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多界の噺師  作者: しぐれ
第一章
13/26

第十三話 すれ違い


 あなたはこんな経験あるかしら?

 逢いたいのに逢えない。話したいのに話せない。大好きなのに本当は、言い表せないほど、あなたを想っているのに。その行動は全てあなたのためを想っているのに。

 すれ違いってどこにでもあるわよね。両者ともそんなの望んでいないはずなのに、それはどんどん距離を離していくの。

 それは相手を大事に思っていればいるほど、顕著に表れるのよ。ただ、あなたを想っているだけなのに、ね。



    …IN…



 視界を埋め尽くしたのは、美しい朱色だった。


「真っ赤な空………」


 懐かしさが込み上げ、リロは思わずそう呟いた。

 まだ家に住んでいた頃、ガーデニングが大好きだったリロは太陽が沈むまで外にいることが多かった。大分日が傾き空が橙色になり始めると、必ず兄が、そろそろ家に入れとリロを呼びに来る。リロは太陽が沈むまで、と懇願し、兄はいつもそれを受け入れてくれた。その時、いつも二人で一面朱色の空を見上げたものだ。

 空は繋がっている。今見上げている朱色は、あの時の朱色と同じ色をしていた。


 その時、ふと遠い記憶の中の兄と先程の血の気の引いた兄の顔が重なった。途端にリロは目が据わり、ムスッとした顔になる。


 すべての記憶の中の兄はいつも笑っていた。買い物に行った際に財布を落としてしまったときも、お皿を割ってしまった時も、兄は笑って、いいよと言ってくれた。いつも優しい、そんな兄の笑顔が好きだった。

 しかし"あのひと"が死んで、役人に家を追われて逃亡生活を始めた頃から、リロの中で兄の笑顔の映り方が変わった。いや、本当の兄の"笑顔"が見えたと言った方がいいかもしれない。辛く苦しく、本当は泣きたいくらいの心境でも兄は笑う。笑顔が本心を隠す仮面だと気がついた時、リロは泣いた。どうした、と兄が心配そうに訊いてきたが、リロは答えずにただ泣いた。

 悔しかったのだ。兄のことはなんでも知っていると思っていたのに。その兄がたった一人の家族である自分に本当の気持ちを隠している。悔しくて仕方がなかった。


「お兄ちゃんのばか……」


 人知れず呟く。その時、ふと名前を呼ばれた気がして、リロはその場に立ち止まった。


「………?」


 キョロキョロと周りを見回す。時刻はもう夕方で、ほとんどの家は戸締まりを始めている。視界の隅に見慣れた金色が映った気がした。リロが昼間と比べて大分減った人込みの中にボサボサの金髪を確認したと同時に、彼もこっちを見つけたようで手を振りながら人込みを掻き分け駆け寄ってきた。


「リロ!」

「ネジュ君?」


 それはまだ店で寝ていると思っていたネジュだった。ネジュが倒れた現場には居合わせなかったが、ベルが倒れたとリュンヌに聞いたときにネジュが寝ていることも聞いていたのだ。驚いて目を瞠るリロとは反対に、ネジュはうれしそうに顔を綻ばせた。


「やっと見つけたよ……。よかった。無事で」

「どうしてこんなところに?」


 リロは当然の問いを口にした。リロは何も言わず、誰にもバレないようにこっそり店を出てきたのだ。自分が「バレたくない」と望んで姿をくらましたのに発見されてしまうなんてことは、兄を除いて初めてだった。

 純粋に聞きたかったから聞いたリロとは反対に、ネジュはそれを聞いた瞬間その顔から笑顔を消した。

 いつになく真剣なその顔に、リロは無意識に唾を飲み込んだ。


「今、一人で出歩くのは危険だ。俺が店まで送るから、戻ろう」

「嫌。私戻らない」


 差し出された手の前で、リロはふるふると首を振る。くせのない黒髪がふわりと肩の上で踊る。ネジュが困ったように目尻を下げた。


「頼むよ、リロ。事は急を要すんだ」

「嫌っ」

「……っ。時間がないんだ!」


 ネジュの大声に、リロはビクリと身体をすくませた。翡翠色の瞳がゆらゆらと揺れる。すっかり畏縮してしまった、自分より低い位置にある瞳を覗き込み、ネジュは出来るだけ優しい口調で言った。


「詳しく説明している暇はないんだ。店まで行かなくても俺の勤めてる鉄工所でもいい。誰か知り合いが居るところに……」

「リロヴィーナ!」


 聞き慣れた声に、リロとネジュが同時に顔をあげた。


「お兄ちゃん……」


 息を切らせたベルは、目を見開き呆然とするリロの前に立つと。


 パンッ。


 その頬を張った。


「なっ………」


 ネジュが目を瞠る。周りの通行人たちがざわめき、人込みが乱れた。

 ふらりとよろめいたリロは痛みで痺れる頬を押さえ、大きな翡翠色の瞳で兄を見上げた。


「お兄……ちゃ……?」


 ベルは荒い息を吐き、無言でリロを見下ろす。その右手は小刻みに震えていた。


「おい、何してんだよ!」


 ネジュがベルの胸倉を掴み、きっと睨み付ける。ベルは黙ってネジュを見返した。

 ぞくり、と背筋を冷たいものが駆け降りる。ネジュはほとんど反射的にベルから離れていた。数歩後ずさり、信じられないというようにベルを見る。

 こいつ、本当にあの穏やかなベルなのか? そう疑いたくなるほど、今のベルは冷たい瞳をしていた。


「おまえが、連れ出したのか?」


 ベルが一歩前に出る。静かな声音だが、そこに底知れない怒りが含まれているのを感じとりネジュはまた一歩足を引いた。

 なんなんだ、この威圧感は。ネジュは生まれて始めて本能的な恐怖を感じていた。

 違う。そう叫びたいが、喉が凍り付いてしまい声にならない。

 ベルがもう一歩踏み出す前に、誰かが割り込み進行を遮った。目を瞠るネジュの前で、リロは涙で揺れる瞳でキッとベルを睨み付けると、叫んだ。


「ばかっ! ばかばかっ! お兄ちゃんのばか! 何で解んないの! 何で、何でっ……!」


 リロの瞳からボロボロと涙が零れ落ちる。虚を突かれて目を瞠るベルの前で踵を返すと、リロは走り去った。その後ろを追おうとして一歩踏み出したネジュは、しかし一旦足を止めると呆然と立ち尽くすベルを振り返った。


「あんたは気がついてるだろうけど、最近エトん家こっそり入ってリロに会ってたのは俺だよ。そりゃ褒められる行為じゃないのは解ってるし、あんたが俺にそういう疑いをかけるのももっともだ。けど、リロが家を飛び出したのは俺が誘ったからじゃない。………解ってんだろ、本当は」


 ネジュはそれだけ言うと背を向け走り去る。ベルは己の掌を見つめ、唇を噛むと拳をにぎりしめた。






 気がついていたはずだった。己の力を使っても、本心を隠し通すことが出来なくなっていることに。

 いつものように心中にすべてを押し込め、妹を安心させるために微笑んだ。それを見た妹が火のついたように泣き出したのを見て、もう限界だと悟ったはずだった。

 それでもどこかで、リロに知らせるには早過ぎる、と思っていたのだろうか。あの子をまだ、子供扱いしていたのだろうか。


 ベルは痺れる掌をにぎりしめた。

 自分だから痺れる程度ですんでいるのだ。もし自分以外のものがリロに手をあげたりしたら、苦痛ではすまない。


 あの子を連れて逃げ出した、あの日。まだ呂律の回らない舌を動かして、おかあさま、とだけつぶやく少女をこの腕で抱きしめ、ただひたすらに逃げたあの時から、いずれ辛い真実を告げねばならない日が来ると覚悟していたはずなのに。


 その時、身体の奥がすうっと冷え、どくん、と心臓が鼓動を刻んだ。


「…………っ」


 息を詰め、左手で服を掴む。ちょうど心臓の上に当たる部分を押さえながら、ベルは身体を震わせた。


 あの子は何と言うだろう。


 ベルが、リロを殺すためだけに存在しているのだと知ったら。






 ネジュは荒い息の下、その名を必死に呼ぶ。道行く人に尋ね、ようやくリロを見つけたのは一悶着あった場所から大分離れた住宅街だった。


「リ………」


 声をかけようとしたネジュは、黒髪に覆われたその肩が小さく震えているのに気がついた。思わず伸ばした手を止め、一旦考える。風に乗って流れてきた鳴咽に、ネジュは一瞬目を閉じると口を開いた。


「リロ」


 返事はない。しかし、肩の震えがほんの少し和らいだ気がした。


「リロ」


 もう一度呼ぶ。目元をぐしぐしと乱暴に拭ったリロはネジュに背を向けたまま暗くなり始めた空を見上げた。


「……お兄ちゃんとあたしね、本当の兄妹じゃないの」


 いきなり告げられた真実に、ネジュはハッと息を呑む。リロはそのまま続けた。


「お兄ちゃんはきっとあたしが気がついてること知らないと思う。ずっと隠してるみたいだったし。朧げだけど、覚えてるんだ。本当のお母さんと、お父さんのこと。お兄ちゃんはまだちっちゃかったあたしを二人のところから連れ出したの」

「連れ出した?」

「そう。理由は知らない。覚えているのはお母さんの腕の温もりと、あたしを覗き込むお母さんとお父さんの顔。あたしを抱いて必死に走りながら、ずっとあたしに謝り続けるお兄ちゃんの声。訊きたくても、もし訊いたらお兄ちゃんを傷つけてしまいそうで……、怖かった。怖くて訊けなくて」


 リロの声がかすれた。


「でも、リロのお兄ちゃんは、お兄ちゃんだけなの………!」


 叫ぶように言ったリロの身体を、ネジュの腕が包み込んだ。抱きしめられるその温もりを感じた瞬間、堪えていた何かが堰を切って溢れ出した。


「何でっ……何でお兄ちゃんはリロに何も言ってくれないの……! リロだって、お兄ちゃんの役に立ちたい! お兄ちゃんが苦しんでるのも解ってる! そんなにあたしは頼りない!? 足手まといなの? あたしじゃダメなの? 何で」


 言いさして、リロはハッと目を見開いた。

 ネジュの、リロを抱く腕に力がこもり、リロは口をつぐむ。

 ネジュは囁くように言った。


「これ以上、自分を悪くいうな」


 ぽろぽろとリロの瞳から雫が落ちる。温もりの中、リロはずっと言えなかったことを、今なら言えるかもしれないと思った。


「あたしは……邪魔なのかな」

「そんなことない!」


 ネジュの大声に、リロは目を見開いた。翡翠色のリロの瞳は涙で大きく濡れ、宝石のように煌めいている。ネジュは涙の筋が色濃くついたその頬を指で撫でた。


「俺にだって解る。ベルはリロのことを本当に大事に想ってる! じゃなかったらまだ俺が連れ出したって確信する前に俺にあんな敵意を向けるわけがない」

「でも……」

「俺を信じて」


 自分でもふざけた台詞だと思う。誰よりも信頼していた兄に対して疑惑を感じているリロに、出会って間もない自分を信じろなどと。

 しかし、今のネジュにそれ以外の言葉は思いつかなかった。


 鳴咽混じりだったリロの呼吸が少しずつおさまっていく。それに比例するように強張っていた身体も解れていった。リロはネジュの胸に顔を埋める。


「……あったかい」


 ネジュの手が、リロの頭を不器用に撫でた。それは遥か昔の兄の掌を思い出させ、リロはまた静かに涙を流した。



    …OUT…



 不器用なだけなのに、ね。

 お互いがお互いを想って、本当に大切に。それだけのことなのに。

 たとえどんな形であろうと、愛は人を傷つけるのね。よく言ったものだわ。

 愛と憎悪は紙一重、って。

 あなたは、そう感じたことないかしら?



    …IN…



 リロとネジュが抱き合っているその光景を、眺めている者がいた。遥か遠くの民家の屋根の上。夜の闇をものともせず二人の姿を捉えていたそいつは、ニヤリと口角をあげる。跳躍しようとしてか、ぐっと足に力を込めたそいつは、不意にあらぬ方向を見た。

 そいつが立っている民家の、道路を挟んだ向かい側の屋根の上に一人の女が立っていた。二人の視線がぶつかる。口を開いたのは女だった。


「やっと見つけた」


 風に煽られ、ポニーテールにまとめた色の薄い金髪がふわりとなびく。女は腰に佩いていた細身の剣をすらりと抜いた。

 そいつに刃を向け、女は低い声で告げた。


「貴様個人に怨みはないが、少し足止めさせてもらう」


 そいつの肩が小さく震える。怪訝そうに眉を顰めた女――シャルロットの前で、そいつは大口を開けて笑った。

 シャルロットが剣を構える。必死に声を噛み殺しながら、そいつは嗤った。


「いいな、お前。『倒す』じゃなくて、『足止め』か。実力を弁えてるな」


 シャルロットは目を瞠る。暗闇の中、シャルロットは相手の姿を正確には捉えられていなかった。"奴ら"の仲間だ、普通の者ではないだろうとは思っていた。しかし、響いた声は、甲高い子供特有のものだったのである。

 一瞬動揺し、構えが揺らいだシャルロットの懐にそいつが飛び込んだ。挟んでいた道を飛び越え、一瞬で間合いを詰めたのだ。


 速い……!


 シャルロットの瞳に鮮やかな金髪と鋭い銀色が映る。普通ならそのままやられていただろう。しかし、ほとんど本能的にシャルロットは動いていた。武闘派役人として積んできた経験が彼女の身体を動かしたのである。

 しなやかな身体を捻って攻撃をかわす。そのまま左足を軸に回転してその首筋に剣撃を叩きこんだ。

 剣先が突き刺さる前に、鈍く光る銀色がシャルロットの剣を弾く。二人とも同時に地を蹴り、間合いをとった。


「……変わった武器を使うんだな」


 屋根に着地したそいつの姿を見て、シャルロットは低く唸った。やりづらい。

 それは少年だった。歳の頃は十に届くかどうかというところ。黒いローブのようなものを着て、その袖から覗く小さな手には大きな鉤爪をはめている。挑戦的な光のちらつく大きな瞳に短い金髪を持つ彼は、その幼さに似合わぬ老獪な表情を浮かべた。


「特注品でな。役人の支給品なんかよりずっと格好良いだろう?」

「悪趣味の一言で片付けられる。そんなものよりおもちゃの方がよっぽど貴様に似合うぞ」

「生憎そんな子供じみたものには興味がなくてな」


 少年が爪を構える。シャルロットもほぼ同時に剣を構えた。

 どちらが先か。少年とシャルロット、双方の足元で煉瓦が砕けた。






 先に気がついたのはリロだった。

 ネジュの腕の中でリロは不意に全身を強張らせた。服越しにそれを感じ取ったネジュが身体を離しリロを覗き込む。


「どうした?」


 リロは無言で一点を見つめていた。それに気づいたネジュもそちらに目を向ける。途端にネジュの背筋を氷塊が滑り落ちた。


「…………!?」


 視線の先は民家と民家の間、路地裏への入口。誰もいないはずだ。しかし。


「出てきなよ」


 ネジュは自分の勘に従い、声を張った。冷や汗が頬を伝う。

 ネジュはリュンヌに一通りの護身術は教えられていた。相手がどんな手練だろうと、逃げ切る自信はある。しかし、それはあくまで一人だった場合だ。

 そっとリロの手を握る。

 リロの体温が伝わってきた。同時に震えも。縋るように握り返してきた彼女の指先が、声が、瞳が、恐怖に震えている。

 少しでも彼女の恐怖が和らぐように、ネジュは力強く言った。


「大丈夫、リロは俺が護る」


 空気が動く。

 ザリッ。

 砂を踏む音がその場に響き渡った。



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