携帯電話
約束していた日曜日になって、駅の改札口で達磨は時計を何度も見ている。
約束の時間の十五分前に結真から電話がかかってきて、少し遅れることを聞いて、近くの店で時間を潰してから、再び駅の改札口へ戻った。
「達磨!」
「やっと来たね、結真ちゃん」
「遅れてごめん!電車が遅れたのよ!」
「事故か何か?」
「酔っ払いが線路から落ちたらしくて、それで時間がずれたの」
迷惑な話だな。きちんと考えて行動してほしい。
土曜日の夜まで結実香と達磨は日曜日をいい日にするためにあれこれと話していた。
「いよいよだね。達磨」
「そうだね、結実香ちゃん」
いつもだったら眠そうな顔になるのに、このときの結実香は拳を作り、いつも以上に元気だった。
何を想像しているのか、結実香が急に頬を赤く染めて、ベッドの上で左右に転がり始めた。
「結実香ちゃんも明日は出かけるんでしょ?そろそろ寝ないと・・・・・・」
「無理だよー」
「無理じゃない。いつまでも起きていたら、寝不足で楽しむことができないよ?」
「達磨、帰ってきたら絶対に報告してね。それと結真ちゃんを泣かせないこと!」
「もちろん」
この二つの約束を交わしてから、二人で布団の中に入った。
達磨が結実香の頭を撫でると、結実香も達磨の頭を撫でる。そうすると、お互い心地良く感じるので、すぐに眠ってしまう。
「達磨、寝ちゃった?」
「起きているよ。どうしたの?トイレ?」
「ううん、もう行ったからいいの」
「今日は眠れないね」
「そうね、困ったね」
目を開けた達磨が結実香を見ると、達磨にそっと手を伸ばしていて、結実香はすぐに背を向けた。
ちょっと待て。今、何をしようとしていた?
「結実香ちゃん、こっちを向いて?起きているよね?」
「寝ています」
堂々とよく嘘を吐けるものだ。本当に寝ていたら、喋らないだろう。
寝たフリをしている結実香の耳に息を吹きかけると、結実香は悲鳴を上げて、飛び上がった。
「やめなさい!達磨!」
「あれ?結実香ちゃん、起きたの?おはよう」
「枕を投げるよ!」
白々しいことをした達磨に結実香は枕を投げてから、達磨の分の布団を全部取ろうと強く引っ張った。
いくら春で暖かい日が続いていても、布団なしで眠ることはやはり不満だった。
「結実香ちゃん、布団を返して」
「お布団、気持ちいいー」
おいおい、やめろよ。こいつ、俺をベッドから落とす気かよ!?
結実香の頭は枕の上から壁に移動していて、足で達磨を蹴ってくる。
「落ちたらどうしてくれるの?」
「拾ってあげる・・・・・・」
「ひどいな・・・・・・」
まるで捨て猫を拾うような言い方だった。
布団を独り占めしている結実香をベッドの下に置いて、新しい布団を出しても良かったけれど、そうすることなく、布団にくるまっている結実香を抱きしめた。布団の中から出てきた結実香が達磨を呼んでも反応がなかったので、達磨にも布団を分けて、静かに双眸を閉じた。
「達磨、どうかした?」
「ううん、結実香ちゃんのことが気になっただけ・・・・・・」
「結実香ちゃんが大好きだからでしょ?」
「結真ちゃん、そんなんじゃないよ。母さんと結実香ちゃん、ちょっと抜けているところがあるから」
今頃、二人がくしゃみをしているのかもしれない。そう思うと、何だか笑えてきた。達磨が変な顔になっていることを結真に指摘されたので、笑いを堪えた。
もうすぐ一時になるから、目的のパンケーキの店へ行くことにした。店は駅から徒歩十五分で到着するので、何を話そうか悩んでいると、結真が先に口を開いた。
「結実香ちゃん、何しているのかな?」
「だから水族館へ行っているよ」
「それはわかっている!
学校にいても、二人きりで出かけても、やはり結実香の話題が一番盛り上がる。
先日、学校で琉生と結真が楽しそうに机を寄せて話をしているものだから、何を話しているのか、耳を傾けていると、結実香のことだった。
「結真ちゃん、結実香ちゃんと電話をしていたのは本当?」
「あれ?結実香ちゃんから聞いたの?」
「前に教室で琉生と話していたよね?」
「盗み聞きは良くないわよ!」
盗み聞きじゃない!たまたま聞こえただけだ。
二人きりで話をしているから、もしかして琉生が結真のことを異性として意識しているのだと、不安がよぎったが、内容が結実香のことだったので、不安は払拭された。
「着いたよ。結真ちゃん」
「どこ?」
「この階段を上るんだよ」
目の前にある階段を見上げると、パンケーキの店の前に看板がある。
達磨と結真が階段を上って店内へ入ると、甘ったるい匂いが漂っていた。
「どれも美味しそうね」
「全部は駄目だからね?」
「当たり前よ!帰ることができなくなっちゃう」
結真がメニューと睨めっこしている間に達磨はさっさと決めた。
「もう少し待って!」
「焦らなくていいよ」
結真が悩んでいるのはナッツとチョコバナナのパンケーキと生クリームとメープルのパンケーキ。
「結真ちゃん」
「ごめん。でも、もうちょっと!」
「ナッツとチョコバナナのパンケーキと生クリームとメープルのパンケーキを頼んでさ、二人で半分ずつにしない?それだったら、どっちもたべられるからさ」
「だけど、達磨、他のパンケーキにしたんじゃないの?」
こういうときの結真は鋭い。
メニューばかり見ているのだと思っていても、達磨のことをしっかりと見ていた。
「ううん、俺もナッツとチョコバナナのパンケーキを頼もうとしていたから」
「悪いわね・・・・・・」
店員を呼んだ達磨はナッツとチョコバナナのパンケーキと生クリームとメープルのパンケーキを注文した。
店員が下がると、達磨は結真を見つめていた。結真は携帯電話を操作して、くすっと笑った。
「何を笑っているの?」
「これが届いたの」
新しいメールが届いて、そこにはペンギンの真似をしている結実香の写真が添付してあり、楽しそうに笑っている。後から他の写真も贈ることが書いてある。
結真に携帯電話を返すと、今度は達磨の携帯電話の着信音が鳴った。その着信音がいつの間にか、ひよこの鳴き声に変わっていたから、結真と一緒に驚いた。
「いつからひよこにしたの?」
「ち、違う!」
すぐにメールの受信箱を開けると、送信してきたのは結実香からで、文面にはデートは順調かどうか、それとこれからイルカショーをやっているところまで行くこと、お土産を買うことなどが書かれていた。
達磨は結実香に着信音がひよこの鳴き声に変わっているのはどういうことなのか、返信した。三分もしない内にメールの返事が来て、文面には笑顔の顔文字しかなかった。
「やっぱり結実香ちゃんの仕業だった・・・・・・」
「可愛いじゃない」
このことを琉生に知られなくて、本当に良かったと達磨は思っている。
もしも知られていたら、絶対にからかわれてしまうから。
「後でたっぷりとお仕置きをしなくちゃね」
「達磨、顔が怖いわよ」
「気のせい、気のせい」
結真はお仕置きすることを忘れさせようと、結実香に何かお土産を買う提案を持ちかけた。
結実香と結真は好きなものが似ているから、選びやすい。
「ここのパンケーキを持ち帰ることはできないのかな?」
「無理だよ。仮にできたとしても、家に着いた頃には潰れていそうだよ」
「次に来るときはさ、結実香ちゃんも一緒がいいね」
「そうだね」
この店には子どもが食べやすいようにキッズプレートもある。結実香もこの店をきっと気に入るに違いない。
そんな話をしていると、店員がナッツとチョコバナナのパンケーキと生クリームとメープルのパンケーキを持ってきて、結真は小さな拍手をしながら、歓迎した。
「食べさせてあげようか?」
「もう!達磨ってば。私は結実香ちゃんじゃないのだからね」
「そんなつもりで言っていないよ」
少しは進展させようとした達磨だったが、なかなか思うようにならない。
結真は口元に生クリームをつけたまま、パンケーキを食べている。達磨は結真の頬に手を添えて、口元についている生クリームを舐めた。結真は顔を紅潮させて、目を丸くして、達磨を見た。
「生クリーム、ついていたよ」
「口で言ってよ!」
「俺にされて嫌だった?」
「嫌じゃないよ!ただ・・・・・・」
「何?」
「恥かしいの!」
未だに顔が赤い結真がさくらんぼのように達磨には見えた。達磨が頬に唇を近づけようとすると、結真に頭を叩かれた。
「今、私の頬を噛もうとしたでしょ!?」
「どうしてそうなるのさ?」
「歯が一瞬、見えたもの!」
「違うよ」
結真が的外れなことを言い続けているが、相手にせず、パンケーキを食べていた。
機嫌が悪かった結真もパンケーキを食べて、すぐに機嫌が直った。
「私さ・・・・・・」
「ん?」
「小学生の頃の記憶があんまりないんだよね・・・・・・」
「結真ちゃんがあまりにも記憶力が欠けているから?」
「本人に対して、失礼よ!」
頬を膨らませる顔は結実香と似ていた。
とりあえず達磨は結真に平謝りをしておいた。
「満腹になった!」
「ポッコリお腹だね、結真ちゃん」
「さっきから失礼よ!」
「褒め言葉なのに・・・・・・」
「どこがよ・・・・・・」
水を飲んでから空になった皿を重ねて、会計を済ませに行った。
達磨が会計している間、結真は店の前の看板をじっと見ていて、振り返った達磨がそれに気づいた。
「おいおい・・・・・・」
あれだけ食ったのに、まだ食べることができるのか?
どんな胃袋の持ち主なのか、知りたいような、知りたくないような気持ちになった。
「来たわね!達磨!」
「おまたせ、結真ちゃん。次に行きたいところはある?」
「うーん、そうね・・・・・・」
結真は目を閉じて少し考えてから、にっこりと笑った。
「どこかへ買いものへ行かない?結実香ちゃんへ何か買ってあげたいから」
「何を買う予定?」
「それはこれからゆっくり決めるのよ!」
結真が達磨の手を取り、歩き始めた。その動きは自然で、まるで当たり前にする感じだった。
達磨は小さく微笑み、結真に手を引かれながら、結真の歩幅に合わせて歩いた。
「達磨!まずはこの店に入らない?」
「どこへでも一緒に行くよ」
「本当!?じゃあ入りましょう!」
入った店は土産屋。結真は数々の商品に目を奪われながら、店内を歩き回っている。
時間によってはかなり混雑しているときがあるが、今の時間は客が少ないので、達磨は安心していた。
「達磨!」
「うん?何?」
「結実香ちゃん、食べられないものはある?」
「えっと、煮豆とセロリが嫌いだよ。それに刺激が強いものも苦手みたい」
「わかったわ」
ちなみに嫌いなお菓子はほとんどない。ただ、シナモンをたっぷり使ったお菓子は好まなかった。前に達磨がシナモンがかかっているドーナッツを買ってきて、それを半分ずつ分けて食べたことがあり、そのとき結実香は面白い顔になっていた。
そのことを思い出し、達磨はくつくつと笑っていた。
「達磨、来て!」
「欲しいものがあった?」
「これとか、結実香ちゃんにどうかな?」
結真が達磨に見せた商品はアイスクリームだった。
だけど、他にも店にも行こうとしているので、達磨は首を横に振った。
「どうして?」
「だって、家につく頃には溶けるよ?他のところにも行くんでしょ?」
「わかった、別の商品にする」
その後に買うことを決めた商品は動物の形をしたクッキーだった。
結真が自分用に買った商品はパウンドケーキとチーズパイ。買いたいものを買うことができて、結真は満足していた。
「すごく嬉しそうだね、結真ちゃん」
「そりゃそうよ。お土産は大好きだから。達磨、あそこのベンチに座りましょう!」
「ベンチ?」
店の前にベンチがあり、結真は荷物をそこに置いて、袋から土産を出した。
「まさかここで食べるの!?」
「違う。はい、これ」
結真に渡されたものは四枚のチーズパイ。
「どうして・・・・・・」
「これ、すごく美味しいの!だから結実香ちゃんと食べて」
「ありがとう」
「こちらこそ。さて、次の店へ行こう!」
荷物を片づけた結真は達磨に笑顔を向けてから、歩き出した。結真の笑顔を見ることができた達磨も笑顔になっていた。