貴方はマイマスター
「…………たあ。お…………すたー。……きてください、……すたー」
耳元で声がする。そうか、もう朝か。いつものように義姉さんが起こしに来てくれたのかな。でも、この微睡みは至福すぎる。
「マイマスター。早く起きてくださいませ。朝食の用意はすでに済んでおります」
マイマスターとはまた変な遊びをしているな、義姉さん。でも今は、今だけはあともうちょっと寝かせて、ぐう。
「はあ、仕方ありませんね。……様からも言われておりますので少々手荒になりますがご寛恕願います。ハァ!」
「うわぁぁ」
その掛け声と共に地面がひっくり返った。一瞬空中に浮かんだ体は、しかし重力に引かれるがままに落下する。どしんと重い音が部屋に響いた。
これ地味に痛い。
その痛さを堪えながら何事かと寝ぼけ眼で辺りを見回す。
「おはようございますマイマスター。朝食の用意は済んでおりますので、どうぞ食堂へお越しくださいませ」
聞きなれない声にドキッとして声の方へ顔を向ける。
するとそこには燕尾服を着込んだ妙齢の美人さんが立っていた。
なぜ女性と判断したかというと胸に義姉さん程じゃないけど膨らみがあるからだ。ただ、髪はショートで遠目からは服と合間って男性のようにも見えそうだ。
と、観察している場合じゃない。誰だこの人!
「あの……」
「はい、なんでございましょうかマイマスター?」
打てば響くという具合ですごくにこやかな笑顔で聞き返してきた。
やだ何これ、何だか怖い。
それでも勇気を出して口を開いた。
「その、あ、あなたは……」
誰ですか、と聞こうとしたところであることに気付いた。
ここ、僕の部屋じゃないぞ!
周りをよく見ると、というかよく見ないでも分かるんだけど、僕の部屋にあった机とかがない。この部屋にあるのはどうもさっきまで僕が寝ていたベッドだけのようだ。
「ここ何処だ?」
辺りを見回して出た僕の小さな呟きだったが、目の前の人にはバッチリ聞こえていたみたい。そして、何故か合点がいったとばかりに一つ頷き深々と頭を下げた。
「これは申し訳ありません。てっきり説明をお受けになったのだとばかり考えておりました」
「ちょっ! 頭、頭を上げてください」
見知らぬ人にいきなり頭を下げられるのってかなり気持ち悪いのだと、このとき初めて知った。
僕の言葉に女性はゆっくりと頭を上げる。しかし、顔には沈痛な表情が浮かんでいた。一体どうしたのか。その答えは女性の次の言葉で明かされた。
「失礼しました。謝罪ではなく腹切りをご所望とは……。今準備いたします」
と、いきなり何もない空間にてを突っ込み、そこから多分ドスみたいな刃物を取り出した。そして、同様にして刀も取り出し、僕に柄を向けて差し出した。
「お手数をお掛けして申し訳ありませんが、どうか介錯を御願いできませんでしょうか?」
介錯を、て出来るわけがない。大体、誰が切腹しろなんて言った。ちょっとムカッとくるね。こうも人を無視して話を進められると。
僕が黙って微動だにしないでいると、女性は少し悲しげな顔で刀をしまい込んだ。
「……ご無理を言ってしまったようですね。度重なる無礼お許しください。それでは本当に短い間でしたがお世話になり」
「切腹はどうでもいいですから話を聞かせて」
何だか本当にやりそうな気がしたので、言葉を遮る。ついでにこの訳の判らない状況をきちんと説明してもらおう。
正座し、ドスを逆手にもって今にも振り下ろさんとしていた女性は僕の言葉に目をぱちくりとさせ、動きを止めた。
「は、あの、いえ、腹切りはしなくても構わないのでしょうか?」
「そう言ったつもりですけど?」
女性はその言葉に安堵の色を見せながらドスも空中にしまい込んだ。そして、立ち上がるやいなや再度頭を深々と下げた。今度は止めないよ。面倒くさいから。
「大変失礼致しました」
言い終わるとゆっくりと頭を上げる。
「それで、聞きたいこととは一体何で御座いましょうか?」
その顔は僕の役に立てると期待で彩られていた。その期待に応えるのは嫌だけど聞けるのはこの人しかいないしな。我慢我慢。
「まず一番肝心なことを聞きますがここはどこですか?」
「はい、ここはマイマスターのダンジョンに御座います」
ダンジョン、ダンジョン…………どこかで聞いたことのある言葉だな。うーん……………………あっ!
「それって夢の中の福引きで引き当てたやつ?」
「はい、おっしゃる通りで御座います。ロ……マイマスターの御学友の方から何も聞いていらっしゃいのでしょうか?」
御学友……先輩のことだよな、きっと。先輩は夢で意識がなくなる直前にこっちに来るみたいなこと言ってたけど。あの人一体何者なんだ。と、今はここのことだ。
「はい、何も聞いていません」
「では始めから全てご説明いたします。まず現在地ですが今は只の『ダンジョン』におります。マイマスターはこの『ダンジョン』を運営して生活して頂くこととなります」
「只のってことは何か名前とかあるのですか?」
「はい、ダンジョン自体の名前につきましては後々属性や難度によって自動的に決められます。所謂一種の称号みたいなもので御座いますね」
「話の腰を折ってすみません。続きをお願いします」
「いえいえ、マイマスターの疑問に答えることは私めの存在意義に御座います。どうぞこれからも疑問に思われたことはお聞きなさってください」
女性は満面の笑みを浮かべて一礼した。僕の疑問に答えることが生きていく理由って……。本当に怖い。
僕が何とか頷くと、話を続けだした。
「では続きをご説明いたします。
こちらのダンジョンですが、支配の間に置かれています魔力体『操作の球体』を奪われますか、マイマスターが死亡なさいました時点で機能が停止します。
『操作の球体』は手に入れば神より賞与が頂けるため皆必死に攻略しようとしますので御注意ください」
「皆って、例えば冒険者とかそういった人ですか?」
少し前に義妹が読んでいたネット小説にそんな言葉があった。それによると荒くれ者がなるような職業だったな。
僕の予想通り女性は頷いた。
「おっしゃる通りで御座います。ですが、それにつきましては後で御説明させていただいて宜しいでしょうか?」
「ええ、はい。大丈夫です」
「有り難う御座います。では続きましてダンジョンが置かれております世界ですが…………」
延々とこの世界の事を聞かされた。やれ国がどうたら、魔法がどうたら、宗教がどうたらと言われてもさっぱりなことばかりだった。全然覚えてないし……また機会が来たら聞こうっと。
「……以上で説明は終わりとなります。また判らないことが御座いましたらいつでも仰ってください」
「はい、ありがとうございました」
これで一応現状は把握できたけど、さて、どうしようか。
そう思ったところで大切なことを聞くのを忘れていたことに気付く。
「あの、最後に質問良いですか?」
「なんなりとお申し付けください」
「じゃあ遠慮なく……あなたの名前はなんですか? それとマイマスターってなんですか? あ、頭は下げなくていいですからね」
僕が聞くと恥ずかしそうに顔を少し赤らめて軽い会釈ぐらいで謝った。
「申し訳ありません。どうもお会いできたことで少々浮かれておりました。私の名前はフローラと申します。それとマイマスターですが」
「うん」
軽い相づちのあと、衝撃の内容を伝えられた。
「日々の世話から下の世話まで全てを尽くして奉公する相手を呼ぶときの呼称で御座います。何卒よろしくお願い致します、マイマスター」
そう言って彼女――フローラは嬉しそうに微笑んだ。