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聡明な来訪者

「またお会いできて光栄です、大公殿下。リリー・シルヴィア・フォン・ベルンシュタイン、父ヘンリクの代理として参上いたしました」

「遠路遥々よく来られた。すぐに茶と菓子を用意させよう」

「ありがとうございます。丁重な歓待に感謝いたします」


 俺が席に座るように勧めると、訪問者――長い藍色の髪をなびかせた少女は、一礼した後にソファに腰掛けた。彼女の名前はリリー・シルヴィア・フォン・ベルンシュタイン。チザーレと国境を接する諸邦連盟最西部の諸侯領、ケルンテン辺境伯領を治めるベルンシュタイン辺境伯家の令嬢である。


 以前、晩餐会で彼女がベルンシュタイン辺境伯の護衛として帯同していた時に会ったことはあった。しかし、その時の彼女は女性であることが分からないように辺境伯に言われるまで帽子を深くかぶっていた上、暗い夜であったため、こうしてちゃんと面と向かって話すのはこれが初めてである。


 恐らくは俺と同じくらいの年齢であると思われる彼女だが、その翠緑色の瞳に宿る光は、凛とした芯の強さを感じさせた。品のある整った怜悧な顔立ちは、美しさと同時に少し冷徹な印象すら感じさせる。


 侍従に出されたお茶と菓子を前にリリーは軽く微笑んだ後、カップに手を伸ばして少しずつ飲み始めた。


 若干の雑談をした後、彼女は不意にこちらを真っすぐに見据えた。それを見て真面目な話が始まるのだろうと察し、俺も居住まいを正す。


「――大公殿下。私がここに参ったのは、殿下に対して警告をするため、そして()()についての情報を共有するためです」

「……ほう。不穏な話はあまり歓迎する所ではないが、その警告とやらが我が国の国益に繋がるのであれば話を聞くことは吝かではない。詳しく聞かせてもらえるだろうか?」

「恐らくは、公国でもある程度は認識されていることと我々は考えておりますが――我が隣国、そして貴国の隣国でもある裏切り者……いえ、カルニラ侯国についてです」


 声のトーンを一段階落とした彼女の口からカルニラ侯国というワードが出てきたこと自体はそこまで予想外なことではなかった。国境警備隊からの報告でも、チザーレとの国境でカルニラ兵による不穏な動き――具体的に言えば哨戒拠点や兵士を収容するための基地の建設、より直接的に言えば国境に展開する兵員数の増大などが起きているという内容が記されてあったからだ。


 明らかに軍事的野心による行動であるというのはチザーレ政府上層部の間で一致した見解ではあったが、カルニラは諸邦連盟から独立した小さな領邦国家に過ぎず、帝国の庇護下にあるチザーレへ軍事侵攻することまでは考えていないであろうという意見が支配的であった。


 尤も、帝国で万が一内戦が起き、ヴィターリ半島に対する帝国のプレゼンスが低下した場合に限ってはその懸念が現実のものになる可能性があるという軍務府の意見から、チザーレ軍も西部に駐留する部隊を東部へと移転させるなどある程度の備えはしていた。


 但し、職業軍人が殆どを占め、庶民の徴募兵が極めて少ないという(この時代の)諸国の中では特異なチザーレの軍制と内乱の後遺症からチザーレ軍は絶対的な兵員数が不足している。財政上これ以上の軍拡も難しいため、万が一戦争となった場合は遅滞戦術によって国内に引き込み、地の利を生かして戦うのが精一杯であろうというのが軍務府から出された『チザーレ軍の現状と非常事態時の想定される状況について』という報告書に記された意見だ。


 これを補う役割を期待されたのが帝国駐留軍なわけだが、それがどうなるのかも不明瞭なままだ。軍務府は財政が安定した暁には徴兵制を含めて軍制改革を行うべきであると主張してはいるが、財務府や農商務府等が難色を示しているというお決まりのパターンである。


「カルニラ軍が最近我が国との国境で増強されているのは既に把握している。当然、国防上看過できない事態であるとして注視もしているし、今更言われるようなことでは――」

「いえ、話の本題はここからです」

「と、言うと」

「殿下も既にご存知のことと思いますが、我が辺境伯領と彼の国との間には浅からぬ因縁があります。カルニラ軍の殆どは、我が領との国境に展開していたというのは、恐らく想像に難くないでしょう」


 リリーの言葉に、俺は頷いた。カルニラ侯の反乱とその顛末については流石に把握している。彼女はケルンテン辺境伯の娘、自領をかつて侵略したカルニラを快く思っていないこと、そして逆にカルニラ側もそれを理解しているがゆえに辺境伯を恐れるであろうというのは普通に考えれば分かることだ。


「しかし――最近、我が領との国境に展開するカルニラ軍の数が明らかに減っているのです。現在展開するのは恐らく2個大隊ほど、恐らくは数千人規模で配置転換が行われたものと辺境伯領軍では考えております」

「……それは確かに奇妙な話だ。要するに――その減少した戦力は、我が国に指向されると、そう君は言いたいわけか」

「その通りです、大公殿下。この十数年間、我が領とカルニラは十数回の国境紛争を経験し、一度は本格的な武力衝突にまで至りました。それほどの関係にある我が領との国境から兵力を引き抜き、貴国へと指向しようとしているのです。これが戦争準備でなければ、何なのでしょうか」


 なるほど、彼女の話が真実であるならば恐らくカルニラは本気でチザーレに対して戦争を仕掛けようとしているというのが適切な結論となり得るだろう。()()()()()()()()


 俺はリリーの顔を改めて見る。彼女の表情からは謹直で聡明そうな印象を受け、少なくとも人を騙すようなタイプには見えない。だが――人は見かけによらないとはよく言ったもので、澄ました顔をしていても頭の中では何を考えているかは分からない。


「……確かに、君の話を聞く限りではかの国が野心を持って我が国を見つめ、牙を剥こうとしているように感じる。それが真実であれば由々しき事態なのも、その通りだ」

「ええ、我々は貴国が侵略の餌食になることを歓迎いたしません。なので、こうして警告をしているのです」

「しかし、君の話には――というよりも、カルニラの動きにはいくつか腑に落ちない点がある。それが解消されない限り、君の話が全くの真実であるということは出来ないと考えている」


 俺の放った言葉にリリーは一瞬当惑した表情を見せたが、すぐに少し余裕のある微笑みを浮かべ小さく「なるほど」と呟いた。


 自分で言ってて嫌になるが、相手の言うことに対してはまず疑ってかかるというのは君主――というより国家の高位高官に必要なスキルである。自分の判断によって負う責任が一般人と比して遥かに巨大である以上、ホイホイと相手の口車に乗るようではいけない。


 人を疑い、そしてそれを真正面から言うというのは実に嫌なことなのだが、そうしないと時に大惨事につながる以上、心を鬼にしなければならない。


「殿下の仰ることは尤もです。しかし、我々とて一方的に疑われたままというのも少し釈然と致しません。よろしければ、その『腑に落ちない点』というのをお教え願いますか?」

「……まず、これが最も大きな疑問だが、いくら我が国に侵攻するつもりであるとして、辺境伯領――もっと言えば諸邦連盟に対して無防備になるような兵力の配置転換をするのかが理解できない。独立した経緯からして、諸邦連盟はカルニラを含めたケルキラ海沿岸諸侯領を再び取り戻したいというのは明白なはずだ。カルニラ侯とて、それは重々承知のはず。そんな状況で国境を無防備にすれば、諸邦連盟軍はこれ幸いとばかりにカルニラへと進撃するのではないか?」


 最大の疑問点を、俺はリリーにぶつけた。二十数年前の反乱とカルケドンという外国勢力の介入によって分離したケルキラ海沿岸諸侯領は、諸邦連盟にとっては――主に貿易や海外進出のための外港確保という観点において――どうしても奪還したい領土のはずだ。


 カルケドンにおける宮廷クーデターで風向きが変わり、もはや自分を庇護してくれる存在がいないことを理解しているはずのカルニラ侯が何故諸邦連盟が軍事侵攻するにあたってこれ以上ない環境を創出するようなことをするのか、その理由が俺には到底理解できなかったのだ。


 俺が疑問をぶつけると、リリーは僅かな時間考え込んだ後、至極真面目な表情で答えた。


「それについては、理由が2つあります。まず1つ目、これは外交上の理由です。ご存知の通り、カルニラは反乱後、カルケドン帝国の庇護を得ることでその独立を確保し続けていました。その時にカルケドンがカルニラに対して交わした『カルニラが外国勢力に侵攻された際はカルケドンはこれを援護するために戦争に介入する』という文書は――2年前の宮廷クーデターで諸邦連盟に対する融和派がカルケドンにおいて多数派になった今でも未だ有効なのです」

「……つまり、今諸邦連盟がカルニラに侵攻すると――」

「外交文書に基づきカルケドンが介入し、諸邦連盟に対して侵攻を開始するという事態に発展するわけです。尤も、実際にそのような事態に陥った場合はカルケドン側が拒否することも考えられます。しかし、国際的な信用が失墜してしまい、東方の同盟国などの離反を招く可能性などを考慮するとそれに期待するのは些か楽観が過ぎるという意見が主にカルケドン国境地帯の貴族によって主張されています」

「あー……」


 リリーの言葉を受けて、俺は諸邦連盟が貴族の連合体であるということを改めて思い出した。カルケドン国境から遠く離れた北部の貴族はカルニラに対する強硬論を主張するが、カルケドン国境に近い南部の貴族がそれに反対するという構図がありありと見て取れた。


 そう俺が考えている間に、リリーは二の矢を放ってきた。


「2つ目は、我が国の内政上の理由です。我が国が現在『盟主選挙』の真っ最中であります。盟主選挙の最中は、基本的に外交行動において積極的な行動を控える、というのが我が国の不文律なのです。更に言えば、先ほど言った通り、仮にこの時期に軍事侵攻をすれば――実際にカルケドンの介入を招かなかったとしても、現盟主のリカルディ家は南部貴族から大反発を受けることは必至です。そうなれば、リカルディ家は盟主選挙に於いて多大な不利を被ることになるでしょう」

「……なるほど、カルニラに対して諸邦連盟が介入できない理由は分かった」


 聞くところによれば、盟主選挙は1年ほどの期間を掛けて行う諸邦連盟にとって極めて重要な行事であり――言ってしまえば潜在的敵対国の保護下にあるチザーレのために兵を出したがために選挙に敗北しました、となれば目も当てられないことになるのは想像に難くない。その点において、リリーの言い分は尤もだ、と俺は内心で頷いた。


 だが、まだ疑問点が全て解消されたわけではない。俺は一呼吸置いた後、更に質問をぶつける。


「……しかし、我が国は帝国の保護国である。我が国に侵攻すれば、当然に帝国の介入を惹起することは容易に想像することが出来るはずだ。そのリスクも、カルニラ侯は承知の上であると?」

「それについても、お答えいたしましょう。これは我々よりもむしろ貴国の方が関心を持っていることと思いますが――帝国は今、動揺しています。皇太子と第三皇子の帝位継承に向けた争いは様々な分野で顕在化し、それに伴い――主に辺境の地において――反帝国の動きも活発化しています」

「それは、その通りだが。しかし、動揺したとして未だ帝国は大陸における覇権国家であり、勢力圏下にある国家にとって極めて強力な庇護者だ。カルニラ如き、簡単に踏み潰せる――」


 俺は精一杯の虚勢を張った。実際のところ、帝国駐留軍の問題などを見る限り、今の帝国軍がチザーレを防衛するために全力を挙げてくれるかというと正直なところ怪しい。しかし、彼女が諸邦連盟の人間である以上、帝国の実情を曝け出すわけにはいかないのだ。


 そんな俺の考えを、リリーは極めて冷徹な声で打ち砕いた。


「なるほど。大公殿下は帝国に対して全幅な信頼を置いていると見えます。当然、帝国の皇族でもある殿下を帝国は外敵から守ろうと、()()()()()そう考えるでしょうね」

「……どういう意味だ」

「単刀直入に申し上げましょう。現在のカルニラ侯マイナルドは――」


 リリーはそこで一度言葉を切り、改めて俺の目を――まるで射貫くような――鋭い視線で見据えた。そして、彼女は再び口を開くと、決定的な一言を放った。


「――帝国の第三皇子、ヴィルヘルムと結び、チザーレ侵攻を不問にするように外交工作を行っています」

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