キヲク=リフレイン
ここは何処だろう。僕は誰だろう。
気付けば僕はずっとその場で立ち尽くしていた。
目の前には一本の道、周りは奥も見えない程に深々と続く森、この道を進まないと出ることは許されない。
そんな風に言われているようにも思う。
だから僕は歩を進める。
一体ここには何があるのだろうか。
何があって僕はこんな場所に居るのだろうか。
そんなことを思う。
まるで頭の中は空っぽ、どうやら僕は……――記憶喪失のようだ。
どうしてこんな道を歩いているのだろうか……。
ずっと歩いて、ずっと進んで、何も変わらない景色。
だけど確かに進んでいたらしい。
足元に綺麗な石の欠片が落ちていた。
それを左手で拾い上げると頭がピリッ、と痛んで変化が起こる。
『アノニエ』
頭に浮かんだその言葉は水が染み込むように全身に染み渡る。
アノニエ。それは、聞き馴染みのあるその言葉は、僕の名前だ。
僕は走った。
もしかしたら他にもさっきみたいな石の欠片があって、何かを思い出すかもしれない。
僕は思い出したい。
僕が何者だったか、どうしてここに居るのか――。
「あった…!」
石の欠片はまた転がっていた。
左手で拾い上げて握り締める。
ピリッと再び頭痛がして頭に浮かんだのは…両親の顔だった。
頭髪を整え厳めしくも優しい父とふわりとした髪が綺麗な母、紛れもない両親の姿だ。
だけど今僕の周りには誰も居ない。
どうしてこんなことに?
僕が好きな両親は一体どこへ?
次の欠片を求めて僕は道を進んだ。
僕が好きな事、共に笑いあった友人、苦手な事、何度も苦しんでもなお繰り返した趣味、欠片を拾い上げれば拾い上げる程僕はどうしてこんなことも忘れていたんだと落胆する。
僕の描いた絵は拍手を受け、僕は画家で絵を描いては展示して貰っていた事を思い出した。
大切な物は沢山あったのに。忘れてはいけない事も沢山あったのに。誇れることすらも忘れていたのか。
友人に祝福をした。恋人が出来て幸せに浸っていた。両親はずっと傍で笑い合っていた。
全て僕にとっては大切な記憶だったのに、忘れてはいけなかったのに。
目からはぼたぼたと涙が零れ落ちて、ここから抜け出さないといけないと胸に誓う。
だから僕は……欠片を探し続けた。
歩き始めてから、どれだけの時が経ったのだろう。
歩き始めてから、どれだけの欠片を拾い上げただろう。
歩を進めて、進めて、拾い上げて、進めて、行き着く先もなく目の前には欠片が転がる。
まだまだ覚えてない事はあるみたいだ。
僕は石を拾い上げる。
すると心臓が大きく跳ねて、信じられない光景が脳裏に鮮明に映った。
父と母が目の前で倒れていた。
病気だった。
そうか、僕は父と母を既に失ったんだ…。
更に走って次の欠片を拾えば笑いあった友人は目の前から消えていた。
いつまでも夢を追う僕は見限られたのだ。
次の欠片を求めて走れば右腕が動かなくなった事実を思い出した。
利き手を失った僕が絵を失えば当然職を失ったも同然だ。
あんなに好きだった絵画が二度と出来ない?そんな、バカな。
嘘、だろ?こんなの、信じたくない。
信じたくないからこそ、次の欠片を求める。
次に見た欠片は恋人すら泣きながら姿を消してしまった記憶だった。
『貴方を支えることは出来ない』
彼女から言われた言葉は重く圧し掛かって、手を取るように僕から何もかもが失われて消えていくのが分かる。
拾い上げた砂が指の隙間から流れ落ちていくみたいに僕は失っていくんだ。
なんて、辛くて、悲しい。
僕はこの先を進むことは出来ない。
未来に向かいたくなんてない。
足は自然と後ろに向いて、ゆっくりと歩き始める。
最初に唯一の支えだった彼女を忘れた。
次に何でも描けた自慢の腕を忘れた。
ずっと一緒だった友人を忘れた。
病に倒れて死んでいった両親を忘れた。
展示された絵画を、夢を、誇らしげにしていた家族・友人・恋人の存在を忘れた。
一本の道を歩き続けて、道を辿るように記憶を捨てて、僕は振り出しに戻っている事も気付かず進む。
最後に名前を忘れた。
目の前の道は途絶えて、振り返る。
ここは何処だろう。僕は誰だろう。