、小田原の夜は暖かいのね・・・」
「恋人たちが多いせいだよ」
そしてなんどもお互いを確かめ合うように口づけをした。
志乃は惣一朗の肩にもたれて、素直な気持ちを告げた。
「私、惣一朗さんが好き。大好きよ」
「俺もだよ。君が俺をここまで導いてくれた」
「私、何もしていないわ?」
志乃は惣一朗の言葉の意味が解らず、顔を上げて惣一朗の目を見た。
「以前、お絹さんから聞いたよ。俺たちの見合いの経緯を」
「どんな話?」
「俺の徴兵行きを取り止めに出来たのはお絹さんの知恵があったからなんだ。
そして君が俺の事で苦しんでいると、お義母さんがお絹さんに相談した時に、
婿養子にと薦めてくれたのもお絹さんさ。
その後、河野師範と三人で話し合って、河野家から養子に出した方が
高倉家への顔も立つと、引き受けて下さったそうだよ」
「そんな事があったの?お母さんそんな事、一言も言ってなかったのに・・・」
「君には話すなとお絹さんには口止めされていたんだ。
でも、もう時効だからね。ちゃんと君にも礼を言っておきたかった」
「礼だなんて・・・・・私の方こそお嫁にもらってくれて、どんなに嬉しかったか。
惣一朗さんが居なくなると聞いて、あの時、私、辛くて・・・・・、
どうしていいか、分からなくて・・・・・」
急にあの頃の苦しい想いが胸に甦ってきた志乃は、言葉に詰まって
うつむいてしまい、持っていたコップも小刻みに震えはじめた。
「ごめん、そんなつもりで言ったんじゃないよ。雰囲気ぶち壊しだな」
惣一朗はバツの悪そうな顔をして、志乃の顔に掛かる前髪を何度も分けてくれた。
「私の方こそ、ごめんなさい・・・・・」
「いや、志乃のその一途さがなければ、今の俺は居ない。
君には感謝してもしきれないよ・・・。ありがとう、志乃」
「惣一朗さん・・・・・」
惣一朗は志乃の髪の毛の一本一本を、愛おしむように優しくなで続けた。
志乃は体の全てを惣一朗に預け、その肩にもたれ掛かり
しばらくゆっくりと静かな時間が過ぎていった。
惣一朗は志乃の手からコップを受け取り、その細い指先に口づけをした。
そして志乃の耳元で、優しくささやいた。
「志乃、今夜は君を本気で抱く。我慢できる?」
「いつもは本気じゃなかったの?」
不思議そうに惣一朗の顔を見上げた志乃に、
少しはにかんだ笑いをした惣一朗は、志乃を抱き上げると布団へ運んだ。
「いつも本気だよ。でもこんな細い体が壊れてしまいそうで・・・」
そう言いながら部屋の電気を消し、枕元のランプを付けた。
「私が薙刀を習っていたのを忘れたの?そんなに簡単に壊れないわ」
「そうだったね」
惣一朗は横たわった志乃の髪を指で滑らし、彼女に口づけをした。
「気付いていたわ、なんとなく、遠慮しているのかなって・・・・・」
「本当に?どうして?」
「うん・・・だって・・・」
「だって?」
志乃は、自分の鼓動が次第に早くなっていくのを感じながら、
縁側のランプを消し、そこで浴衣を脱ぐ惣一朗を見つめながら、
いつも心に秘めていた言葉を口にした。
「私も、もっと惣一朗さんに愛されたかったから・・・・・」
とうとう言ってしまった・・・・・!
志乃達は何十回となく愛し合っただろうか。
志乃はそのたびに初めてのように胸が高鳴り、
乙女のように恥じらう自分が少し嫌だった。
もっと惣一朗を知りたい、深く結ばれたい。
その願望をやっと惣一朗に伝える事が出来た・・・・・。
惣一朗はなんと思うだろう。
「もっと早く、その言葉を聞きたかった」
浴衣を脱いだ惣一朗の背は月光を受け、その鍛え上げられた体は、
まるで神話から出てきた神々の様に、志乃には輝いて見えた。
「きれい・・・・・」
惣一朗の姿を見つめていた志乃の口から、自然と言葉がこぼれた。
志乃の元へ戻った惣一朗は微笑みながら、志乃を抱き寄せて優しくささやいた。
「綺麗なのは君の方だよ、志乃」
月明かりの下、二人にとっては幾度となく繰り返してきた行為だったが、
目の前にいる惣一朗はいつもとは違い、今まで見た事のない部分を隠していた。
志乃にとってそれはとても強い衝撃で、
波の様に押し寄せては引く強い快楽を体に与え、惣一朗は激しく、
時に優しく全身で志乃を愛した。
この五年間、どれほど惣一朗が己を抑えて志乃に接していたのか、
どれほど大切に想われていたのか、何度も気が遠のきそうになりながら
志乃の体に、恍惚さと共に惣一朗の想いが流れ込んできた。
(惣一朗を愛している) それは疑うことのない自分の想い。
(これほど愛されていた)それを感じられる自分がたまらなく嬉しい。
(惣一朗と愛し合える) その全てを全身で感じ、惣一朗の息が体に伝わる事に、
自分が惣一朗のものである喜びに酔いしれた。
小田原の優しい波音が、まるでゆりかごのように二人を包み、
初夜の日と同じ満月に祝福された、二人だけの夜だった・・・・・・・・・・。




