それぞれの献身
それから程なくして。俺たちは巡行の最初の目的地に到着した。チザーレ中央部から少し西に外れた場所に位置する、小高い丘の上に位置する商業都市・グアンチャル。前大公が商業化のモデル都市として整備した都市だが、現在では東部避難民の受け入れ先として巨大な仮設住宅街が形成され、数万人もの避難民が戦争の終結を待ち望んでいる。
「大公殿下、グアンチャル市長がお会いしたいと申し出ています」
「分かった。すぐに行こう。公女殿下は……」
「私は避難された方の下に行きたいです」
「そうか。護衛の兵を回そう。シルパス少佐、手配を頼めるか?」
「はっ、お任せを」
グアンチャルの直前で民兵隊と別れた俺たちは大公護衛隊を従えて市内へと入り、そこで二手に分かれることにした。俺はグアンチャル市長と避難民に関する諸課題などの話し合いに、クレアは避難民への慰問へと。
「では行ってまいります」
「くれぐれも無理はしないように。用事を済ませたら俺もすぐに向かう」
「分かりました。それでは後ほど」
「あぁ。行ってらっしゃい、公女殿下」
クレアを送り出した後、俺は市長が待つ市庁舎へと足を運んだ。市の役人の案内で市庁舎の中に入り、最上階にある市長室へと通される。部屋に入った俺を出迎えたのは、白髪交じりの紳士であった。彼は執務机の隣で立っており、俺の姿を見るなり深々と礼をする。
「グアンチャル市長のレナート・ステファノと申します。大公殿下、このような場所までご足労いただき、拝謁の栄誉を賜りましたことを光栄に存じます……」
「堅苦しい挨拶は結構だ、市長。早速だが本題に入りたい。ここは多く東部からの避難民を受け入れ、それ自体には俺からも深く感謝を言いたいのだが――それに伴って、どのような課題が生じているのか、彼ら避難民は、あるいはそれの対応に当たる汝ら行政府の人間は何を欲しているのか、簡単にでいい。伝えて欲しい」
「はっ、承知いたしました」
老紳士、ステファノ市長はそう答えると、机の中から資料を取り出し、俺の前へと差し出した。目を通すと、既に俺が要望していたような内容が詳細に記されていた。第一の課題として挙げられていたのは――言うまでもないようなことかもしれないが――物資不足。食料だけではなく、衣料品や日用品、更には火おこしに使う石炭といった燃料までもが慢性的な不足に陥っている。秋の間は致命的な事態に陥ることは考えにくいが、冬になって気温が低下し、降雨量が増加するようになるとこれらの不足がより深刻な課題になる。
第二の課題は、治安維持である。現在は不足しているとはいえ必要最低限の食料供給が確保されており、まだ避難生活が始まってそこまで時間が立っていないことからある程度の秩序は維持されているが、もし仮に餓死者などが生じるようになれば、連鎖的に物資の供給が途絶えることに対する恐怖が伝播し、窃盗などの犯罪増加、更には暴動などの手の付けられない事態に発展する恐れがある。
第三の課題は衛生的な問題。元々の人口をはるかに上回る避難民を受け入れたことで、社会インフラは既に限界を呈し始めており、特に衛生的な面でそれが顕著であるとのことだ。時代背景を考えれば驚くほど衛生面の技術が発達し、屎尿や廃棄物を利活用する仕組みがある程度存在しているチザーレとはいえ、流石に急激な人口増加に対応できるだけの強靭性を持ってはいないようだった。衛生環境の悪化は感染症の流行に繋がり、そして感染症による傷病者の増加は前述した恐怖の伝染に繋がりかねない。
「少なくとも、現在はなんとかギリギリで安寧を保っているという理解で大丈夫か?」
「その通りでございます、大公殿下。当然我々も尽くせる手は全て尽くしているつもりですが、それでもそこの資料に記したような課題は避けることが出来ないと我々は考えております」
「恐らく卿らの危惧は正しい。食料供給だけを考えていたのは愚策だったな、反省せねばならん」
自省を込めてそう呟く。前世で何度も何度も見た避難所の映像は、目の前にいる市長の危惧がきわめて正確なものであることを告げていた。食料のことばかり頭にあった自らの視野の狭さと記憶力のなさを内心で戒めつつ、俺は考える。物資の手配を在チザーレの公爵領商館を通じて打診すること自体は可能だが、恐らくは対症療法にしかならない。
根本的な問題として、長期戦となれば全てが崩壊していくことになる。如何に戦争と生活が直接リンクしないとはいえ、あるいはルーデンドルフがいないこの世界だとしても、小国にとっては如何なる戦争も国家総力戦となり得る。
この戦争がどう転ぶにせよ、奇跡が起きてカルニラ軍が丸ごと消滅しない限り、どう少なく見積もっても数ヶ月は避難生活を続けさせてしまうことになることになるだろう。俺はそのことを念頭に置きつつも、市長に向き直った。
「それで、この冬が一つの山場になるであろうことは想像に難くない。必要な物資がどの程度かなどの試算は出来ているのか?」
「はい。現在までの消費量などからある程度試算は出来ております。こちらが向こう数ヶ月分の必要物資量です」
「用意が良い、実に助かる」
本心からそう呟く。既に用意がされているというのなら話は早い。流石は前大公がモデル都市の市長を任せた人材というべきか。俺は差し出された書類を手に取り、それに目を通す。要求を頭に入れ、それを後ろに控える随行の役人に手渡した。
その後はステファノ市長に案内されて市庁舎を出て、市内への視察へと向かった。
――――――――――
ハンスがステファノ市長と話し合いをしている間、クレアは避難民の慰問のために仮設住宅街を訪れていた。仮設住宅と言っても、家なしの状態に民を置くことだけは避けなければならないということが至上命題とされた、最低限雨風を凌ぐことが出来る小屋を大量に設置したもので、その状況はお世辞にも良いとは言いがたかった。
「これは……」
クレアは目の前に広がる光景に思わず言葉を失ってしまう。床に寝転がり、虚空を見つめながら時折ぼそぼそと何かを呟き続ける老人たち。恐らくは出征しているのであろう――親の帰りを待って不安げに肩を震わせる子供たち。漂う空気も重く、どんよりとした雰囲気に包まれ――衛生環境が悪化していることを示すかのように、不快な臭いが鼻についた。
「……ッ」
思わず顔を背けたくなるが、クレアはグッとそれを堪えた。ここで目を背けるような人間は、彼らの苦しみを癒すことなど出来ないと彼女は確信していた。いつも宮殿の中で閉じ籠っていた自分を変えるために、ハンスは自分を西部へと連れてきてくれたのだ。彼の期待に、配慮に、ここで応えなくてどうする。そう考えた彼女は毅然として避難民と向き合うことに決めた。
市から派遣された役人によって先導され、クレアは一歩また一歩と住宅街へと足を進める。周囲を固める護衛兵の物々しい雰囲気を感じ取ったのか、避難民たちの視線がクレア達へ集中する。
「公女殿下の御なりである!」
既に彼女が来ること自体は知らされていたのか、クレアを前にした避難民の動揺は少なかった。彼女を見つめる視線には羨望や畏敬の色こそあれ、侮蔑や嫌悪の感情が含まれていないことを見て取り、クレアは少し安堵する。慌てて平伏するもの、何が起きているのか理解できず周囲の大人に頭を押さえられて平伏させられるもの、反応は様々だが、総じて彼らはクレアが彼らの空間に踏み込むことを許容していた。
「では公女殿下、よろしくお願いいたします」
「……はい、分かりました」
役人に頭を下げられ、クレアは覚悟を決める。ここで一歩踏み出すのだ。役人に頭を下げられ、クレアは覚悟を固めた表情で頷いた。慰問とは単に民を慰めるために行うものではない。彼らの実情を知り、彼らの本音を吸い上げる、これこそが目的なのだ。
クレアは護衛兵の前に進み出て、民たちの前に歩み出ると、努めて明るい表情を作った。あまりにその場の雰囲気に不釣り合いな存在であることは理解しているが、せめて自身だけでも明るく振舞うことが、彼らの救いになるはずだと彼女は信じていた。
「まさか公女殿下にお会いすることが出来るとは……神に、感謝を」
「い、いえ。私はそのように頭を下げられるようなことはしていません、どうか頭を上げてください」
街を歩いて数十分が経ち、クレアは年老いた男性の前に立ってその話を聞いていた。彼は元々カルニラとの国境に近い東部の貴族領で農業を営んでいたようだが、今回の戦争で西部へと避難を余儀なくされ、事実上の世帯主となっている長男を置いて、孫や義娘を連れてグアンチャルへとやってきた。次男は志願兵として前線に行っているとのことで、彼らは戦争が終わるのを信じて待ち続けているという。
「……息子さんのことは心配ですよね」
「確かに心配です。ですが、不思議と不安は感じておりませぬ。息災であることを祈るばかりです」
「それはまた、どうしてでしょう?」
クレアは老人に優しく問いかける。老人は少しだけ逡巡した様子を見せた後、小さな声で『この国が必ず勝てると信じてるからです』と答える。思わぬ回答が返ってきてどう返すべきかと戸惑うクレアに対し、彼は言葉を更に続けた。
「私も長年東部に暮らしてきて、カルニラがどのような国なのかは重々承知しております。あのような国に負けることなどあり得ない、そう思えてならないのです」
「それは、何故でしょうか?」
「簡単なことです。私は何度も国境から逃れようとする民が、カルニラの警備隊によって撃ち殺されるのを見たことがありますし、稀にうまいこと逃亡できた民を匿ったこともあります。難しい政治の話はよく分かりませんが、彼らは口を揃えてこう言います。『あの国は軍人でもならない限り生きていく希望が見いだせない』、と。それだけ国全体で追い詰められているわけですな」
「カルニラは、戦争に耐えるだけの体力がない、と?」
クレアの言葉に、老人は頷く。カルニラがどういう国かは、戦争が始まる前にハンスから教えてもらったこともあり、クレアもある程度知っていた。
あまりに過酷な政治を行っていると聞き、彼の国の支配下で暮らす民に同情の念を抱くと同時に、反乱の一つも起きていないというのを聞き不思議に思ったものだ。ハンスは国力比で考えればあまりにも巨大化した軍隊と警備隊が事実上の監視国家を形成している、と言っていたが……
「お姉さん綺麗な人だね!」
「え!?」
そんなことを考えていると、突然甲高い声がクレアと老人の間に割り込んだ。驚いてそちらを見ると、そこには10歳程度の少年の姿があった。彼は目を輝かせながら、クレアのことを見つめている。後ろに立っている護衛兵の空気が若干ピリつく中、クレアは手を以て彼らを制し、屈みこんで少年に目線を合わせて微笑んだ。
「ありがとう。君の名前は?」
「僕、アル!お姉さんは?」
「……私はクレアっていうの」
「クレアお姉さん!すごく綺麗なお洋服だね」
「そう、かな?」
クレアは少年の勢いに少し押されながらも、なんとか笑顔を浮かべて応対する。ハンスに言われてあまり派手ではない服装を選んできたつもりだったが、一般的な視点から見れば、クレアの服は十分華美なものに見えてしまうのだろう。少年に悪意は全くないようだったし、服装を――お世辞や社交辞令を抜きにすれば――褒められることというのはあまりなかった彼女にとって、純粋な賛辞というのはどうにもむず痒かった。
「うん、お姉さんも服もすっごく綺麗。お姫様みたい!」
目を輝かせながらそう言う少年に、クレアはクスリと笑った。この少年に対して、自分が本当にお姫様だと打ち明けたら、いったいどういう反応をするだろう?
「ふふ、ありがとう。私ね――実は、お姫様なの」
そう言ってクレアは少年に対してウインクして見せた。それを聞いた瞬間、彼はしばらく硬直し、目を何度もぱちくりさせた。恐らくはそこで周囲の大人たちが異様な空気に包まれている理由を理解した彼は、口をわなわなとさせながらクレアのことを見つめた。
「あ、あぁ、あの、僕……」
「びっくりした?」
慌てた様子の少年に、クレアが微笑みながら言う。ピリピリしていた周囲の人間たちも、二人のやりとりを見てクスクスと笑みを零し出す。少年少女の微笑ましい光景に、重かった周囲の空気は少し和やかになっていた。少年の顔は真っ赤であり、何かを言おうともごもごと口を動かしている姿が何とも可愛らしかった。
「公女殿下、お戯れはほどほどに。まだ殿下の御来訪を待っている民は多くおります」
「分かっています。少佐、もう少しだけ時間を頂けませんか?」
「……殿下がどうしてもおっしゃるのなら」
「ありがとう」
シルパス少佐の声に対しクレアは少しの猶予を求め、再び少年の方へと向き直る。もはや彼女と目線を合わせることすらままならない様子の少年に、クレアは顔を近づけ――
「……!!」
「綺麗って言ってくれてありがとう。またね」
彼の頬に小さく口づけをした後、クレアは立ち上がる。そして、呆然とした様子の少年と、顔を真っ赤にする母親たちに背を向け、彼女は歩き始めた。
歩いている最中、シルパス少佐がクレアの横に立ち、複雑な表情を浮かべながら話しかける。
「公女殿下、いくら殿下とはいえあのような行為は戯れが過ぎます。公衆の面前で、あのような……」
「そう、ですよね。申し訳ありません、少佐。もう少し自分の立場を自覚するべきでした」
「いえ、それもそうなのですが」
「……?」
何かを言いづらそうにするシルパス少佐に、クレアは思わず首を傾げる。一体何を言おうとしているのだろうと彼女が疑問に思っていると、十数秒の逡巡の末に、彼は意を決した様子で口を開いた。
「男というものは夢を見るものなのですよ、殿下。そして――一度見てしまった夢は、無自覚に男を縛り続ける。……一人の少年の心を、殿下は縛り付けてしまったのです」
「……」
シルパス少佐の言葉に、クレアは顔から火が出るような思いだった。その後、彼女の歩く速度が明らかに上がっていたことは言うまでもない。




