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方針転換

「遠路遥々よく参られた、チザーレの親愛なる人々よ」


 離宮に到着した使節団は、玄関をくぐるなり盛大な歓待を受けた。数十人の軍楽隊による演奏をバックに、煌びやかに着飾った女中や小姓らの姿に、使節団の面々は離宮内部の絢爛な内装も相まって、気後れするような少しばかり居心地の悪い緊張感を感じていた。


 宮中行事を担当する官吏によって待合室に通され、レルテスらは会談前の最終調整に入った。


『まず、事前打ち合わせの内容を確認しよう。まず第一に優先されるべきは、大公殿下の安全および公国の安寧である。これについては、皆異存はないと思う』

『その通りでございます。我が国に仇なしかねないものを招き入れることだけはあってはなりません』


 レルテスが見せた走り書きに対して、ボルジア伯が同じように文字を書いて返答する。部屋の中にいる使節団員は、例外なく紙とペンを握っていた。


 盗聴の危険性があるため、最終調整は会話を最低限にし、筆談で重要な打ち合わせを行うことを事前に取り決めていた。ヴィルヘルム皇子派が駐留軍に対して工作を行っているのならば、当然その話し合いにやってきた使節団に対しても何かしらの干渉を行ってくることは想像に難くない。


 と、いうよりも宮殿の応接室などの壁の一部を薄くしてそこに盗聴用の小部屋を作り、情報を盗むといった手段が横行している以上、自分たちが知らない場所では基本的に筆談に頼るというのが政治家にとっては常識となっている。


 少しでも危険性を減らし、手の内を見せずに会談に臨むため、彼らは出来得る限りの警戒を行っていた。


『ロレンス公爵閣下からの情報を使えるでしょうか』

『話の流れ次第だ。出すタイミングによっては彼が情報漏洩の責を問われかねない』

『了解しました』

『"チザーレに最も近く、有事の際の連絡に最適である"などの軍事的合理性の点から攻めるのはどうでしょうか?』

『一考の価値はある』


 会談までの僅かな時間で、使節団に同行している軍務府や財務府の官僚らによって会談に向けた書類が作成される。彼らは実際の会談では席に着かず、レルテスやリーグ伯、ボルジア伯といった実際に会談を行う閣僚の後ろに控えて彼らの補佐役として振舞う。


 十数分後、一先ず仕上がった資料が各閣僚へと渡され、会談までの準備は整った。


 ちょうどその時、扉が開き部屋に案内役を務める官吏が入ってきた。帝国側の準備が整ったことを告げる彼の言葉を聞き、その場にいた全員が立ち上がり、レルテスを先頭に部屋を後にする。


 会談を行う会議室は、待合室からそれほど遠くはなかった。室内に入った瞬間、先ほどの絢爛な内装とは打って変わって落ち着いた雰囲気の調度が目に入った。流石に帝国と雖も、真剣な会談を行う場所の内装は落ち着いたものとするらしい。


 会議室の中には、使節団とほぼ同じくらいの人数の官吏が詰めており、ピンと張った緊張感が室内を支配していた。室内には中央に大きな楕円状の机が一つ置かれ、既に帝国側の閣僚らが着席していた。


 使節団が入室すると彼らは立ち上がり、彼らを迎えた。


「丁重なご歓待に感謝いたします。帝国訪問使節団長兼チザーレ公国宰相のレルテス・バロンドゥと申します。本日の会談が実りあるものになることを願っております。よろしくお願いします」

「遠方よりよく参られた。皇帝陛下の名においてこの会談の全権を委任されている、アルマニア帝国中央軍務卿のアルノルト・ホラーツ・フォン・フェルンバッハである。本日はよろしく」


 レルテスは帝国側の責任者であるフェルンバッハ公爵に握手を求められ、それに応じる。それから数分、自己紹介や若干の雑談を交えた後に、両国の責任者が着席し会談が始まる。


 まずは帝国側の司会者によって事実関係の確認等が行われ、その後に本格的な話し合いが始まった。


「――まず申し上げておきます。我々チザーレ公国は貴国による駐留軍の派遣()()は我が国の安全保障という観点において歓迎するべきものであり、既に我が国では駐留軍の受け入れ準備を行っております」

「それは喜ばしいことですな。煩雑な手続きは事前に済ませるに限りますから」

「全くですね」


 表面上は和やかな雰囲気で会談は進む。しかし、それは()()議題が両国間で暗黙の合意がなされている『帝国軍の駐留自体を認めるかどうか』というものであるから。ここから先――『どの部隊を』駐留させ、『どの程度』負担を双方が負うのかという議題となれば、この雰囲気は一気に冷え込むであろうことは想像に難くなかった。


「軍務卿閣下、この議題については合意が取れているようです。それでは次に、『駐留部隊の仔細』について使節団の方々に説明を私の方からさせていただけませんでしょうか?」

「そのようであるな、ロレンス公爵。それでは貴殿から説明を」


 ロレンス公爵による、機転の利いたタイミングでの申し出に使節団は一様に心中で大きく安堵の息を吐くと共に期待を抱いた。彼が説明を行うということは――彼の指揮下にある、レゲンスバーグ公爵領軍から駐留部隊が抽出されるということを意味する可能性が高い。


 最悪そうであれば財政上の話は最大限の妥協をしてもよいと合意した以上、ここで会談の主目的は果たせる可能性が出てくるのである。


「それでは、まず駐留軍の規模は先に駐チザーレ大使のヘンネフェルト男爵より伝えられていると聞いておりますが――歩兵3個大隊と騎兵1個大隊、併せて3500人程度。部隊については――地理的な近さと有事となった際の連絡が容易であるため、我がレゲンスバーグ公爵領軍と周辺の諸侯領より抽出した歩兵3個大隊、及び――()()()()殿()()()()()()()()()により彼直属の第3近衛歩兵連隊より抽出された騎兵1個大隊を併せて駐留軍とすることが既に合意されています。部隊の配置については、後に我が領から派遣する駐留軍司令官と協議していただきます」


 ほぼ期待通りの答えが返ってきたことに、レルテスは心中で拳を握り締めそうな勢いであった。


 恐らくは政治的妥協の末としてヴィルヘルム皇子の意思に従う部隊も駐留軍に加えざるを得なかったようではあるが、それでも部隊の大半を占める歩兵部隊はレゲンスバーグ公爵領、もしくはその意向に大きく影響されるであろう周辺諸侯領の軍である以上、下手に動くことは出来ないはずだ。


 駐留軍司令官も彼の言によれば公爵領軍の人間であるとのことなので、ヴィルヘルム皇子派の部隊を戦略的重要拠点から遠い場所に配置するといったことも恐らくは可能であろう。会談の目的はほぼ達成できたようなものだ。


「……なるほど、ボルジア軍務卿、卿はどう思う?」

「私としては異存はありません。軍事的合理性を鑑みた際にロレンス公爵閣下配下の部隊というのは、これ以上に頼りになるものはありませぬ。第3近衛歩兵連隊についても、勇名はこのチザーレにまで響いております。そのような部隊が駐留したならば、チザーレ公国を守るのにこれ以上心強いものはないでしょう」

「私は軍事には少々疎いですが、それでも軍務卿の仰ることは尤もかと」


 レルテスの問いかけに対して、ボルジア伯はレゲンスバーグ公爵領軍だけではなく第3近衛歩兵連隊についても少し過剰なほどに評価し、リーグ伯もそれに同調する。


「……我々としては、その部隊選定に全く異存はありません。貴国の極めて合理的でありなおかつ我が国への配慮も十全に行われた選択に使節団を代表して深くお礼を申し上げます」

「それは何より。それでは、次は――負担の話、ですかな」

「……そうなりますな」


 レルテスがリーグ伯の顔をちらりと見ると、彼が微かに頷いたのが確認できた。


 妥協をしてもいいとはいえ、なるべく財政負担を抑える形で交渉を成功させるというのも彼らの負った任である。レルテスは自らの任を全うすべく、口を開く。


「それについては、我が国よりいくつか提案がございます」

「ほう、それは?」

「まず前提としてご理解いただきたいのは、我が国は現在内乱からの復興や国境警備等にかかる経費によって、財政状況が非常に厳しいということです。あまりに過大な負担は、我が区の財政を極めて圧迫し――場合によっては財政破綻、という可能性すらあることをご留意いただきたい」


 レルテスは『財政破綻』という言葉を強調しながら自国の立場を説明し、続けて提案の中身に入った。


「……その前提を置いた上で、提案について説明させていただきます。まず、一口に駐留費と言っても、駐留軍兵士および基地において働く我が国の労働者に対する人件費、物資等の補給に関する費用などが挙げられます。そして、我が国の1つ目の提案としては――我が国の労働者に対する人件費については我が国が負担する代わりに、それ以外の全ての費用を貴国に負担していただく、というものであります」

「宰相閣下はご冗談が好きなようだ。自国を守る軍隊に対する対価を一切提供しないとは、些か笑えない冗談であるがな」


 明らかに拒否されるであろうことは分かっていたとはいえ、実際に吹っ掛けてみると帝国側の人間の顔が一気に険しくなるのがレルテスには見て取れた。


 武人らしい厳つい顔つきをしたフェルンバッハ公爵の目が明らかに笑っていないのを見て身が竦み上がりそうになるのを抑え、レルテスは口を開く。


「……あくまで、1つの提案であるということをご理解いただけますと幸いです。次に、物資補給を我々が担い――かつての駐留軍に対して請求していた基地使用料を免除する代わりに、人件費のみを負担していただくというものになります。我々の試算では、この場合の貴国の負担はおおよそ4割、我が国の負担は6割となります」

「先ほどの提案と比すれば、遥かに検討するべきであるといえるな」

「そう言って頂けると、助かります」


 想定通りの流れに、レルテスは内心胸を撫で下ろす。無茶苦茶な提案を出してから本命の案を出すことで相対的に本命案を魅力的に見せるという策は、現時点では成功であるように思えた。


 その後も会談は進み、2時間に及ぶ話し合いの末に第三案として持参した『駐留軍兵士に対する人件費以外を負担し、建前上は駐留軍はチザーレの統治機構の下に置き、駐留軍司令部を含め駐屯地はチザーレ領として扱う』という提案を修正したものを帝国側で再検討するという結論で交渉は妥結しようとしていた。


「……我が国の事情を理解していただき、感謝の念に堪えません。この度は貴国との交渉の場を設けていただいたこと、改めて深くお礼申し上げます」

「こちらこそ、実りある会談となったことをうれしく思います。一度軍務省の方で検討するゆえこの場で確約することがかなわないのが心苦しいところではあるが」


 レルテスは差し出されたフェルンバッハ公爵の手を取ろうとした。


 その時であった。不意に会議室の扉を開け放たれる。会議室にいる人間が一様に扉の方へと視線を向ける中、息を切らせながら血相を変えた官吏が入室してきた。部屋に入るなりその官吏はフェルンバッハ公爵に駆け寄り、耳元で何事かを呟く。フェルンバッハ公爵の表情に焦り、それとほんの僅かな驚きが浮かぶのを見て取ったレルテスは直感的に不穏なものを感じ取った。


 程なくして、レルテスはその直感が正しかったことを理解することになる。話を聞き終わったフェルンバッハ公爵が、レルテスの方に向き直って告げた。


「――バロンドゥ宰相閣下。今しがた、皇帝陛下の勅命によって、『駐留軍派遣を直ちに中止せよ』という命令が下されました」

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