リンネシステム
システム:Satoshi さんがログインしました
mina☆:お、さっくん!こんー
✝黒✝:いつもより遅かったな
Satoshi:こん
夕飯が遅かったんだ
ryo-太:さと、今イベントやってるミネ森いこう
Satoshi:おk
そうか、ミネストローネの森のイベント、今週末までだっけ。パソコンの画面を見つめながら、聡史は小さく唸った。今のままのスコアでは、残念ながら期間限定のアイテムは貰えそうにない。しばし考えた後、聡史は決意したかのように、画面に向き直る。
Satoshi:みんな、パーティー組んで
有料アイテム使う
ryo-太:mj?
✝黒✝:あのスコア二倍の?
システム:Satoshi さんがドリンクを使用しました
mina☆:やったー!さっくん愛してるううううううう
聡史は少し口角を上げて、スコア稼ぎに精を出した。インターネットゲームを初めて、何年経っただろうか。中学一年生の頃からだから、五年目か。今では家に帰ると、真っ先にパソコンに電源を入れてログインするほど、のめり込んでしまっている。
こちらの世界は良い。見た目もステータスも自由に変えられる。自分好みの自分になれる。戦闘をすれば必ず経験値がもらえて、続ければ当たり前のようにレベルが上がる。そうすれば皆に認めてもらえる。そんな世界なら、きっと自分みたいなクズは生まれなかったのに。
だから、現実はクソだ。
朝が来た。学校に行かなければならない。学校が嫌いな訳ではない。もちろん好きな訳でもない。頭は良い方ではないが、運の良さで赤点は免れているし、運動も可もなく不可もなく。友達も多いわけでもなければ、いじめられている訳でもない。顔を見てあからさまな悪口を言われたことはないが、女の子にモテたためしもない。平凡よりも少し悪いステータス。
無味無臭な学生生活に意味はない。高校は義務教育ではないし、行かなくても良いと言えばその通りだが、その代わりの新しいジョブに就けるほどのスキルはない。ここまでジョブチェンジ無しの見習い職を続けているだけ。そこで特に得る経験値も無く、プレイ時間だけが足されていく。
スキルが無くてもジョブチェンジが出来ない訳ではない。だが、残念ながら現実ではジョブによって不平等な未来が用意されている。迂闊にジョブチェンジをすれば、先行きが不安になるだけだ。
ああ、やっぱり現実はクソだ。
聡史はゆっくりと支度を済ませる。セーブもなければコンテニューも出来ず、やり直しがきかない世界。だから今日も、何とかミスを少なめに過ごさなくてはいけない。
「今日の最下位はー……ごめんなさーい、ふたご座のあなた!いつもならしない失敗を、今日は連発してしまうかも!」
テレビの朝の占いを尻目に、ふたご座の聡史は家を出た。人生で何度も同じような占い結果を見てきたが、運だけは良い方だった。今日だって、運だけは味方に違いない。
チャイムとともに、先生が教室に帰ってきた。見慣れた茶封筒を持っている。
「先週のテストを返すから、呼ばれたら取りに来いよー。阿部ー」
先生が教壇の上でクラスメートの名前を次々と呼んでいく。ああ、そういえばテストなんてやったっけな。記憶に薄いということは、恐らく手ごたえもなかったのだろう。聡史は天を仰いだ。神様、いるなら赤点だけは見逃してください。
「竹本ー。竹本聡史ー!」
「あ、はいっ」
聡史はさっと立ち上がり、教壇へと向かった。先生の表情を覗いながら、結果を予想する。少なくとも良い結果ではなさそうだ。
「竹本……。お前今回何があったんだ……」
「え?」
テストを受け取ると、そこには想像をはるかに超えた点数が書いてあった。赤点どころではない。青点だ。
「え、何で……」
「こっちが聞きたいわ、これじゃ次で挽回したとしても成績に響くぞ」
ミスを少なく、なんて考えて家を出たが、やり直しのきかないミスをしてしまうとは。もしかしたら今朝の占いは当たっていたのかもしれない。
ああ、神様なんていないんだ、本当に現実はクソだ。
聡史は机に伏せて、その日は何も起こらぬように、動こうともしなかった。これが人生を生き抜くために一番大切で、楽な方法かもしれない。同時に、意味のない人生が約束される方法でもあるが。下校時間になるまで、聡史は家に帰ってからの親への報告のシミュレーションを繰り返した。
「帰るか……嫌な予感しかしないけど」
母は怒るだろうか。怒鳴られることを覚悟した方がいいだろうか。そんなことを考えながら帰路につく。そう、こんな考え事をしなければ、もしかしたらミスはこれ以上起きなかったのかもしれない。その瞬間、そんなことが頭に過ったことは覚えている。身体に響く強い衝撃に視界がブラックアウトし、遠くで人の悲鳴やサイレンの音を聞きながら、聡史は倒れた。
人生の終わりが交通事故か。人生最後の日は人生最悪な日だった。ああ、やっぱり現実はクソだ。
「尚樹様おかえりなさいませ」
「んあー……あ?」
機械的な女性の声で、尚樹は目を覚ました。目の前にはスクリーン。そして体を覆う繭のようなカプセル型の機械。そこまでを見て尚樹は漸く我に返った。自分は聡史であったが、そもそも尚樹だったという事に。
「……この瞬間は何度経験しても頭が追いつかないな」
しわがれた声を懐かしく感じながら、尚樹は呟いた。今は聡史が生きていた時代よりも、ずっとずっと後の時代。ここはリンネシステムの中。尚樹は頭の中を整理する。違う人生を経験すると、自分自身の人生がどれだったか、わからなくなってしまう。
人類は急速に技術を進歩させていった。それに伴い医学も進歩し、人類は半永久的な命を手に入れた。しかし、ずっと「自分」という人生を歩むことに飽きてしまった人々がいた。そこで開発されたのがこのリンネシステムだ。リンネシステムの中に入り、名前、暮らす時代、その人間のステータスを割り振る。そして眠りにつくと、その人物の人生を疑似体験できるのである。食事や排せつなど、人体の生理現象や生命維持に必要なことは、全てリンネシステムが面倒を見てくれる。
開発された初めこそ、老後の道楽として利用されていたが、仮想現実で暮らせるのであればその方がいいと考える人が増え、今では世界中の人間がこのリンネシステムに横たわっている。仮想現実の中で食事を取れば、リンネシステムがお腹を満たしてくれる。運動をすれば、それ相応の筋肉運動と疲労を与えてくれる。子供を産むのも、全部機械側がやり取りし、また新たに新生児がリンネシステムに入るのだ。
頭を整理し終え、尚樹は改めて聡史の記録を眺めた。極端にステータスを高くした人生も、極端にステータスを低くした人生も既に体験済みだったが、程ほどにしたとしても人生がつまらなく感じてしまうとは。しかも高校生にして運が尽きて車に轢かれて死亡なんて、救われない。経験値を見ても、何の努力もしなかった聡史のレベルは、ゲーム能力と文章によるコミュニケーション能力が平均値より少しだけ高いだけだった。理想の人生のステータスを見つけることは、まだまだ難しそうだ。
(聡史、お前がやり直しがきかないと嘆いていた人生、俺にとってはやり直しがきく人生だったようだ)
聡史は自分であるのに、「俺」と区別するのはいささかおかしくも感じた。そうか、そう考えると聡史がテストの時に祈った神は、聡史自身だったのかもしれない。尚樹は小さく笑った。我ながらなんと救われない人生だったのだろう。結局俺は俺である限り、意味のない人生を繰り返すだけなのかもしれない。
尚樹は小さく息を吐いた。なんだか疲れた。もうこのシステムで過ごして、尚樹として生きて何年になるだろうか。年齢はいくつだったか。四桁を記録したことは昔システムに教えてもらった気がするが。
もう十分生きた。このリンネシステムの中で、飽きるほどの時間を過ごした。頃合いかもしれない。
「殺してくれ」
尚樹ははっきりと声に出した。
「尚樹様の生命機関を止めます。本当によろしいですか?」
「ああ」
「尚樹様の生命機関停止30秒前、死亡確認後、埋葬モードに切り替わります」
リンネシステムの機械的な声を聞きながら、尚樹は穏やかな顔で目を閉じた。もう十分だ。やり直したいとも思わない。これで、ゲームオーバーだ。天国っていうものがあるなら、新しいステージが待っていると言うならば、ニューゲームが始まるとありがたい。そしたら、この無意味な歩みも終わりを迎えることができるかもしれない。
「5秒前です。尚樹様お疲れ様でした」
「尚美様おかえりなさいませ」
「……今回はずいぶん長く生きたわね。……ここが天国なのかしら。ねえ、私?」
もともとは「輪廻機能」と書いてリンネシステムと読むタイトルでした。
ゲームに没頭したり、平凡な人生を否定する意図はありませんので、その点はご了承ください。
人間、自由に生きるのが一番だと思います。
まだ、やり直しができない世界……のはずですから。