1-1:「冷めた再会」
俺達は紡げなかった。
いや、みんなはどうか知らない。
俺は少なくとも、俺だけは置いていかれている……
それでも俺はこのままでいるべきだ。
違うな。
俺は、この想いを忘れないことがアイツへの贖罪になると信じている。
まあ、許しちゃくれないだろうけど。
そんなことを常々考えては、何度もあの夢を見ている。
消そうにも消せない、感傷に浸ることさえも愚かだと思う。
幼かったあの日々を。
「おい、行くぞ。ソウ」
「ソ、ソウちゃんも、一緒に、来て、ほ、ほしいな……」
「俺らのリーダーが来なくてどうすんだよ!」
「ソウちゃん、みんな待ってるよ。早くしないとキミ追いてっちゃうから!」
ここまでは楽しい思い出だ。
「ごめんね、キミのせいで」
待ってくれ。
「大丈夫だから」
離れないでくれ。
「さよなら」
笑顔になるな、そんな顔するなよ。
――待って、くれよ……
「はーい! 朝だよ起きて!!」
「……」
「早く起きて。カトル君が寝坊しちゃうと、お母さん学校にお電話しなきゃならないのよ?」
「……」
「そんなに起きないなら、くすぐっちゃいますよー? 顔にお絵描きしちゃいますよー? あ、それともダイブしちゃう? それなら絶対覚めちゃうよね!? やっちゃうよ? やっちゃいますよ!?」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!! 今日は土曜日だろ!? 学生の休日なんだよ。ただでさえ、いつもゲームやアニメ鑑賞で忙しいってんだから休みぐらい寝させろよ! 後な、俺はカトル君なんてたいそうな名前じゃねえんだよ。ロボット乗りのボンボンじゃあるまいし!」
思わずありきたりなやり取りにツッコんでしまった。
そしてどうしてこうなったか、ベッドが大洪水だ。こりゃ見方によっては漏らしたと誤解されてもおかしくない汗の量だ。洗濯しなきゃな。
それにしたって、いつも見る夢とは違っていた。むしろ対局と言っても差し支えない。あんな暗いシーンからこんなコミカルな場面に移り変わるだろうか。
この幼馴染みが起こしに来るような夢を見てるってことは相当ストレスが溜まっている俺に、神さまか何かが休めって言ってくれてるんだなきっと。
ひとまず、顔でも洗って落ち着くことにする。
……身体が重いから歩きづらい。服が汗を吸ってるからだろうか、尋常じゃなく重い。
それに加えて、身体全体が何かにしがみつかれてるみたいだ。そのせいで、足音も大きく聞こえる。
そしてなぜだか、リビングの窓が半端に開いていた。昨日開けた覚えはない。
大分疲れてるんだな、俺。
洗面台に着いた。蛇口のレバーを上にあげ、冷水を顔に浸す。それからお湯に切り替え、ネットに入っている石鹸を泡立てた。泡立ちはそこまで良くない。
しかし、泡立てることに時間をかけることも癪なものだから仕方なくそれを鼻の中央から拡げていく。ただ、顔を洗っても身体が濡れているから、あまり気持ちがいいとも言えない。
これならシャワーを浴びた方が良かった。とか何とか考えながら泡を流し終え、タオルに手をかける。
「ん? タオルがない……」
「あ、はいこれ! 先に使ってた!!」
「そっか、気にすんな。」
先に使われていたから、少し濡れている。使えないわけじゃない。
……おいおい、ちょっと待て。
この家には俺1人しかいないんだ。タオルが濡れていて、その上手渡された…… それに知っている声。
……まだ起きてないんだな。鏡にも俺一人しか映っていない。
「使い終わった? タオルかけといたげるね」
「おう、サンキュー」
……!?
左手が何もない空間に手を置いた。思わず手渡した方を向く。体外の眠気は、冷水で洗顔することで覚めると思っていた。しかし、覚めるどころか冷めてしまった。
「?」
俺の目の前でアイツが、もういるはずのないアイツが、微笑んでいるのだから。
「おっはよう!ソウちゃん!!
……って、何やってんの!?」
聞かれても困る。俺もどうしてこうなっているのかわからない。
無意識のうちに壁にヘッドバッドかましている自分を洗面台の鏡で見るのは、実に滑稽であった。
「これぐらいで大丈夫かな? お、上出来だ! いい具合に流血してやがるぜ!!」
いや、俺はこんなキャラじゃない。
「え、ソウちゃん!?」
逆の立場なら俺もそういう反応になる。
「流血で喜ぶなんて、俺もまだまだ中二ってことか!? 現役バリバリの全国のひきこもり学生達じゃこんな経験したくてもする勇気ある奴なんて俺ぐらいだよなぁ諸君!?」
諸君って誰なんだ一体。
「ソ、ソウちゃーん、だ、大丈夫?」
「大丈夫に決まってんだろ!! そうだ、頭でガラス割ってやろうか?」
あー、はい、割ったら痛いです。そろそろ止めて下さい。お願いします。止めて。止めて。頼むから止めてくれ、病院送りになっちゃうから。
「え、割れるの!? ソウちゃんの大道芸見せて見せて!!」
よーし、見てろよ…… いや、そこは普通止める、だ、ろ……
「……あれ、倒れちゃった?」
次に目が覚めると、居間に居た。どうやら夢が続いていたようだ。
「むにゅ…… おはよう、ソウちゃん」
まだ、夢が続いているらしい。
「さっきキミドリのこと見て倒れちゃったから、こっちに運んで起きるの待ってたの」
当然だろ、気絶するくらいに驚いてんだ。
「大丈夫? 頭とか痛くない?」
枕が柔らかいからな、むしろ心地よいくらいだ。
「膝枕って初めてなんだけど、上手く出来てるかな?」
そっかー、膝枕かー、リア充体感させてもらってるぜ。さて、30分何円から?
「ねぇ、聞いてるのソウちゃん? ねぇってば!」
この状況、どう打開すべきだろうか。
「質問がある。お前は誰だ。」
「黄咲 緋翠現在13歳、あだ名はキミドリ!」
「では次に、俺のことはわかるか?」
「何を今更」
鼻で笑われた。
「蒼神 統架現在これまた13歳、あだ名はソウちゃん!」
そしてさらに質問をする。
「万さんが今までフラれた女性の人数は?」
「56人、それでもって57人目に狙っているのはマリアさん!」
これは完璧な回答だ。知り合いでしか知り得ない内容である。
ということは―― こういうことになる。
「今更死んだ奴が幻想になって現れ、俺に説教でもしに来たってわけか…… 重度の虚無感でここまでリアルな幻想を作り出すなんて、俺にこんな力何時から加わったんだ?」
これは重症だ、知り合いのなんでも屋にでも診てもらうおうか。それはともかく、腹が減った。
名残惜しいが、彼女の膝から頭を離した。それから冷蔵庫を見に行き、中にあるマスカット味のゼリー飲料を取りだす。最近はほとんどこれで済ましている。手間もかからず、3本飲めばおにぎり三個分くらいだ。10秒メシとはよくいったものである。
「死んでないんだけどなー…… キミも何か食べるー!!」
とりあえず、冷蔵庫に走って来たアイツに向かって中に入っていたみかんを投げつける。と、同時に幻想という事実を忘れていた。
投げても取れずに通り抜けるんじゃないかと。
「ありがとう、みかんだよね! 久しぶりに食べるなあ!」
取れちゃったよ。
「このみかんまだ熟してないからちょっと酸っぱい……」
食べちゃったよ。
「あ、テレビ付けていい?」
「え、うん」
ヤツは余裕で寝転べるサイズのベッドに奇声ダイブを敢行し、そのまま横に並ぶ長テーブルに置かれたテレビのリモコンを握る。
「うわー、最近は手から火とか出す人いるんだ! キミもこうボォーッって出せないかな?」
もうこれわかんねえな。ここまでくつろがれるとどうでもよくなってくる。
こういう時はあれだろ、認知症患者と接する時と同じだ。相手に合わせる。これが現時点で最善の対処法だ。
「で、今日は冥界から一体なんのご用事で?」
「いや、別に毎日来てるわけじゃないし。それにさっき言った。キミは死んでないよ?」
そう来たか、幻想よ。では生きてたとしよう。
「ならどうして連絡しないんだよ? あんなこと起きたら誰だって死んだと思うだろ?」
これなら説明できまい。俺の勝ちだ。
「実はね。しばらく意識なかったみたいでさ、昨日起きたら体は成長しているし、日付も変わってるしで、変な部屋に閉じ込められててね、とにかくここから出たいなあって思ったら幽体離脱? しちゃったらしくって目を開けたらお空にいたの! それからは外歩いてても誰にも気づかれないし、お腹も減っちゃったから、多分ソウちゃんなら気づいてくれるだろうと思ってなんとなくここに向かいました。そうして今に至るのであります!」
……よし、俺の降参だ。確かに、昔よりもかなりの美少女になってやがる。窓が開いていた理由もこれで説明がつく。彼女はマンションの外にある脚立を使って窓から入って来たのだろう。アクティブすぎる。
しかし、誰も気付けなかったコイツに対してどうして俺は視覚できたのだろう。
ああ、これだ。
コイツに気づけたのは俺の見えない何かを見る的な能力が発動したから視覚することが出来たってことだろう。こんな考えを出させるなんて、いつからそこまでの策士になったんだお前は?
「それにしてもソウちゃん、いつもそんなのしか食べてないの?」
「楽だからな、俺には丁度いい」
「何か作ったげるか?」
おいおい、手料理まで頂けるのか。
……待てよ、話を聞く限り身体は成長していてもそっちは成長してないのではないか。コイツの料理スキルは絶望的なんだよな……
「食生活を見る限り、冷蔵庫にはロクなものがないね…… よし、これから買い物に行こう!」
「おお、行って来い行って来い」
「他人事みたいに言うけどさ、一緒に行くんだよ?」
「嫌、です。」
嫌だ、幻想の頼みでもそれはきつい。俺はあの時から外に出ていない。別に人に会う事が嫌ではないのだが、人に会う理由が無い。それに、何をするにしてもあれ以来虚無に包まれる。だから、殻に籠ることにしたのだ。そうして、この生活をここ数年の試行錯誤により手に入れるに至る。このゼリーだって、毎月業者が家に届けに来るように手配した。家に居ても、定期的な収入を得て、通信教育を受け、ネットで必要なものも揃えられる。衣食住に関しては何不自由ないつもりだ。誰にも迷惑をかけていない。
「なるほどねぇ、これがひきこもりってやつですか」
否めない。反論する余地がない。
って、おい。心の声を聞こえるってなんだよ。
「そうだよ、ひきこもりだよ。はい、終わり。もうひと眠りするわ」
「嫌だ! 買い物行く! そんでもってソウちゃん連れ出すもん!!」
「絶対嫌だ」
「無理にでも引っ張ってくから!」
「余裕でベッドに戻ってるから」
「うぅ…… そんなに嫌がらなくてもいいじゃん……」
おいおい、そこで泣くか普通? どうにか、逃れる方法はないものか。
「なら、ソウちゃんの好きなエビフライ作ったげるから」
……前にも同じこと言ってたな。その時は一人で作って失敗しちゃってさ、上手く出来なかったって言って泣き出した。だから俺が手伝って、一緒に綺麗に作れたけど俺の作った方が美味かった。それでまた泣き出したから慰めるのが大変だった。
――お前のことだ、俺が行くって言うまで捻じ曲げないんだろう。それに俺も外に興味がないわけじゃない。ネットやTVで情報を把握していても、外で現物を見たいという気持ちもある。ただ、アレさえ起きることがなければ、俺も外に気軽に行けていたんだ。
でも今は、コイツがいる。
俺の虚無感を満たしてくれるだろう幻想が。
ただ、幻想だから時期に消えるだろう。
外に出るのは今回だけだ。
「早く準備して、もう15時のおやつの時間なんだから!」
もう昼食って時間じゃないだろうという言葉は閉まっておく。まあ、帰れば夕食くらいの時間だ。
「わかったよ、準備するから涙拭いて待ってろ」
俺は返事を返して、彼女に箱ティッシュを手渡す。
「……うん!!」
手渡し次第、容赦のなく鼻をすする音が部屋中に響く。もっと恥じらいを持って生きてほしい。
でも、死んでるから別にかまわないか。
そんなこんなでこの幻想の付き添いする。5年ぶりに行く外界への仕度をするため、朝から蒸され続けた自室に足を運ぶ。しかし、向かっている途中で床が濡れていることを思い出した。
「そうだ、シャワー浴びなきゃ」