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あくあ19歳『春から風の便り』   作者: Endo Junichiro(遠藤準一郎)


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4/4

最終話:春が来たので、君の隣で笑っていたい

春の光、大学の午後、やわらかな風。

強い事件ではなく、そっと近づいていく気持ちの揺れを大切にした物語です。

読後に、心へ淡い風が残るような、やさしい最終話になればと思いながら整えました。


パーティが終わるころには、夜の空気もすっかりやわらかくなっていた。

 昼の名残を少しだけ抱えたままの風が、大学の並木道を静かに通り抜けていく。

 行きの道ではまだ春の入口だった景色が、帰り道にはもう、春そのものの顔をしていた。

 会場の明かりから少し離れた場所で、あくあとみかは並んで歩いていた。

 にぎやかな笑い声は後ろに遠ざかっていき、代わりに聞こえるのは、靴音と、葉の揺れる音と、ときどき肩の上で小さく笑うそらの声だけだった。

「……終わっちゃったね」

 みかがそう言うと、あくあは少しだけ空を見上げた。

「うん。でも、なんか」

「うん?」

「終わったっていうより……始まった感じがする」

 みかはその言葉に、そっと目を丸くした。

 あくあがこういうことを自分から言うのは、きっと珍しい。

 けれど、今夜のあくあは、いつもより少しだけまっすぐだった。

 肩の上のそらが、風を抱くみたいに両手を広げる。

「はじまり……! はる、はじまり!」

 その無邪気な声に、みかがくすっと笑う。

 あくあもつられるように笑って、それから少しだけ歩調をゆるめた。

 前のほうではラブがうれしそうにしっぽを振り、ジュニアが落ち着いた足取りでついていく。

 少し離れた場所では、サラと幸太郎が大人らしい静かな距離感で並んでいて、何も言わずに、けれどちゃんと後ろを見守ってくれていた。

 そういう夜だった。

 誰かが背中を強く押すのではなく、歩ける速さで歩けばいいと、道そのものが教えてくれるような夜。

 校門のそばまで来たところで、あくあは足を止めた。

 みかも立ち止まる。

 春の匂いがした。

 遠くで誰かが笑っていて、街灯の光は丸く、やさしい。

 まるで世界が、今だけ少し静かになって、二人の言葉を待っているみたいだった。

 あくあは、みかを見る。

 黒ぶち眼鏡の奥の目はいつもと同じように静かだったけれど、そこにはちゃんと、ためらいながらも手放したくないものを見つめる色があった。

「みか」

 呼ばれて、みかは小さく息をのむ。

「今日……すごく、うれしかった」

「うん」

「スーツも。似合うって言ってくれたのも」

「……うん」

「それに、ずっと」

 そこまで言って、あくあはほんの少しだけ困ったように笑った。

 言葉を探している顔だった。

 でも、逃げない顔でもあった。

「ずっと、みかがいてくれて、よかった」

 みかのまつげが、かすかに揺れる。

 強い告白ではなかった。

 胸を打つような大きな台詞でもない。

 けれど、それはあくあが今の自分で差し出せる、いちばん正直な言葉だった。

 みかはしばらく何も言わなかった。

 ただ、泣きそうになるのをこらえるみたいに、やわらかく笑った。

「……わたしも」

 そのひと言が、とてもきれいに夜へ溶ける。

「わたしも、あくあくんがいてくれて、よかった」

 風が吹いた。

 強くない、でもたしかに届く風だった。

 そらが「あっ」と声を上げる。

 どこからか舞ってきた桜の花びらが一枚、二人のあいだをふわりと通り過ぎた。

 まるで祝福みたいだと、みかは思った。

 でも、それを言葉にすると、きっと少しだけ照れてしまうから言わなかった。

 あくあは花びらの行方を目で追って、それからみかに向き直る。

「……これからも」

「うん」

「こうして、一緒に歩いてくれる?」

 みかは、今度こそはっきりとうなずいた。

「はい」

 その答えは、小さいのに、春の夜には十分すぎるくらいまっすぐだった。

 そらが待ちきれないように声を上げる。

「いっしょ! いっしょだね……!」

 ラブもそれに合わせるみたいに、小さく駆け回る。

 ジュニアは落ち着いた顔でその様子を見守っていた。

 少し前を歩いていたサラは振り返り、何かを察したように微笑み、幸太郎は何も言わずに、ただやさしく目を細めた。

 大人はときどき、何も聞かないことで、いちばんきれいに祝ってくれる。

「帰ろうか」

 あくあがそう言うと、みかは「うん」と答えた。

 今度は、さっきより少しだけ自然に、二人の距離が近かった。

 肩が触れるほどではない。けれど、もう離れて歩く理由もない。

 そんな距離だった。

 道の先には、それぞれの明日がある。

 授業も、日常も、うまくいかないことも、たぶんこれからたくさんあるのだろう。

 それでも今日という一日があれば、少しずつでも歩いていける。

 あくあにはそう思えた。

 やさしさは、目立たない。

 大きな音もしない。

 けれど、だからこそ人を深く癒やすのだと、春の夜は静かに教えてくれていた。

 みかが隣で笑う。

 そらが風に手を伸ばす。

 ラブがしっぽを振り、ジュニアがゆっくりとついてくる。

 サラと幸太郎の背中は、少し先であたたかな灯りみたいに揺れていた。

 あくあはその全部を見て、胸の奥でそっと思う。

 世界は思っていたより、ずっとやさしいのかもしれない。

 少なくとも、自分が大事にしたい人たちのいる場所は、こんなふうにあたたかい。

「みか」

「なあに?」

「春、来たね」

「うん」

「……今度は、ちゃんと来た」

 みかはその意味を聞かなかった。

 聞かなくても分かることが、たしかにあったからだ。

 その代わりに、みかは笑った。

 春そのものみたいな、明るくて、やわらかな笑顔で。

 あくあも笑う。

 ほんの少し照れながら、それでも、ちゃんと。

 そうして二人は、やさしい夜の先へ歩いていく。

 急がなくてもいい。

 大きな約束がなくてもいい。

 好きな人の隣で笑えること。

 それだけで、人は明日を少し好きになれる。

 春から届いた便りは、もう風だけではなかった。

 それは、誰かを想う気持ちであり、

 見守るあたたかさであり、

 言葉になりきらないまま、それでもたしかに心へ届く、やさしい光だった。

 そしてその光は、これから先もきっと、

 あくあとみかの歩く道を、

 ほがらかに照らし続けていく。

 終


ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

 強い言葉より、そっと寄り添う気持ちを大切にしながら、あくあとみかの春を描いてきました。

 やさしさが誰かの心を少しでもほどき、明日を好きになれる小さな灯りになれたなら、とても嬉しいです。

作者コメント】

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

大きな言葉ではなく、そっと寄り添うやさしさを大切にしながら、この物語を書いてきました。

あくあとみかの春が、読んでくださったあなたの心にも、やわらかな灯りとして残れたなら幸いです。


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