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お見合い

 自分と惣一朗さんとのお見合い?そんなのあり得ない!私は夢でもみているの・・・・・?


 志乃は混乱しながらも、自分がずっと気掛かりだったことを、はっと思い出し


「ちょっ、徴兵されると、惣一朗さんが・・・・・・徴兵されて行くと私、聞いて・・・・・!」


 志乃が必死で口ごもりながら、まだこの状況が理解できずに聞くと、今度は志乃の向いに座っていた河野が答えた。


「私と養子縁組を致しましたので、それはなくなりました」とあっさり返事が返ってきた。

あっけに取られて放心してる志乃を見て、隣に座る意地悪な母お勝が


「おや志乃、嫌なのかい?」とからかうように言ってきた。

「いっ嫌じゃないわ!」


 母の問いに、思わず志乃は間髪を入れず声を張り上げて答えてしまった。

その途端その場の皆が、惣一朗までもが笑い出してしまった。志乃はもう茹ダコの様に真っ赤になってしまい、穴があったら今すぐにでも入りたい一心で、後の話しはほとんど聞こえなくなっていた。


「・・・・・・私と結婚して頂けますか」


 志乃は恥ずかしさで目をつぶってうつむいていると、隣に座っていた母にこづかれ

「何とか言いなさい」と小声でせかされた。

だが何も聞いていなかったので焦って顔をあげ、お勝を見て戸惑っていると


「惣一朗さんがあなたに求婚しているのよ、いいの?駄目なの?断るの?」と迫られた。

「ええっ?はいっ!私も宜しくお願いします!」

とまた勢いよく快活な返事をしてしまった。

 

・・・・・・直後、やってしまったことに気が付いたがもう遅かった。


 またしても皆に大笑いされてしまい、あれほど会いたかった惣一朗を前にして、一刻も早くここから去りたい恥ずかしさで志乃はひたすら小さくなってしまった。


 奥の間から絶え間なく聞こえる笑い声に、先ほど茶を運んだ女中もほっと一安心して、次の仕事場へと向かって行った。


 河野が気をきかせてお決まりの「後は若い二人に任せて」を合図に、三人は別室へと向かい、部屋には志乃と惣一朗の二人だけになってしまった。


 志乃がこの状況を理解するにはまだ時間が足りず、頭の中で必死に整理をしていると、惣一朗の方から穏やかな声で話し掛けてくれた。


「毎朝、道場の外から見ていましたよね」

「え?気が付いていたんですか?」


 志乃は驚いてうつむいていた顔を上げた。

「ええ。私を見ていた・・・・・・、と思ってもいいのでしょうか?」


 図星だった。志乃は赤面しながら今度はしとやかに頷いて答えた。


「正直、こうしてあなたと向かい合って話しているのが、まだ信じられない」

「私もです」

「しかもあなたと見合いをするなんて、考えた事もなかった」

「私もです」

「それは迷惑だということかな?」


 自分もそうだったからと、うつむいたままオウム返しの返事をしていた志乃は、慌てて目の前の惣一朗を見上げた。だが言葉とは違い、その目はとても優しく笑っていた。


「違います…だって、徴兵されると聞いて、私、その…。あの、どうして、徴兵行が取り止めになって、その、・・・・・・私と?」


 惣一朗に見つめられて、また赤面しながらも気になっていたことを聞いてみた。


「はい、それが一週間前に師匠に呼ばれて、あっ、さっきの河野先生です。どういう訳か私の両親とは話を付けたから、今日から自分の養子だと急に言われまして。

 それから翌日には慶応塾の正式な塾生にして頂き、一週間塾内に寄宿しながら基本的な学問を学ばせて頂いていたんです。元々、今回の徴兵は私を遠くにやりたい親の都合で、希望を出したものでしたから、徴兵制は元々二十歳からですし、養子になった事もありすぐに取り消されたのです。」


「そう・・・だったのですか・・・・・・。どうりで、道場にいらっしゃらなかったのですね。でもどうしてご両親が徴兵に?何か不仲な事でも?」

立ち入った事を聞いてしまったと気づき、志乃はハッと自分の口に手を当てた。


「ん?んー・・・色々と、聞いても気分のいい話ではないので、今度改めてでも構いませんか」

「はっはい、私の方こそ失礼な事を聞いてすみませんでした」

「・・・あなたは私が思っていた通り、真っ直ぐな心の人なのですね。いつも見ていました」

「え?どこで?」

「どこでも。私もずっとあなたを見ていたから」


 そう言い終わると、惣一朗は優しい眼差しを志乃に向けた。

 急に志乃の中で、心地のいい風が吹き抜けていくのを感じた。自分だけが見ていると思っていた相手に、自分を見ていたと言われた・・・。そのたった一言のなんと幸せな事か。

 志乃は大きな瞳を更に大きくして惣一朗を見つめ返した。


「あなたは驚くと瞳が大きくなるんですね、見ているとこぼれ落ちそうで、つい手を伸ばしたくなります。」

 と、また微笑む惣一朗に、志乃はハッと目に手を当て、恥ずかしさを隠すように軽く咳ばらいをしてから次の質問をした。


「では、私とのお見合いはどうしてですか?」

「それは私も解らないのです。私も一昨晩、見合いの話を初めて聞き、その相手が志乃さんだと知って驚きました。志乃さんも詳しくは聞いていないのですか?」


「はい、私はさっきこの料亭に入るまで自分がお見合いをする事も知らされていませんでした。それがまさか惣一朗さんだったなんて・・・・・・」

「知らない相手と見合いをさせられそうで、逃げ出そうと?」

「気が付いて・・・いらっしゃいました?」

「はい、呼び止めて良かった」

「私も…逃げ出さなくて良かったです」


 頬を染めて恥ずかしそうにうつむく志乃が何とも愛らしく、惣一朗は自分が自然な会話をしていることに気が付き、少しためらいを覚えた。だが目の前に居る、決して届かないと思っていた彼女を前にして、そのためらいもいつしか消えていた。


 それから二人はお互いが十九歳と十六歳である事、惣一朗が剣道二段の腕前である事、志乃は女学校に通いその登校中に偶然道場を見付けたことなど、母達の迎えが来るまで時間を忘れ、ずっとお互いの事を語り合っていた。


 そして志乃は人力車に乗り込んだ後も、惣一朗が見えなくなるまでずっと手を振り続けた。

(ああっ夢ならどうか覚めませんように)と願いをこめて。

 

 人力車の中で志乃は母を質問攻めにした。お勝は苦笑するだけで、ただ一言、「世の中には知らなくても良い事もあるのだから詮索無用よ」とだけ言い、ついで「志乃は幸せ?」と聞かれた。

答えはもちろん「はい!」だ。

 

 家に着くと母は志乃の帯をほどきながら今後の予定を話し始めた。それは婚礼に向けての段取りだった。

 

 惣一朗との見合いだけでもまだ受け止められずにいるのに、もう婚礼の話をされても、志乃にはまったくついていけなかった。

 まだ心の準備も整理も何よりその覚悟も出来ていないと言うのに。

 

 だがお勝はそんな志乃の心中をよそに、構わず段取りを話し始めた。聞いているだけでその内容の多さに志乃はめまいを覚え、一番に学校の事が頭にちらつき、少し考える時間がほしいと頼んだ。だがお勝も諦めはしなかった。


「お父さんには早く跡取りが必要なのは、お前も分かっているでしょう。相手に不足はないのだから、これ以上は待てないわ」


 志乃は暫く黙り込んでしまった。『学校を辞める…』そんな事、考えてもみなかった。


 だが惣一朗もまた、自分の事情を察して高倉家の婿養子としてこの家の跡取りになる道を選んでくれたのだろう。自分だけがわがままを通せるなんて、身勝手な話だと分かっている。その時、忘れていたあの女性の顔がちらついた。


 (あの時、助けた女性は一体誰だったのかしら・・・。さっき、聞けば良かった・・・)


 惣一朗との時間があまりにも楽しくて、思い出すことも忘れていた志乃は、不意に不安を感じて物思いにふけっていると、黙っている志乃に向かってお勝が心配そうに問いかけてきた。


「お母さんも色々と惣一朗さんの事を調べたけれど、あけほど良くできた人はいないねぇ。あれだけ素敵な殿方だから、さぞや女の噂も多いだろうとそこら辺も念入りに調べたのよ。

 でも今まで浮いた噂の一つもないし、自分で生涯独身を宣言していたくらい、女性を近寄らせなかったそうよ。凄い話しじゃないかい?志乃!」


 母の言葉に驚いて顔をあげた志乃は、『じゃあ、あれはたまたま通りすがりに助けた他人』ということになる。心に引っ掛かっていたこの出来事を、志乃は母に話してみた。

 するとお勝は苦笑しながら、

「そりゃ惣一朗さんだったら、その場にいたら助けるだろうよ」と一言で片づけられてしまった。


 志乃は急に肩の力が抜けてしまい、その場にしゃがみ込んだ。今まで悩んでいたのは何だったのか、母のもっともな意見を聞いて、やっぱり自分は思慮が足りなく幼いのを痛感した。


 言われてみれば、『人助け』をしただけで、深い意味などなかったのかもしれない。今度何かの時に聞いてみれば済むことだと、志乃も納得することにした。


 考えてみれば惣一朗がこの家で、父の跡を継ぐ…。なんて素晴らしい事だろう。そう思うと志乃の未来は別の輝きを放ち、心が躍るのを感じだ。


「はい、分かりました。学校は・・・・・・辞めます。でも、お式の前までは行かせて下さい」


 お勝は内心ヒヤヒヤしていたが、この頑固な娘が予想外にもすんなり状況を受け入れたのだ。やはり惣一朗を選んで間違いは無かった!と心から喜んだ。


 志乃はこの日、多忙な母がどんな魔法を使ってここまで自分の為にしてくれたのか、どんなに感謝の言葉を並べても言い尽くせない程の幸せを味わっていた。

その夜、惣一朗から手紙が届けられた。


『今日はお会いできて大変嬉しく存じます。

三日後の日曜日、神保町の文具店の前にて、

朝十時にお待ちしております。 

             河野 惣一朗 拝 』


 志乃は母が言った通りの人物像と、その畏まった硬い文面に微笑みながら、何度もその短い文面を読み返し、惣一朗の筆跡をたどった。

 昨日まで毎晩泣きはらした娘はもうそこには居なくなっていた。


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