小学生
仲野達磨が通う高校の近くに小学校があり、楽しそうにお喋りしている子や本を読みながら歩いている子、お茶を飲んでいる子など、たくさんの小学生をよく見る。
子どもに興味がなく、いつものようにさっさと通り過ぎようとしたときに目の前で少女が転び、ランドセルの中身が散乱した。目が点になったが、急いで少女を抱き起こした。
「大丈夫?」
「うん・・・・・・」
半泣き状態になりながらも必死に痛みに耐えていた。少女の腕や足、顔などを見ると、どこからも血が出ていなかった。
少女は地面に散らばった教科書を拾って集めようとしているので、達磨も拾おうとしたときに誰かが背中を叩いてきた。振り向くと、友達の奥積琉生が立っていた。
「痛いな、何をするんだよ?琉生・・・・・・」
「お前こそ、こんな小さい子を泣かせて。それでも高校生か?」
「五月蝿いな。お前も手伝えよ」
「達磨にいじめられたの?お兄ちゃんに話してみな」
琉生が優しい口調で話しかけると、少女は首を横に振った。
「お兄ちゃん、だぁれ?」
「俺は奥積琉生。君は?」
「結実香。一年生」
「可愛い名前だね」
琉生が結実香の頭を撫でようとしたときに達磨がその手を振り払った。
「達磨、俺に喧嘩を売っているのか?後にしろよ」
「そんなんじゃねぇよ」
「た・・・・・・つま?」
「うん?ちゃんと言ってみな。達磨」
「た、達磨」
達磨が結実香を抱きしめようとしたときに琉生が引き離した。
「自分が何をしているのかわかっているのか!?」
「何を?あれ?」
子どもに関心がない達磨の行動とは思うことができず、琉生と同じように達磨自身も驚いていた。
結実香は琉生に抱っこされて嬉しいのか、胸に擦り寄っている。達磨と違って、琉生は子どもが好き。
「結実香ちゃん、家はどこ?」
「えっとね、ちょっと待っててね」
ランドセルの蓋を開けて、ガサゴソと小さな手を入れて何かを探している。出したものは手書きの地図。
そこに書いてあったのは達磨の家だったので、達磨はその地図を奪って、もう一度見た。
「どうして俺の家が書いているんだ!?」
「今日からここが私の家なの」
いつの間にか達磨の家を少女に盗られた。
どうしてそんなことになってしまったのか。制服のポケットから携帯電話を取り出して、母親の番号にかけた。
コール音が鳴り響く中、母親が電話が出ないことに苛立っていた。一度電話を切って、再度かけてみるものの、結果は同じだった。
「出ないみたいだな」
「こんなときに」
達磨が歯軋りをしていると、結実香に服の裾をクイクイと引っ張られた。
「何?」
「お腹が空いたの」
「俺は何も持っていないよ」
涙腺が緩んで、結実香は今にも泣きそうな顔をしていた。達磨が視線を逸らせようとすると、結実香が移動して追いかけてくる。別の方向に顔を向けても、結実香は瞳を潤ませながら、じっと達磨を見てくる。
隣で琉生が腹を抱えて笑っている。
「このお兄ちゃんが何か買ってくれるみたいだよ」
「達磨!俺に押しつけるな!」
「私、達磨がいいの」
達磨は結実香に指名されて、さらに眉間に皺を寄せている一方、琉生はニヤニヤと笑っている。結実香はどこの店へ行こうかと、前後左右にある店を見ていることに気づいた達磨は咄嗟に手で結実香の視界を遮断した。
視界から情報が入るからお腹が空くのだと思っていると、結実香のお腹がキュルルルルルと鳴った。
「あのさ、給食を食べたよね?」
「嫌いなものばかりだったの」
「残したら駄目じゃん」
どれだけ残したのかは知らないが、それで何かを食べさせてもらおうとする結実香の都合のいいように動くつもりはない。
好き嫌いをすることがどうして良くないのか、琉生ができるだけわかりやすく説明していた。
「達磨、とりあえずお前の家にこの子を連れて帰れよ」
「冗談だろ・・・・・・」
「きちんと親に詳しいことを聞かないと駄目だ。それにいつまでもここにいても仕方がないしな」
琉生と達磨が話している間も結実香のお腹は鳴り続けていたので、先に近くのファストフード店へ行くことにした。
ハンバーガー店で達磨が席に座って窓の外を眺めていると、琉生と結実香がたくさんの商品を持ってきた。
おい、数が多くないか?それとも誰か呼んだのか?
「どうしてそんなにあるの?」
「その、買ったから・・・・・・」
商品を注文する前に達磨はテリヤキチキンバーガー、琉生はフィッシュバーガー、結実香はプチパンケーキとオレンジジュースを食べることに決めてから、達磨は琉生に財布を渡して買いに行かせた。
琉生に何度か奢ってもらっていたから、今日は達磨が奢ることにした。それなのになぜかチキンナゲットとアップルパイ、アイスコーヒーにバニラシェイクまでプラスしてある。
「これには深い訳があって・・・・・・」
「納得できるように説明してくれるんだよね?」
数十分前に琉生はあらかじめ決めていた商品だけを注文していた。そのときに他の客とぶつかってお茶が制服にかかってしまったので、結実香に財布を預けて急いでお手洗いへ行って、しみ抜きをした。お手洗いから出たときに何度も謝る女性にそれほどひどくないことを伝えている間に結実香が他の商品も買っていた。
琉生の話を聞いてから、結実香から話を聞くことにした。
「これだけ買った理由を教えてくれる?」
「琉生君が買いたがっていたんだよ」
「ゆ、結実香ちゃん!?」
「へぇ・・・・・・」
琉生は誤解を解くためにずっと達磨に話し続けていたが、テリヤキチキンバーガーを食べている達磨はほとんど話しの内容を聞いていなかった。
何を話しても聞いてもらえないことに琉生が落ち込んでいると、結実香が頭を撫でて慰めていた。
「結実香ちゃん、そんな奴の頭を撫でていたら時間がもったいないよ」
「ひどい!」
ひどいのはどっちだ。人の金だからって、一気に財布が軽くなっただろう。
財布で思い出した。琉生からまだ財布を返してもらっていなかった。
「琉生、俺の財布」
「あ!結実香ちゃん、財布を出して」
「どうぞ」
「やっぱりかなり軽くなっている」
「悪い・・・・・・」
「本当だよ、全くもう・・・・・・」
ハンバーガーを食べようとしたときに店の中に入ってきたクラスメイトに声をかけられた。
宇津見結真。近所に住んでいて、高校を入学する前からマンションで一人暮らしをしている達磨の片思いの相手。
「あんた達も来ていたんだね。あれ?その子は?」
「えっと・・・・・・」
「何?まさか誘拐したとか!?」
「そうじゃないよ」
結実香が手にしていたチキンナゲットを食べ終えてから、結真に自己紹介をすると、結真も自己紹介をしてから握手を交わした。
結真は小腹が空いたから来たらしく、いつもと違って一人だった。
「結真ちゃん、良かったら一緒に食べない?見ての通り、多くてさ・・・・・・」
「どうしてこんなにたくさん買ったの?」
「おつかいがまともにできない人のせいかな?」
「ごめん・・・・・・」
結実香と琉生が買いに行っているときに琉生が他に食べたいものや飲みたいものを結実香の前で言っていて、我慢をすることは良くないと考えて、琉生がいないときに頼んだ。
結実香の優しさに琉生が感動していると、琉生の足を達磨が蹴った。
「痛っ!」
「どうしたの?琉生」
「た、何でもない」
「結真ちゃん、プチパンケーキ、一緒に食べよう?」
「いいの!?ありがとう!結実香ちゃん!」
仲良く二人でプチパンケーキを食べている。
並んで座っている二人を見ていると、まるで姉妹のようだった。結実香が結真に食べさせようとしている姿を見て、何だか胸がモヤモヤした感じになった。
結実香が食べている姿を見て、まるで小動物のようで可愛さが増していた。
「達磨、何を考えているんだ?」
「な、何も」
「嘘吐け。さっきから結実香ちゃんをチラチラ見て」
「あれ?子どもが苦手じゃなかったっけ?」
「私のこと、苦手なの?」
結実香は絶対に計算しながら行動しているように思ってしまう。
何この可愛い生き物。
「泣かせないでよ、達磨」
「まだ何も言っていないよ」
「ねぇ、達磨、どうなの?」
「あ・・・・・・えっと・・・・・・嫌いじゃないよ・・・・・・」
「達磨、返事が遅いよー」
結実香に上目遣いをされて、達磨の心臓の音は激しくなるばかりだ。
今まで達磨は風邪を引いたくらいで、大きな病気になったことはない。自分の心臓がここまでひどく乱れるから、内心どうしたらいいのやらと考えていた。
「達磨、絶対に結実香ちゃんをかなり気に入ったよな?」
「どうしてそう言い切るの?」
「この子をずっと見ているから。それにいつも以上に食べるスピードが遅くなっているからだ」
「本当!?私のことが好き?」
眩い小さな太陽がいるみたいだった。とにかく結実香の笑顔が輝いていて、目を瞑りたくなるくらいだった。
「達磨、答えなさい!」
結実香の小さな指を目の前に出した。
白くて美味しそう・・・・・・待て!今、恐ろしいことを考えていなかったか!?
達磨は寒気がして、結実香から視線をはずした。
「好きだよ、これでいいんでしょ?」
「良くないの!これから一緒に住むのだから、仲良くするの!」
「一緒に住む!?」
「なぜかそうなっているんだ」
「もっと詳しく教えて!」
達磨も琉生も結実香がどうして一緒に住むようになったのか、詳しいことは何も知らない。
携帯電話を見ても、メール、電話、どちらも届いていなかった。
「何のための携帯だか・・・・・・」
「きっと忙しいのよ」
「この子、本当に家に連れて帰らなきゃ行けないと思うと、溜息が止まらない」
「大丈夫!一人増えて楽しくなるから!」
結実香は達磨の家に行くことが楽しみで仕方がない。
琉生や結真までこれから時間があるときは達磨の家に遊びに行こうと決めていた。
「どうして二人までこっちに来るのさ?」
「だって結実香ちゃんにもっと会いたいもの」
「私も結真ちゃん会いたい!」
女の子同士でハグをしているところを見て、達磨は引き剥がしたくて堪らなかった。
家に帰ってから母親に事情によると、結実香は親戚の女の子で両親が病気になったので、預かることになった。
「仲良くするようにね、達磨」
「これからお世話になります」
「はいはい、よろしく・・・・・・」
結実香がお辞儀をしたときに気づいた。何をどうしたのか、この少女のパンツにスカートが挟まっている。本人は気づいていない。教えると真っ赤な顔をしながら、最低呼ばわりされてしまった。
結実香と生活する日が今日からスタートした。
「勉強するか・・・・・・」
「私も!」
母親について行くように結実香は自分の部屋へ行く達磨の後を追った。
「何しているの?」
「雑誌を読んでいるの!」
達磨が勉強を終えたから同じ部屋にいる結実香に声をかけた。
結実香が読んでいる雑誌は女性向けで読む年齢にふさわしくない。それでも結実香は熱心に服やネイル、化粧品のページを何度も捲っている。
特に熱心に読んでいるのは化粧品のページ。美肌発色のブレンドチークや優しい印象を与えるアイシャドウ、明るい肌にするクリーミィファンデーション、色やツヤを保ち続けるルージュなど。
どれも可愛くて、化粧品があれば結実香はすぐに使いたいくらいだった。
「達磨!」
「買わないよ」
すると、まん丸とした頬をプクッと膨らましている。
結実香が立ち上がって部屋を出ようとしたので、後ろから結実香を持ち上げた。
「どこへ行くの?」
「ママにお願いするの!」
お前のママではないだろうと達磨は言いたかった。
足をバタバタと動かしている結実香を見ていると、まるでプールか海で泳いでいるように見えてしまう。
こいつはどのくらい泳げるのだろう?
「結実香ちゃん、泳ぐことはできる?」
「水がないと無理なの」
それはそうだ。俺の言葉が足りなかったのか。
言葉に詰まった達磨は結実香をベッドの上に落としたので、ボールのように跳ねた結実香が悲鳴を上げた。
「浮き輪があれば泳げるよ!」
「学校に浮き輪を持って行くことはできないよ」
「そんなの当たり前よ!達磨は変なことを言うのね」
このガキ、泣かせようか。
そんなことを考えていると、結実香は開いてあった雑誌を閉じた。
それから達磨の手を取り、どこかへ連れて行こうとするものの、どこにも行かないと足に力を入れているので、結実香はまた頬を膨らませる。
「達磨、行くの!」
「どこにさ?台所?もうご飯を食べたことを忘れちゃったのかな?」
「違うよ、テレビ番組が始まっちゃう!」
ベッドからジャンプしようとしたときに布団が足に絡まり、頭から落ちそうになったので、達磨が慌てて結実香を抱き止めた。
達磨がいなかったら、確実に結実香は痛みで泣いていただろう。
「ありがとう」
「気をつけようね」
「はい!」
素直に返事をしたので、今日は見逃すことにした。