特に説明も無く、聖女初任務へ 3
・・・これが、わたし?
私の問いに、手鏡を持った黒騎士は神妙に頷いた。
「なに。なんで?」
「・・・私にも何が起こったのか分かりません。結界の核に聖女様が触れると同時に強い光が放たれ、光が収まると聖女様は今のお姿になり気を失っておいででした。聖女様の着ていらしたお召し物の中にあなた様が埋もれていたのです・・・。状況的にあなたは聖女だと私は判断しましたが、同行した御者と侍女はあなたが聖女だと信じませんでした」
「おぅ・・・」
私は、私が私だと分かっているけど、私を聖女だと思ってくれているのは現状、目の前の軍人さんのみ。
「あなたを馬車に乗せる事を侍女が拒みましたので、勝手ながら私の馬に同乗して頂き王都を目指しております。まずは城へ戻り、今後の指示を仰ぎたいと思います」
「わ、わかりまちた」
わかりましたと言いながらも予想外の展開になり、今後の判断を仰ぐ相手が全く心許せないあの暴虐王子である事に不安しかない。
私が軍人さんを見上げると、軍人さんはニコリと微笑んでくれる。
「聖女様。私が見た所、結界は補強されたように思います。守護結界の核も力強い輝きを取り戻しました。聖女の結界に関与できるのは聖女のみ。あなたは正真正銘の聖女様ですよ」
軍人さんが優しくてうっかり涙が出そうになる。でもまだ私の進退は定まっていない。
しっかり状況判断をしないと!
とにかく、聖女に対して利用価値だけは見出していたような暴虐王子が、縮んでしまった私を見てどのような反応を見せるかだ。
私が密かに気合を入れていると、私の手に軍人さんが固焼きの大きなビスケットを持たせてくれる。
「聖女様はほぼ丸一日眠っておいででした。空腹ではありませんか?」
そう言われると、まるで返事をするかのように私のお腹がきゅるると鳴った。私の顔がボワッと熱くなる。
「こちらに水もございます」
軍人さんはお腹が鳴った事には気付かない振りをしてくれて、水筒も差し出してくれる。
「ありがとうごじゃいましゅ」
私はお礼を言ってビスケットに噛みついた。
「あが」
・・・固。
「・・・食べやすくいたしますね」
ビスケットに噛みついてフリーズしていた私から軍人さんはビスケットを取り上げて、ハンカチの上で一口大に砕いてくれた。・・・ほんと軍人さんは親切だな。
私はビスケットを一欠けら口に含んで辛抱強く噛む。
そして今度は水を飲もうと、軍人さんが差し出してくれた鉄の水筒を持ち上げようとする。
けれども両手がプルプルと震えるばかりで重い水筒を上に傾ける事が出来ない。
「・・・お支えいたします」
「おしょれいりましゅ」
軍人さんは更に親切に、私が水を飲めるように水筒を支えてくれる。
何という事だ。
この幼女の身体では自分の身の回りの事がろくに出来ない!食事すら手助けが必要だなんて・・・。
でも腹が減っては戦は出来ないし。食べられる時に食べないと・・・。
申し訳ないと思いながらも私は軍人さんに手伝ってもらい、満腹になるまでビスケットを食べ続けたのだった。
まあ、満腹になるまでと言っても所詮幼女の胃袋。10センチ四方の固焼きビスケットを半分ほども食べればお腹は一杯になってしまった。このパサパサのビスケットはお腹の中で膨れるタイプだと思う。急にお腹いっぱいになった。
それから私は思いっきり服をたくし上げながら、トイレをどうにか済ませる。これはさすがに、軍人さんに手伝ってもらう訳にはいかない・・・。
「それでは聖女様、先に進んでもよろしいですか?あと数刻で王都に入れますので」
「はい」
私が立ち上がると、軍人さんは自分のマントで私の身体をぐるりと包み込んでしまった。そして自分の上半身にピッタリと私を向かい合わせで固定する。
ぐるぐる簀巻きになっていると思ったら、なんと赤ちゃんのスリングのようにして私は軍人さんに抱っこされていたのだった。私は軍人さんと向かい合わせで密着していた。
「聖女様はお小さく、鞍に座ってはかえって危のうございます。もうしばらくこのまま、ご辛抱くださいませ」
「・・・はい!」
そうだよね。自分、お小さいので、自力で鞍に座りっぱなしでいる自信は無いわー。
一人で座れますなんて強がる気などさらさら無い。
あと、不思議な事に軍人さんと密着して恥ずかしいとか、そんな羞恥心が自分の中に特に湧き起こらない。まあこんなこと位で恥ずかしがってたら、木の陰でいたしたとはいえ、トイレの時に軍人さんから2メートル位しか離れていなかったとか正気でいられないからね!
そして妙に軍人さんが幼児の世話に慣れているという安心感もあった。お願いする前に困っている所に手を差し伸べてくれる感じ。
私はともかく遠慮なしに、コアラの赤ちゃんかのようにピッタリと軍人さんに身を寄せた。
軍人さんは片手でしっかりと私を抱いてくれている。安定感すごい。
この軍人さんの腕の中にいれば、怖い事は何もないと思わせてくれるかのようなホッとする感じ。
ずっとこのまま現実を忘れて、軍人さんに抱っこされていたい・・・。
しかし無情にも私と軍人さんは王都入りし、軍人さんは騎乗したままお城に入場したのだった。
「なんだ、その小汚い子供は」
そして、暴虐王子の遠慮無い言葉が私に突き刺さった。
おま・・、この!
聖女だと思って面と向かって言わなかっただけで、内心では私の事を小汚い女だってずっと思ってたんだろうな!この、顔だけは良い乱暴者!
内心ではふぎー!と思いながらも、私は軍人さんにスリング抱っこされたまま、無言で体を強張らせていた。
行きの馬車を置き去りに王城へ帰還を果たした私と軍人さんは、火急の件という事であれよあれよと旅装も解かずに暴虐王子との謁見を許される事になった。
暴虐王子に目通しを許された部屋には、王子の外に護衛と思われる赤ジャケット着用の兵士が数人、聖歌隊衣装着用のオジさん達数人、王子の斜め前には軍人さんと同じ黒い軍服を着用したガタイの良い男が1人いた。
小汚いとディスられた私について、軍人さんが説明をする。
「殿下、こちらは聖女様でございます。みごと結界の修復を成された後、このようなお姿に御成りあそばしたのです」
「そんなバカな話があるか!」
軍人さんの説明に対して、声を荒げたのは王子の前に立って私達を睨み付けていたガタイの良い軍服の男だった。
その男の大声で私はビクーンと体が揺れてしまった。軍人さんが私を励ますように、マント越しに私を抱き直してくれる。
そのガタイの良い男が、軍人さんに荒々しい足取りで近づいてきた。
「ノア・ブランドン!任務の不履行をごまかすつもりか!そのような浮浪児を城に連れ込んでまで言い逃れをするなど、恥を知れ!聖女を逃したのか?それとも思わぬ事故で亡くなりでもしたか?どちらにしろお前が任務に失敗した事には変わりはないがな!聖女の不明は我が国の大きな損失だ!いったいどう責任を取るつもりだ!」
顔を赤らめて軍人さんに罵声を浴びせる男に対し、軍人さんは冷静に言葉を重ねる。
「聖女様は亡くなってなどおりません。もし、私が聖女様を見失う失態を犯したなら、己の罪を正直に告白いたします。第一守護塔の結界の修復は無事に済んだかと。王城の魔術士様であれば、その事を既にご承知でしょう。お姿は変わっておいでですが、聖女様は確かにお役目を果たされたのです」
「ふむ」
暴虐王子は軍人さんの言葉の後、聖歌隊の格好をした内の1人を呼んだ。
あの地下室にみっちり詰まっていた聖歌隊みたいな人達、魔術士だったのか。聖歌隊の内、一人だけ黒いケープを身に付けたオジサンが暴虐王子の近くに寄った。
「レイブンよ。聖女の結界は今どのような状態だ」
「は。第一守護塔と第二守護塔は結界の上書きが成されております。早急に第三、第四守護塔の結界の綻びも強化したい所ですが」
「・・・レイブンよ。ノア・ブランドンが抱く子供を見よ。あれは聖女なのだそうだ」
レイブンと言われた魔術士は5メートルほど離れた場所から、軍人さんに抱っこされたままの私をまじまじと見た。
「・・・ご冗談を。聖女特有の魔力の一切を感じません。ただの子供にしか見えませんが」
「ノア・ブランドン!」
魔術士の言葉を受けて、暴虐王子が高らかに軍人さんの名前を呼んだ。
「我が国の筆頭魔術士が断じた。お前が抱く子供は聖女ではない。つまり、お前の聖女の護衛任務は失敗となる。聖女が逃げたのか死んだのかは知らんが、お前が聖女を連れて城へ戻れなかったことは取り返しのつかない失態だ。あと10年は此度の聖女で結界を維持する予定であったというものを!レイブン、今の状態で結界は何年保つ?」
「今現在の魔力量で守護塔4つを維持するのであれば、あと2年程かと。不完全な結界は魔力の消耗も激しいのです」
魔術士の返事に暴虐王子が舌打ちした。
「聖女召喚を再び行わねばな。ノア・ブランドン。お前が我が国に与えた損失を思えば、お前は命をもって償う他ない。しかし、ブランドン家の我が国への長年の貢献を考慮し、お前に国外追放を言い渡す。その小汚い子供と共に即刻この国を立ち去れ。この国の地を踏む事は二度と許さん」
更に暴虐王子の後にガタイの良い男が軍人さんに言い放った。
「ノア・ブランドン。我が愚弟よ。殿下の恩情をありがたく思うがいい。これ以上ブランドン家の名を辱める事は俺が許さん。このまま夜明け前に我が国から立ち去れ!日が昇った後、まだ我が国に留まっている場合はその子供もろともお前を斬る」
「・・・兄上、今日までお世話になりました」
軍人さんはガタイの良い男に深々と頭を下げた。
軍人さんはその男を兄と呼んだ。
それから軍人さんは私を抱いたまま踵を返し、足早に謁見の部屋から出た。
どんどんと廊下を進み、城内を階下に降り、軍人さんは無言のまま城内を歩いて行く。
私の心臓はドコドコと激しく鳴りっぱなしだ。
どうしよう。どうしてこうなってしまったんだろう。
私の姿が変わってしまったばかりに、聖女の行方が分からなくなった責任を軍人さんが負う事になってしまった。
「ご、ごめん。ごめんなしゃい・・・」
軍人さんの胸に抱かれながら、私は震える声で軍人さんに謝った。
謝って済む事じゃないけど。
でも、この世界で私が頼れるのはこの人だけなんだ。
「・・・たしゅけて」
ピタと、軍人さんの歩みが止まった。
「あなたが謝る事など何一つない。全ては私の力不足が招いた事。謝るのは私の方です。この身に代えましても、私はあなたを守ると約束します」
私の目から涙が溢れて、とうとう嗚咽も我慢できなくなった。
軍人さんはギュッと私を抱きしめて、それからふたたび城内を闊歩する。
あっという間に屋外に軍人さんは出て、ここまで乗ってきた馬を一頭、厩舎から受け取った。
「聖女様、眠っていただいても構いません。王都から一番近い国境門は、王都の南、アストン王国に出る南門となります。日が落ちる前に旅の準備を整えて、今夜は国境の傍の町で一晩宿を取りましょう。もうしばらくのご辛抱を」
「はい」
せめて軍人さんの負担にならないようにと、私はヒシッと軍人さんに身を寄せた。
私を抱きかかえながら、軍人さんは再びひらりと馬上の人となった。
私は体が本調子じゃないのか、馬が走る振動を感じながら、また条件反射のように眠りに落ちてしまった。