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ネクストロン計画が本格始動した。ネクストとトロンをかけ合わせた造語だ。トロンとは1980年代に始まった分散コンピューティングプロジェクトで、要はOS制御によるコンピュータネットワークアーキテクチャの構築だ。そしてネクストロンは仮想現実空間を利用したネットワークデータベースの構築、つまりサイバースペースのデザインプロジェクトだった。
そのメインプロジェクトが人格の電脳化。AIを越える人間そのもののコンピューティングシステムのデザイン。生きている人間の電脳化はさまざまな方面から、主に倫理的理由で、反対意見が強く押し出されていた。それならば、と死んだ人間の電脳化が試験的に行われた。今度は宗教的理由で反対意見が噴出したが、そこは宗教と政治が切り離された日本が発動させた計画なので、うやむやのままいつのまにか計画は進行していた。
死んだ人間の電脳化。解りやすく言うと、故人の思い出をデータベース化された仮想空間で再現する計画だ。並列処理された対話型コンピュータによる人格エミュレーションで、つまり、サイバースペースで死んだ人間と会って話ができるのだ。
紅緒が、母を人格エミュレーションにかけたらどうか、と言ってくれた。
母が死んだ。風邪をこじらせ、肺炎であっけなく亡くなったと聞いた。九十六歳だった。よく笑う人で、友達も多かった。二十代のままの僕は息子と名乗り出られる訳もなく、こっそりと葬式に参列した。友人達が華やかに賑やかに母を送ってくれた。父の時と同じく、やはり悲しいと言う感情は沸いて来なかった。ただ、これで僕を知る人間が一人もいなくなってしまい、置いてけぼりを食らったあのショッピングモールで味わった冷たい孤独感を思い出した。
紅緒の薦めもあり、サイバースペースにおける人格エミュレーションの試験運用テストのサンプルケースとして応募してみた。
死者の人権を守れと意味のわからない反対運動が未だに巻き起こる中、蓋を開けてみればものすごい倍率で、僕は抽選に外れた。
今思うと、かえって良かったかもしれない。あまり親孝行してやれかったから、サイバースペースにいる母と会っても、きっと笑って嫌味を言われただろう。ああ、死ぬ前に孫の顔が見たかった、とか。
紅緒が僕との子供を欲しがったのは、人類初の月面での出産のニュースが地球を揺るがした頃だった。ルナチャイルドと呼ばれた世界で最も有名な赤ちゃんは、月面都市に常駐する月面開発作業員のカップルの子で、地球規模でのベビーブームを引き起こした。正真正銘の地球外生命体の誕生、とまでもてはやされたが、すぐに第二、第三のルナチルドレンが産まれ、月面都市はようやく人が安心して住める空間となったようだ。
僕と紅緒の共同生活は相当長かったが、それはプラトニックなものだった。膨大な時間の流れは人間本来の持つ動物としての本能すら鈍らせるようで、考え様によってはもはや子孫を残す必要もなくなった僕と紅緒は唇を交わす程度の愛情表現なら重ねていたが、身体を結び合わせた事はなかった。そういう気持ちがお互いに沸き上がる事がなかったからだ。
照れているのか頬を赤く染めて、子供が欲しいと言う紅緒。この人も女なんだなと実感した。
だけど、僕と紅緒の間に子供は出来なかった。
それが正解なんだろうと思う。もし二人に子供が生まれたとして、その子はどう成長していくのか。自らの意志を泣く事でしか伝えられない赤ん坊のまま永遠に生きるのか。それとも、すくすくと成長していつのまにか歳を取らない父と母を追い越し、若いままの姿の両親に看取られて老衰して死ぬのか。子供はそれに耐えられるのか。僕達はそれに耐えられるのか。
それでも僕と紅緒は愛し合ったが、やはり子供はできなかった。僕と紅緒は自然の摂理に反して生きている。これくらいの罰は受けて然るべきなのだろう。
そして、僕は紅緒に結婚を申し込んだ。もはや彼女と一緒に暮らしてどれくらい経つのか数えていない。それでもこのタイミングしかないと思い、気取った台詞も胸がときめくようなセッティングもなしにプロポーズした。
なんで今頃、と不思議そうに僕を問い詰める紅緒。僕は彼女に一枚のアドフィルムを見せた。複数の多国籍複合企業体と幾つかの巨大連合国家が出した広告のフィルムだ。
それを見た彼女は、僕を見つめ、アドフィルムに目をやり、僕を眺め、フィルムを読み、僕を睨んだ。
結婚したいのはこの募集要項のせい? それともわたしを愛しているから? 彼女は鼻と鼻がくっつきそうになるくらいまで僕を睨み付けながら迫って来た。
しまった。作戦を間違えたかも知れない。
次回、最終話です。






