白竜討伐に向けて 4
私は男の人と付き合ったことも無いし、中高と家事と勉強に忙しくて男子を好きになる余裕すらなかった。どこかに遊びに行くような自由な時間もほぼ無かったし。
「私は、男の人を好きになった事がないから、ノアが私を好きになってくれたように私がノアを好きになれるのか分からない。こんな中途半端な気持ちでノアの傍にはもう居られないよ、ごめん・・・」
これが私の正直な気持ちだ。
私の本心を聞いて、ノアはがっかりしてしまうかと思ったけど、以外にもノアは満面の笑みを浮かべていた。ノアが予想外にご機嫌。なぜ。
「いいえ、カノン。カノンが私を嫌ではないなら、今までと変わらずに一緒に居て下さい。私を兄のように思ってくれていいのですよ。カノンが私を好きになってくれるまで、私は何年でも待ちます」
「そんな、ノアの気持ちを利用するような真似、したくない・・・」
「カノン、私が望んでいる事です。利用されたなんて、思いませんよ。どうか、これまで通りにあなたの傍に私を置いてください。もしあなたの傍に居る事を許されないのなら、私は自分の内から湧き出る悲嘆の念に押しつぶされて、人とも獣とも区別がつかない黒い魔物になってしまうかもしれません」
「・・・・・」
なんか、ノアが言うと、冗談にならないと言うか。ノアが闇落ちしてしまったら、本当に手の付けられない人類の災厄のような魔物になってしまうかもしれない・・・。
「カノン、お願いです。私の事を思ってくれるのなら、どうかこれまで通りに。私はこれまでと変わらずにあなたの兄であり、保護者であり、この世界であなたの絶対的な味方でいます」
「でも・・・」
これを言うのは、なんと傲慢で残酷な事かと思う。
それでも私は言わずにいられなかった。
「私が、もしもノア以外の人を好きになったらどうするの?」
「その時は喜んで身を引きます。あなたの幸せが私の幸せですから」
ノアは躊躇いもせずに言った。
「望まずして連れてこられたこの世界で、あなたが最愛と思う人と出会えたならなんと喜ばしい事でしょう。願わくば、それが私であれば嬉しいのですが。私はあなたに選ばれるようにこれからも努力を続けます。だからカノン・・・、泣かないで」
ノアは私の隣に場所を移して、私をギュウと抱きしめた。
「ひ、酷い事言った。ごめん、ごめんノア」
涙は後から後から溢れてくる。
ノアは胸元に私を抱き込んでジッとしている。ノアのシャツが私の涙でびしょびしょになってしまう。鼻水だけは付けまいと、私は何度も鼻を啜った。
「カノン、謝らないでください。私はまだあなたに振られると決まったわけでは無いでしょう?だからまだ、私の告白への答えは保留にしておいてください。お願いだから急いで答えを出さないで。良いですか、これまで通り、私はあなたの父であり、兄であり、絶対的味方である保護者です」
「ノアは、それで良いの?」
「はい」
時折鼻を啜りながら、ノアの胸にしばらく顔を押し当てていた。穏やかなノアの心音を聞いていると涙も止まり、子供のようなしゃくり上げも落ち着いてきた。
「カノン、それで保護者としてですが、私と別室になるのは却下します」
そして話が最初に戻った。
「でもカノンを女性として愛している私とカノンが1つのベッドで寝るのは、今後は障りがあるでしょう。そこで提案ですがカノン、今まで通りに1つのベッドで一緒に眠るのと、2人部屋に移ってベッドを2つに分けるのとどちらが良いですか?カノンが選んでいいですよ。もちろん1つのベッドでも私は構いません。その時には、カノンの意に沿わぬ事は決してしないと誓います」
「ふ、2人部屋で!」
一緒のベッドで寝るより、別々のベッドで寝る方がまだ健全だよね!
「分かりました。警備の都合上、今後も一緒の部屋でお願いしますね、カノン」
「うん・・・」
胸元から顔を上げると、ノアはいつもの笑顔で私を見下ろしていた。
「さて、ドアの外で心配している人達もいるようなので、部屋の移動をルティーナさんに頼みに行きましょうか」
ノアは私の手を取り部屋の外に出た。
ミンミ達はもう部屋の前には居なかった。1階の食堂に降りると宿の利用客達が食事をしながら飲んでいるいつもの風景だった。ミンミ達も食事を始めていて、私とノアに気付いて手を振ってくれる。
そしてルティーナさんに2人部屋への移動を私達はお願いした。
本当にそれでいいのかい?と、ルティーナさんに念押しされたんだけど、別室は私の警備上の都合もあってノアに却下されたし仕方ない。でもこれからは別々のベッドに寝るんだから問題無いよね。うん、健全だ。・・・健全か?
カノンちゃんが良いなら良いけどねと言って、ルティーナさんは部屋の準備してくれた。
・・・・・。
隣のノアを見上げると、普段通りの笑顔だ。
こう、なんていうか・・・。
自分を誤魔化しきれないノアに言いくるめられた感は、正直ある!
でも、私が他の誰かを好きになったら喜んで身を引くとまで言われたら、これまで通り傍に居たいと言うノアに、別室になりたいとはもう言えなかった。
私のノアに対しての気持ちは、今はどう考えても異性に対しての好きではないと思う。この話は現時点で考え続けても答えは出ない。だから保留。
ノアに流されたのかもしれないけど、最終的にノアとこれからも一緒に居ると決めたのは自分。経済的に数年自活する余裕が出来たけど、それでもノアと一緒に居ると決めたのは自分だ。
この先ノアの気持ちに応えられるのか、こんなに心を尽くして私を守ってくれるノアを傷つける事になるのかは分からないけど、これまでと変わらずにノアの傍にいると決めたのなら、私もノアの事をこれまで以上に大切にする。私に出来る限りの心を尽くしてノアに向き合う。
「ノア、これからもよろしくね!」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。いつものカノンに戻りましたね」
「ノアの事、男の人として好きになれなかったら、ゴメン!」
「ふふ、私も頑張りますが、カノンに選ばれなかった時は仕方がありません。その時は、この世界のあなたの兄として、あなたの幸せを見守ります」
元気よく言えば許されるもんじゃないってわかってるよ。
でも優しいノアは、私が自分の罪悪感を減らすためだけの、最初に言っとくわ的謝罪も笑って受け入れてくれる。私は本当にノアに甘えてるな・・・・。
「では、お休みなさいカノン」
「お休み、ノア」
これまでは大人の身体のままでも朝から晩まで、ずーっとノアにくっ付いていた。
でも新しくルティーナさんが用意してくれた2人部屋にはベッドが2つ。壁の端と端に離されていて、片方のベッドの横には衝立もある。目隠しされている側のベッドがルティーナさんが用意してくれた私のベッドだ。
思い返せば、この世界に来て殆どの夜、ノアと一緒に眠りについていた。久しぶりにベッドで一人寝る夜が寂しいと思ってしまうのは私の我儘だ。そもそも同じ部屋にノアが寝ているというのに、それでも寂しいと感じるなんて。こんなにノアに依存していたんだと自分の状況に愕然とさえする。
私はノアからちょっと物理的にも距離を置いて、ノアとの今後の関係を冷静に考える必要があるんじゃないのかな。
5メートルも離れていない距離にノアが寝ている。それでも感じる寂しさは私が甘んじて受けないといけない。でももしこの世界にあるなら、抱き枕的なぬいぐるみとか、欲しいなー。一人で寝る事が寂しいなんて、生まれて初めて知った感覚だ。
そんな事を悶々と考えている内に私は寝入ってしまい、あっという間に翌朝になっていた。
ノアにあまり依存しないように物理的に距離を置かないとなんて考えたのは、つい昨夜の事だった。
「それではカノン、仕事に行ってきますね。仕事に向かう家族である私に、出かける前の抱擁をお願いします」
「う、うう」
場所は宿の食堂。
朝食を済ませた冒険者達がそろそろ一仕事行こうかーと動き出そうとする時間。
つまり、食事が済んだ宿の利用客がまだ大勢食堂に残っている時間帯。その公衆の面前で、仕事に出かけようとしているノアが私に向かって笑顔で両手を広げている。
いや以前も、相撲取りのぶつかり稽古的にノアとは公衆の面前で沢山ハグをしたけど、その時と今とは事情が違うんだよなあ!
鏡を見なくても今、私の顔は絶対に真っ赤になっている。
「カノン」
「う、ううう・・・」
以前のぶつかり稽古の時のような勢いは、今の私には無い。
私はよろよろとノアに近づいていき、弱弱しくノアの懐に収まった。
そんな私をノアがしっかりと抱きしめる。
「カノン、行ってきます」
頭頂部に柔らかな感触を感じると共に、チュッとリップ音が鳴った。
そろりとノアの胸元から顔を上げれば、ノアが至近距離で蕩ける様な笑みを浮かべていた。奇声を上げなかった自分を、自分で褒めてあげたい。
「い、いって、らっしゃい」
息も絶え絶えにノアを送り出すと、次々と他の冒険者達も仕事に出かけていく。そしてドアから出ていく冒険者達が、何故か全員もれなく私の頭を撫でていく。
「いやあ、元気が出るぜー!カノンちゃん行ってくるなー」
「甘酸っぺーな!こんな気分、久しぶりだぜ」
「カノンちゃん、またご馳走させてねー!」
「いってらっしゃい・・・」
顔見知りのオジさん達や、レジーさんとマチルダさん、みんなもれなく良い笑顔だ。
完全にさっきまでのノアと私は面白い見世物になってたよね。
昨夜の告白を受けてからの、ギアがトップに入ったようなノアの態度に私は押されまくっている。普通の日常会話の中に、可愛いとかは前から言われていたけど、大好きですよとかの他にあ、愛してますとか!心臓に悪いワードも頻繁に言われるようになった。昨夜からの今朝までの短い時間で急に!
私はフウフウと浅い呼吸を繰り返しながら、食堂のカウンターに辿り着き、椅子にどうにか腰かけた。
「カノン、大丈夫?」
「カノンちゃんにはまだ少し刺激が強すぎるかねえ。ノアももう少し手加減してくれたらいいのにね。だけど、今まで我慢していたんだろうしねえ」
カウンターの中にはアリスとルティーナさんが立っていた。2人が居る事にすら気付いてなかったよ。
「カノン、ノアさんとやっと付き合う事になったの?」
「まだ付き合ってない」
私の言葉にアリスとルティーナさんは驚愕の表情を浮かべた。
「え?えっ?まだ?!付き合ってないの?!」
「あっはっは!これはとにかく、ノアが頑張るしかないねえ!」
ルティーナさんは大笑いしながら厨房へと引っ込んだ。
あとには驚愕の顔から呆れ顔に変わったアリスが一人残った。
「カノン・・・。領都のエスティナの子達は、14歳位から結婚相手を探し始めるわよ?私だって、一緒に宿をやってくれる婿探しをしているの。カノン、もう19歳よね」
「・・・はい」
「普通なら、はっきり言って嫁ぎ遅れよ」
「うっ」
アリスのストレートな言葉が私の胸に突き刺さった。
「庶民なら16歳か17歳で結婚をして、19歳ならもう子供の1人くらい産んでいるわね」
「ううっ」
「まあ、お貴族様ならもう少し結婚もゆっくりかも。でも20歳を過ぎたら、結婚相手は随分年上になるか後妻さんに収まるかって選択肢になるかもね」
「そ、そうなんだ」
私が元居た世界では19歳なんてお酒も飲めないお年頃なんだけど、この世界での市場価値はもうだいぶ低いみたいだ・・・。余計に結婚には夢を持てないかも。
「だからこそ!もうノアさんに決めちゃいなさいよ!」
「うっ!」
何の決断も下せずに右往左往している私のお尻を蹴っ飛ばすような事を、アリスがズバッと言う。
「あんなにカノンの事が好きで好きで堪らないって、言葉でも態度でも示してくれるのに!カノンはノアさんの何が不満なの?」
「不満なんかある訳ないよ!」
反射的にアリスに答えてから、私は唐突に理解した。
そう、原因はノアじゃない。私だ。
文句なしにカッコ良くて大型魔獣を一人で倒しちゃうほどの、ギルドでも騎士団でも尊敬を集めるノアの隣に立つ自信を、私がどうしても持てないからだ。
アシュレイ様もビアンカ様も、解呪という力を持つ私を王族に匹敵するほどの尊い身だなんていうけど、私はやっぱり自分がすごい存在だなんて思えない。
領都では散々注意をされたし色々な事があったから周囲に迷惑を掛けないように、危ない目に遭わないように前以上に行動には気を付けようと思う。でも私の中では、私は19歳の何の秀でた所も無い、人を引き付ける魅力も無い普通の女子のまま。
自分で全く制御できない聖女の力が、私に劇的に自信を持たせてくれるはずもなく。私は依然、自分に自信の持てない花音のままだ。
私はノアが私の保護者をまだしていてくれること自体が信じられないし、ましてや私の事を女性として好きだと言ってくれたノアに対して未だに何で?と思っている。
思い返せば幼児退行を起こしてばかりの頃は、こんな悩みを全く持っていなかった。ノアに頼らなければどうしたって生きていけなかったし、ノアの差し伸べてくれる手に何にも考えずに飛び付いていた。
でも、幼児退行を防ぐ生活の仕方は領都で何となくわかった。
だからこれからは大人の身体を維持して、大人として生きていかないと。
そして19歳の私として生きていくなら、ノアに頼りきりならずに頑張らないと。
もしもこの先、私が自分に自信が持てるようになった時、その時にやっとノアへの返事も考えられるような気がする。でも今はやっぱり、まだ無理。
自分に自信を持つには、一体どうしたら良いんだろう・・・。
その答えは私の中にはまだ無い。
グイグイ来るノアにタジタジとなりながら、私はエスティナで初めての冬を過ごした。
そして冬が過ぎ去り、春の訪れと共にビアンカ様と、王都から魔獣研究の第一人者と言われる学者先生がエスティナにやって来た。




