エピローグ
片手鍋になみなみと牛乳を注いで、火にかける。
クツクツと言い出したところで、いったん火を止めて。
赤いマグカップいっぱいに入れて、よけておく。
コンロに戻した鍋に、インスタントコーヒーの粉末を投下する。
7杯くらいでいいかな、おおざっぱだ。
そして、再び火をつけて、しっかりと色がなじむまで、木のしゃもじでクルクルとかき混ぜる。
背後で物音がしたので、手を動かしたまま振り返ると。
あくびをするお母さんがいた。
「マユちゃん、早いのねぇ」
えへへ、と笑う。
「なんか目が覚めちゃって。父さんは?」
「まだ寝てる。アキヒデも、ね?」
「アキちゃんは寝たのが朝方近かったから」
「いつまで不規則な生活を続けるつもりかしらねぇ」
お母さんは肩をすくめる。
わたしは思い出して噴き出す。
「そういえば、昨日おかしかった。病院の待合室で、アキちゃんてば何度起こしても居眠りしてて。だから、家で寝てれば?って言ったのに」
「気が気じゃないのよ。なんたって、パパになるんだもの」
お母さんは目尻にシワを寄せて、ふんわりと微笑む。
わたしもつられて目を細めながら、服の上からじゃまだぜんぜん目立たない、自分のおなかを撫でた。
さて、とお母さんは腕まくりのしぐさをしながら、
「コーヒーはマユちゃんお手製のにはかなわないから、わたしは特製のスクランブルエッグでもつくろうかな」
「お願いしまーす」
冷蔵庫を開けるお母さんに、わたしは頭を下げる。
それから、窓の外に広がる、抜けるような青空に視線を向けた。
『インスタントコーヒー』は出来上がっていた。
あの日、わたしはステージの袖に身をひそめるようにしながら、その曲を聴いた。
それは、切なくて、湿っぽくて、そして最後には、海の底でチカリと光る貝殻のような小さな希望があった。
朝の象徴でもあるタイトルから、どうしてそんな辛気臭いフレーズが湧いてくるのだ、とわたしはおかしくてたまらなかった。
おなかをかかえて、声を殺して笑って。
涙が出た。
でも、いい意味でとてもアキちゃんらしいと思った。
そして、きっとまた、むしろ幸福で溢れた朝に聴きたくなるんだろうな、と確信した。
(fin)




