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『観光客』

「……ヴィルヘルム、ヴィルヘルム。全く、彼は我が国にとっての疫病神のようなものらしい」


 俺は目の前のカップに手を伸ばし、そのまま中身をグイっと飲み干した。作法としてあまり褒められたものでないのは百も承知だが、こうでもしないとこのやり場のない感情をどうにかすることが出来そうになかったのだ。


 侍従を呼んで茶を補充させ、もう一杯飲んだところでようやく少し気分が落ち着いた気がした。


「すまない、少し取り乱した」

「心中お察しいたします、殿下。続けても?」

「……ああ、頼む」


 リリーの言葉に、俺は頷いた。もう顔すら覚えてるか怪しい遠い親戚にここまで胃を痛くさせられるとは、いったい誰が想像出来たか。俺ですらこうなのだから、普段からバチバチにやり合っているであろう皇太子オスカーの心労は――推して知るべし、といった所であろうか。


「では。最近、カルニラの高官――具体的に言えば外交を担当する側近や、カルニラ侯その人が我が領を通行して帝国領へと向かうことが多くなっております。当然ですが、これは極めて異例なことです」

「わざわざ身の危険がある辺境伯領を通って帝国領に……確かにそれは何かあると勘繰らざるを得ないな」

「……一応申し上げておきますが、我々はあくまで私情よりも国際的な儀礼を優先します。仮に我が領民を殺し、略奪を働いたならず者であろうとも正式な手続きを経た上であれば領内での身の安全は保障する。そこはご理解いただけると幸いです」


 半分冗談、半分本気の言葉に対し、リリーは少しトーンを落とした声で返答した。その声に本質的な恐怖を覚え、俺は慌てて弁明し、話の続きを促した。


「……しかし、流石に我々もそのまま素通しするわけにはいきません。カルニラ高官に対して尾行を付けたところ、彼らの行き先はどの場合においても同じでした」

「その行先というのが、ヴィルヘルムに関係がある場所であると」

「その通りです。彼らの行先は、諸邦連盟(我々)が分析する限りにおいてヴィルヘルム皇子派と目される東部諸侯、ランツァウ侯爵の邸宅でした」

「ランツァウ侯爵……」

「帝国陸軍東部軍の長老、マリアン・エッカルト・フォン・ランツァウ侯爵。代々帝国軍に仕えた武門の家で、東部軍だけでなく帝国軍中枢にも大きな影響力を持つ人物です」


 立て板に水の如く話すリリーに対して俺は若干引きながらその話を聞いていた。(俺が帝国内部の事情に疎すぎるだけというのが否めないとはいえ)何故俺ですら把握していない帝国貴族、そして帝国軍の情報まで彼女が知っているのだろうか。


 いや――彼女が知っている、というよりは彼女の父であるケルンテン辺境伯が知っているというべきであるのだろうが、それにしたって彼は諸邦連盟の人間であり、普通ならば帝国軍の内情にそこまで詳しいはずもないのだ。


 改めて目の前に座る少女を見る。もしかしたら俺は――想像以上に恐ろしい存在と対峙しているのかもしれない。諸邦連盟が味方になってくれるという楽観的な見方を修正する必要すらある、と俺は心の中で歯噛みした。そんな俺の心中を知ってか知らずか、彼女は話を続ける。


「……そこで、これは先ほどの話にも繋がってきますが、ヴィルヘルム皇子派は主に軍部に対してより強く浸透工作を進めています。ヴィルヘルム皇子が軍部に圧力を掛ければ、貴国がカルニラに侵攻された場合に帝国軍が不介入を貫くこともあり得る――というよりもその可能性は相当程度存在する、そういう理屈です」

「……一応聞いておこう。ヴィルヘルムがカルニラと結ぶ動機は?」


 答えは半ば分かっていたが、確認の意味を込めて俺はリリーに問うた。静寂が暫く場を支配した後、リリーは口を開く。――その可能性が示された時と全く同じように、こちらを手で指しながら。


「それは殿下ご自身が最もよく理解なさっているものだと考えておりますが――ハンス・エリック・フォン・ロレンス=ウェアルス殿下、チザーレ大公にしてアルマニア親王、アルマニアの正統なる帝位継承権者殿下。彼は、あなたを排除するためにカルニラというならず者を影の手として操ろうとしています」

「……そうか。しかし、先ほども言った通り俺はあくまでもアルマニアの皇族だ。俺を殺すために外国勢力と結んだとなれば、第三皇子という身分を以てしてもただでは済まないはずだ」

「何も、殿下を排除するためにはあからさまに殺すことだけが手段ではない、ということです」


 例えば、と前置きし、リリーは更に話を進めた。


「帝国軍不介入という仮定を覆すことになりますが――カルニラによる侵攻を名目にチザーレに自派の影響下にある帝国軍部隊を送り、戦争のどさくさに紛れて殿下を誘拐して監視下に置く。あるいはそれに乗じて『名誉の戦死をした』ということにして暗殺することも可能でしょう。要するに、彼が求めているのはカルニラによる直接的な殿下の排除というよりも、『カルニラの侵攻によってチザーレが危機に陥る』というその状況なのです」

「想像しただけで吐き気がしそうな未来だ。その筋書きで行けば、ヴィルヘルムは暗殺の首謀者として謗られるどころか『危機にある同胞を帝位継承争いにおける政敵という立場であるにも拘らず救援に向かった』という美談を喧伝することが出来ると」

「そこまで考えているかは分かりませんが、少なくともそういった意図を持っている可能性は十分あります。それに――殿下が仰られた『ただでは済まない』という話は、現皇帝をトップとする帝国政府がその時点においても健在であったら、という話です」

「……?どういうことだ」


 意味深な言葉に、俺は首を傾げる。疑問をぶつけてばかりで情けないが、こっちが持ってる情報がなさすぎる以上、プライドをかなぐり捨てなければいけない。


「これはあくまで『恐らく』という留保を付けなければならない情報ですが、帝国が内戦に陥る可能性は限りなく高まっており、そしてその時は刻一刻と迫っています。そして――その内戦においてヴィルヘルム皇子が勝利すれば、帝国の全権は彼が握ることになります。そうなれば、このような言い方はあまり良くありませんが、あなたを殺したという罪など問題にならないでしょう」

「それは――そうだな。皇帝は絶対権力者、些細な不祥事などいくらでももみ消せる」

「ええ。そしてこの話は、我々辺境伯領の人間と、殿下のみが知っている情報なのです。残念ながらカルニラとヴィルヘルム皇子が結んでいるという証拠は存在しない。つまり彼からすればほぼノーリスクで政敵であるあなたを排除する機会を得られるのです」


 リリーはそこで言葉を切った。再び沈黙が場を支配する中、俺は考えた。


 筋は通っている。カルニラとチザーレが争ったとして、ヴィルヘルムが被る損害は殆どない。仮に失敗したとしても、カルニラをトカゲの尻尾として切り捨てれば済む話であり、成功すれば無償で俺を排除することが出来る。


 そして、カルニラ側からしてもこの提案は魅力的なものだ。カルニラとチザーレの軍事力の差からして、真っ向からぶつかればほぼ間違いなく軍配はカルニラ側に上がる。更に諸邦連盟も帝国も、それぞれの事情で介入しない可能性が高く、そして恐らくは成功の暁にはカルニラは帝国――というよりもヴィルヘルムが保護するという密約を結んでいるのだろう。


 そうなれば、カルケドンという安全保障上のパートナーを失ったカルニラは帝国という極めて強力なパートナーを得ることが出来る。


 双方にとっては益しかない、全く以て素晴らしい取引だ!ただ一点――チザーレがその贄として捧げられるという点を無視すれば、だが。


「全く、最悪な気分だ。ここまでコケにされるのは初めてだな」

「気分を害されたのなら申し訳ありません。しかし、私がこうして申し上げているのは、我が領、そして我が国は貴国の主権が脅かされることを良しとしないからであるというのをご理解下されば幸いです」

「主権、か。元よりそんなものは我が国にないのだが……辺境伯殿、そして諸邦連盟が我が国に対し警告をしてくれるというのならば、その好意を無碍にするような真似はせず、全てそのままありがたく聞き入れるとしよう。話はこれで終わりだろうか?」


 その問いに、リリーは僅かに首を振った。まだ何かあるというのか。彼女は全く悪くはないのだが、これ以上胃に穴が開くと困るので、胃に負担がかかる話は勘弁願いたい。


「ここまでは、あくまでも『警告』です。しかし、特に父上――辺境伯は特に殿下の能力を買っておられます。諸邦連盟全体での支援は先述した事情によって難しいのですが、我が辺境伯領が独自に行う、という条件であればある程度の支援を行うことが出来ます。ここからは、それについてお話させていただきたいのです」

「……そういうことなら、話を聞くに吝かではないが」


 取り敢えずさらに面倒なことが増えるという事態が増えたことに内心安堵しつつ、俺はリリーにその提案の詳細を促す。俺の言葉を聞いた彼女は、傍に寄せていた鞄から書類を取り出し、机の上に置いた。


「仔細はそちらの書類に載せていますが――率直に申し上げます。我が辺境伯領から、数千人規模の『観光客』が貴国へと来訪したいと願っております。彼らを受け入れていただきたいのです」

「……は?」


 俺は、リリーの告げる話の意味が分からなかった。観光客?これまでの話の流れで何故観光客なのか、何も理解できないまま、彼女に勧められるまま机上の書類に目を通した。表紙には『チザーレ公国に対する集団()()計画について』と記されており、普通の――とは言えないが、どう考えても我が国に対する支援としてはそぐわない内容であることが容易に想像できた。


 疑心暗鬼になりながらも、俺は書類のページを捲り、計画の仔細を目で追っていく。対象者は()()退()()したばかりの辺境伯領軍軍人、数百人のグループに分かれて主に東部地域に滞在する予定……


「……なるほど、そういうことか」

「その様子だと、ご理解いただけたようですね」

「あぁ。全く以て回りくどいと言わざるを得ないが、こうでもしなければ波風が立つ、と」


 書類を全て読み終わり、彼女が言わんとするところを理解できた。なるほど確かにこれならば、本国政府の意向という枷を嵌められた辺境伯領がなし得る有効な支援策になり得るだろう。


「ご理解ください。彼らの食糧、そして()()()()()()はこちらで用意します。とはいえ、無償で供与するとなると後で問題になるため、領内の商会を通じて格安で貴国へと販売するという形を取ります」

「用意周到なことだ。しかしまぁ、そういうことならば喜んで我が国は彼らを歓迎するだろう。但し、独断で決めるわけにもいかない。返答はもう少し待ってもらうことになる」

「それくらいは構いません。元より少し滞在するつもりでしたので」


 今度こそ話は終わりであるというので、リリーは書類をこちらに渡した後、鞄を手に立ち上がった。俺はそんな彼女に対して手を差し出した。


「とても実りある時間だった。我が国と貴国の友誼に幸があらんことを」

「ありがとうございます、大公殿下。私も、そして辺境伯も――殿下の行く先に、幸あらんことを願っております」


 リリーはそう言って俺の手を取り、ゆっくりとお互いに硬く握手した。そして、彼女は踵を返し、ドアに向かう。


 そのままドアを開けようとした彼女だったが、その前に「そうだ」と言ってこちらに向き直った。怪訝な顔をした俺に対して、リリーは少しいたずらっぽい笑みを浮かべながら口を開いた。


「一つだけ、父上からの伝言を伝え忘れていました。『あの夜に話した娘を娶る話を受ける気になったなら、いつでも伝えてくれ』とのことです」

「なっ……」


 彼女の口から伝えられた伝言に俺は思わず間抜けな声を漏らしてしまった。そんな様子を見て「ふふっ」と笑ってから、彼女は今度こそドアを開け、部屋には呆気に取られたままの俺だけが残されたのであった。

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