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多界の噺師  作者: しぐれ
第一章
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第五話 役人ジヴァール

 あら、噺に夢中になってあんまり喋ってないわね、私。

 え? 私の話なんてどうでもいいから続きをって?

 せっかちねえ……。

 あーっ、分かった、分かったわよ。続けるから机を揺らすのは止めて頂戴! 壊れちゃうじゃない。



    …IN…



「……戯れ事を」

「何だって?」


 怪訝そうに聞き返すジヴァールに、ベルは無表情のまま言い放つ。さっきまでと変わったところはないように見えるが、纏う空気は真冬のそれに似ていた。


「俺が何を知っているかだって? そんなのお前たちが誰より知っているんじゃないのか?」


 風が吹く。ベルの漆黒の前髪が煽られ、日に焼けた小麦色の額があらわになった。

 エリティアが息を呑む。


「ベル君、それ……!」


 エリティアは声を漏らすのも無理はない。長い前髪に隠されていたその額には、まるで剣で斬られたような大きな傷が刻まれていたのである。

 余程深く斬られたのだろう。傷が完全に塞がった今も、生々しい痕が残っている。右から左へ額を横切るようにのびた傷は、まるで彼を縛る鎖のようだ、とエリティアは思った。


 ベルは横目でエリティアを見るが、すぐに視線を外した。


「……俺は何も知らない。だから、あがく。全てを明るみに出すまで、俺は」


 足を半歩引き、腰を落とす。


「お前たちに"使われる"訳にはいかないんだよ」


 ベルが語尾と同時に地を蹴る。パッと土塊が弾け、それが再び地に戻るときにはすでにベルは乱戦のど真ん中にいた。


 数十人の大人を相手に、ベルの痩身が舞う。振り下ろされる剣をダガーで弾き、鳩尾や首に肘を叩き込む。弓を持った者たちを速攻で片付けたベルは三本ほど一気に振り下ろされた刃を倒れるように屈んでかわすと、ダガーを持った腕を横一文字に振るった。脚の腱を斬られた男たちが悲鳴と共に地面に倒れる頃には、ベルは拾いあげた剣を別の男の腕に突き刺している。


「………すごい……」


 それは完全に戦い慣れた者の動きだった。役人とはいえ並の傭兵より戦えるくらいには訓練されているはずだ。それを数十人一度に相手にして、舞うようなあの動き。彼はまだ余力を残している、そんな気がした。


「お姉さん、気をつけて」

「リロちゃん?」


 いつの間にかすぐ横に来ていたリロは、ベルが置いて行った麻袋から腕より少し短いくらいの小型の弓を取り出す。エリティアに警戒を促しながらリロは矢をつがえ、いつでも放てるように構えた。


「あいつらね、お兄ちゃんを狙ってるの。リロにはよく解んないんだけど、リロたちのお父さんが悪いことしたみたいなの。だから、お兄ちゃんが何か知っているんじゃないかって。リロもお兄ちゃんも何も知らないのに。お父さんがいたことだって、あのひとたちに言われて初めて知ったんだよ」「何かってお父さんの居場所とか?」

「解んない。でも、もっと、なんか別のことだと思う」

「どうして?」

「だって初めてあいつらがリロたちのとこ来たとき、お兄ちゃんがお父さんの居場所知らないって言ったら、じゃあいいって言ったんだもん」


 奴らはその場でベルとリロを捕らえようとし、何とかそれを退けたベルは住み慣れた家を捨て、それ以来リロと二人逃亡生活を続けているという。


 エリティアは会ったこともないリロたちの父親に憤りを感じ、拳をにぎりしめた。子供たちは追われているというのに、自分は逃げ隠れるなんて。腰抜けどころか、父親失格だ。


 その時、エリティアは腰の辺りに衝撃を感じ取った。よろけ、倒れる。耳が風を切る音を捉えた。


「リロちゃん、大丈……」

「立っちゃダメッ!」


 立ち上がろうとしたエリティアをリロが叫んで止める。エリティアにを突き飛ばし、その上に覆いかぶさるようにして倒れたリロは腹ばいのまま新たな矢を取り出して構えた。


「林の中、もう一人いる。一人は今ので仕留められたと思うんだけど」


 エリティアはその言葉を聞きながら動けなかった。

 まるで戦いなど出来なそうな少女が、飛来した矢から自分を庇い、避けたその瞬間に自らも矢を放っていたなんて。しかもリロはまるで事前にどこから攻撃がくるのか解った上で動いているような印象も受ける。


 一体、この少女は何なのか。


 エリティアは、ゆっくり渇いた唇を舐めた。


「妹と女性を狙え!」


 突如耳に飛び込んできた言葉に、エリティアとリロがハッとして視線を巡らせる。

 二人の視界に映ったのはリロたちの方に向かおうとしている役人たちを、一人で阻止しているベルの姿だった。


「お兄ちゃん!」


 二人の前で、ベルは右手にダガーを、左手に長剣を持ち戦い続けた。ふと、一人の役人がベルの腕をかい潜りエリティアたちの方に飛び出してきた。役人はニヤリと笑ったかと思うと、剣をかかげ一直線に突っ込んでくる。思わず立ち上がりかけたエリティアたちの前で役人が身体をビクッと震わせたかと思うと、まるで足をもつれさせたかのように倒れた。


「え?」

「お姉さん、伏せて!」


 再び身体を伏せたエリティアの視界に、役人の太もも辺りにダガーが突き刺さっているのが映った。まさか、と思ってベルの方に視線を向けると、左手に持っていた長剣だけで戦っている。右手に持っていたはずのダガーがそこにはなかった。


 役人の一人が大きく振りかぶりベルに斬りかかる。長剣でそれを受け止めたベルはその刀身にひびが走ったのを見た。

 長剣が音をたてて折れる。その一瞬前に後ろに跳んでいたベルは、追い撃ちをかけようと踏み込んできた役人に長さが半分以下になった剣を投げつけた。


 不意を突かれた役人はそれが顔面に直撃するぎりぎりに、なんとか引き寄せた剣の柄で弾く。しかしほぼ時間差なしで繰り出された蹴りまでは避けきれず、鳩尾を蹴りあげられた役人は白目を剥いて倒れた。


 不意に役人たちが動きを止める。左手と左足を少し前に出して構えたまま、ベルは役人の中心にいるジヴァールに視線を向けた。


 その様子にジヴァールがニヤニヤと笑う。もう最初の蹴りのダメージはとれたらしく、ピンピンしている。数十人いた彼の部下は、今や十数人まで減らされていた。笑っていられる状況ではないはずなのに彼は本当に楽しそうに笑っている。


「いやぁ、相変わらず強いねえ。一応、役人の中では上位の奴らばかりを選んできたんだけど」


 状況とは裏腹に全く困っている様子はない。それを見たベルは露骨に顔をしかめ舌打ちをする。


「それなら少しくらい沈んだ表情をして見せろ。やけに明るい顔をして、一体何を企んでいる」

「企むだなんて! 僕は清廉潔白、そんな腹黒い部分なんてないよ」

ことばの使い方を間違えるな。お前が腹黒くない? 馬鹿を言うな、お前の場合一点の曇りもなく漆黒だろう」

「うわぁ、褒められてるっぽく聞こえるけど、全然褒められてないよね?」

「当たり前だ」


 きっぱりと言い切ったベルに、ジヴァールはがっくりと肩を落とした。まるで一分の隙もなく突き放され、本気で落ち込んでいるかのような姿だが、その瞳は氷のように冷め切っている。ともすればその笑顔に騙されてしまいそうになるが、このジヴァールも紛れも無い国の役人なのだ。


「まあ、企んでいたのは事実だし? 今回は君の言う通りだけど」

「企んでいた?」

「そ。企んでいた。過去形。でも止めた。ちょうどいい足手まといがいるから、今だって思ったんだけどね。なんかリロヴィーナちゃんもやる気っぽいし? まだ死人も出てないみたいだから、今日は引くことにするよ」


 言うが早く、ジヴァールが無造作に手を横に振る。すると、一瞬のうちに周りにいた役人が一人残らず消えた。


「え?」


 気を抜いていたわけでもないし、瞬きもしていない。走って逃げたとか、そういう類ではなかった。唐突に何の前触れもなくジヴァール以外の人間が文字通り消えたのだ。


 昔からいろいろやらかしていた故に、そこそこの知識はあると自負していたエリティアにも、不可解な現象に見えた。


 リロがゆっくりと立ち上がる。その間も弓の弦から指を放さなかった。


「じゃあバイバイね。アジェンドの変わり者さん。君、好みだからさ、気が変わったらいつでも僕のところにおいで。僕は自分のものは大切にするタイプだから」


 それが自分に対しての言葉だと気付いた瞬間、エリティアは考える前に口を開いていた。


「悪いけど、私、男は中身で選ぶタイプなのよ。あなたは私の感性に欠片も引っ掛かってないし、何よりお喋りな男って嫌いなの。残念ながらあなたは生理的に受け付けないわ」


 反論させる間も与えず一気に喋りきる。

 一瞬、豆鉄砲に撃たれた鳩のような顔をしていたジヴァールは、口角だけを吊り上げニヒルな笑みを浮かべた。氷のような冷え冷えとしていた瞳が、別の光を宿して炯炯と輝く。


 エリティアも負けずに目に力を入れ、睨み返した。自慢じゃないが、睨み合いで負ける気はしない。


「気に入った。いい目をしてるよ、君。反逆者の息子を追ってたら、とんだ拾いものだね」


「私は落とし物じゃないわ。一人で寂しいなら道端の猫でも拾っておきなさい」

「……全くどうして僕の周りには、こう、容赦ないひとばっかり集まるんだろうねえ」


 困ったように苦笑する。


「いつか、また訊きに来るよ。反逆の罪は一族死罪。このまま君のお父さんが見つかんなかったら、本当に君にすべての罪がいっちゃうよ? そうなる前に頑張って彼を探し出すんだね」


 ジヴァールは芝居がかった仕草で羽織っていたマントを捌く。優雅に一礼したと思うと、次の瞬間彼はもういなかった。


 さっきと同じ、前触れもない突如の消失。手品のようなものだろうかとも考えたが、数十人の人間を一気に消し去るなんて不可能だし、なによりさっきのあれはベルに気絶させられた可哀相なひとたちまで一瞬で消えたのだ。人間には技術的に不可能である。人間には。


 黙り込み己の思考に沈んでいたエリティアは自分の横に屈んだベルがなにか拾いあげるのを見て、目をしばたかせた。


「そのダガー……」

「投げナイフは得意ではなかったんですけど、咄嗟に投げちゃいましたよ」


 さっきとは打って変わった追い付いた様子で苦笑いを浮かべるベル。緩慢な動作でダガーに付いた血を拭い鞘に納める。しかしエリティアはもうその姿を見ていなかった。


 さっきまでベルが戦っていた辺りを、なにかを探すように歩き回っている。お目当ての物を見つけたのか、エリティアがしゃがみ込んだ。不思議に思ったのか、リロが脇に駆け寄りその手元を覗き込んだ。


「………? それがどうしたの?」


 エリティアが持っていたのは折れた剣の切っ先だった。おそらくベルと戦っていた時、役人の持っていた剣が折れたものだろう。よく見るとそういうものが辺りに沢山落ちている。

 それらを念入りに観察したエリティアはおもむろにそれを遠くに投げた。回転して飛んだ切っ先は林の中に落ちて見えなくなる。


 不思議そうにするリロの横で、エリティアは小さくつぶやいた。


「………蜃気楼……」

「しんきろう?」


 リロが聞き返すがエリティアは曖昧に笑ってごまかした。「さて」と気持ちを切り替えると振り返る。


「少し予定が狂っちゃったけど……」


 これからどうする? そう言おうとしたエリティアは後半を言うことが出来なかった。なぜなら。


「ベル君……?」


 彼女の後ろには無人の丘が広がっているだけだったのだから。



    …OUT…



 お兄ちゃん、いなくなっちゃったわね。

 え? お兄ちゃん? あら、言ってなかったかしら。十九歳ですって。イケメンなのよ。


 わかりにくかったでしょうから少しばかり補強しておくと、お兄ちゃんのお父さんはロヴェル人にも関わらず、アジェンド政府の研究員だったみたい。で、ある日突然部下も上司も皆殺しにして逃げちゃったんですって。理由は不明。研究資料も全部持って行っちゃったから、何の研究だったのかすら解らないらしいわ。


 ひどいのはもう一つ。

 アジェンドはね、謀反とかそういった類の罪は一族死罪なの。だから何も知らなかったお兄ちゃんは知らないまま終われる羽目になっちゃったのよ。軍事国家故の法律……。


 彼女はすごく憤っていたわ。



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