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剣術指南役

 


 惣一朗は思わぬ話しに、さすがに迷いが出てきたが、

やはり断ろうと決めていた。


 剣道を教えるのはいいが、それが人殺しの手助けになるなら話しは別だ。

 重い足取りで高倉家に帰宅した惣一朗は、夕食の後、

家族だけの席で近重との話しを切り出した。


 剣術指南役と、その条件についても隠さず話した。

すぐに反対したのは志乃だった。ついでお勝も難色を示した。

 重蔵も仕事のほとんどをすでに自分に任せている以上、

売り上げよりも断る選択をするだろうと思っていた。

 だが重蔵だけは予想外の意見を口にした。


「あながちそうとも言えん。諏訪君も内閣におるし、

陸軍に多少のつてがあってもよかろう。給料も倍、酒も売れて

時間の融通も利くとなれば、一石二鳥、断る理由はなかろう」


「ひどいわ!お父さん!惣一朗さんの体がもたないわ!」

「そうですよ!惣さんが死んでしまいますよ!」

「その分、またわしが働けばいいんだろう?」


 重蔵の意外な提案に、驚いた三人が言葉を失って黙っていると、

おもむろに重蔵が「決まりだな」と珍しく、したり顔で言った。


 焦った志乃が、惣一朗の気持を聞いていないと反論した。

それを受けて三人は一斉に惣一朗の方を見た。


「どうだね?惣一朗君。やる気はあるのかね?」

重蔵は惣一朗に尋ねた。

・・・尋ねたと言うより、確認したと言うべきだろうか。


 重蔵の言葉は高倉家の総意、逆らえる訳が無かった。


 惣一朗は必死で作り笑いをし、

「はい、お義父さんに従います」と短く答えた。


 重蔵は満足そうに頷くと部屋を後にし、

残された三人はそれぞれ深いため息をついた。

 志乃は惣一朗の傍で、すでに涙目になっていた。

惣一朗はそんな志乃の手を取って


「大丈夫だよ、なんとかなるよ」

と笑うが、惣一朗も目が笑っていなかった。


「惣さん、嫌なら断ってもいいのよ、無理すること無いわ」

お勝も心配そうに声を掛けてくれた。


「大丈夫です・・・たぶん」

「でも、惣一朗さんがそんな野蛮なところに行くなんて、私・・・」


 とうとう志乃は泣き出してしまった。

お勝も困り果てた顔をして、三人はもう一度、深いため息をついた。


*******************************


 後日、意気揚々と近重が伴の兵士を連れて、高倉家に直接挨拶にやって来た。

根回しよく、陸軍に通う際の軍服と、約束の給金も前払いで持参してきた。


「ご承諾して下さり、本当に感謝しております。

聞けば諏訪様とも姻戚関係だとか。

決して一般兵のような扱いはいたしませんので、ご安心ください」


 志乃は店の片隅で、不満そうに近重を睨み付けていた。

重蔵と惣一朗は挨拶をし、こうして年明け7日からの陸軍勤務が決まった。


 初勤務を翌日に控えた夜、離れの部屋では志乃と惣一朗がいつもの様に、

一緒に布団の中にいた。


「やれやれ、どんな所か、先が思いやられるな・・・」

「・・・陸軍だなんて、益々惣一朗さんと一緒に居られる時間が、

無くなってしまうのね」


 志乃は目を真っ赤にしてべそをかき、惣一朗の腕の中でつぶやいた。

「大丈夫だよ。出来るだけ早朝に行って、昼には帰る様にするから、

なんとかなるだろう」


*********************************


 そうして、いざ始まると惣一朗の予想は大きく外れ、

一日六時間どころか十時間、果ては一週間続けての勤務の日もあった。

 そう軍隊は組織なのだ。一個人の都合でどうにかできるところではなかった。

しかも皆、道場の弟子達よりやる気が無い。


 給金さえもらえれば、後は適当にこなして兵士らしくしていればよいと

考えているものも少なくなかった。

さすがにこれには惣一朗も腹立たしさを隠せなかった。


 勤務が始まってから二ヶ月が過ぎた三月、ちょうど花見の季節がやって来た。

 陸軍の専属酒屋の認可を受けていた高倉家に、

休暇を取った兵士達が、ちらほらと出入りするようになって来た。


 人手が足りなくなってきた為、志乃も仕方なしに接客に出ていた。

 そんな中、高倉家に美人が居るという噂が、若い兵士の間で広まり出してきた。

 惣一朗が高倉家の者と公言していなかったので、当然、噂は惣一朗の耳にも入ってきた。


「行ってきたか?」

「ああっ、すごい美人で綺麗だったなぁ~、癒されるよ」


 志乃を見た兵士たちは皆、同様の反応をする。

そしていい香りがするだの、婿養子が居る様だと、よく調べてくるものだ。


 惣一朗は、内心『俺だ』と言いたくなりながらも、

兵士達の話しに耳を傾けていると、志乃を見た翌日の兵士たちは皆、

張り切って訓練に励むから面白い。

まるで道場の弟子達のようだ。


 志乃が接客すると、高価な吟醸酒も気前よく購入して行くらしい。

中には観音様の如く、崇めている者まで居るとの噂まで飛び交い、

惣一朗は志乃の性格を知ったら驚くだろうなと、一人でほくそ笑んでいた。


 はじめは酔った兵士に、志乃が何かされないかとひやひやしていたが、

農民出身者が多いせいか、意外にも礼儀正しいと言う。

 

 また、中には田舎が恋しいとぼやいて酔いつぶれる者もいた。

 思いついた惣一朗は、陸軍から戻ると、志乃からやって来た兵士の話しを聞き、

訓練の合間に出来るだけ、その兵士達と談笑するようにした。


 惣一朗は技を教えるだけでは人は育たない事を悟り、

兵士一人一人の事情を把握することから始めた。

 すると面白い事に皆やる気が出始めてきた。


 気が付けば惣一朗は剣術以外の、教養教育も担当することになり、

いつしか『先生』と呼ばれるようになった惣一朗は、若い兵士たちから

人望を集め慕われるようになっていた。


********************************


 あっという間に、任期の一年間が過ぎようとしていた年の瀬の事である。


 兵士の一人に婚礼話が持ち上がり、高倉家に結納と挙式用、

陸軍からも祝い酒の注文が入った。

 惣一朗も自身で祝酒を贈りに、兵士の家に角樽を持参した。


「これは先生!わざわざお忙しいところをありかとうございます」

「この度はご結婚、おめでとうございます」

「これは高倉の大吟醸ですね、これはまた良い酒を!

さっどうぞ上がって行ってください」

「いえ、お忙しいでしょうから、今日はこれで」


帰ろうとした惣一朗に、ためらうように兵士が尋ねてきた。

「先生はもうすぐ指南役をお辞めになると噂を聞いたのですが・・・、本当ですか?」


 やはり内密にしていてもどこからか漏れるのか、惣一朗が返答に困っていると、

若い兵士が真剣な顔で、玄関先に立つ惣一朗に訴えてきた。


「自分たちが至らないせいで、先生が辞めさせられるのですか?」

は?と一瞬、惣一朗は面食らった顔をしたが、あまりに真剣な顔で言うので


「元々、一年間の約束で引き受けたお役目なのですよ」

と答えた。兵士はそれならばと、


「ではあと一年、あと一年だけでも先生に教えて頂ければ、

皆の士気も上がると思います!」

と熱く惣一朗に語ってきた。


 若い兵士は結婚を前にして、恋愛熱と仕事熱とを混同しているのだと

惣一朗は思い、「そうだね」と言って兵士の家を後にした。


 慣れてきたとはいえ、やはり人を殺すための訓練には変わりなく、

惣一朗はこの役職は好きにはなれなかった。

 


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