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多界の噺師  作者: しぐれ
第一章
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第六話 林の中で

 暗い暗い闇の中。ひっそりと立ち尽くす幾数もの木が、ざわざわと枝を鳴らす。その不気味さに、先の見えないその奥で悪魔が手を拱いているような錯覚すら覚えるほどだ。


 ベルはその不気味のど真ん中にいた。ジヴァールを追うために林に入ったのではない。ああやって消えたジヴァールは例え何をやっても見つけられないことは、過去に何度も経験済みだ。


「……っ」


 右手で胸を押さえると、近くの木に寄り掛かる。そのままズルズルと座り込んだ。苦しそうに喘ぐ姿は、まるで病魔に身体を蝕まれているかのようにも見えた。


 ガサッ


 すぐ近くの茂みが揺れる。あれは風になぶられた音ではなく、なにか生物が茂みを掻き分けている音だ。

 ベルは気づいていたが、動かなかった。否、動けなかった、のが正しいだろう。ベルの呼吸は浅く、速かった。


 茂みを掻き分け、現れたのはリロヴィーナだった。その姿を認めたベルは力を振り絞り口を開くが、すぐに別のことに気づき、眉間にシワを寄せると冷たく吐き捨てた。


「……何をしに来た」

「前に出てきたときと同じ台詞とは、味気ないな。つまらん。もっと予想外な台詞でも吐いてみせろ」


 鮮血のような瞳をしたリロは悠然と歩き、ベルのすぐ前で立ち止まる。額に脂汗を浮かべながら目だけで見上げてくるベルに、赤目のリロはニヤリと笑った。

「まあ、敬語を使う余裕すらないこの状況で面白いことを言うなどおまえには荷が重過ぎるかもしれん」

「解っているなら……余計なことを言っていないで、失せろ」

「存外冷たいのだな。やはり私だからか? こいつにはそんなこと言ったりしないだろう」


 不意にベルが苦しそうに身体を丸める。見下ろしてくる赤目のリロに言い返そうと口を開くが、呻き声が漏れるだけで言葉にはならない。

 喘ぐベルの前に屈み込み、赤目のリロはそっと囁いた。


「苦しいか? 己の中の渇きと闘うのは辛いだろう? まだ抵抗するのか? 所詮おまえの抵抗などたかが知れているのだぞ。どうだ? この際諦めて受け入れてみるというのは」


 瞼が少し震え、薄く開かれた紫苑の瞳が赤目のリロの顔を映す。

 赤目のリロの細い指が、日に焼けたベルの顎を持ち上げた。


「おまえは"そういう風"に造られたのだから。理性を捨てろ。本能に従って生きろよ。楽になるぞ」


 瞬間、ベルが赤目のリロの手首を掴んだ。顎にかかった指を外し、闇夜に煌めく紅蓮の瞳を真っ正面から見据える。

 苦悶に顔を歪ませながらも、その視線は強い意志を宿していた。


「……ふざけるな……この程度………誰がっ……!」


 呼吸が詰まったのか、一旦言葉を切る。


「……悪いが……俺はあの夜に……誓ったんでね………二度と人間は……殺さないって……。殺人衝動……? ……んなもの……その辺に生えてる雑草以下だ……今の俺の中じゃ……優先順位はその程度の存在だよ……」


 苦しげに呼吸を繰り返す。そんなベルを赤目のリロは複雑な表情で見つめた。同情、哀れみ……どれにも当て嵌まらないそれのせいだろうか、闇を切り裂く赤眼しゃくがんがほんのわずか揺れたように見えた。


 それも本当に一瞬で、すぐに毅然とした態度に戻る。

 薄桃色の唇がゆっくりとした動きで言葉を紡ぎだした。


「後悔するぞ。あの女を道連れに選んだことを。おまえを止められるのは私だけだ。私が不在の時、もし精神が乱れたりしたら、おまえはあの女を殺してしまうかもしれない」


 その言葉を聞いたベルの脳裏にあの大通りでの出来事が浮かぶ。

 リロは知らないが、エリティアとベルが初めて出会ったあの時。路地で整えていたのは呼吸だけではなかったのだ。


 ロヴェル人の自分たちが乱雑に扱われるのは解っていたはずだった。医師全員に断られるかもしれないということも、ある程度は予想していたことだった。しかし、いざ診察を断られると、まるで重石を乗せられたかのように心が重くなった。


 覚悟をしていなかった訳ではない。

 予想していなかった訳ではない。

 ただ汚物を見るかのような、あの蔑みの視線を受けるたびに、自分ではどうしようもなく心が揺れた。自分の為ではない。自分はすでに咎を背負った身。揺れるのは何の罪もないはずのリロヴィーナを想ってだった。


 糊のきいた服を着て、綺麗な革製の鞄を持って、優しい母親に見送られて学校へ向かう。好きなだけ勉強して、帰って来たら迎えてくれる家族がいて。そんな夢のような生活を送っているアジェンド人の子供と、リロヴィーナは何が違うというのだ。髪の色が何だ。瞳の色が何だ。そんなもの、ほんのわずかな差異に過ぎないではないか。


 何故、アジェンドの子供が風邪を引いたら、一日とたたぬうちに医師に診てもらい、薬をもらって、その上温かい粥を母親に食べさせてもらえるというのに。何故、人種が違うというだけでリロヴィーナは診察を断られ、たった一人病と闘わなければならないのだ。


 何故。何故、何故。


 理不尽が罷り通る世の中なのは、十分承知している。けれど、頭で解っていたとしても、心がどうしようもなくそれを否定するのだ。


 何故、何故なのだ、と。


 そして、心が乱れると必ずベルの中で"声"が響く。


 壊せ。


 そんな理不尽な世界など、全て壊してしまえ。

 奴らアジェンドじんが統治する腐った国など、その牙で喰いちぎってしまえ。己のことしか考えない人間など、全てその爪で屠ってしまえ。

 壊せ、さあ。さあ!

 全て壊せ!


 "声"に身を委ねれば楽なのはベルにも解っていた。これが自分の中の本能だと、自分の根本的部分なのだと理解もしていた。


 だからベルは理性を総動員してその"声"を押さえ付ける。声ごと心を凍り付かせるのだ。

 親しいひとを殺されたひとがどんな顔をするのか、知っているから。もうそんな顔を見たくないから。利己心からくる理由だと解っているけれど、それが今のベルを支えていた。


 それに。ベルの脳裏に初めてエリティアと出会ったあの瞬間が浮かぶ。

『私の家にいらっしゃい』

 "声"が満ち、凍てついたベルの心に燈った一つのひかり


「俺を……舐めるな。エリティアさんを殺す? あの女性ひとはその辺の奴らとは違う……」

「ずいぶんとあの女を買っているのだな。女どころか人間という種族にすら興味を持たなかったおまえが……たいした進歩だ」


 赤目のリロは普段は前髪で隠してある額に刻まれた横一文字の傷に指を這わせた。戒めの傷。ベルはこれをそう呼ぶ。

 次の瞬間、赤目のリロはその傷に掌を押し付けた。数秒間そのまま動かない。ベルも手を振り払おうとせず、そのままじっとしていた。


 ふと赤目のリロが全身の力を抜いた。ゆっくりと手を離す。赤目のリロは立ち上がりながら肩越しに口を開いた。


「そろそろいいぞ。好奇心旺盛の盗み聞き女が、よく我慢したじゃないか」

「あら、嬉しい評価じゃない。全く子供らしくないけどね」


 リロが出てきた茂みから、音もなく姿を表したのはエリティアだった。音どころか気配すら完全に消している。

 言葉の見つからないベルに、エリティアは屈託のない笑みを浮かべる。初めて出会った時となんら代わらない満面の笑みを。


「よかったあ。無事だったのね、ベル君。あのがずいぶんおっかない言い方するから心配したわ」


 ほっ、と胸を撫で下ろす姿は、本気でベルを案じていたことを示していた。


 赤目のリロのおかげで精神が安定した状態に戻ったベルは、表面上だけ笑う。心の中に浮かんだささやかな疑問を"声"と同じように無理矢理押し止め、ベルは何事もなかったかのように立ち上がり丁寧に頭を下げた。


「すみませんでした。勝手にいなくなったりして」

「君が無事でいてくれただけでいいわよ。でも、もう止めてね? 本気で焦ったんだから」

「はい、すみません」


 殊勝に頷くベルを上目使いで見ていた赤目のリロは、疲れたようにため息をつくとベルの服を引っ張る。ベルとエリティアが振り向いたのを確認してから彼女は実に堂々と宣言した。


「じゃあ私はしばらく"眠る"から、となり街の友人とやらの場所に着いたら"こいつ"を起こせ」



    …OUT…



 これも覚えておくといいわ。


 嫌なことっていうのはね、された方は嫌に思って覚えているけれど、した方はどうでもいいから忘れてしまうのよ。


 あるいは相手を不快にしていると気づかずにそうしていることもあるわ。


 加害者って、きっとそうなのよ。自分では気づかずに相手を傷つけて、すぐにそれを忘れてしまう。どれだけ自分の行為で相手を傷つけているとは知らずに、ね。


 まあ、そういうひとたちは、いずれ報いを受けるのだけれど?



    …IN…



 真夜中ミッドナイト

 それは一日二十四時間の中で、エストレジャの最も好きな時間だった。


「どうして?」


 以前、私は彼にそう訊いたことがある。

 煉瓦で造られたバルコニーから星を眺めていたエストレジャは、数秒悩んでからこう言った。


「だって街からひとがいなくなるでしょ?」


 姿も、喧騒も、あと明かりも全部消えて、街が街になるから、すごく背景の星が映えるんだよ。


 そう言う彼がすごく綺麗だったから、私も「そうね」と相槌を打った。


「ネェ……」


 そういいながらエストレジャが振り向く。

 彼が真夜中の星から目を逸らすのは珍しいことなので、私も驚いて彼を見た。


「エリティアは明日世界が終わるって知ったら、どうする?」


 一体何を言い出すの? そんな視線で彼を見ると、鋭い目元を悪戯っぽく細めて無言を通してきた。エリティアはため息をつくと仕方なく口を開く。


「花を植えるわ」

「花。明日、世界が終わるのにかい?」

「そう。明日、世界が終わるのに、よ」


 クスクスとエストレジャが笑う。子供のようなその仕種が似合うのは、彼の根本が限りなく子供に近いからだろう。


「ワタシは好きだな、エリティアのそういうトコロ」

「貴方はどうするの? 世界が明日終わってしまうと知ったら」

「ワタシかい?」


 彼は少し黙ると、ぽつりと言った。


「壊してしまうかも」

「え」


 呆けたように彼を見上げる私の前で、彼はすっと左手を伸ばした。掌を上にして広げる。


「極力終わらせないいように努力はするけどネ、ワタシは。それでも、明日、世界が終わってしまうなら、その前に全て壊してしまうと思う。そして、ワタシの手で新しく世界を創り出してあげるんだ」


 勝手に終わるなんて、ワタシはきっと赦せないからね。


 まるでその掌の上にそれがあって、握り潰すかのように、彼はその拳をにぎりしめた。


 世界も、人間も、そしてきっと私も、エストレジャにとってはきっと玩具に過ぎないのだろうと思う。


 煉瓦作りのバルコニーで、エストレジャはまた、星を見上げる。

 彼はいつもそこにいて、けれどどこにもいなかった。



    …OUT…



 びっくりした? これはね、在りし日の彼女と彼女の友人の噺よ。

 やんちゃばっかりしていた彼女は、疲れた時に彼の元へ行って夜中話をしていたらしいわ。


 彼女は言っていたわよ。彼はいつ寝ているのかしらって。


 ……別にいいでしょ、前置きなしで話を変えたって。雰囲気でてたでしょ?

 ほらね! 噺屋として、腕は確かなんだから!


 ……五月蝿いですって? いいの、近所にクレームつけてくるひとなんて住んでないもの!



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