恋の終わり
もちろん、離れ離れだった家族が再会して、また共に暮らせるのは喜ばしいことだし、嬉しいことだと思う。
ちょっとはた迷惑で軽薄なところがある父さんも、優しいお母さんのことも、わたしは大好きだし。
アキちゃんとのことだって、別々に暮らしはじめる前から、わたしたちは隠れてつき合っていたわけだから、今さら何の問題もないように思える。
しかし、わたしたちは現在の生活に慣れてしまった。
ふたりきりでの毎日にどっぷりとハマってしまった。
「家」という囲いの中でなら、人目もはばからず、好きな時に思う存分「恋人同士」でいられた。
それが、突然「制約」という枠にはめられてしまうのは、キツい。
いったんタガがハズレてしまったものが、また元の型に戻されるのは、窮屈だ。
しかも、タイミングの悪いことに、わたしたちは今関係が良好とは言えない。
こんな状態で、両親にバレないようになにげなく「兄妹」を演じるのは、至難の業だ。
無理だ。
アキちゃんにも、それがわかっているのだろう。
「……いつ?」
すっかり戦意を喪失して、わたしは弱々しく尋ねた。
「1ヶ月後。慌ただしく荷造りしてるらしいよ」
「わたし、今はじめて聞いたけど」
「オレも昨夜知ったんだ。急に決まったらしい。父さんはマユに電話を切られたって言ってたけど」
そういえば、父は昨日の会話のはじめの頃に、わたしの問いかけに対して「それもあるけど」って言った。
そうか、こういうことだったのか。
全身に気だるさが蔓延して、立っているのも億劫で、ヨロヨロとアキちゃんの真向かいの席に座った。
肩と視線を落とす。
そっか、ならアキちゃんの発言もわかる。
でも。
頭ではわかるけど、気持ちはそれほど聞き分けが良くはない。
だから、わたしはもう少しあがく。
羽根を傷つけられた鳥のように、バタバタと、あがく。
「でも、なにも出ていかなくてもいいじゃない。アキちゃんが許してくれるなら、わたし、頑張るよ。ふたりだけの時のようにはいかなくても、我慢する」
許してくれるなら、を強く発音した。
本当に反省している、別れたくない、と懇願するような目をアキちゃんに向ける。
アキちゃんは目をそらす。
「いい機会じゃないかな」
またはじまった噛み合わないやり取りに、わたしの悪い部分が再び発火する。
テーブルの上にこぶしを握る。
「何が?」
「こんな関係を終わらせるのに」
「こんな関係って?」
「オレたちの関係。間違ってる」
愕然とした。
朝なのに、突然視界をふさがれたような暗さを感じた。
目の前のアキちゃんの姿も闇に覆われる。
「……終わらせたかったの?」
身体全体から血の気が引いていく。
「そうじゃない」
そうじゃないわけがない。
「マユにいい出会いが訪れれば身を引こうと思ってた。それまでがオレの役目だって。だってこんな未来のない関係、遅かれ早かれいつか終わる。父さんから奇特な見合い相手の話を聞いた時、ついに来たと思った。これは、オレたちが脱却できる最後のチャンスなんだ」
チャンスという言葉が、絶望的な響きをともなって聴こえた。
アキちゃんに告白をした夜のことを思い出す。
あの時、アキちゃんはわたしにキスをして、抱きしめて、「いいの?」と訊いた。
わたしは、例え許されなくても、背徳を背負っていくとしても、「続けていく」ことに対しての心構えを問われているのだと思った。
でも、違った。
逆だ。
いつか必ず終わりが来るけど、いいの?
そういう意味だったのだ。
嘘をついたとか、条件の内容とか、それらはさほど重要じゃなかった。
そんなことより以前に、アキちゃんの意思はとうに固まっていたのだから。
わたしは立ち上がって、アキちゃんに歩み寄り、かかえているギターに向かってこぶしを振り下ろした。
何度も繰り返した。
指の関節がボディーに弦に当たって、鈍く痛む。
大粒の涙がこぼれる。
指も痛いけれど、それより何より心が痛い。
何度目かで、アキちゃんに右手首を取られた。
構わず左手だけで攻め続ける。
これまでやわな環境にしかいなかったわたしのこぶしは、簡単に表皮がめくれ、血が滲んだ。
もう片方もつかまれる。
支えがなくなって、アキちゃんが命よりも大事にしている商売道具が床に落ち、壊れたかとひやっとするほど豪快な接触音を立てた。
バンザイの格好で取り押さえられ、うなだれるわたしの目から、とめどなく涙がこぼれ落ちる。
アキちゃんのトレーナーに染み込んでいく。
うわあああん、と声を上げて、膝から崩れ落ちた。
その頭の上から、マユ、とアキちゃんが優しい声で呼びかける。
「彼はいい人だよ。話してわかった。オレなんかより、ずっといい。オレなんかとつき合ってたら、お前がだめになる」
だめになったっていいのに。
どんな修羅の道を行こうと構わないのに、アキちゃんとだったら。
でもそれは言葉にできず、嗚咽にしかならず、わたしはうずくまり床に額をつける。
もういい。
もう、行っちゃって。
どこへでも、行っちゃって。
泣いているわたしを放っていくのはさすがにしのびなかったのか、アキちゃんはすぐにはそこを立ち去ろうとしなかった。
ギターを拾い上げ、さてどうしようか、と迷っている気配がする。
昨日はあんなに冷たく置き去りにしたくせに。
ひどい男になろうと決めたなら、徹底してなりきらなきゃだめだ。
中途半端に優しくするから、わたしに「ズルい人」だなんて言われる。
もしかしたら、まだかすかに希望があるんじゃないかなんて、この期に及んでも思われる。
「……もう行って」
蝋燭の灯を揺らすように、わたしはささめく。
「わかったから」
わかってなどいない。
でも、もうこれ以上醜い女に成り下がりたくない。
「……昼食はいいから。ライブのリハーサルがあるんだ。これからすぐ出ないといけない。帰ってくるのもたぶん遅くなる」
アキちゃんは儀礼的に言った。
「恋人」としては終わってしまったけれど、「家族」はやめるわけにはいかない。
本当に面倒で、厄介な相手を好きになったと思う。
わたしはうずくまったまま、返事をしなかった。
ぎしり、と椅子がきしむ。
アキちゃんが立ち上がったのだ。
最後に声がした。
「マユ、オレのこと、見てたか?」
そして、足音がダイニングから消えた。
意味がわからないよ。
涙がまた網膜を押し返してきて、床の木目模様がゆがんだ。
アキちゃんがもう帰ってこない気がした。




