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外遊

「大公殿下、公女殿下。まもなく法王領内に入ります」

「そうか、分かった」


 警備責任者として傍らに控えるガルベスの言葉に、俺はそっと頷いた。俺は取り敢えず早期に決裁しないといけない書類や緊急性の高い雑務をできるだけ片付け、クレアに言われていた用事――ヴィターリ半島西部に位置するパラティーノ法王領への視察へと赴いていた。


 何気に大公になってから初めての外遊である。この近世の時代、平民は金がなくて土地に縛られて気軽に領地の外に出られず、さりとて高位貴族は警護等々の問題があって同様に気軽に領地の外に出られない。いい感じに楽なライフを過ごしたいならそれなりに豊かな土地を持つ子爵当たりの貴族か大商人辺りがベストだろう。


 本来は外遊も君主の日常業務のはずなのだが、内政が忙しすぎるのとそもそも外交相手が帝国(とその傀儡国)しかいないのとで、外遊に行く機会自体がない。予算を圧迫するのは間違いないので少ないことは有難いが、あんまり宮殿に籠ってずっと仕事漬けだと流石に気が滅入るので、こういった外に行ける機会自体はありがたい。


「大公殿下、わざわざ私のために時間を取っていただき、ありがとうございます」

「気にすることはない。このような言い方はどうかと思うが――いい気晴らしにもなる。それに、法王聖下には俺の方からも一度挨拶に伺いたいと思っていたから、むしろ好都合だったよ」

「そう言っていただけると、気が楽になります」


 俺の言葉に、クレアは微笑を浮かべる。前世では一般的日本人として神道・仏教・キリスト教が都合よく融合された謎の宗教を行事の日だけ信仰していたのだが、聖教会が帝国の国教となっているこの世界においては、皇族という立場上俺も聖教会の教徒の1人ということになっている。


 そのため、聖教会の総本山であるパラティーノ法王領、そしてそこに座する元締め、もとい法王聖下への挨拶は遅かれ早かれ行っておくべき事項なので、その用事がついでに消化できたと考えればまぁ無駄はない。


 ……予算よりも諸々の手続の方が煩雑で胃に穴が開きそうになった。俺はともかくとしてクレアを、(一応は帝国領という扱いである)オストヴィターリ領内を通行するための許可を取るのにかなり手間取った。


 北部はマシとはいえオストヴィターリの治安情勢がちょっとアレなので、担当者からは『マジではよ行ってはよ帰ってこい(意訳)』とキツく釘を刺された。そのためこの外遊は法王領に入って法都カンヴィルに到着してから、法王をはじめとする聖教会幹部司祭らと面会した後法都を一通り視察したらそのまま帰ってくるという弾丸コースになっている。


 そうこうしているうちに一行はオストヴィターリと法王領との国境に至り、警備責任者であるガルベスが法王領国境警備隊との手続きを済ませている間、馬車の窓から外を眺める。


 法王領の兵士は他国の兵士と比べた時に随分とその様が特徴的だった。野戦部隊は違うのかもしれないが、少なくとも国境警備隊の兵士は全身に汚れ一つない白装束を纏っており、大変目立つ服装なのは明白だろう。


 迷彩服などという概念は当たり前だがこの世界にはまだない。しかし、戦場において目立つ色の服を着るのはいわゆる騎士階級の騎兵であって、農民や市民が徴兵された市民によって構成される歩兵は国によって違いはあるもののそこまで目立たない色の戦闘服を着るのが普通である。理由は単純で、兵隊が目立つと攻撃の的になって軍事的合理性のごの字もないから。


 しかし、この兵士たちは歩兵であるにも関わらず『俺はここにいます!』と言わんばかりの目立つ服装を着ている。


 推察するに、これは法王領が宗教国家であり、その兵士は『神の兵士』とされているからではないだろうか。特に国境警備隊という立場からすれば、白という目立つ色の兵士が立つことで『ここから先は法王が座す神の地である』というメッセージになる。


 宗教においてメッセージ性というのは案外重要なので、こういった金のかからない方法で『演出』するのは頭がいいと個人的に思う。実務上も敵軍と戦うというより犯罪者や不法入国者と対峙する側面が強い国境警備隊は目立って相手をビビらせるのは良いことだろう。


 そんな思索に耽っているうちに手続きが終わったらしく、馬車が再び動き出す。これまでは公国から連れてきた大公護衛隊の他に弁務官区守備隊の要員が警備に当たっていたが、法王領の国境を越えてからはその任は法王領国境警備隊に移る。


 国境を越えてからも道のりは長い。国境から法都カンヴィルに至るまで、あと数日はかかるというのがガルベスの言である。


 俺は久しくなかった休暇だと思い、クレアと談笑しながらゆったりと旅路を過ごすのだった――


――――――――――


 前言撤回。全くもってゆったりとした旅路ではなかった。国境を越えた途端にそれまでののどかな平野が広がる景色が嘘のように、荒野と言うのが相応しい荒涼とした大地へと風景が変わった。


 かと思うと、すぐに険しい山脈――兵士が言うには、法王領という聖座を守る『神の壁』として一種の聖地となっているらしい――が現れ、大幅な大回りを強いられた。その上、迂回路も悪路としか言いようがない道で、大変なストレスを強いられる羽目になった。


 這う這うの体で法都カンヴィルに辿り着く頃には、俺やクレアだけなく、警備の兵士たちも疲労困憊という有様であった。なお、そんな中でもガルベスは1人ピンピンしており、流石数十年も戦場にいた叩き上げの古強者は違うと言ったところか。


 到着したら到着したで、法王に拝謁するための手続だのでこれまた大変な時間を消費することとなった。


「……この状態で法王聖下に拝謁とは」

「正直宿でゆっくりしたいが、弁務官殿からキツーく言われてるからな……」


 日がすでに暮れようとしている時刻に、俺とクレアは『聖教徒として人生で一度は訪れるべき』場所とされる聖教会の総本山、イフェーダ中央大聖教会で歩いていた。


 一国の君主、あるいは公女と言えどもこの空間の中では『1人の聖教徒』として扱われる。『神の前に人はみな平等』という幾度も聞いたことがある文言は厳格に使われ、例えばこの大陸で恐らくは最も強力な世俗権力の体現者であるアルマニア皇帝ですら同様の扱いを受ける。


「つい数年前に先代の法王聖下が崩御なされて、今の法王聖下は相当若いと伺っています。どんな御方なのでしょうか……」

「会ってからのお楽しみ、だな」


 この世界の法王は、恐らくは前世で同様の立ち位置にあるローマ教皇とは些か異なる。当代の法王が崩御し、あるいは耄碌して聖教会および聖教徒を教導することが不可能であると判断された場合、聖教会の中央執政機関である中央教務庁によって法王領内の12~15歳の子供に対して、先代法王の予言などを前提としたうえで聖教典に対する理解や信仰への認識などに対する調査が行われる。


 そして、1年以上かけて行われる調査の結果最も的確であると教務長官が判断し、大陸各地の大司教と中央教務庁の教務枢機卿による会議で全会一致で認められた子供を『先代の法王の魂が移り、生まれ変わった』と認定して次代の法王として認める方式を取っている。そのため、あくまでも法王は『依代としての人間が入れ替わるだけ』とされ、魂としては聖教会における唯一神の第一弟子であり、聖教会を作り上げた初代法王テサロのものがずっとその身に宿っているとされている。どちらかというとチベット仏教におけるダライ・ラマの継承に近いのだろうか。


 ともかく、数年前に継承されたということは、そう俺たちと年は離れていないだろう。これは先入観も大いに関係してくるかもしれないが、たまに面会するメディオルム司教を始めとして宗教関係者はどうにもやりにくいというか、前世で適当に宗教に対して付き合っていた人間としては非常に会話のワードチョイスが難しい。


 それも同年代ならそのやりにくさも多少は緩和されるのでは、という望みもなきにしもあらず。そんな思いを抱きながら俺は法王が座す教会最奥の部屋に向けて歩を進める。奥に進むにつれ武装した衛兵の数が増え、物々しい雰囲気が漂い始める。


「人の子よ、名を」

「我が名はハンス・エリック・フォン・ロレンス=ウェアルス。神の信仰者であり、秩序を以てその統治に資すると自負するウェアルス家に連なるものである」

「……私の名はクレア・フォルニカ。神の信仰者であり、同じく秩序を以てその統治に資すると自負するフォルニカ家に連なるものです」


 俺とクレアの名乗りを聞き、衛兵が重厚な音をさせて、俺たちの行く手を阻む分厚い門扉を左右に開き、聖座への道を開いた。扉の先に広がっていたのは、これまた神々しい装飾が施された聖堂の内部だった。奥の聖座に向けて歩くにつれ、法王の威容が顕わになってくる。


「人の子よ、よく参った。楽にせよ」


 澄んだ、と形容するのが相応しいよく通る声が聖堂に響く。声の主、そして聖座の主は、重厚な装飾を施された冠を被り、純白の法衣を身に纏い、その総身を白色で彩った――美少年であった。

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