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多界の噺師  作者: しぐれ
第一章
8/26

第八話 エトの客


 青いなあ……。

 まるで空の中にいるみたいだ。


 そう呟いてから、すぐにまた思い直す。


 いや、あらかた間違ってはいないな。実際、俺の周りの青は青空の青だ。


 いつもより近い太陽に目を細め、仰向けでねっころがっていた状態から、腹筋だけを使って上体を起こす。眼下に広がる街を見下ろして、大きくため息をついた。


 そろそろ時計台の屋根の上ここもバレる頃だな……。


 もし見つかったらげんこつの一発ですむかどうか、正直自信がない。かれこれ三日はサボり続けているのだ。頭領はともかく、リュンヌのほうはかなりヤバイ。

 兄貴分であるリュンヌはその言動は荒くても内面はかなりしっかりしている。かなり頼りになるが、いかんせん不正なことが大嫌いなやつなのだ。サボりがバレるたびにまず俺に説教をくれるのは、いつも頭領ではなくリュンヌだった。


 さて、次はどこへ行こうか。


 屋根から身を乗り出すと、すぐ下のほうにある一軒の店が目に留まった。ぐるりと塀で囲まれたその中に家と小さい庭がある。そこにある花壇のそばに一人の少女がしゃがみ込んでいた。


 ――あれ? 誰だろ、あの子。見たことねえなあ。


 この街には結構前から住んでいるが、あんな子は見たことがない。歳は俺より少し下くらい。肩を覆うくらいの髪の毛は漆黒。ロヴェル人か。

 不意に少女が顔をあげたので、ドキッとして少し顔を引っ込める。見られていることに気づかれたのかと思ったが、少女は家のほうに向かって手を振っただけだった。


 ふう、びっくりした。………ってか、この高さから見られてるのに気づく人間が普通いるかっ。


 自分で自分につっこみ、そして自分で訂正する。


 いるな。


 それは少女が今しがた手を振った、あの店の店主だったりするのだが。


 ああ、そうだ。久しぶりにあの店にも顔出そうかな。




 風に煽られカーテンが翻り、開かれた窓から日が射す。

 エリティアは眉間に深々と縦ジワを寄せ、むすっとした顔で食後の紅茶を口に運んだ。


「ご機嫌斜めだね」


 部屋に入ってきたエストレジャはエプロンで濡れた手を拭いながら「おお、怖い怖い」と苦笑する。エリティアは自分が食べ終わった食器を下げるエストレジャをジロリと睨めつけた。


「そんな顔しないで。平和が一番でしょ」


 さりげなく言ったつもりだったのだが、エリティアの顔を見てすぐに後悔した。般若の形相でこちらを見るエリティアを確認したエストレジャはそそくさとリビングから立ち去ろうとする。

 しかし、それは失敗した。


「平和が一番ですって? あなたがそれを言うの?」


 カシャン、と音がして振り返ると、ソーサーの上のカップに指をかけたエリティアが憤然とした顔をしていた。その周りのテーブルクロスに茶色い水玉模様が描かれていることから、おそらくソーサーにカップを叩きつけたのだろう。こぼれた紅茶のしみが白い布地にじわじわと染み込んでいく。あのテーブルクロス、気に入っていたのに。しかしそれを言ったら雷が落ちるのは明白だったので、口にはしなかった。


非常識の塊あなたの側にいればある程度楽しめていたけど、最近はあなたも常識人になったの?」


 エリティアたちがエストレジャの家に来てから一週間がたつ。当初、なにか楽しいことが起こるのではと心を弾ませていたエリティアだが、日に日にその機嫌は悪くなり今に至っている。

 エリティアは普通の事が嫌いだ。朝起きて、ご飯を食べて、仕事をして。何もないただそれだけの繰り返しの日々が、ゴキブリより嫌い。それがエリティアの持論である。ちなみにエリティアがゴキブリを前にしたときはかなり凄まじい。悲鳴とか、そんな生易しいものではなく、鼓膜が破れるのでは、と本気で思うほどだ。


 そんなエリティアの性格を熟知しているエストレジャは食器を持ったまま小さく嘆息した。


「エリティアはつまらなくてもあの二人は楽しそうにしてるよ」


 開かれた窓の向こう、小さいがエストレジャが保有している裏庭で、リロが花壇に水をあげていた。


 あの花壇には、リロたちが来る前から一応花は植えてあったのだが、手入れをあまりしていなかったためかなり荒れていた。しかし花壇があることをリロが知ってからというもの、みるみるうちに整頓され、今では綺麗な花たちが満面の笑顔を振り撒いている。最初はリロを心配して裏庭の隅でベルがそれを見ていたのだが、リビングの窓から裏庭がよく見えるということ、あまりにリロが楽しそうにしていることの二つが重なって、今ではベルもリロの好きにさせている。


 今も本当に幸せそうに花に話しかけているリロを見て、エリティアの表情が微妙に変化する。エストレジャは穏やかに笑った。


「うん、エリティアがリロチャンの日常しあわせを壊してまで楽しみたいって言わないでくれてワタシは嬉しいヨ」


 悔しそうにするエリティアにエストレジャはクスクスと笑う。窓際に移動したエストレジャは朝日に目をすがめた。


「エリティアが言っていたことが本当なのだとしたら、あの子たちはまたすぐに乱戦の中に身を投じなくちゃならなくなるだろうから……」


 リロが窓際にいるエストレジャに気づいて手を振る。笑って手を振りかえしてあげれば、リロは愛らしい瞳をキュッと細め、心のそこからうれしそうに笑った。


 そんな彼女を眺めながらエストレジャは食器を持つ手に力を込める。カチャッと重ねた皿が音をたてた。


「――せめて、今くらい普通の生活をさせてあげたいと願うのは、別に悪いコトじゃないよネェ」


 エリティアは量が減ってしまった紅茶を無言で口に運ぶ。静かにカップを置き、窓とは反対方向のキッチンへ続く扉に視線を向けながらさりげなく口を開いた。


「……だからわざわざ"常連のひとたち"を店に寄せ付けないようにしているの?」


 口元だけで笑うと、わざとエリティアの方を見ないようにしてリビングを横切る。背中に痛いほど視線を感じながら、エストレジャはキッチンに続くドアから出ていった。


「さぁネ。ご想像にお任せするよ」


 去り際にこんな言葉を残して。


「全く……」


 エリティアはため息と共に背もたれに身体を預ける。飾り気のない天井が視界を埋め尽くした。


「ハイって言っているようなものじゃないの」



    …OUT…



 ある朝の光景よ。彼女と友人の会話。


 意外と優しいのね、彼は。ただのトラブるメーカーかと思っていたのだけれど。


 さぁて。長い一日が始まるわよ。



    …IN…



 エストレジャがリロに手を振っている頃、ベルは店の中の整頓をしていた。時計屋を営んでいるエストレジャの店は細かい歯車やネジなどの部品が沢山ある。エストレジャが散らかすそれを片すのがベルの日課になっていた。


 ネジの最後の一つをしまってベルは人知れず息を吐いた。大きな騒ぎもない、平和な日々。こんな生活はいつぶりだろう。

 いきなり家に役人が押しかけて来て、家を捨て逃亡生活を選んだ時は、二度とこんな生活が出来るとは思っていなかった。自分はともかく、リロがうれしそうにしているのはベルにとって非常に喜ばしいことだった。

 兄に心配をかけまいとしていたのか、旅の途中リロは滅多に弱音を吐かなかった。常に明るく振る舞い、ベルが仕入れた食べ物は嫌いなものでも文句を言わずに食べた。「私は大丈夫」これがリロの口癖になっていた。


 けれど、ベルは気づいていた。どんなに明るく振る舞っていても、満面の笑顔を浮かべていても、リロは"笑って"いないことに。

 ……自分のせいで。リロが無理矢理、笑顔を浮かべていることに気がついてから、ベルはずっとリロを誰かに預かってもらうことしか考えていなかった。


 そのリロの笑顔が再び見られるようになるなんて。

 態度には出さないが、ベルはエリティアとエストレジャにかなり感謝していた。


 表も掃除しようかな、と、箒を取り出そうとした瞬間、店のドアが勢いよく開かれた。

 箒を手にしたまま反射的に振り向くと、ドアノブに手をかけた状態で一人の男が立っていた。背が高く、がっしりとした体躯をしている。短く刈った黒髪に、黒いシャツに黒いズボン、腰に巻いているポーチやはめている手袋まで黒だった。

 そして何より目を引いたのはその瞳。幼い子供が見たら泣き出しそうな鋭い目つきの奥で輝く瞳は薄緑色をしていた。


「あ?」


 男はベルを見て怪訝そうに眉を寄せると、二、三歩下がって店の前に置いてある看板を確認する。一人頷くと、彼は再び店に入って来た。


「やっぱ"からくり屋敷"で間違いねえよな。おまえ、誰だ?」


 男が実に堂々とした態度で訊いてくる。こっちが訊きたい、と思いながらも、エストレジャの客かもしれないと思い直し、ベルはいったん箒を置いた。


「俺はベルといいます。最近この街に来ました。今はエトさんの助手のようなことをしています」

「泊まり込みでか?」


 突っ込んで訊いてくる男に、ベルは黙って頷くだけに留めた。下手なことをしゃべって、見知らぬ誰かに情報を与えるのはまずい。


「おいおい、嘘だろ? エトの野郎が男を家に泊める? 明日雨、いや、槍でも降るんじゃねえか」


 本気で信じられないといった顔をして、男は首を横に振る。ベルが用件を訊こうと口を開きかけたとき、別の声がそれを遮った。


「宿無しの青年を泊めてあげるのなんてそんなに珍しくはないでしょーに。リュンヌはワタシをそんな冷たい人間だと思っているのかい?」


 リビングに続くドアを開けて入って来たエストレジャはクスリと笑うと、小さく肩を竦めて見せた。エプロンは外している。そんな何ともない仕草でも彼がやると目を引くのは、動きのひとつひとつに気品があるからだろうか。

 黒づくめの男――リュンヌはそんなエストレジャには目もくれずにしれっと言った。


「なんだ、気付いていなかったのか」

「さらりとひどいコト言うよね、リュンヌは」

「事実だろ? それともなんだ? 女に飽きて同性愛に走ったか」

「アハハ、いつの間に自殺志願者になったんだい?」

「冗談だ」


 これもまたしれっと言ってのけると、リュンヌは腰に付けていたポーチから掌サイズの袋を取り出した。「ほれっ」とそれをベルに放る。反射的に手を出しそれを受け取ったベルは、カチャッ、という金属がこすれるような音を聞き取った。ベルの問うような視線の先でリュンヌは面倒臭そうに欠伸をしながら言った。


「それ、今月分だ」

「有り難く頂戴するヨ」


 エストレジャが軽く頭を下げる。不思議そうな顔をしているベルに、エストレジャは、開けてごらん、と促した。

 袋を開けると中には細かい歯車やネジ、そのほか時計の部品と思われるものが入っていた。目を瞬かせたベルにエストレジャは小さく頷く。


「さすがに部品まで全部自分でやるのは大変だからネェ。このひとはリュンヌっていうんだけど、鉄工所で働いているんだ。ワタシの知己でね、鉄工所なんて言うと大きいものばかり造っているようなイメージがあるけれど実際は逆。この辺は金属類があまり採れないから、こういう小さいもののほうがたくさん造られてるんだ」

「へえ、そうなんですか」


 素直に感心するベルを横目に、リュンヌはあたかも興味がないというように欠伸をする。それにしても、とエストレジャが首を傾げた。


「どうしてリュンヌが持ってきたんだい? いつもならまだ仕事の真っ最中だろうに。まだわざわざ職人が作業を中断してまでくることはないんじゃないかい?」

「ああ、本当はネジュの野郎に持って来させる予定だったんだがな。あの野郎三日前から行方不明だ」


 いらだたしげに短い黒髪をがりがりと掻く。納得、という顔をしたエストレジャは首を傾げたベルのほうを向いて言った。


「リュンヌの下で働いてるネジュって子がいるんだけどね、放浪癖でもあるのか時々行方不明になるんだよ」

「ただのサボりだ。あんニャロ、見つけたら三回ほど殺してやる」

「まあ三回死ねるとしたら人類としていろいろと規格外だよね」


 揚げ足をとってくるエストレジャに、リュンヌは、うるせえ、と言うとくるりと二人に背を向ける。ドアを開ける前に、彼は振り返って言った。


「おまえも閉じこもってねえで、外出てみろよ。この街は悪くねえ」


 薄緑の目に見つめられて、ベルは咄嗟に何も言えなかった。そのうちにリュンヌは店を出ていってしまう。ベルが改めて口を開いたときにはもう、リュンヌの姿はどこにもなかった。

 肩を落とすベルにエストレジャは慰めるようにその肩を叩く。ベルから受け取った部品の入った袋を机の上に置きながらエストレジャは言った。


「リュンヌはね、混血なんだよ」


「混血……」


「そう、アジェンド人とロヴェル人のネ。ロヴェルの血が濃いから髪は黒いし目も緑色さ。でもリュンヌは気にしないんだよ。最初は街中のやつに嫌な目で見られていたんだけどネェ。そのうちその気構えが認められたのか、今じゃもう誰もリュンヌを迫害したりしない」


 良い顔もされないけどね。そう付け加えると、エストレジャは壁に立て掛けられていた箒を掴んだ。慌ててそれを受け取ろうとするベルを軽く手で制す。顔にうっすら笑みを乗せると、エストレジャは家の奥を指差した。


「キッチンの奥の棚に美味しいお菓子があるんだけど、エリティアには内緒でリロちゃんに持って行っておあげ。リロちゃん裏庭にいるから。たまには二人でお茶でもしなヨ」

「でも……」

「いーからっ!」


 ためらっているベルの背中を「ほらっ」と押す。振り返ったベルに小さく手を振ると、ようやくその気になってくれたのか、ベルは軽く頭を下げると店の奥に消えた。




「――――……?」


 エストレジャが言っていた菓子を片手にリロがいる裏庭へ向かったベルは、ふと違和感を覚えた。

 いつもならばこの辺まで来るとリロのほうが気がついて顔を出すはずなのだが、今日は一向にその気配がない。足元の地面を見下ろして、ベルはほんの少し目を細めた。


「あ、お兄ちゃん」


 家の陰からリロが顔を出す。ベルはニッと笑って、走り寄って来たリロに菓子を見せた。


「わっ、すごい! これどうしたの?」


 リロが顔を輝かせる。それもそうだろう。それはリロが好きなモナカだったのだから。

 ベルはクスリと笑うとリロが伸ばした手から菓子を遠ざけるために手を上にあげる。身長差もあって、リロがどんなに手を伸ばしても届かなくなってしまう。ムッとして見上げてくるリロにベルはすっと外にある水道を指差した。


「手、洗ってからだ」

「……はあい」


 リロがおとなしく手を洗う。蛇口から流れる水の中に手を遊ばせるリロを見ながら、ベルはさりげなく口を開いた。


「エリティアさん、ここに来たのか?」

「え? どうして?」


 リロが訊き返してくる。


「……いや、来てないんならいいんだ」


 リロが蛇口を閉めて振り返る。問うようなその視線から逃げるようにベルは菓子を軽く持ち上げた。


「お茶にしよう、リロ」

「……うん!」



    …OUT…



 言い忘れていたけど、彼女ものすごく低血圧でね。朝起きるのがすごく遅いの。だから彼女は朝食じゃなくて、朝昼兼用っていうのかしら? まあ、つまり普通のひとがお茶をしようとする時間にご飯を食べるのよね。

全く。頑張って早く起きなさいよ。



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