しっかり留守番出来る筈だった 3
ガンガンガンガンガン!
「っ・・!!」
金属を激しく叩く高い音が響いた。
私は前傾姿勢になりつつあった体を勢いよく起こした。
音の出どころは建物の外から。でも屋内に居てもはっきりと聞こえる位の大きさだ。
金属音は連続して5回。それがずっと止まることなく響いている。
「なっ、な、なに・・・?!」
驚いて腰を浮かした横で、オバアも椅子から降りてすっくと立った。
音は鳴り続いている。
「母さん!」
「マルエラさん!」
厨房からはルティーナさんとテリーさんが勢いよく出てきた。
「慌てるんじゃないよ。いつも通りだ」
今の声、誰?
辺りをキョロキョロ見回すと、その凛々しい声は私の耳の少し下から聞こえてきた。
「ルティーナ、あんたは町中の年寄りと女を広場に集めな。ギルドに幌馬車があった筈だね。領都に避難する奴等を取りまとめるんだよ」
「分かった!」
「テリー、あんたは町中の店主たちに声を掛けな。まだ戦えるなら命を懸ける時だよ。働いてきな!」
少し横に目線を下げると、私の隣で小さいオバアが再びカッと目を見開いていた。
のんびりした糸目の可愛いお婆ちゃんが、凛々しくルティーナさんとテリーさんに指示を飛ばしている。
「マルエラさん、女と年寄り達を頼んだ!」
テリーさんもルティーナさんも食堂から外に飛び出していった。
「こっちは任せな!」
そう言いながらオバアは私の手首をガシッと掴んた。
「嬢ちゃん、そんな細い腕じゃ武器なんぞ持てないだろ。あんたは私と避難するよ」
「あ、あのっ・・・!」
私の胸元位しかない背丈のオバアが私の腕を力強くグイグイと引っ張り、そして食堂の出入り口から外へと出た。心なしかオバアの丸まった背中も伸びている。杖でもついていそうなイメージだったオバアは、いま私の手をひっぱりしっかりとした足取りで歩いている。オバアに引っ張られるままに、私は町の広場に到着した。
広場には幌がかかった馬車が3台と、馬車一台に馬が2頭ずつ繋がれている。
馬車には町の人々が次々と乗り込んでいた。
お爺ちゃん、お婆ちゃん、あとはほぼ女性といった人々だった。
満員になった馬車から走り出しているようで、一台、次の一台と馬車は出発する。町の人達は動揺も迷いも無く、訓練でもされているかのように冷静だった。
高い鐘の音は今も止まずになり続けている。
「お嬢ちゃん、早く乗りな!あんたで最後だ!」
馬車の荷台に乗り込んだオバアは、馬車の荷台から私に手を伸ばした。
「鐘が5つだ!すぐに魔獣の群れが来る!時間が無いんだよ!」
その時、鐘の音の他にバン!!と破裂音のようなものが大きく響いた。
その破裂音はバン!バン!と鐘の音と共に連続で鳴り続けている。
「マルエラさん、もうこれ以上は無理だ!嬢ちゃん、乗らないならもう出すぞ!」
御者台に乗っていたオジさんが、馬車の後方にいる私を振り返って叫んだ。私を見るオジさんに向かって私は一つ頷くと、一歩馬車から離れた。
「嬢ちゃん!」
オバアを乗せた馬車はとうとう走り出し、あっという間に見えなくなった。
今が非常事態なのだろうという事は分かる。
でも、ノアとはぐれてしまうと思ったら、この町から離れる決心がつかなかった。
オバアは魔獣の群れが来ると言っていた。
この鐘の音は非常警報みたいな物なんだろう。
この町に残ったけど、いったいどうしよう。宿に戻って、取り合えず貴重品をまとめる?
・・・駄目だ。部屋の鍵はノアがルティーナさんに預けて行ったんだ。
そもそも森に出かけて行ったノア達は無事なの?
頭の回転が遅い私はやっとその事に思い至って、血の気が引いた。
この町は獣害を防ぐために10メートル位の高さの丸太の柵をぐるりと森林と町の境に巡らせているという。私はこの破裂音の正体を確かめに、音を頼りに町の外れまで走った。
走って走って、汗だくになって、やっと私は町の外れに辿り着いた。
獣害を防ぐ丸太の柵の手前では、ルティーナさんやテリーさんの他、よく宿の食堂でみる冒険者達や、その他各々武器を持った人達が集まっていた。
「あんた!どうして母さんと逃げなかったんだい!!」
ルティーナさんに出合い頭、私は大声で怒鳴られた。
「非常事態だって、説明しなくても分かるだろう!ああ、なんてことだい!」
怒鳴った後、ルティーナさんがギュウと私を抱きしめてくる。
「・・・私、この町で待っていないと。必ず帰って来るって、言ったから」
スマホも無い、連絡手段も無いこの世界で、生き別れたら二度と会えないんじゃないかと思ったら、どうしてもこの町から離れられなかった。ノアはきっと、必ずここに帰ってくる。
ルティーナさんは大きなため息をつくと、私からそっと離れた。
「まったく、こうなったら仕方がないね」
諦め顔になったルティーナさんからは、険しさがやや緩む。ルティーナさんは私の頭にポンと手を置いた。
「その物見櫓の下に地下室がある。あんたは戦えないだろうから、そこに隠れておいで」
ルティーナさんの言う物見櫓とは、大きな木の上に組まれたツリーハウスのような物だった。その高さは10メートルを超えていて、櫓には男性が1人登って丸太柵の向こう側を見据えている。
その櫓になっている木の根元には、地面に蓋が付いていた。
木の根元で膝を付いたルティーナさんは、片手で糊付けでもされていたかのような蓋をバリバリと剥がす。その蓋の下の地下室は、簡単に木材で壁を補強した、地面をくりぬいた穴のようなものだった。
「さあ、本当に時間が無いよ。早くお入り」
「ルティーナさんは?!」
「ルティーナは貴重な戦力だ。俺達エスティナの人間は、ここで魔獣を食い止めなきゃならんのさ。それがここで暮らす人間の役割だ」
いつのまにかテリーさんがルティーナさんの隣に来ていて、私の背中をグッと地下室の入口に押す。
「いいかい、外の音が聞こえなくなるまでこの蓋を開けるんじゃないよ。中でじっとしておいで」
テリーさんと一緒にルティーナさんも私の背中に手を添えた。2人の力にはとても敵わない。私がジリジリと地下室に押し込められようとしていた時、一際大きな破裂音が上がった。
「来るぞ!柵から離れろ!!」
その声にルティーナさんとテリーさんが振り返った。
私達の目の前で、高さ10メートルはある丸太の柵の下部から、まるで爆発したかように土煙が上がった。
そして土煙が収まる間もなく、突如土煙の中から巨大なイノシシが躍り出た。
とうとう魔獣がエスティナの町の中に侵入してきたのだ。
そのイノシシは、体高が5メートルはあろうかという、巨大なイノシシだった。運悪く近くにいた男性冒険者が、イノシシの突進に巻き込まれ簡単に吹き飛ばされてしまった。
そのイノシシの進行方向は真っ直ぐに私に向かっている。その距離は50メートルも離れていない。
「早く入りな!!」
ルティーナさんが私の背中を更に強く押す。テリーさんが刃渡り50センチ以上もある包丁を2本持って、私とルティーナさんの前に立った。
「早く!」
ルティーナさんに更に強く背中を押されて、私は両足を踏ん張った。土煙から猪の他に一つの影が勢いよく飛び出したのが見えたからだ。
その影は、こちらに突進してくるイノシシよりも早い。イノシシを後方からグングンと追い上げ、その影はあっという間にイノシシに並んだ。
イノシシが私達の20メートル手前に迫ったその時、走るイノシシの隣に栗毛の馬が並んだ。その馬には黒衣の人物が乗っている。そしてキラリと光が煌めいたと思ったら、イノシシが前足を縺れさせて突然転倒した。そのまま5メートルほど前方に滑りイノシシは地面に倒れた。イノシシの身体は転倒して止まったけど、慣性の法則でイノシシの顔が首から勢いで剥がれ、私とルティーナさん達のすぐそばにビシャンと血飛沫と共に叩きつけられた。
イノシシの絶命と共に大量の血飛沫を浴びて、ルティーナさん達は言葉も無い。
もちろん私もイノシシの血をモロかぶりしたけど、馬から降りた人物めがけて私は構わず駆け出した。
「ノアーーッ!!」
「カノン!」
ノアが帰ってきた!
ノアもこちらに駆けてくる。
私とノアは横倒しになったイノシシの横でしっかりと抱き合った。
「お、おっ、遅いよ!ノア!」
「すいません、カノン。魔獣の群れがエスティナに向かっているのを見つけたのです。群れの流れを止めようと試みましたが、力が及びませんでした。カノンは今からでも町の方々と領都へ逃げて下さい」
「いやだ!もう離れないって、言ったじゃん!!」
私はノアの言葉を全力で拒否した。
「ずっと一緒だって、言ったじゃん!」
「カノン・・・」
抱擁を緩めて私を見下ろすノアは、どう私を説得しようかと困った顔をしている。
ノアはやっぱり、何かあれば簡単に身を挺して私を守ろうとする。でもそれって、私との約束を守ってないからね!!
改めて見れば、黒衣に見えたノアの服はどす黒い血ですっかり染まりきっている。
「怪我はしてないの?」
「ええ、これはすべて魔獣の返り血です」
それを聞いてホッとする。でもノアの顔は目の下にクマが浮き、疲れが滲んでいる。
「えい!」
私は気合の掛け声と共に、再びノアにしがみ付いた。
私は初めて意識をして、聖女の力を行使しようとした。
ノアが、どの魔獣よりも強くなるように。
ノアが、どの魔獣よりも素早くなるように。
ノアの疲れが消えて、元気が全回復するように。
あとは、あとは。
聖女の力って具体的にどんな事が出来るのかさっぱり分からないけど、ノアが怪我とかしませんように!ついでに周りの冒険者も!
「んぎゃっ!」
予想は付いていたので前もって目を瞑っていたのに、やっぱり瞼の裏が真っ白になり、私は自分自身が発した光に目つぶしを食らった。
「うーん」
今回は気を失うまででも無かったらしい。
少しずつ視界が回復してきて、私はうっすらと目を開いた。
「カノン」
ノアが優しく私に声を掛ける。
ノアの腕の中に居るのは変わりないんだけど、私の全身はノアに抱き上げられていた。
ノアがキラキラと輝いていた。いや、比喩とかじゃなく物理的に。
あの大熊をやっつけた時のように。ノアは頭から全身にキラキラと輝く光に包まれていた。まるでノア自身が発光しているみたい。
「カノンが私に加護を授けてくれたのです。この程度のニードルボアなら、あと100匹は軽く倒せるでしょう」
ノアがいつもの穏やかな顔で笑みを浮かべている。
そっか。ノアが大丈夫というなら、大丈夫だよね。
ノアは私を抱いたままルティーナさん達の側に寄った。
「ルティーナさん、カノンを見ていただいてありがとうございます。でもあと少しだけ、カノンをお願いできますか?」
「・・・ああ、任せておいで」
ルティーナさんが伸ばす両手に、ノアは私の身体を預けた。
ルティーナさんは私を受け取ると、ギュウと柔らかい両腕で私を抱きしめた。
「では行ってきます、カノン」
「いってらっちゃい、のあ」
ノアは私の頭をひと撫ですると、踵を返して粉砕された柵の方に駆けだした。
巨大なイノシシは魔獣の群れの先陣だったようで、柵に開いた大穴からは大小さまざまな魔獣がエスティナに押し入ろうとしていた。
柵の前に集結していた冒険者達がその波を食い止めようとしているそのど真ん中に、ノアは駆け込んでいった。
そこからはノアの独壇場。
柵の大穴の前に立ちはだかったノアは、町に侵入しようとする大型の魔獣を右へ左へと切り伏せていく。それでも小型の魔獣が柵の内側に走り込んでくる。小型の魔獣は町に居合わせた冒険者や有志の住民達が各々の武器で倒していった。
しかし更に小型の魔獣が冒険者達の包囲網を潜り抜けて、私とルティーナさんの所に真っ直ぐに走って来る。ネズミのような体長10センチ位の小型の魔獣だけど、ギッ、ギギッと耳障りな鳴き声をあげて駆け寄って来る。この世界は抗生物質とかもないだろう。噛まれて炎症をおこしたり化膿したりしたら、酷い事になりそう。
「こないで!」
包丁を構えていたテリーさんにネズミが飛び掛かろうとした時、私は思わず叫んだ。
すると、ネズミの身体がビクンと跳ねてその場に止まった。
・・・いったい何が?
変な動きをするネズミに目を凝らすと、ネズミの体全体が薄墨のようなもやもやに覆われている。
ネズミはテリーさんの手前で止まり、何やらもぞもぞ動いている。
あの、もや・・・。
「くるな!」
私はもう一回、ネズミに叫んだ。
すると、テリーさんの足元近くでもぞもぞしていたネズミがなんとゆっくりと、もと来た道を戻り出した。
なんでか知らないけど、私の言う事聞いた?
私はびっくりして辺りを見回す。
あ、ノアは未だに柵に開いた大穴の前で無双状態だ。
ノアの攻撃をすり抜けた中型の魔獣は着々と冒険者達に仕留められている。そしてさらに小型の魔獣達は、なんでかみんな列をなしてもと来た道を戻っていっている。大穴はまだ大型魔獣とノアが戦っているからか、大穴を目指していた小型魔獣達は脇に逸れて丸太の柵の隙間をすり抜け、次々と柵の向こうに姿を消していった。
そして魔獣の波も途切れ、エスティナへの魔獣の侵入も落ち着いた頃には、大穴を通って野鼠や鼬型の魔獣達が列をなして帰っていく。
私もびっくりしたけど、自ら森へ帰る魔獣達を町の住民や冒険者達もびっくりして見送っていた。
町と森の境界線、丸太柵の周辺は魔獣の屍が辺り一面にちらばり酷い有様だったけど、町への被害も無く、住民や冒険者達で命を落とした人も居なかった。
「カノン!」
ノアがこちらに駆けよってきた。
「のあ!」
私はノアに手を伸ばして固まった。手が血で真っ赤。
自分の身体をみると、私の身体を包む布と化したルティーナさんから借りたワンピースも血みどろ・・・!
「あ、あわ、るてぃーなしゃん、ふく、ごめぇん」
イノシシの血を私と一緒にルティーナさんとテリーさんも思いっきりかぶったんだよね。
「ちが、ちが、よごれちゃったぁ」
慌てる私を笑いながら、ルティーナさんはノアに手渡した。
「ワンピースは他にもあるよ。また大きくなったら着てくれるだろ?」
私はヒュッと息を飲んだ。
そうだった。
私はルティーナさんと、テリーさんの前で聖女の力を行使して、2人の目の前で幼児退行を起こしてしまったのだった。
「あの、あの」
1人慌てる私に構わず、ノアはしっかりと私の身体を腕の中に収める。
「無事で、良かった」
「・・・うん」
私はノアの腕に両手を回して、しっかりとノアに抱き着いた。
まずはお互いに生きているだけで、それだけで、本当に良かった。
ほの白くキラキラ光り輝いていたノアは、いま段々と輝きが収まりつつあった。
「ノア、カノン」
血みどろで抱き合う私達にケネスさんが声を掛けてきた。
気が付けば、私とノア、ルティーナさん達を中心に何やら冒険者達と町の住民達の人垣が出来ている。
「ノア、まずはエスティナを救ってくれた事、感謝する。それと、一休みしてからで良い。お前達の話を聞かせてくれないか」
ケネスさんに険しい顔を向けて、ノアはギュッと私を強く抱きしめた。
「・・・そんなに警戒するなよ。お前達の力になりたいんだ。お前はエスティナを救った恩人だ。悪いようにはしない」
まだキツク私を抱きしめているノアに、ケネスさんは言葉を重ねる。
「カノンもノアも血みどろじゃねえか。魔獣の血はすぐに洗い落とさないと体に毒だ。小さいカノンには尚更体に良くないぜ」
体に毒と聞いてノアの両腕の力が少し緩む。
「まずは風呂に入って飯を食え。あとは、ぐっすり眠ってから話をしよう。黙って逃げるなよ?俺達はノアとカノンの力になりたいんだよ」
「そうだよ、ノア。カノンちゃんとまずは風呂にお入り。昨日から戦い通しだったんだろ?しっかり休んでからこれからの相談をしようじゃないか」
さらにルティーナさんの口添えに、ノアはようやく頷いた。
昨日から戦い通しといえば、グイ―ド達は?と思ったら、丁度向こうでふらふらになりながらも6人全員が私達に手を振っていた。良かった、みんな無事だった。
「のあ、おふろはいって、ごはんたべよう」
「・・・そうですね」
「のあ、おちゅかれしゃまー」
「ふふ、はい」
やっとノアが笑ってくれたので、私も安心してノアに抱き着く。
色々心配事は山積みだけど、今はとにかく何も考えずに休もう。
それから私達はすぐに宿のお風呂に入り、お腹いっぱいになるまでテリーさんのご飯を食べて、泥のように眠ったのだった。




