満月祭の町
街のなかはごった返していた。
レンガ造りの町並みは常ならば静かで穏やかな石通りだが、今月ばかりは全く異なった趣を表して、建物の軒先に作られた色とりどりの明かりを宿した屋台が、暗い夜の中でも満月に負けないほどに輝いて並んでいた。
その屋台に並べられたのは市民階級にとっては常に食べることははばかられるようなものに、この祭りでしか見られない玩具が並べられていた。
甘い綿雲細工に、冷たい果物を切って作られた花、辛いスパイスを利かせた焼き肉、カラッと揚げられたパンに、食欲をそそる香りを漂わせた赤いスープ。
玩具ならば月を模した風船に、吸えば爽やかな香りを漂わせるパイプ、宝石をかたどったキラキラと光るガラス細工。
そしてそれを求めてきたのか、はたまたこの喧騒を味わいたいのか、どちらにせよこの町の中のどこにこれだけの人がいたのかと疑問に思うほどに、人・人・人…
この人ごみの中を通らなくてはいけないとうんざりする気持ちを、顔には出さないように彼は気を付けながら歩きだした。
この国を包む闇のような黒の生地でしつらえた服は、かなりの上等なもの。
目深にかぶったキャスケット帽から除く目は澄んだ青色をして、髪は、この国の貴族の証である、”月”の光に似た銀の髪。
常ならば目を引くような恰好だろう。しかし満月を祝うこの祭りの中ではその姿に注視するもの
はおらず、人々はただただ互いに”月”への感謝の言葉を言い、”月”の恵みをたらふく口にする
そんな中、彼だけは異質だったことは間違いはない。
その一年に一度だけの祭りの中で、その屋台や喧騒に見向きもせず、ただただ歩いている。
まるで暗闇だけが月明かりの中にぼうっとただずんでいるかのようだった。
満月は月に一度、必ず来るものだが今日の満月は常の満月とは異なる、新しい年になってから初めての満月。
満ち欠けを繰り返していく月の中でも最も明るく、最も神聖とうたわれる新満月をたたえる祭りなればこそ、人々も大いに飲み、食べ、歌い、”月”に、満月に感謝をささげる。
その祭りだとわかっていても、これだけの雑踏には彼は気がめいる。…彼は別に人ごみが嫌いなわけではない。むしろ人が多くいることは彼にとっては喜ばしい。だが、さすがに急いでいるときに…それも魔導乗合車に乗ろうとしているときにこの人ごみとは…
自分が遅くに屋敷を出たことを高く棚に上げて、彼は雑踏の中に足を踏み入れた。
この人混みでもさすがに裏路地ならば人はいないだろう。
いささか魔道乗合車の待合所には遠回りだが…少なくとも人ごみをかき分けていくよりも早い。
そう考えた彼は屋台と屋台の隙間を通り抜け、建物と建物の間の薄暗がりに足を向けた。
…その間だけでももみくちゃにされて帽子がどこかに行きかけたが。
どん、と軽い衝撃が彼を襲う。くらりと体制が崩れ、石造りの道にその身が傾く、が、すんでのところでふんばる。
ごめんなさいねぇ、という声から、彼は誰かの肩が当たったのだろう、とわかる。
「くそっ…」
幸いに人のいない裏路地に入るころには、整えられた服もグシャグシャ。帽子も形を崩している。
たまらず汚い言葉が口から飛び出す。
帽子からこぼれた髪が目にかかる。
いっそのこと切ってしまいたい。
服を整え、帽子を深くかぶりなおして、彼は路地の中を歩きだす。
この辺の地理は大体把握している。
この街に来たのはもう二年ほど前の話。
その間にできた悪友に連れられて、町のあれこれを教えてもらった。
そういえばそのアイツはどこにいるんだ、やはりこの祭りを楽しんでいるのか…
そんなとりとめのない考えを頭に浮かべながら、彼は路地を歩き始めた。