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さらわれた志乃



 その頃、宿の大野屋で一人待つ志乃は、重蔵の言いつけも忘れて一階の茶の間に居座り、

昨日の一件を肴に、女将と女中達とで盛り上がっていた。


「お女中さんにしては何か変だなと思っていたんですよ。まさかお嬢様だったとはね。

どうりでべっぴんさんのはずだよ」


「私も!朝起きて寝ていらっしゃるお嬢様の顔を見た時は、驚いたのなんのって!

東京の女中さんは、みんなこんなに綺麗なのかって話していたんですよ」


「若旦那様は素敵な方ですね。見た目も素敵ですけど、態度も堂々としていて、

あんな男前はここには居ませんよ。みんな生江家が怖くて、逃げるだけです」


 志乃が割り込む隙がないくらい、女達が好き勝手に話している中、

志乃を助けた女中だけが静かに輪の中で座っていた。

 『自分の姉も手込めにされた』と言って泣いていた女中に、その後、

お姉さんがどうなったのかと聞く勇気は志乃には無かった。


 ただ思うのは、仮に自分がそんな目に遭ったら惣一朗は何を感じるだろう。

自分を嫌ってどこかに行ってしまうのだろうか。それが無性に気になった。


 あの惣一朗ならきっと許してくれる気がする。でも、自分ならきっと生きてはいられない。

消えてしまいたいと願うだろう。男のこの身勝手な行為は、なんと残酷なのだろう・・・・・・。


 考えているうちに気持ちが悪くなって来た志乃は、少し休んできますと、女達の輪の中から離れて自分の借りている部屋に戻った。この地に来てからというもの、何もかもが始めての事だらけで、心も体も疲れていた志乃は、珍しく布団を出して隅に置くと横にもたれた。寝つきの良い志乃は、すぐにうたた寝をし始めてしまった。


 しばらくすると、部屋に物音がするのが聞こえた。

 眠りに落ちたばかりの志乃は惣一朗たちが帰って来たと思い、うつらうつらとしたまま起きなければと思ったその時、腹部に激しい激痛を覚えてそのまま気を失ってしまった。


************************************


 次に目を覚ましたのは腹部に残る痛みと一緒だった。目は空いているはずなのだが辺りは薄暗かった。


 変だ、瞼にこすれるこれは布?


 ようやく意識がはっきりして顔に何かが巻かれて目隠しをされているのが分った。

 動こうとしても手首を縛られているらしく、体の自由が利かなかった。

 志乃は混乱した頭で、まさか夢を見ているのかと思い、叫んでみた。


「目が覚めたか、姉さんよ」


 聞き覚えのある声に背筋に悪寒が走った。

 志乃は硬直したまま床に倒れている自分を誰かが起こし、縛られていた腕も解かれて、目隠しも外された。急に眩しくて目がかすんだが、目の前にしゃがんで自分を見降ろしていたのは、昨日大野屋に現れた『菊次郎』だった。

 周囲を見渡すと、手下と思われる男たちが四人立っていた。


 ここはどう見て大野屋の部屋ではない。

 知らない小屋の様なところで突然目を覚ました志乃は、訳が分らず菊次郎に噛みついた。


「どういうつもり?あなた、私を宿からさらったの?惣一朗さんにあんなひどい真似をしておいて、

まだ何かしようと言うの!」


「あれはあの男が勝手に好きなだけ殴っていいと言うから、やっただけだぜ。

俺は女を出せとしか言ってないのによぉ。それに俺はまた来ると、ちゃんと言ったんだぜ」


ニヤニヤしながら、菊次郎は志乃の顎に手を掛けたが、志乃は睨みながらその手を払いのけた。


「可愛いねぇ、この期に及んで無駄な抵抗かよ。無理やりやるのが一番楽しいぜ」

菊次郎が舌なめずりする仕草に、志乃は吐き気がするほどの嫌悪感を覚えて後退った。


「逃げられると思っているのか?宿の者に聞いたが、あの男があんたの亭主だそうだな。東京の男はけなげなもんだな。喧嘩はせずに、体を張って女を守るのか。でもそれも水の泡だけどよ」


 菊次郎は手下たちと一緒に面白そうにゲラケラと笑いだした。

 まるで面白いおもちゃを見つけた子供の様にこれから志乃を弄ぼうというのだ。

 なんて鬼畜で卑怯な男だろう。


 志乃は周りを素早く見回したが、武器になりそうなものも見つけられず、

逃げる扉も男に立ちふさがれていた。

 唇を噛みしめた志乃は、目の前の菊次郎を睨み付け、

こんな奴に触れられるくらいなら舌を噛み切って死んでやると覚悟を決めた。


 燃える様な志乃の瞳を見た菊次郎は、手下の男に目で合図を送ると、

後ろから不意に志乃にさるぐつわを噛ませてきた。

 もがく志乃の抵抗もむなしく、きつく結ばれた紐は志乃の唇の自由を奪い、

志乃は憎々しくに菊次郎を睨んだ。その目には涙があふれていた。


「姉さんの性格は昨日で分かったからよ。やる前に死なれちまったら元も子もねえ。

手足しは十分抵抗してくれて構わねぇから存分に楽しませてくれよな」


 ニヤニヤしながら近づいてくる菊次郎に恐怖を感じながら、

志乃の目の前が真っ暗になっていく・・・・・・。心の中で志乃は絶叫していた。


『助けて惣一朗さんー!』


 惣一朗達が宿に戻った時、女将は真っ青になって腰が抜けた様に框に座っていた。

怪訝に思った惣一朗達が女将に声を掛けると、突然泣きながら謝ってきた。


 まさか?嫌な予感は的中する。

狼狽する女将の口から、今しがた志乃がさらわれたと聞かされた。

惣一朗は怒りに身を震わせながら、拳を握りしめて厳しい口調で女将を問いただした。


「どこに連れて行かれたんですか!」

「下男に後を追わせました・・・・・・。すぐ戻ってくるはず・・・・・、本当にすみません。

急に押し入って来て、誰も止められなくて・・・・・・すみません。すみません」


 惣一朗はすぐに二階に上がると、持ってきた自分の木刀を荷物から取り出し、

剥ぎ取るように羽織を脱いだ。

そして志乃を一緒に生江家に連れて行かなかったことを激しく後悔した。


 それよりあの生江の妻の話など聞かずに、さっさと戻って来ていれば防げたかもしれないと思うと、悔やんでも悔やみきれなかった。


 生江家の帰り、重蔵達は仕入れる酒を選ぶと言うので途中で別れ、惣一朗だけで帰ってきた。

惣一朗はもちろん志乃が心配で先に戻って来たのだ。

それがこんなことになっていようとは!

無事でいてくれ、志乃!


 遠くから手を振りながら、下男が走って来るのが見えた。

惣一朗はすぐに下男の方に向かって走り出した。




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