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あれから彼女と出会う事もなく中学生に上がり、僕はますます一人でいる時間が長くなった。同年代の子達の言動がどうにも幼稚に見えて仕方がなく、それが本当に子供のままな彼等に原因があるのか、僕自身が何事をも冷めきった眼で観ているせいなのかわからなかった。
どちらにしろ、クラスの中でどの女子が好きかとか、ヌードグラビアの掲載された雑誌を皆で回し読みしたりとか、背伸びをして親教師に隠れて火の付いたタバコを口にくわえて喫煙のフリをしたりとか。僕はそんな事に興味すら持てなくなっていた。山高紅緒の存在が、彼女が僕の中での基準になってしまったかのように何に対しても熱を持てなくなっていた。
中学一年生の夏。日本で初めての女性総理大臣が誕生した。強引に数合わせゲームを展開させたような連合与党が誕生し、使い古されたマドンナ議員と言う単語に踊らされていたような主婦層に絶大な人気を誇った女性議員が、本人が望まない形でそのまま内閣総理大臣に任命されてしまったのだ。
選挙権どころか、政治そのものに興味がなかった中学生の僕にはまるで関係のない事のように思えた。しかし社会はこの年に大きな変化を見せた。
国民総背番号制度と呼ばれるシステムがより深く、より実質的に社会に浸透する事となった。二十歳以上の国民にはID番号としていわゆる国民背番号が強制的に配付され、その個人データを住民基本台帳データベースに登録しなければならなくなった。免許証と保険証以外の身分証明書として使用できるIDカードが普及され、そのID番号でいわゆる住基ネットに検索をかければ、誰でも他人の個人データを閲覧できるようになった。もちろん条件付きだが。
その条件とは、どこまで情報をオープンにするか、だった。氏名、性別、年齢は公開必須項目だったが、それ以外は個人の任意で設定できた。ただし警察や国家機関、一部の医療関係はその権限の中である程度自由に閲覧は可能だったが。
そしてもう一つ、国際社会でも非常にユニークだと評されたのが、個人情報の商品化だった。たとえば企業体がある条件で住基ネットに検索をかけたとする。新商品の購買層へ送りつけるダイレクトメールの送付先リストを作成するために。年齢や住所は必須項目として、たとえば特定疾病で病院に入院した事があるか。たとえば一定年収を越える層で、かつ三十代の男性で独身を対象、など。検索条件にヒットした国民は情報を公開し企業が使用する事を許可する代わりに、企業から情報使用料を得る事ができた。まさに個人情報の売買だった。
もっともらしい国政的理由ともっともらしい法案の正式名称があったが、まだ中学生の僕にはまるで影響がなかったので覚えていない。ただ、もし僕がこの法案が適用される年齢に達したら、包み隠さず情報を公開してお小遣いを稼げるか、と考えていた程度だ。
このユニーク過ぎる政策が女性内閣総理大臣のアキレス腱となったかどうかはわからないが、史上初の女性総理はたった七ヶ月の短期政権で政治の表舞台から姿を消した。
しかし、この個人情報を一般公開する動きは消えていなかった。中学生の僕でも、検索対象の氏名がわかればある程度の情報を無料で得る事はできたし、日本国内ですべてをデータ化して記録に残し、この情報を商売へ繋げようとする流れが脈動し続け、きっとこの何年かで日本と言う国が保持していたデータベースは一気に数十倍に膨れ上がった事だろう。
それに気付いた中学生の僕は、学校の授業が終わり、図書部の退屈な図書閲覧室管理活動の傍らに図書準備室の端末で個人情報ばかりを検索していた。対象は、もちろん山高紅緒だ。しかし学校のインターネット端末ではかなり制限がかけられ、しかも履歴ファイルに逐一どの部員が何を検索したか痕跡が残ってしまう。深く情報の海に足を突っ込む時は学校の近くの市立図書館のインターネット端末を使っていた。
不思議な事に、山高紅緒でヒットする情報はなかった。彼女は国民背番号を持っていないのか。いや、あり得ない。教育実習生としての彼女と会っているのだ。間違いなく二十歳は越しているし、正式な大学生として生活していたはずだ。住民基本台帳データベースに登録されていない訳がない。
そこで僕が考えた理由は、偽名だ。山高紅緒と言う名前が嘘の名前ではないか、と。
僕は試行錯誤の末、母校である小学校のデータベースを検索した。僕が小学四年生の時のデータで、教育実習生のリストだ。そのリストの中に間違いなく彼女がいるはずだ。
そしてあっけなく事実を知る。リストには一つの名前があった。山高紅子。一文字違うだけでだいぶ印象が変わるが、彼女に間違いないだろう。個人情報売買制度の影響か、画像データを登録している教育実習生もいたが、残念ながら彼女は画像を乗せてはいなかった。どう言う理由で彼女が別の名前を名乗っていたのかはわからないが、それでもこれで状況はかなり進展した。
当時彼女が通っていた教育大学が判明した。年齢と学年もわかった。今度は彼女の教育大学のデータベースに飛ぶ。もう卒業しているだろうか、それとも大学院や留年などで大学に残っているのか。検索すればすぐにでも彼女にたどり着けるだろう、そう高を括っていたが、そこで彼女の痕跡はぷっつりと途絶えてしまった。
大学内のデータベースに、彼女の名前どころか山高の姓を持った該当人物はいなかった。ここでも別の名前を使っているのか。それとも個人情報を守るために卒業と同時にデータベースから一切のデータを消去してしまったのか。知る由もない。
それでも僕は諦めなかった。大学のサイトや、学内のサークルのホームページが存在している事を知り、それらすべてを閲覧して回った。学内イベントや学園祭、サークル活動の紹介の画像データが多数貼ってあったからだ。それらは膨大な数になった。その中に一枚でも彼女が写っている画像があればいい。彼女が大学に存在したと言う十分な証拠になる。
相当時間がかかったが、僕はついに一枚の画像を探し当てた。川底の泥を丹念にさらい続けてようやく一粒の金を見つけたような気分だった。三年前の学園祭の画像だった。農業愛好会と言うよく訳がわからないサークルのホームページで、どうやら自分達で無農薬有機栽培をしている野菜を学園祭の出店として調理して提供している内容の画像群だった。その中の一枚に、見覚えのある艶やかな黒髪の横顔があった。
ぽつんと、周囲から少し離れて一人でいる彼女。やはり笑っていない。
僕は携帯電話を図書館の端末に繋いで、メモリーカードにその画像をダウンロードした。とても小さな彼女の横顔だが、これで会いたい時にいつでも彼女を見つめる事ができる。
そして、そこで僕は重大な事に気が付いた。愚かしくもようやく気が付いたと言ってもいいだろう。
記憶を遡る。小学生の時の給水塔の上で僕の口に自分のタバコを吸わせた彼女。幼稚園時代の激しい風雨の中を佇む彼女。ショッピングモールで迷子の僕に手を差し伸べてくれた彼女。産まれたばかりの新生児室で僕を見つめていた彼女。
彼女は歳をとっていない。
鮮やかに覚えている彼女の顔。すべて同じ顔だ。携帯の中で見せる小さな横顔も、僕の記憶の中にある彼女の顔も。
教育実習生の時、データ上では彼女は二十一歳だった。遡れば、ショッピングモールで彼女と出会った時、僕はまだ三歳だったのだ。すると、彼女は十二、三歳でなければ計算が合わない。しかし彼女はすでに大人だった。背もすらりと高く、タバコをくわえていた。新生児室で見つめた彼女は、単純に計算すれば十歳前後になる。あり得ない。彼女はすでに今と同じ姿形をしていた。
僕はこの現象を理解できなかった。巡る思考がぴたりと止まり、僕自身の歴史を構築するはずの記憶を疑ってしまった。
彼女は歳をとっていなかった。