大好きな人はわたしを好きじゃない
アキちゃんは、わたしを好きじゃない。
きっと、はじめからそうだった。
告白した時、「嬉しい」って言ってくれたのも、今になってみれば、本心からだったのかどうか怪しい。
ポロポロとこぼれる涙が線上になって、やがて顎を伝って床に落ちる。
幼い子供がそうするみたいに、みっともなくしゃくりあげる。
でも、目だけは目の前のアキちゃんをにらみつけて、離さなかった。
ほら、だから、と頭の中で父が呆れた顔をする。
「わたしが、嘘をついたのが、問題なんだ?」
肩でする呼吸が途切れ途切れになりながら、手の甲で絶え間なく濡れる頬をぬぐいながら、そう尋ねる。
アキちゃんは眉ひとつ動かさず、何も答えない。
後ろに立てかけていたギターを再び手に取ると、足を組み、その上に乗っけて、弦をつまびきはじめた。
「嘘を、ついたのは、悪かったと思うけど、わたしが、彼と会ったのは、交際の申し込みを、断る、ためで、ぜんぜん、アキちゃんを、裏切るためじゃ、ない」
アキちゃんの実態を薄々感じながらも、それでもどうにか関係を修復しようとする自分に、なかば嫌気がさす。
わたしも、キソのことを偉そうに言えないくらい、しつこい。
でも、どう思われようと、アキちゃんと別れたくない。
好かれていなくても、わたしはどうしてもアキちゃんのことが好きだ。
反対側の頬をぬぐう。
手の甲についた水滴を、払って飛ばす。
アキちゃんはこちらには一瞥もくれず、指の動きも止めやしない。
わたしの泣きじゃくる声と少し寂しげなメロディーが、重なり合わずにそれぞれ自己主張したまま、淡々と宙に漂う。
無視され続けるのがいたたまれなくなって、イラ立ちまぎれに「ねぇ」と呼びかけた時。
音がピタリとやんだ。
「オレ、家を出るよ」
やっと吐き出された言葉が爆弾発言で、わたしは率直に驚くというよりも、それを通り越して、むしろ腹立たしくてしかたなかった。
こうなったら皿を投げてやろうかと、本気で思って棚に近寄りかけた。
「なんで、そうなるの?」
右足の底を床に叩きつける。
涙の粒が合わせて落ちてはじける。
「ずっと考えていた」
「何を」
アキちゃんはカーテンが閉まったままの窓を見る。
向こう側の外を見ていたのかもしれない。
「マユに男ができたら、オレはこの家を出るべきだって」
アキちゃんに似合わないどこか荒くれた物言いに、わたしは一瞬面食らって、言葉を失う。
でもすぐに躍起になって、また床を踏む。
「できてないし、ずっとできないってば」
だから、家を出る必要なんて、永遠にない。
アキちゃん以外の恋人など、永遠にいらないのだから。
「それは、オレのせいだろ?」
アキちゃんが、張り詰めていた糸がふっと切れたような声を出した。
笑ったのかと思った。
「オレがいるから、お前は誰とも恋愛できない。この前、自分でそう言ってたじゃない」
「そんなこと」と口に出して、そこでひるむ。
言っていない、とは強く言い切れない。
記憶にない。
でも、アキちゃんがデタラメを口にするとも思えない。
まただ、と思う。
わたしはいつも肝心なことを覚えていない。
「だからって、それとアキちゃんがここを出ていくのとは関係ないじゃない」
喉の奥からしぼり出すようにして、叫ぶ。
「じゃあ、オレと、お前と、お前のダンナと、仲良く一緒に暮らしていけるって言うの?」
そこではじめてこちらをまっすぐに見て、アキちゃんが静かに問いかけた。
「マユのつくった条件ってそういうことだよね。オレとつき合いながら、他の男と結婚もする。オレの解釈間違ってないよね。そんな関係が、本当に成り立つと思ってるの?オレにも、将来のダンナにも、悪いと思わないの?」
アキちゃんがあんまりにもやわらかく、まるで教師が出来の悪い教え子を諭すような雰囲気で語るものだから、わたしは言葉をなくしてしばし茫然とした。
修羅場だということを忘れた。
こんな窮地にありながら、アキちゃんの美術品のごとく洗練された顔つきと眼差しに見惚れもした。
すぐに、かぶりを振る。
「条件なんて、ただの断る口実だよ。本気でそういう相手を探そうとしたわけじゃない。だいたい、そんなの受け入れる人がいるとは思わなかったから」
「でも、いた」
やんわりと、でもキッパリサッパリと、アキちゃんはわたしを制する。
「オレも正直驚いたんだ。どんな男なのか、興味が湧いた。だから、できればソイツと話をしてみたいと思って、あの時電話したんだ。探られたくない相手と会うっていうのは、あの朝のマユの様子でわかったから。ピンと来たんだ、例の見合い相手だなって」
まるで手品の種明かしを聞いているような気分だった。
あぁ、そうだったんだって、清々しさすら覚える。
マジックショーだったなら、ここで拍手して終わりだけれど、ここはステージじゃないし、わたしは観客じゃない。
ここは戦場で、わたしは敵の攻撃に立ち向かう兵士だ。
もうほとんど玉砕しかけているけれど、それでも望みがわずかでもあるなら、凛とした態度で挑んでいかなければならない。
「何か勘違いしてるかもしれないけど、わたしはキソとつき合う気はないし、結婚もしない。もう金輪際、お見合いもしない。誓う。わたしはアキちゃんとこれまで通り一緒に暮らしたい」
アキちゃんはゆるゆると首を振った。
「だめだよ」と少し微笑む。
なんで?そんなに腹が立った?と地団駄を踏む。
アキちゃんはまた首を振る。
「父さんたちが戻ってくるんだ」
白旗をあげそうになった。




