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奇跡の大地  作者: ばらせん
2/4

-2- 白髪の少女

 -1-


 どうしてこんなことをしているのだろう。


 数万回は繰り返した答えのない自問がまた頭の中を支配する。ここ最近はずっとこればかりを考えてしまい思考が堂々巡りしている。最早不毛だと頭では理解していても自分では止めることができないほどだった。別にこれは昔の自分の判断を後悔しているとか、そういった理由で繰り返しているわけではない。理由はそれよりずっと単純で、馬鹿らしいものだ。


 ―――他に考えることがないほどに退屈だから。

 ただそれだけである。


 ここには変化というものがほとんど存在しない。

 変わらない景色、変わらない天気、変わらない自分。


 唯一の変化は内面、つまりは自身の思考だけだ。しかしいつかはこの思考も時間と共に擦り切れてしまうのだろうと予想できる。実際、ここに来る途中で出会った様々な人達は誰もが狂い、ただ死んでいないだけの人形に成り果てていた。僕が彼らと同じような状態となった時、僕はいよいよ人としても(・)死ぬことになる。


 純白の螺旋階段が視界を覆う。どんな素材で作られたものなのかも不明なその階段を踏みしめながら今僕は一人でこの果てしない塔を登り続けている。最上階と言っていいかは分からないが未だ終わりは見えてこない。あまりにも長い時間を塔を登ることだけに費やしてきたためか、最早自分の意志で登っているのかすらも分からなくなってきている。あらゆる感覚が徐々に麻痺していることを実感した。


 こうして一人で塔を登り始めてから数カ月、いや一年、もしかすると数年くらいは経っただろうか。僕は未だにこの世界に来る以前の記憶を取り戻すことはできないでいる。そのせいで過去を振り返るとどうしてもここに来たばかりの、まだ皆がいたあの頃のことばかりを思い出す。


 大人だった代市。

 傲慢であることを続けた櫃岡。

 卑屈で臆病な圓。

 優し過ぎたノリ。

 誰よりも人間らしい莉杏。


 彼ら彼女らと過ごした数カ月間は記憶の無い僕にとっては人生の全てと言っていい。だからこそ後悔とは別に考えてしまう。あの時ああしていれば、こうしていればと、ありもしないIFを何度も何度も。


 どうせこの一人旅の終わりはまだずっと先だ。思考を停止して廃人にならないためにも、どうしてこうなってしまったのかをもう一度思い出して見てもいいだろう。というかそれしかすることがない。


 そうなるとやはりまずはあの時のことからだろうか。

 僕らの最初の分岐点。

 石碑に初めて触れた後のあの出来事から思い出してみよう。



 

 -2-


 一瞬で切り替わった景色にやはり自分の予想が正しかったのだと確信した。

 周囲には相変わらず荒野が広がっているが、さっきまでは一つしかなかった石碑がそこかしこに散在しており、言うなれば石碑群といった様相だった。すぐ目の前には僕がここに飛ばされた時に触った石碑と同じ見た目の石碑が置かれていたが、僅かに罅が入っていることからも異なる石碑であるのは間違いない。


 耳を澄ませると遠くから人の声が聞こえてきた。慌ててその方向を確認すると誰かが歌を歌っていた。その周囲には地面に頭を打ち付けている男や全力で同じ場所を走り続けている女、うつ伏せになって微動だにしない子供など異様な雰囲気を纏う人達の姿もあった。ついにここへやってきて初めての僕ら以外の人の姿。もしかしたら助けてもらえるかもしれないという無謀な期待が彼らの異常行動に対する違和感を無視させた。


「良かった。人がいる。あの人達に助けを呼びに行こう」


 やや上擦った声で同意を求めるが、しかし返事が返ってくることはなかった。その時になって僕はようやく二人の姿がなくなっていることに気が付いた。冷や水をいきなり浴びせられたかのように進もうとした足が動かなくなる。まさか本当に別の場所に飛ばされてしまったのか。先程の圓の言葉が脳裏を過った。


「今の声……氏黎か!」


 すると先に消えてしまったはずのノリが石碑の裏から現れた。思わず安堵の息を吐く。それが見つかったことによる安堵か、それとも自分が取り残されなかったという安堵かは自分でも分からない。


「ノリ!無事だったんだね。心配したよ」

「それはこっちのセリフだって。そっちも無事で良かった」


 ノリはこちらを心配するばかりで特に怪我をした様子はない。やはりあの石碑はただ別の場所に転移するだけのものということだろう。無意識に強ばっていた体から力を抜いた。


「氏黎だけ来ないから不安だったけど、やっぱりこの石碑が出口になっていたみたいだな」

「出口……てことはこの石碑とさっきの石碑は繋がっているってこと?それならこの石碑に触れればさっきの場所に戻れたりはしないのかな」

「いや俺もそう考えたんだけどよ。なぜかこっちの石に触れても何も起きなくなっちまったんだよ。それで戻りたくても戻れなくてさ」


 試しに目の前の石碑に触れてみる。確かにノリの言う通り、別の場所に転移する様子はない。一方通行なのだろうか。どういう仕組みかは不明のままだが、これで誰も戻って来なかった理由は判明した。


「お、おい!本当に触る奴があるか!お前だけどっか飛ばされて戻れなくなったらどうすんだよ」

「え、でもノリだって自分でも試して駄目だったんでしょ?」

「そりゃあ、こっちに飛ばされてからすぐに触ったけど……。あんまり信じられても困っちまうな。他の皆だって触ろうとはしなかったぜ?」

「そういえば皆はどこにいるの?見当たらないけど」

「氏黎以外はもう合流して、今は各自で周囲を探索してる」

「莉杏とあの圓って先輩も?」

「ああ。……あ、そういえば氏黎だけ来れなかったのはその二人を騙して先に行かせたからってのは本当の話なのか?その様子を見てるととても信じられないんだが」

「え?」


 そういえばおかしい。

 もちろん僕はあの時二人と同時に石碑に触れていたはずだ。差があるとしても誤差程度のものだろう。それなのにノリの様子からしてこちらに着いた時間は僕だけが明確に遅れているようだ。一体どういうことだろうか。


「ちなみにそれを言ってたのはその圓って先輩の方だ。誤解ならあとで解いておいてくれよ。これでもかってくらい氏黎に文句を言うものだからちょっと雰囲気悪いんだよ」

「……なんかごめんね」

「いや俺は別に責めているわけじゃ……あ、そうだった。それとは別に氏黎には礼を言わないとと思っていたんだ。氏黎が消えた俺を追いかけようって言ってくれたんだろ?一人で逸れてたら俺にはどうしようもなかった。本当に助かった。ありがとうな」


 ノリは笑って頭を下げた。

 ノリに笑うくらいの余裕が出てきていることに、僅かな違和感を抱く。他の皆と合流出来たことで安心したから?それにしてもさっきまでとは印象が大分違う。良くも悪くも表に感情が出るタイプなのだろうか。


「何だその顔。何か別のこと考えているだろ」

「いやそんなことないよ。いつもこの顔さ」

「それなら別にいいけどよ。……それにしても俺、氏黎には助けられてばかりだな」

「ばかり?もしかしてそれって記憶を失くす前の話?」

「……」

「そこで黙られると不安になるんだけど」

「すまん。今の氏黎に過去のこと言っても困らせるかなと思ってさ。一瞬悩んじまった。実際本人としてはそういうのどう思うんだ?」

「うーん。別に何とも。割と他人事かな」

「……はは。何だか悩んでる俺が馬鹿らしくなるな。やっぱり氏黎は変わったよ。落ち着いたって言うのかな。もちろん良い意味だぞ?」


 そのまま二人で話しながら歩いていくとその先では莉杏が驚いた表情で待っていた。


「氏黎っ!無事で良かったぁ!向こうに取り残されていないか心配だったの」

「心配させてごめん。状況を教えてもらえる?」


 莉杏に事情を聞くと最後に莉杏と圓の二人とあの石碑で移動した後、僕を除く全員がすぐにこちらで合流できたことを聞かされた。僕だけが現れないことを心配したノリが出口の石碑の前で僕が来るのを見張りつつ、他の皆で周囲にいる人達に救援を頼みに行ったそうだ。

 しかし彼らはこちらの話に耳を貸すどころか基本的に無視で会話にもならなかったらしい。櫃岡曰く“イカレている”そうだ。そのため碌に情報は得られず、得られたのは彼らの見た目から判断できるような情報だけ。その見た目についてもほとんど共通点は見られず、唯一言えることは日本人らしいということだけである。

 今は各自石碑には触れないようにしながら別の場所で僕が現れていないか周囲を確認しているところだったらしく、新しく何かが分かったらここに集合することになっていたそうだ。


「私もその辺を調べて一応これを見つけはしたんだけど……」


 莉杏は近くにあった例の石碑の前でしゃがみ込んだ。


「この石碑に刻まれていた文字、多分さっき飛ばされる前に見た石碑の下に刻んであった文字と同じ人が書いたと思う。筆跡が似てるから」

「『運命の塔へは愚者のみが進むべし』……またこれか」

「そう。近くにある他の石碑にも全部同じことが刻んであったの。……まあ、だから何って言われたらそうなんだけど、一応伝えておくね」

「そっか。ありがとう。教えてくれて」

「これどういう意味なんだろうな。塔らしき建物なんてどこにもないし」


 ノリは頭を掻きながら周囲を見渡す。

 確かに塔なんてここに来るまでに見たことはない。何か暗号だったりするのだろうか。まあ少なくともこれを書いた人には何か目的があったはずだ。でなければ全ての石碑に文字を刻むなんてするはずがない。僕らがその相手ではないとしても誰かに伝えたい情報が何かしらあるはずだ。


「あとそうだ。気付いたことと言えばこれも」


 そう言って莉杏は手の甲を掲げた。

 そこには先ほどまであったはずの幾何学模様が無くなっている。


「あの変な痣がなくなってる!」

「そうなの。こっちに飛ばされてしばらくしてから気付いたんだけど。そっちはどう?」

「……僕のも消えてるみたいだ」

「俺もだ。いつの間に消えたんだ」


 どういうことだ。

 いつ消えた。あまり確認していたわけではないが、あの石碑でここに飛ばされた直後が可能性としては高いか。


「氏黎が合流できたのなら、ここから帰れる方法とかが分かってれば良かったんだけど、こんなのしか分からなかったや」

「いや探してくれただけでもありがたいよ。それに今は何も分からないかもしれないけど、今後繋がる情報かもしれないし。寧ろよく気付いたね。流石」

「え、えへへ。そんな褒められるほどのことじゃ……だって時間はあったからね」


 莉杏は照れたように頬を掻いた後、一瞬顔色が曇った。


「……ねえ。そういえばどうして氏黎は一人だけ来るのが遅れたの?」


 突然莉杏が深刻そうな表情をして僕に問いかけた。

 何となくノリを見ればにやりと近づいてきて莉杏に聞こえないように耳打ちしてきた。


「さっきお前がいない時、責められる氏黎を庇って圓先輩と揉めたんだ。氏黎はそんな人じゃない~ってさ。良かったな脈ありだぞ、あれは」


 脈がどうのというのは分からないが、莉杏が庇ってくれていたのは本当らしい。

 だとすれば莉杏にも悪いことをした。


「ごめん……分からないんだ。僕としてはすぐにこっちに来たと思ったんだけど」

「正確な時間は分からないけれど、私がこっち来てから一時間くらいはあったかも。……その……実はさっきあの眼鏡の先輩が色々言ってて。私は否定したんだけど……」


 一時間……妙に皆積極的に行動していると思ったが、それだけ考える時間があったということだったのか。ノリの印象が変わって見えたのもそのせいかもしれない。それにしても一時間というのはあまりに大きな違いだ。正確ではないとしても僕と莉杏の体感時間に差がありすぎる。


「圓先輩が怒っていたって話ならさっきノリから聞いたよ。ごめん。気を遣わせちゃったみたいで」

「……いいの?」

「何が?」


 莉杏の眼は心配そうにこちらを見ている。


「だって……!あんなこと言われて平気なの!?あの時、氏黎も一緒に石碑に触ってたのは私も見てたのよ?」

「あんなことっていうのがどんなことかは知らないけど、直接言われたわけではないから僕は何とも。ありがとう。代わりに怒ってくれて」

「……うぅ。まあ氏黎が良いなら私も気にしないようにするけどさ。でもこれだけ言わせて。氏黎は臆病じゃないよ。昔も……きっと今も」


 それだけ言って莉杏は不服そうな顔を離し、僕はそれを見送った。ノリが変なことを言うものだから妙に彼女を意識してしまう。そのせいでふと疑問が湧いてきた。莉杏は今の僕ではなく、記憶を取り戻した昔の僕に戻ってほしいのだろうか、と。僕はそれがどういう感情から生まれた疑問なのか追求することはせず、忘れようと首を振る。


「あ、代市先生」


 遠くからこちらに向かってくる人影が二つ見える。片方が代市で、もう一つが圓のようだ。となると櫃岡だけ別行動だろうか。


「花野井君!良かった。無事だったのね」

「すみません。ご心配おかけしました」

「ま、全く。しっかりしてよ。石に触ろうって言い出したのは君でしょ?自分で言い出したことなのにさ。こんな状況でそういうことされると周りが困るんだよ。……ま、ビビっちゃうのは仕方ないかもしれないけど」

「圓さんもすみません」

「ちょっと……さっきも言ったけど氏黎はそんなこと」


 圓は小馬鹿にしたような態度で僕の肩を叩いた。

 その様子は随分と余裕が出てきており、先程までの怯えの色は見えない。圓も時間によってある程度落ち着きを取り戻しているようだ。


「代市先生。氏黎も見つかりましたし、俺らはこれからどうするべきスかね。もっと遠くまで調べに行きます?」

「そ、うね。ちょっと考えさせて」


 ノリが話題を変えるように代市に問いかける。空気が悪くなりかけていたため、気を遣わせてしまったみたいだ。しかし今は僕よりも代市の方を気にかけた方が良さそうである。代市はあちこちに目を泳がせながら、表情も険しく、自分の爪を噛んでおり、圓とは逆にその様子は明らかに憔悴していた。この異常な状況で一人だけの大人という立場は僕の想像以上に重圧が大きかったのかもしれない。


「何とか彼らから話が聞ければよかったのだけど」

「その様子だと結局何も聞けなかったんスね」

「……ええ。一応見える範囲にいる全員に声を掛けてみたけれど、駄目だったわ。あ、別に断られたとか、そういうわけではないのだけど……その……」

「おかしくなってた」


 代市はそれに躊躇いつつも頷いて答える。

 つまりこの周辺にいる僕ら以外の人間はもれなく精神的な部分で異常をきたしていることになる。それが最初からなのか、それともここに来てしまったからなのか。どちらでもあり得る話だが、いずれにしろ不安と恐怖を抱くには十分な事実だった。思わず手に力が入る。


「シレイじゃないか」


 突然の聞いたことのない声がして慌てて振り返ると、そこには小学生くらいの子供がいた。当たり前だが、その姿を見ても誰だかは分からない。

 妙に整った顔立ちで幼いはずなのにどこか大人びた印象を受ける白髪の女の子。無表情でジッとこちらを見つめているが、その見た目とは裏腹に一体いつからそこにいたのか分からないほどに存在感がなかった。


「君は……今一体どこから」

「どこってその石碑からだが。それにしてもこんなところで奇遇だね。話せる人と出会うのは随分と久しぶりでつい驚いて声を掛けてしまったよ」

「今、僕の名前……もしかして僕のことを知っているの?」

「……あぁなるほど。さあね。知っているとも言えるし、知らないとも言える」


 突然僕の名前を呼んで現れた子供は見た目にそぐわない口調で禅問答のようなことを言う。

 莉杏とノリの顔を見ても首を振られた。二人の知り合いでもないらしい。


「君は一体。もしかしてここがどんな場所か知っているの?」

「どんな場所か……さて。その質問にはどう答えるのが正確なのだろうね」

「何か知っていることがあればどんなことでも教えてほしいんだ。僕達ここのことが何も分からなくて」

「……いいよ。他ならぬシレイの頼みだ。ここは……そうだな。救いの試練という奴もいたが、私に言わせればただの地獄さ」

「地獄……」

「薄々気が付いてはいるんだろう?ここが現世ではないことくらい」


 僕のことを知っているらしい白髪の少女は遠くを見つめながらそう溢した。

 それに対して圓が割り込むように声を上げる。


「じゃ、じゃあやっぱり僕は死んじゃったって言うの?」

「さあ。そんなことは知らない。どうしてそう思ったんだい」

「き、君が地獄だと言ったんじゃないか!それって死後の世界ってことだろ!」

「先輩、落ち着いてください。相手は子供です」

「っ……う、うるさい。分かってるよ、そんなこと!」


 圓は止めに入った僕の手を払いのける。どうやら僕では余計に怒らせるだけのようだ。

 白髪の少女は圓の剣幕を無視するように話を続ける。


「君は仏教徒なのかな?残念ながら生きているよ。間違いなくね。ただ、人としてかどうかは保障できない」


 人としてかどうか?

 どういう意味だ。精神的な話だろうか。

 ふと周辺で奇行に走る人達のことを思い出した。


「すでにお前達の中にも気付いている者もいるのではないかな?自分がおかしくなっていることに」

「それはどういう……まさか僕達があそこにいる人達みたいになっていってるとか言わないよね」

「っ!そんな!」


 先程の超常的な現象を引き起こす石碑のこともある。よく考えればそういう力がいつの間にか体に影響を与えていても不思議ではない。自然と冷や汗が背中を流れた。


「ふふふ。まあそういうこともあるかもしれないけど。さっきのはそういう意味じゃないよ」

「な、何だ。違うのか。花野井も驚かせやがって。根拠も無しに変なこと言うな!」

「すみません。……それなら僕達はどう変わっているっていうの?」

「まだ分からないのかい?」


 ほっとしたのも束の間。

 白髪の少女は「仏教徒の君にとっては主義に反するかもしれないが……」とその時初めてにやりと笑みを浮かべ、とんでもないことを口走った。


「ネバーダイ。ここには死という概念が存在しないってことさ」



 

 -3-


 白髪の少女が話したことは常識を持ったままでは到底受け入れられる内容ではなかった。


 まずこの荒野の広さ。

 この荒野は見た目通りに広大でどれだけ進んでも終わりがない。終わりがないというのは文字通りの意味で、果てがなく出られない。以前果てを目指していたこともあったらしいが、荒野から出ることはおろか別の地形が現れることすらなかったそうだ。もしかすると限界はあるのかもしれないが、聞いている限りただ進み続けるだけではここを脱出できない可能性が高い。絶望的な情報だが、それを試す前に分かっただけでも良かったと思うことにした。


 そしてこの世界に連れて来られた人について。

 一見して日本人らしくない白髪の少女も実は日本人らしく、最初は僕らと全く同じようにいつの間にか荒野のど真ん中で気絶していたそうだ。周囲で奇行に走る人達も含め他にも多くの人が同様の被害に遭っており、後から僕らのように被害者の数も増えるため今どれだけの人数がこの世界にいるのかは誰も知らないらしい。


 唯一の人工物とも言えるあの不思議な石碑についてもいくつか有益な情報を得た。

 一つは転移する場所がランダムだということ。正確には出口は別の石碑に繋がっているそうだが、出口になっている石碑が一定時間で別の石碑と不規則に入れ替わるため、狙った場所に行くことはできないそうだ。つまり先程すぐにノリを追いかけて石碑に触れていなければ、こうして僕らが合流することはできなくなっていたということになる。ノリはそうなった時の状況でも想像でもしたのか、顔色を悪くしていた。


 もう一つは手の甲の痣について。この痣は石碑の力と関係があるらしく、石碑による転移後、痣は一時的に消える。痣が消えている間はどの石碑に触れても転移することはなく、時間経過で痣は復活するそうだ。なお痣が復活するまでにかかる時間と転移先が切り替わる時間は同じ間隔のため、同一人物が同じ場所を行き来することはできず、石碑による転移は必ず一方通行となる。

 そして気になっていた転移することに対する代償については、何度利用してもそういったものは全くなかったらしい。それについては白髪の少女自身が証拠という答えが返ってきた。何度も転移の経験がある白髪の少女ですら気付かないうちに何かの代償を支払っていた場合は悲惨だが、あったとしても彼女を見ている限りそれが致命的な代償ということはなさそうである。


「このガキの言うことなんて信じられねえな」


 途中で櫃岡が周辺の調査から戻り、白髪の少女が話した内容を説明することになったのだが、ここが僕らの元々いた世界とは異なることや、特に人が死なないということには懐疑的な態度を崩さなかった。しかし、それはある意味全員が思っていたことの代弁であり、誰一人櫃岡の発言を諫めることはしなかった。

 白髪の少女はそれを分かっていたかのように口を開く。


「それなら……そうだな。お前達はここに来てからどれくらい経つ」

「多分……数時間くらいだったかな。そうだよな櫃岡」

「……ッチ。そうかもな。で?それが何だ」

「空腹は感じるかい?」

「別にまだお腹は空いてないけど」

「喉も乾いていない。そうだね?」

「……言われて見ればそうかも」

「おい、俺を無視すんじゃねえ!だからそれが何なんだよ!」

「まだ気付かないのかい?ここに来てから、君達はそれなりの距離を歩いたり、調べたりしたのだろう。石がごろごろ転がっている荒れた地面をその向いてなさそうな革靴で数時間も。おかしいとは思わなかったのかな?」


 そうだ。確かにおかしい。

 探索するために移動していた時、あれだけ歩きにくそうにしていたにも拘らず誰も疲労を訴えることはなかった。今だって目が覚めた時と変わらず、肉体的な不調は感じていない。鍛えていたから?記憶がないためそんなはずはないとは言い切れないが、ここまで動いて喉も乾かないなんて常識ではまず考えにくい。


「食事、睡眠。ここではそういう人らしい活動をしなくても生きることができる」

「そんな……」

「まさか……本当なの?」

「疑うのは勝手だが、いずれ分かることさ」


 思わず自身の手のひらを見つめるもそこにあるのはいつも通りの自分の手だ。違和感のようなものは感じない。もし何者かに体を弄られた結果不死性を得たのだとすれば相当な技術力と言える。本当に不死身なのか。白髪の少女が嘘を言っているだけではないか。そう心が訴えかけるが、疑われているはずの彼女の態度には余裕が見られ、その態度自体が内容の信憑性を高めていた。


「……死なねえってのは、何をしてもか」


 櫃岡は突然神妙な顔でそう白髪の少女に問いかける。普段の高圧的な態度は鳴りを潜め、妙な緊張感を漂わせていた。


「そうだよ。外的要因で死ぬことはない。寿命で死ぬのも見たことはないね。ちなみに怪我もしないし、老いもない。常に健康体さ」

「怪我も、老いもしねえ体……く、くはは、すげえ。無敵じゃねえか。まるで―――」

「夢のようって?……ふふ、それはどうだろうね」

「あ?どういう意味だ」


 白髪の少女は少し離れた場所で奇行を繰り返す人達に視線を送った。

 その様子で彼女が言いたいことが何となく伝わる。


「外側がそうでも中身が普通の人間だからじゃない?」


 白髪の少女はこちらに視線を移し、にやりと笑った。


「理解しているじゃないか。不死身はそんな良いものじゃない。肉体は傷つかなくても感触、つまり痛みはあるんだ。例えば死ぬほどの痛みを受ければ廃人になる奴だっているだろう」

「精神が耐え切れないんだね」

「俺をその辺の奴と一緒にするんじゃねえよ」

「それは頼もしい限りだ。ここでは自己を確立できている人間の方が長持ちする。君とはまた会うことがあるかもしれないね」

「また会う、だと?」

「私はこの世界を知るために旅をしているからね。まあそんなことはともかく、そもそも人間って生き物はそういう自然の節理から離れるほどにイカレてくる。あそこにいる連中はすでに壊れているが、元々彼らの行動も全て人として生きていることの実感を得るためにやっていたんだ。走っているのは息切れすることによる疑似的な疲労を感じるため。地面に頭ぶつけているのは痛みで生を実感するため。歌っているのは昔を忘れないためだったかな。もう誰も自覚なんてしてないだろうけどね」


 そこでふと疑問が浮かんだ。


「君は……どれだけの時間ここで過ごしているの?」


 白髪の少女は笑った。


「さあ。ここには時計もないしカレンダーもない。正確な時間なんて誰にも分からないさ」

「……そう」


 何となく白髪の少女の子供らしくない雰囲気について納得した。奇行に走る他の人間の行動原理を知っているということは、少なくとも彼らが壊れていく過程を見守ってきたということになる。閉鎖的な環境で狂気は人から人へと伝播する。おそらく数カ月か数年、それくらいの長い期間それらを見続けながらも壊れずに済んだ彼女の精神はおそらく常人よりも遥かに強い。当然、見た目通りの年齢でもなくなっているのだろう。

 ここに来た時は子供だったはずの彼女がそうならざるを得なかったことに対して、思わず出そうになった同情の言葉を無理矢理飲み込んだ。


「……ここから出る方法を知らないかな」


 代わりに口にしたこの質問の返事を僕は期待してはいなかった。もしその方法を知っているのであればこの子も周囲の人達もここにはいないはずだからだ。しかしその予想を裏切るように白髪の少女は一言だけ告げる。


「一つある」

「え?」

「この世界から出る方法だろう?一つだけあるよ」


 思わず白髪の少女の目を見返す。

 見たことのないような綺麗な紅色の瞳だった。


「そ、それはどんな……」

「塔を登りきることさ」

「塔?」

「そう、塔だ。調べていたのならあの石碑の文字についても気付いているのだろう?運命の塔へはなんとかってやつさ。この世界には唯一の建造物“塔”が存在する」

「そんなもの見当たらないけど」

「まあ見えるところにはないからね。途轍もなく遠い場所に建てられているか、超技術で見えなくしているだけか。ともかく私は実際に一度だけ塔を見たことがあるけど、とてつもない大きさの建物だったよ。地上からだと頂上が見えないほどさ」


 てっきりそう言った文明的な建物はこの世界ではすでに存在しないものだと思っていた。しかしよく考えてみればあの石碑の力はまだ使えている。例の転移のようなテクノロジーを維持する何らかの存在が住む場所というのがあってもおかしくはない。


「重要なのはここからさ。その塔の頂上、そこにはある存在が待ち受けているらしい。どんな存在かはよく分かっていないが、そいつは頂上まで登り切った存在に対してこう言うそうだ。“お前の願いを一つだけ叶えてやる”ってね。噂ではそいつのことを


 ―――神、と呼ぶ奴もいる」


 空気が一瞬止まった。

 あまりにも突飛な内容に碌に反応も返せない。


「なんだそりゃ。神?嘘をつくならもう少しマシな嘘にしろよ」


 そう言う櫃岡の表情は口調のように馬鹿にしたものではなく、真剣そのものだった。


「まあ私自身目で見て確認したわけではないから君の主張を強く否定はできないのだが、実際塔の頂上を目指した者達が塔から戻って来たという話は聞かない。おそらく登り切って願いを叶えたとみるか、死んだか、未だ挑戦しているかのいずれかだろう」

「やっぱりな。適当なこと言いやがって、このチビ!」

「死ぬのは嫌かい?」

「っ!当たり前だろうが!」

「はぁ。私もこんな陳腐な言い回しはしたくないのだけどね。


 ―――死ぬことは救いなんだよ。最初に言っただろう、ここは地獄だと」


 淡々と話す白髪の少女の瞳が僅かに昏く淀む。

 その言葉には確かな重みと諦観が含まれているように感じた。


「だからこそ私も過去、死ぬために塔の頂上を目指した時期があった。が、頂上まで行くにはやる気が足りなくてね。塔の入り口まで行って諦めてこの荒野に帰ってきた。あそこから先は自殺願望だけで行けるような場所ではなかったからね」


 白髪の少女は昔を懐かしむように語った。


「自殺願望って……そんな……。最初は君も元の世界に帰るために挑戦したんじゃないの?」

「塔を探す途中でそんなことは忘れてしまったよ。ふふ、驚いているようだがここで長く生きていると同じような理由で塔へと挑戦する者も出てくるよ。ここでは自殺もままならないからね」

「理解できない。願いを叶えて元の世界に帰ればいいじゃないか」

「君達もそのうち嫌でも理解するさ。それより聞きたいことはこれでお終いかな?そろそろ休もうと思うんだが。なにぶん久しぶりに人と話したものでね。疲れてしまったよ」

「疲れたって……ここでは疲れないって自分で言ってたのに」

「精神的に疲れたってことさ」

「……私達と一緒に来ない?」

「君達は帰りたいのだろう?すると私の目的とは合致しないね。そもそも何も望まぬ私にもう一度塔へ挑戦しろって言うつもりかい?だとすれば無理さ。とてもではないが登れる気がしない。最早私は死ぬことすら諦めているくらいなんだから」


 白髪の少女は最後にそれだけ言ってその場から踵を返そうとする。

 呆然とその様子を眺めていると今までずっと黙っていた代市が口を開いた。


「ちょ、ちょっと待って。最後にこれだけ聞かせてほしいわ。その塔っていうのはどこにあるの?」

「……塔はこの世界のどこかにある正解の石碑に触れることで辿り着くことができるよ」

「その正解の石碑っていうのはどうやって見つければ……その辺にある石碑とは違うってことよね?」

「見た目は同じさ。転移先が必ず塔になるというだけでね。ただ場所は……分からない」

「分からないって……まさか正解の石碑も一定間隔で変わるとか言わないわよね」

「いや、おそらく正解の石碑が変わることはない。私が場所を覚えていないだけだ」

「えぇ……」

「仕方ないだろう。地図やコンパスはおろか、分かりやすい目印もないのだから。もう一度辿り着けと言われても不可能ではないが、虱潰しに探しても大して労力は変わらない。……ああ。とはいえ、途中にある石碑は全て目印が彫られているから石碑を見れば試す前にどれが塔へ転移する石碑かは分かるはずだよ」


 白髪の少女のその発言でようやくあの石碑の下部に刻まれていた文字について理解した。ここに来た誰かが残した日本語で書かれた文字。あれは塔を目指す人へ向けたメッセージだったんだ。


「彫る……それってあの意味不明の言葉のことね?」

「そうさ。あれは塔を目指すヒントになる」

「つまりハズレの石碑にはあの変な言葉が刻まれているってことになるわよね。正解の石碑にはなんて刻まれてあるのかしら?」

「……別に答えるのは問題ないけど、随分と最後の質問が多いね」

「あ、その。お願いできないかしら。どうしても帰りたいの」


 代市が白髪の少女へ必死に頼み込む。

 白髪の少女の言動が子供らしくないというのも影響しているだろうが、最早代市は相手が小さい子供であることなど忘れているようにすら見えた。


「はぁ……。正解の石碑には何も刻まれてはいないよ」

「え、そうなの?」


 余裕の無い代市に白髪の少女は溜息交じりに答えた。

 白髪の少女の言う通りだとすると何も刻まれていない石碑をそのまま正解の石碑と判別することになる。しかし、そうなると……。


「おいちょっと待て。それだとまだ誰も見つけてない石碑があった場合はどうなる。それだと見分けられねえんじゃねえのか。……んだ花野井その顔は」

「いや、別に何でもないよ」


 思わぬ相手から自身の感じていたものと同じ疑問が飛び出した。そのことでつい驚いてしまったが櫃岡の言う通り、もし未発見の石碑があった場合それが正解の石碑に見えてしまうため判別できないことになる。


「おそらく不可能だろうね。だけどあまり気にしなくていい。そんな石碑はもうほとんどない」

「どうしてテメエにそんなことが言える」

「ここ最近は見たことがないからさ」

「ッチ。だからテメエが見たことがないだけであるかもしれねえだろうが!どれだけの石碑があるかなんて分からねえだろ!根拠でもあんのかよ!」

「302071回。何の数字だと思う」

「……なんだ急に」

「私が石碑による転移を実行した回数だよ」

「は?」

「それだけの転移を繰り返したが、文字が刻まれていない石碑が出口になっていたことは一度もなかった。一度も、だ。仮にこの世界の石碑の総数を百万個とした場合、石碑の転移先が正解の石碑以外の石碑からランダムに選出される性質上、何も刻まれていない石碑が百個以上存在する確率はほぼゼロに等しい。つまりあったとしても百万個あるうちの百個以下。これなら十分無視していい可能性だろう。君達の中に天文学的に運が悪い人がいるのであればその限りではないが」


 唐突に始まった白髪の少女の説明は統計的な見地から行われているものだったが、今はそれよりも白髪の少女が行ったという転移の回数に想像が追い付いていない。


「ちょ、ちょっと待ってほしい。転移はどれくらいの間隔でできるものなのかな」

「さあ。さっきも言ったけど時間の分かるものはないからね。私の体内時計に至ってはとても正常とは言えないだろうからその質問に答えることは難しいね」

「……莉杏。確か転移してから一時間くらいは経っているって言っていたよね」

「う、うん」

「それでもまだ莉杏の痣は戻ってない。つまりそれ以上の時間が転移のインターバルには掛かることになる。……それでも君はそれだけ膨大な回数の転移を繰り返したと言うの?」

「そうだよ」

「―――ッ」


 嘗めていた。

 無意識に自分の想像の範囲に収まるように物事を捉えていたらしい。どうやら彼女の過ごしてきた地獄は僕には計り知れないもののようだった。

 302071回。

 先程の白髪の少女のように計算するまでもない。果てしない。あまりにも果てしない時間だ。仮に痣復活に一日程度時間がかかるとすれば……数年、いやおそらくは数百年単位の―――。


 彼女の生きてきた悍ましいほどの時間を想像し、それが自身にも訪れる可能性のある未来であることを恐怖と共に理解させられた。


「なんて……言えばいいのか……」

「私のことは今更どうだっていいことさ。そろそろ行ってもいいかな?」

「とりあえずお礼を言わせてほしい。色々と教えてくれてありがとう。ええっと……ごめん。最初に聞くべきことを忘れていた。これだけ教えてほしい。君の名前は?」

「……自分の名前を名乗るなんていつぶりかな。九十九つくもだ。また会った時に正気なら声でも掛けてくれ」


 白髪の少女、九十九はそのまま地平線の向こうへと消えて行った。あまりにあっさりとした彼女との別れに、呆気にとられつつも僕らは今後どうするかの話し合いを始めることになった。


「いいのかしら、本当にこれで。無理矢理にでも一緒にいた方が」

「で、でも本人にその気がないなら無理ですよ先生。ぼ、僕達だって余裕はないんですから。それにあの子供、ちょっと気味が悪い」

「なんてこと言うのよ!あんな小さい子に!サイテーですよ」

「だ、だって事実だろ!皆もそう思ったはずだぞ!」

「まあまあ二人共落ち着いて」


 僕では火に油を注ぐ可能性があったため、ノリに頼んで二人の仲裁してもらっている間、九十九から得た情報を整理していた。するとノリが何かに気付いたように声を上げた。


「あ」

「ん?ノリどうかした?」

「いや彼女に聞きそびれたことを思い出して」

「何を聞こうとしたの?」

「いやさ。あの子、氏黎の名前を知ってただろ?その理由を聞いてなかったなって」

「あ」


 確かにそうだ。どうして彼女は僕の名前を知っていたんだろう。他に整理するべき情報が多すぎて忘れていた。


「記憶を失う前の氏黎と知り合いだったりしてな」


 その時ノリが呟いた言葉がなぜかやけに耳に残った。



 


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