グリーンバレーへの道行きで 4
私が1人羞恥に悶絶をしていると、動きが無いと思っていた森林狼達の中から1頭がセイラン号にゆっくりと近づいて来た。
その森林狼は、10匹の中でも特に体が大きい個体に見える。
頭を下げて、でも上目遣いで、私と目を合わせながらその森林狼は慎重にセイラン号に近づいてくる。セイラン号は動じる事無く、近づいてくる森林狼を静かに見据えていた。森林狼と私達の距離は1メートル程までに縮まった。
「ウォウォウォウォウォウ」
そしてその大きな森林狼は私に何かしゃべり始めた。
「えっ?まさか!カノンちゃん、オオカミの言葉が分かる?」
「いやいやいや!分かんないよ!」
リス語も狼語も残念ながら分からない。
「ウォウウォウ、ウワウ、ウワン」
なんか、センテンスを区切って、更に森林狼はしゃべり続けている。ううん、私がオオカミ語を理解できなくて申し訳なくなる位におしゃべりしてくる。
「ご、ごめん。何を言っているのか・・・」
私が狼への申し訳なさに胸を痛め始めた時だった。
馬の蹄が地を蹴るいくつもの音が聞こえ始めた。その音はどんどん大きくなり、それと共に音の正体が、領都の方向から姿を現した。
それは銀色に光る馬に乗った騎士の集団だった。
その物々しい雰囲気にノアが再び剣に手をかけた。
「待て、ノア。領都の騎士団だ。おーい!止まれー!」
グイードがこちらに近づいてくる騎士団を止めるべく、騎士団に向かって単騎駆けていった。私達から10メートル位離れて騎士団は停止し、グイードと何か話してから、今度は騎士団からグイードと一緒に単騎、誰かがこちらに近づいて来た。
「ステファンさん」
「カノン様、ノア様。皆さん、お久しぶりです」
その人はグリーンバレー騎士団副騎士団長のステファンさんだった。
変わらない貴公子然とした佇まいでステファンさんが微笑んだ。
「予定の時間を過ぎても皆様が領都に到着されないので、こちらからお迎えにあがりました」
「約束の時間に遅れてしまって、すみません」
アシュレイ様の召喚状を受けて、ノアはだいたいの領都到着日時をアシュレイ様に連絡していたのだ。それが思わぬ事態で私達は動けなくなり、ステファンさんを含む騎士団の皆さんが出動する騒ぎになってしまった。
「あの、オオカミ達がずっと後をついてくるので、どうやったら帰ってくれるか考えていたんです」
「先ほど、旅の途中の男性からも街道の狼についての報告が我々にありました。討伐するのであれば、お手をお貸ししますが」
「と、討伐はしません」
こんな敵意の欠片も無い狼達を手にかけるなんてできないよ。
「ウワウ、ウォウウォウ」
そして目の前の大きな森林狼はまだ何かしゃべっている。
「カノン様の狼でいらっしゃいますか?」
「違います。私もどうしたらいいのか困っていて」
「ウォン!」
その時、大きな森林狼が一際高く吠えた。
すると、いつの間にか街道の真ん中に一塊になっていた狼達が左右に分かれて、淡い灰色の奇麗な狼が一匹私達に向かって進み出た。その奇麗な狼の周りでは2匹の子狼がボールのように飛び跳ねている。その子狼は更に色が淡く、ほぼ真っ白だった。淡い灰色の狼は多分、子狼の母親なのかな?
その母親は、大きな個体の狼の隣に寄り添い、鼻と鼻を擦り合わせた。母狼は、それから自分の鼻先で子狼をグイとセイラン号の足元に押す。
あぶ、危ないって。馬に踏まれたひとたまりもないって思ったんだけど、可愛く賢いセイラン号は足元に子狼が近づいた時から微動だにせずジッとしている。怖いもの知らずの子狼がセイラン号の足にじゃれ付きさえしても微動だにしない。
「ウォウウォウ!」
大きな狼が吠え、その隣で母狼は上目遣いで私を見てくる。
「ありえねーわ。子狼なんて、初めて見た。森林狼は絶対に子供を人に見せねえよな」
「ううむ。俺も信じられないが、これ、現実なんだよな・・・」
「あのー・・・、カノンちゃん。物語だと、心優しい人間が森に行くと、森の動物達に好かれて仲良くしてもらうのよね。ありえないけど、母親が子狼をカノンちゃんに見せに来た、とかねー」
「ええー・・・」
そんな、そんな事ある?
言っている当のミンミだって思いっきり半信半疑の顔をしてるじゃんね。
「そうなのですか。さすがはカノン様。カノン様の清らかなお優しい心を狼達も感じ取っているのですね」
そしてステファンさんは私の事を何だと思っているのか。エスティナの時から思っていたけど、ステファンさんは私の事を何か誤解していると思う。私はステファンさんに清らかなお優しい所なんて見せた覚えが無いし。
「カノン、このままこの場に居る訳にも行きません。オオカミ達は何かに満足すれば住処に帰っていくかもしれません。敵意は全くないようなので、セイランから一度降りてみましょうか」
「う、うん」
昔から動物は嫌いじゃなかったけど、ペットを飼った経験は無いし、動物にどう接したらいいのか良く分からない。ましてや、狼だもんね。犬じゃないもん。
そう緊張しつつ、私はセイラン号の上からノアに抱き下ろされた。
すると、森林狼達は全頭が一斉にフリフリと尻尾を振り始めたのだ。一番大きい個体もゆっさゆっさと母狼の隣でゆったりと尻尾を振っている。
「うわ」
セイラン号の足にじゃれ付いていた子狼達は、何の躊躇もなく私の足にじゃれ付いてきて、私のブーツのつま先にちっちゃな牙を立てて甘噛みをしている。
「ノア、これ。どうしたら」
戸惑う私の隣で、ノアは静かに膝をついた。
そしてしばらく母狼の様子をノアは見る。
母狼はまるで喜んでいるかのように尻尾を振り続けている。隣の大きな狼も同じく。
ノアは、その2匹の狼の様子を見ながら、そっと子狼に手を伸ばした。子狼は私のブーツにじゃれ付いた勢いのまま、ノアの手にもじゃれ付き始めた。その様子をみても、母狼達はゆったりと尻尾を振り続けている。
「カノン。子狼を触ってみますか?」
「え・・・、う、うん」
実はめっちゃ可愛いと思ってた。でも野生で生きる動物の子供だもん。不用意に触ってはいけないと思っていたんだけど。
「ここまで子狼を差し出してくるのです。少し撫でてみては?」
「差し出してるの?これ・・・」
「何か意図を持って狼達が私達に近づいて来たのは確かでしょう」
私はそーっとその場にしゃがみこんだ。そして子狼に手を差し出してみる。子狼は私の手に飛び付いてきて、せわしなく頭や顔、体を擦り付けて、アグアグと指を嚙んできたりする。痛くはない。
「か・・・、可愛い・・・」
モフモフのぬいぐるみにしか見えない、短い手足の子狼が私にじゃれまくってくる。
子狼の余りの可愛らしさにホンワカしていると、私の視界の中にゴロンと大人狼の顔が仰向けにカットインしてきた。その母狼の予想外の行動に私も言葉を失った。いつの間にこんなに近くに。
母狼は子狼と同じように、私の手を舐めて、顔を擦り付けて来た。母狼の顔はもうほぼしゃがんだ私の体の下に収まっている。えええ。
「え?え?お母さんの方も、撫でて、大丈夫?」
「・・・・・物凄く、尻尾を振っていますから、大丈夫かと」
「よ、よーし、よーし」
ちょっと緊張しつつ、母狼の顔、頭、そして目の前で完全にヘソ天になっているお腹を撫でてあげる。尻尾は相変わらずフリフリと振られている。
時間は一分にも満たなかったと思う。母狼は突然仰向けの体勢からむくりと起き上がって、ウォンと一声鳴いた。すると私やノアにじゃれ付いていた子狼がピタリと母親の傍に寄りそう。狼の母子は唐突に私から離れていった。そして入れ違いにしゃがんだ私の前に、一番大きな狼がやって来る。
その狼は何度か鼻を上下に上げ下げしながらゆっくりと私に近づいて来た。
「カノン。森林狼の挨拶だ」
「えっ、えっ?!どうすれば」
「掌でいい。狼の鼻先に近づけろ」
グイードの言うままに、私はそっと大きな狼の鼻先に掌を出した。すると、その大きな狼はグニと私の掌に鼻を押し付けた。大きい狼の鼻、私の掌位。姿かたちはハスキー犬ぽいけど、大きさはその2,3倍は余裕であるんだよ。狼の鼻はちょっとかさついていた。
次はこの大きい狼のお腹でも撫でないといけないかと思ったら、私の掌に鼻を押し付けただけで狼はサッと踵を返して私の前から距離を取った。
「!!」
そしてその大きい狼が私の前からどくと、その後ろには8匹の狼が一列に並んでいた。鼻先を上下に振りながら。これはどうみても順番を待つ列。
「・・・つ、次の人どうぞー」
すると私の声掛けに先頭の狼が近づいてきて、ポンと私の掌に鼻を押し付けた。そして横にずれると、その後ろの狼が近づいてきてまた私の掌に鼻を乗せる。
この作業が最後の8匹目まで繰り返された。
そして最後の狼の挨拶を私が受けると、大きい狼がウオーンと吠えた。
すると10匹の狼と2匹の子狼はあっという間に街道の両脇の茂みに飛び込み、林の中に消えてしまった。
街道に取り残された人間達は、しばらく言葉を失っていた。
「・・・な、なんだったんだろう。グイード、森林狼ってこんなに人懐っこいの?」
「そんな訳あるか。用心深くて滅多に人前に姿を現さないんだぞ。人に襲い掛かる個体は別だが」
「なんとも珍しい物を見させて頂きました。物語の一幕のように神秘的な光景で、この余韻に浸っていたい所ではありますが、もうそろそろ先を急ぎませんと夕暮れまでに領都に入れません。ノア様、カノン様。我々騎士団が先行いたしますので、どうぞご移動をお願いいたします」
そうステファンさんに言われて辺りを見回せば、辺りは少しオレンジ色に空が染まり始めている。
私は再びノアに抱き上げられてセイラン号の上に。
それから私達は一路領都を目指し、日没前に無事に領都へ入る事が出来たのだった。




