ユセフット事件
ユリウスとの会談を終えた俺は、宿で一泊した後にカンヴィル市街を視察し、市長や法王領軍の責任者らとの会談を済ませるとすぐに帰路についた。
本当はせっかくの機会であるのでもう少し街を視察して回りたい気分だったが、帝国での会談という最重要事項がこの後すぐに控えているため、秀吉もかくやという速度でチザーレまで取って返し、そこから関係閣僚を引き連れてめちゃくちゃ北にある帝都オットーブルクまで向かわないといけないのである。
幸いというべきか、行きと違って帰りはルートもある程度把握しているし、どこで険しい道に行き当たるかも分かっているので、一行の進む速度は速かった。
「――カンヴィルの宝物殿は、凄かったですね」
「大陸中の信徒が法王領への巡礼のついでに貢物として宝物を献上しに来るんだから、文化的な価値は凄そうだ。それに、帰る間際の楽隊の演奏のレベルも高かった」
「えぇ、本当に。……手配して下さって、改めてありがとうございました」
「何度も言うが、気にする必要はないよ」
帰路も後半に差し掛かり、オストヴィターリとチザーレの国境に程近いユセフット峠の山道を進む馬車の中で、俺はクレアとカンヴィルでの経験について語り合っていた。
ヴィターリ半島自体貿易の中心地として様々な物品や文化が集積されることもあって、文化的なレベルは非常に高い。北方諸国の宮廷でもヴィターリ出身の画家や吟遊詩人をそれぞれ宮廷画家や宮廷詩人として重用していたり、ヴィターリで作られた芸術作品は調度品として大陸各地で高値で取引されている。
ありがたいことにチザーレもその恩恵にあやかっており、それを専門に取引を行う商人貴族も少なくない。
そして、そんな文化基準が頗る高いヴィターリ半島の中でも、群を抜いてそのレベルが高いのが法王領なのである。まず、そもそもこの時代の画家や詩人の中でも極めて規模が大きいジャンルというのはまず宗教関係のものが挙げられる。
純粋に宮殿や教会に飾るための宗教画なども多く存在するが、聖教会は偶像崇拝を特に禁止していないので、異教徒への布教という用途でもそういったものの需要は極めて高い。
聖教会の総本山である法王領は、信徒からの莫大な寄付で財政が比較的余裕があるという理由もあってそういった宗教的文化人の最大の後援者であり、領内には芸術学校も多く置かれている。そのため、多くの文化人が法王領に集まっているのだ。
更に、ひっきりなしに法王領に訪れる諸侯たち――俺たちが訪問していた間にも、諸邦連盟の貴族やシャンパーニュ王国の貴族などと数回出くわした――が持参品として自国の文化人による作品や自国に齎された珍しい産品を持ち込むので、大陸中の文化が集約されている。
熱や直射日光から守るためという理由でイェフーダ大聖教会の地下に設置された巨大な宝物殿に収められた芸術作品群は、聖教徒でなくても一生に一度は見ておくべきだと個人的には思う。惜しむらくは、時間がなくてじっくり見ることなく出てきてしまったことだろうか。
前世の頃から、こういった美術館や博物館を見るのは結構好きなたちだったが、歴史的美術品――要するに描かれてから相当の年月が経ったものを多く見ていた前世とは違い、出来立てほやほやの状態の作品も珍しくないのである。
この時代の王侯貴族なら特に珍しくもない話だが、クレアもクレアでこういった芸術品に対する造詣は深く、一緒に宝物殿を回る過程で彼女が見せた博学さには驚かされた。彼女は幼い頃から詩歌も嗜んでいるようで、「それ以外に何もすることがなかっただけですし、大したものではないんですけど」と少し照れ臭そうに言うクレアの表情は、それでいてどこか嬉しそうだった。
公務に忙しく、部下がいる前ではあまり個人的な話ができない関係上、こういうあまり周りを気にせずに彼女と話せる機会は結構貴重だ。ユリウスとの話の中でも出たように、俺や彼のような少年君主にとって宮廷の中でフランクで話し合える人間というものは案外少ない。
宰相や財務相といった閣僚連中は言わずもがな、他の職員もほとんどの場合俺よりも一回りは年上だ。侍従はテレノのように俺と同世代の人間も少なくはないが、彼女らはあくまで俺に仕える『臣下』として接してくるため、中々フランクに話をするというわけにはいかない。
大公と公女という若干の身分の差はあれど、クレアは宮廷の中では非常に話しやすい人物だ。……問題として、彼女があまり政治の表舞台に出てこれない、そして(マシになったとはいえ)俺の激務ゆえに話をする機会がないことがあるのだが。
そんなことを考えながらクレアと話をしていると、馬車が止まり、外で何やら会話を交わしているのが聞こえた。
「国境に辿り着いたのでしょうか」
「恐らくそうだろう。あともう少しで戻れるな」
流石に一国の君主ともなれば、基本的に国境で長時間足止めを食らうようなことはない。形式的なチェックをして、それで終わりだ。数分も掛からないはずの審査――のはずだった。
「……少し長くないか?というか、何だこの音」
「人の声、なのでしょうが、どう考えても普通ではないような」
明らかに何か様子がおかしい。外からは何やら言い争うような声まで聞こえてくる。不審に持った俺はどうしたのかと外にいる護衛の兵士に問いかけようとした。
その瞬間だった。
「暴君に死を!ヴィターリ共和国に栄光あれ!」
国境警備隊の制服を着た兵士の1人が、剣を構えながら馬車の中に飛び込んできた。




